壱加
2026-01-01 18:06:59
5317文字
Public 吸血鬼パロ
 

吸血鬼パロ②(ブラネロ)

吸血鬼のボスと人間のネロの話。
※小さいネロが大きくなってブラネロになります。

 ネロを連れてきた吸血鬼とは違う人に湯を入れた綺麗な浴槽に入れられた。全身泡だらけになるほど洗われたおかげで汚れはすべて落ち、自分の肌色がこんなにも綺麗になるのかと目を瞠る。
 暖まっている身体から熱はなかなか引かず、湯気がでているような気持ちになった。
 入浴したことはあるが、いつも情婦たちの余り湯を使っていたので熱い湯船で身体の芯から温まったことはこれが初めてのことである。
 綺麗なタオルで全身拭かれ、着ていた服とは別の服――大人のシャツを着せられた。
 余った袖は手際よく折り曲げられたが裾はそのまま。下半身は下着すら穿いていないので風通しが良すぎて不安になるが、シャツが長くて膝下まで隠れているのでよほどのことがなければ見えることはないだろう。
「こちらへ」
 入浴から着替えまですべてを行ってくれた吸血鬼はとても無口で必要最低限しか喋らない。先程の三人との差に目を瞬かせてしまうが、話しかけられてもなんと答えていいのか分からないネロにとっては無口の方が有難かった。
 バスルームを出れば薄暗い廊下が遠くの方まで伸びている。娼館よりも大きな屋敷だ。ネロの前を歩く使用人の後ろを必死に追いかけ、しばらくするとひとつの部屋の前で立ち止まった。
「ボス、終わりました」
「おう。入ってこい」
 男が扉をノックすれば部屋の中から返事があり、ネロの視線の高さにあるドアノブを捻った。
 だが男は部屋の中には入らず、ネロをじっと見下ろしている。これは先に入れ、ということなのだろうか。
 間違っていたらどうしようかと思い、恐々と一歩踏み入れた。違うと叱られることはなく、ネロの小さな足はふかふかの絨毯にゆっくりと沈んでいく。
「綺麗になっ、」
「本当に人間の子供だ!!」
 広い部屋には敷き詰められた絨毯、大きな机を挟んでソファが向かい合わせに置かれている。
 他には壁に絵が飾られ、豪華な花瓶に花も生けられていた。大きな窓はカーテンに塞がれて外は見えない。
 長い足を組んで、ソファにふんぞり返っていた男――皆がボスと呼ぶブラッドリーの声を遮った明るい声が部屋中に響き渡った。大きな声にネロがびくっと肩を震わせれば、ブラッドリーは大きく溜息を吐く。
 彼の前に座っていた赤髪の青年は何も気にせず勢いよく立ち上がると、素早い動きでネロの前に膝を着いた。
「俺初めて見たよ、本物の人間! しかも子供! 小さくて可愛い~!」
「おい、少し落ち着け。固まってるだろうが」
「あ! ご、ごめんね!?」
 大きな紫色の瞳がネロをまっすぐ見つめて謝ると、ソファの傍に置いてあった大きなトランクケースを引き寄せた。
「えーっと、そうだ。自己紹介! 俺はクロエ、クロエ・コリンズ。ツァイト・ヘーレで仕立て屋をやってるんだ。今日はブラッドリーから呼ばれてきみの服を持ってきたんだよ」
「俺の……服?」
 ぽんっとクロエと名乗った青年が年季の入った鞄を叩く。
 ネロは首を傾げてソファに座ったままのブラッドリーを見上げると、彼は飲んでいたティーカップを机に戻した。
「ガキの服なんて屋敷にねえからな。持ってこれるだけ詰め込んですぐに来いって呼んだ。遠慮せずに好きなもんを選べ。でもその前に、てめえも名乗ったらどうだ」
 目の前のクロエはブラッドリーの言葉ににこにこと相貌を緩めてネロを見ている。
 上等な服を着て、迷うことなく絨毯の上だが膝をついてネロと視線を合わせてくれた青年に自分はまだ名乗っていなかった。
 こういうときは自分も名前を言うものなのか。ネロの名前を尋ねてくる人など誰もいなかったので新鮮だ。
……あ、えっと……俺は、ネロ、です」
「ネロ! よろしくね。ゆっくり見ていいからね!」
 クロエは鍵を外すと絨毯の上にトランクケースを寝かせて開く。
 中には綺麗に折りたたまれた服たちがぎっしりと入っていた。
「どんな服がいいとかある? 好きな形とか、素材とか、色とか! ネロはどれが似合うかな~、サイズ分からなかったから色々持ってきたけど、小さいサイズがいいよね。あ、でも成長期か。人間の子供ってすぐ大きくなるって言うよね」
 これかな、これとかどうかな、こっちとこっちだったらどっちがいいかな。
 すっかりスイッチが入ってしまったクロエが鞄の中からあれこれ引っ張り出してネロの身体にあて、このシャツならこのズボンがいいかな、ジャケットはこっちの色がおすすめで、と組み合わせを一通り決めて「着て見ようか!」と言って笑顔を向けられた。
……あの、その……し、下着……を、」
 顔を赤くしてようやく絞り出した言葉に、クロエは一瞬目を点にしたあと「そうだね! 先にそっちだったね!」と慌てて取り出してくれたのだった。

「うんうん、何着ても可愛い! でも全部俺が選んじゃったけどよかった?」
 服選びが一段落するとブラッドリーに呼ばれ、彼の隣へ座った。クロエもブラッドリーの前に座り、淹れ直された新しい紅茶で喉を潤した。
 まるで着せ替え人形になったかのように何着も袖を通したので正直言って疲れている。疲労困憊だ。
 でも鏡に映る自分の姿を見るたびに、これが本当に自分なのだろうかと信じられず鏡面に手を伸ばしてしまいそうだった。
 部屋にある灯りに照らされた姿は痩せ細っているが、肌は茶色でも黒色に汚れているわけでもなく、髪もこんなに透き通った水色をしているとは知らなかった。
……何がいいとか、分からないし……破れてない服、初めてだから」
 汚れがひとつも見当たらない自分の姿を見たことがない。いつも肌や髪、服も汚れていた。
 どっちがいい、なんて聞かれたことはない。
 与えられるものを食べ、与えられるものを着た。
 黴が生えていようと、破れていようとも関係なく渡されたものを受け取っていた。それを拒否することは、死を意味しているのだと誰に言われずとも察していたのだろう。
「暖かい食べ物も初めて」
 ネロの前には湯気が立っているコーンスープとバスケットに柔らかそうなパンが入っているものが置かれた。
 美味しそうな匂いに自分の胃の中身がからっぽだったことを思い出して薄い腹を撫でる。
「な――、人間って、どんな生活してるの!? そんなに生活水準やばいの!?」
 ネロの発言に驚きを通り越して怒りを滲ませたクロエの顔が険しくなる。
 何故クロエが憤りを感じているのだろうと、隣に座るブラッドリーを見上げた。彼もクロエほどではないが何か言いたそうにネロを見つめ返してきた。
……ネロ。帰るところがねえって言ってたな。ここに来る前、いや、なんで賊の荷物の中にいた」
「えっと……親に売られた。その前は娼館の隅で働いていたけど……
「なるほどな……
 そういうことか、とブラッドリーは何度目かの溜息を吐く。クロエも理解したらしく、握った拳を解いて自分の顔を包み込んだ。
「ねえ、人間の保護っていうことにならないのかな。いくらツァイト・ヘーレの中で匿うことが出来ても、これって条約違反になっちゃうよね」
……条約? ……ツァイト・ヘーレって……?」
 冷たいものばかり食べていたネロは暖かいスープが入ったマグカップを持たされたが、飲めずにじっと固まっていた。
 二人が難しそうな顔をしているのを見つめ、知らない言葉に首を傾げる。
「そっか、ネロって吸血鬼のことってどれくらい知ってるの?」
……えっと、耳が尖ってて、人間の血を吸う。絵本で、見たくらいで……それ以外は、分からない」
 吸血鬼は恐ろしいもの。
 ネロの知識は乏しいが、人間たちの中でそれは常識だった。憎悪、嫌悪、恐怖。でもそれらは大半絵本の中の話。実際に現れたと言う話は思い返しても聞いたことがない。
 噂話が沢山集まる娼館という異空間でも、おとぎ話に出てくる人間を襲う怪物というだけだ。
「そっか、絵本か~! 人間の絵本の俺たちってやばいよね!」
「まぁ悪役だからな」
 ネロの言葉を聞いた二人は可笑しそうに笑った。
 吸血鬼の絵本に出てくる人間も似たようなもんだろう、と言ったブラッドリーはネロの髪をくしゃくしゃと軽く撫でる。
「ツァイト・ヘーレはこの街の名前で、俺様の領土だ。だからこの街のルールは俺だ。……だが人間のことは違う。大昔、吸血鬼と人間は争っていた。その争いを終わらせるために許可なくお互いの世界を侵さない、関わらないっていう約束をした」
 争い。その言葉に背筋が伸びると、大昔の話だけどねとクロエが念を押して安心させるように微笑んだ。
「吸血鬼は人間の血を吸うっていう絵本は間違ってない。戦争の原因はそれ。襲われたら怖いし怒るのは当然で……人間は武器をとって戦うことを選んだ。当然だよね」
 その条約を結んで以来、許可のない異種族の交流は禁止された。
 だからネロは吸血鬼を見たことはなく、クロエも人間を見たことがなかったのだ。
「でも全員が約束を守るわけじゃない――どっちのクズも破って悪さをする。ネロを買い取った賊は吸血鬼の領土に侵入して盗みを働いていた。俺様の領土でな。正式な手順を踏んで抗議なんざしてたら盗まれた物は戻ってこねえ。よっぽどの宝でもないかぎり、すぐに動こうなんてしないからな。どっちの役人も」
 だから内密に動いて荷物を奪還した。その中にネロが紛れ込んでいたということだ。
 こういうことは珍しいことではないのだろう。ブラッドリーは落ち着いているし、聞いているクロエも「困っちゃうよね」と肩を落として呆れている。
「ってわけだからこのことは口外するんじゃねえぞ」
「勿論だよ! 誰にも言わないから安心して! あ、難しい話ばっかりしてごめんね。スープ冷めちゃってない?」
……大丈夫、あったかいよ」
 両手で包み込んでいるカップはまだまだ温かい。
「飲んでから言え。初めてなんだろう」
「う、うん」
 二人の視線を受けながらマグカップに口をつける。
 冷たいコーンスープしか知らないネロの喉にゆっくりと人肌よりも温かいスープが流れていく。
……すごい、あったかい……
 重たそうにしていた目蓋が持ち上がり、今までで一番大きく目を見開いた。
 感じた言葉がそのまま口から零れただけだが、声も心なしか明るく弾んでいるようだった。
 温かいだけではない。一口、また一口と自然に飲み込んでいく。飲まなければいけないと思って飲むのではなく、飲みたいと思って飲んでいる。美味しい、と言う言葉はこういうときに使うのだろう。
「俺、次に来るときはネロのために服作ってくるし、ケーキも買ってくるね!」
「ははっ。人間のガキだからな、あっという間にでかくなるかもな」
「何回でも採寸する!」
 クロエが元気よく宣言すると、ブラッドリーも機嫌よさそうに笑っていた。
 そんなによくしてもらう理由は分からないが、クロエもブラッドリーも絵本の中の吸血鬼とは全然違う。娼館にいた大人たちよりも優しくて暖かい。
 良い人というのは、彼らのことではないだろうか。
……人間と吸血鬼って、そんなにちがうの?」
 そんな彼ら、吸血鬼とは一体どんな人たちなのだろう。気にならないわけがない。
 ネロを見て赤ちゃんみたいだ、小さな子供だと二人も、出会った吸血鬼たちも言っていた。
 人間の子供はあっという間に成長するということは、吸血鬼の成長は遅いのだろうか。
 口の端にスープをつけているネロの質問に、二人は顔を見合わせた。
「ネロは何歳?」
「えっと……十二歳」
「かわいいっ!」
 クロエの質問に答えれば、何故か声を弾ませた。十二歳の子供を可愛い、という大人は少なくともネロの周囲にはいなかった。
 娼館という特殊な場所で生まれ育ったネロは物心つく前からやれる雑用をやらされていた。裕福な家庭のことは分からないが、下町の子供たちも十歳を過ぎたら大人たちについて簡単な仕事をしている。
「俺はね、六十五歳!」
……え」
「俺様は百三十だな」
「えっ」
 聞き間違いだろうか。
 ネロは何度も瞬きをして二人の顔を凝視するが、楽しそうに微笑んで見つめ返された。
 クロエは十代後半、ブラッドリーは二十代の見た目をしていると思っていたが、聞こえてきた年齢はネロの理解を超えるものだった。六十五歳なんて娼館の皺だらけの枯れた肌をしたよぼよぼな館主とほとんど変わらない。ブラッドリーの百三十歳なんて人間では存在しない。人間は長く生きても八十歳くらいだ。
「吸血鬼の寿命って三百から四百って言われてるから」
「さん……びゃく……?」
「落ち着いたら吸血鬼――この世界の勉強から始めるか」
 途方もない数字に目を丸くするネロの口の端についているスープを指で拭ったブラッドリーが笑う。
 閉じた世界にいた自覚はあるが、外の世界の広さがここまでとは思わなかった。
 昨日までおとぎ話の世界だった場所が、今日からネロの住む世界になる。
 ここはまだ入り口に過ぎないのだ。