壱加
2026-01-01 18:03:55
3875文字
Public 吸血鬼パロ
 

吸血鬼パロ①(ブラネロ)

吸血鬼のボスと人間のネロの話。
小さいネロが大きくなってブラネロになります。
※モブ死

 がたがたと悪路を走る馬車が揺れる。
 胃の中身は空っぽのおかげで吐き気はあっても吐く物がないが、それでも酔うものは酔う。
 小さな腕で曲げた両足を抱きしめ、ネロは背中を丸めて目を閉じた。
 夜の闇の中、ランプの灯りだけを頼りに走る馬よりも心細い。馬車の荷台に灯りは当然ないが、積み荷の中で人間はネロだけだ。
 他の荷物は何かは分からない。大きな布に包まれた物、大小さまざまな木箱が並んでいた。ネロもその木箱の中で身体を丸めている。逃げられないように、と錆びた足枷を嵌められて。ひんやりと冷たい金属は夜になるとネロの体温も奪っていく。腹も減りすぎて動く気力はない。そもそも逃げ出そう、などという考えはない。それが出来るのは逃げる場所がある者がすることだ。
 母親に売られて荷台に詰め込まれた少年に帰る場所などない。
 娼館で働く女が客の子供を孕んだ。女にとって愛する男でもない男との子供などただの荷物である。
 子供が女であれば将来客を取らせて稼がせればいいが、男となれば用なしだ。中には育てて外に出したり店で男手として雇ってもらうという者もいるが、ネロを産んだ女はそうではなかった。
 だから売られた。大した金にはなずとも、これで自分が衣食住の面倒を見なくて済むのだから金額の問題ではないそうだ。
 大人たちの会話のすべてを正しく理解出来てはいなくても、厄介払いされたことくらいは分かる。
 そしてこれが珍しい話ではなく、花街ではよくある話だと言うこともなんとなく、知っていた。
 夜明けにはどこかの街に着くのだろうか。
 痩せ細った愛想のない自分が売れるのかは分からない。どこに、誰に売られるのか分からない。売れなかったどうなるのだろう。
 疑問は浮かぶが、恐れや不安が生まれる前に「まぁ、どうでもいいか」と思考が閉じる。
 諦めて生きることに慣れていた。考えたところで自分に選択肢はない。それをよく理解していた。
 だから今はこの馬車が止まるまで、酔いを抱えて目を閉じる。
 それだけの、筈だった。
「おい、なんだ!?」
「まさか、冗談じゃねえよ! やめろやめろ――わあ! た、助けてくれ!」
 大きく馬車が揺れたのと、馬が鳴いたのは同時だった。
 荷台の荷物が衝撃で跳ねて崩れる。ネロの入っていた木箱も一回転、二回転と転がって目が回って、ついに胃の中に何もなくても胃液を吐き出してしまった。
 外から男たちの悲鳴が聞こえる。
 馬車の周りに確か三人、武装した屈強な男たちが馬に乗って走っていたはずだ。
「あ、悪魔だ、悪魔が! やっぱり来たじゃねえか!」
「邪魔だっつーの、人間風情が俺たちのモンに手出ししゃがって!」
 焦りと怒り、怒号と悲鳴、硬い物がぶつかり合う甲高い音、そして聞いたことがない音が幾つか聞こえた。
 ネロは震える身体を抱きしめた。
 外で一体何が起こっているのか分からないけれど、襲撃に合っていることは何も知らないネロでも感じ取った。
 夜盗だろうか。こんな夜に悪路を走っているのだから、ネロを買い取った男たちも日陰者に違いない。同族同士の争い。それでも、彼らは「悪魔」と叫び声を上げていた。
 しばらくすると外は静かになった。争いが終わったのだろう。どうやって終わったのか、それには目を背ける。
「おーおー、馬ちゃん怖かったよなぁ。大丈夫だぜ、俺らは動物には優しい。殺さねえから落ち着いてくれや」
「にんじん食べるかな。落ち着いてもらわねえと屋敷までこれ運ぶのは俺たちになっちまう」
「っていうかさ、結構荷物あるけど全部開けて探すわけ?」
「そんな面倒臭いことしねえよ。ボスに何やってんだって叱られちまう。全部持っていきゃいいって。どうせ全部盗品だ」
「人間はその辺に寄せとけ。そのうち野犬か狼たちが食いにくるだろうよ」
 それもそうだな、と数人の落ち着いた会話がネロの鼓動を早くする。
 鍵のかかった箱の中、足枷を付けられたネロは逃げられない。逃げる場所もない。命など惜しくはないのに、初めて恐怖を覚えていた。震えてかちかちと歯が鳴りそうになるのを耐えるためにボロ雑巾のような服を噛みしめる。
 傾いた馬車が元の位置に戻され、荷台の中の箱がまた幾つも動いたが今度は回転することはなかった。
「よっしゃ、行くか」
 男がそういうと、馬は再び動き出す。
 手綱を握る御者が変わっても悪路は変わらず、数分前と同じようにがたがたと揺られた。
 それは決して心地がいいものではなかったけれど、極度の緊張状態に置かれたネロの意識は気付けば闇の中に落ちていった。

「え? まじで?」
 次に意識が浮上したとき、眩しさに目を開けると知らない男の顔に覗き込まれていた。
「あ、起きた。ちっさ、ってか臭っ!」
「ボロい木箱だからって普通ガキをこんなところに入れて鍵つけるか? あいつらまじでクズじゃん」
「ねえねえこの子、足枷ついてるよ。鍵ある? ない? 壊す?」
「いくつくいらだろう。十歳? もうちょっといってる? 人間分からんわ」
 考える暇もなく箱を覗き込む男たちが次々に喋り始めるのでネロはぽかん、と見上げるしかない。
 なんだっけ、どうしたんだっけ。
 ぐるぐると混乱している思考で、自分は売られ、その夜に襲われたのだったと思い出した。目の前にいる夜盗に――と、彼らを見て、目を瞬かせる。
 尖った耳、大きく開いた口から覗く尖った牙。見た目は人間だが、何かが違う。
「おまえらちょっと黙って。やべえよ、このガキ人間だろう? どうすんだよ、今すぐ元の場所に置いてきた方がいいんじゃね!?」
「え? なんで? おまえ酷くない? 外道? 外道なんですか?」
「ばーか!! 外道とかそういう話じゃねえだろう! 人間! 分かるか? に! ん! げ! ん! ここにいたらまずいだろうが! ボスになんて言うんだよ!」
 一人の男が頭を抱えて地団駄を踏んでいる。なんでこいつらは馬鹿なんだ、と嘆く声に「なんだと!?」と別の男が青筋を立てて立ち上がる。
「ボスには荷解きしてたら人間の赤ちゃんも一緒だったよ~って正直に言うしかなくない?」
 ね? とじっとネロを覗き込む男がかわいそうに、と目を細めて細い足首にそっと触れる。
 赤ちゃんではないけど、と場違いなことを口にしそうになったが、ぎゃあぎゃあと煩く騒いでいた男たちが突然黙ったのでネロの口から言葉が零れることはなかった。
「俺様がなんだって?」
「ボ、ボス!」
 男たちが声を上げると姿勢を正して立ち上がり「お疲れ様です!」と元気よく腰を折った。
 箱の中にいるネロはゆっくりと歩いてくる男を見上げた。ここにいる三人よりも大きな背丈、黒と灰が混じった髪、顔に大きな傷を残したが美貌が腐ることはなく、鮮やかな紅い瞳が静かに見下ろしてきた。金縛りにあったかのように指先ひとつ、息さえも出来ずに固まってしまう。
 店にくる上客のような――いや、それ以上に上等な服だろう。綺麗で皺ひとつない。
「人間か」
 ボス、と呼ばれた男は静かにしゃがみ込むとネロと視線を近づけた。
 黒い手袋を嵌めている指が、胃液を吐き出して汚れているネロの顔に迷わず触れる。
 確かめるように左右の頬を触り、顎を掴んで持ち上げ、じっくりと検品していく。その間、ずっと動けなかったが彼の宝石みたいに美しい瞳からは目が逸らせなかった。
「ガキ、名前はあるか」
――――あ、ね、ネロ……
 乾ききった口からは掠れた声が震えて音を紡いだ。
「ネロ。帰りたいか」
 その問いに大きく目を瞬かせる。
 帰りたい? どこに?
 男の言葉で浮かぶ場所は何処にもない。ただ暗い、真っ暗な水面を見つめているような気分になる。
……帰る、場所が……ない」
 萎れた植物のように覇気のない声が零れ、肩が落ちる。
 帰る場所がないというのはこんなにも心もとないものなのか。地に足がつかない。自分が何者なのかも分からない。
 泣きそうなのに、涙すら出なかった。
 「そうか」
 男は頷くとネロの足首にある足枷に触れた。
 さっきの男のように優しく撫でるのではなく、足枷に触れるとそれを――握りつぶした。
 バキっと鈍い音が響き、崩れて落ちていく。目を丸くしてるネロを抱え上げ、逞しい腕に乗せるとこんなことは造作もないと小さく笑った。
「おい、てめえら。すぐに消化の良いモン作らせろ。風呂入ったら食わせる。あぁ、ガキの服なんてねえな。……ひとっ走りしてコリンズのところの倅を呼んで来い」
「ボス、それって」
「理由はどうあれ連れてきちまったんだ、しばらくこいつの面倒を見る」
 流石ボスだ! と騒ぐ男と、本気ですかと青ざめる男が顔を覆う。
 双子がどうとか、条例がどうとか呻いているがネロにはいまいちよく分からない。
 きょとんとしたまま男を見つめれば、ガキが心配することじゃねえよと笑った。
「っと、自己紹介がまだだったな。俺様はブラッドリー。吸血鬼、ブラッドリー・ベインだ」
「きゅう……けつ、き」
 聞いたことがある。
 尖った耳で周囲の音を拾い、尖った牙で獲物を捕らえて生き血を吸う、不老の悪魔。人間の天敵。
 悪い子は吸血鬼に食べられちゃうのよ――大人が言うことを聞かない子供に言う常套句。
 娼館の物置にあった、ぼろぼろの絵本の中の悪者。
「ようこそ、俺様の屋敷へ。歓迎するぜ、ネロ」
 美しい吸血鬼は口角をあげて笑った。