shirajira
2026-01-01 17:28:09
7056文字
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色付けるのは自分でありたい

リクエストいただいた相手を飾るビマヨダです。2025年書き納め兼2026年書き初め。

 寝台の揺れで目が覚めた。元よりサーヴァントに睡眠は必要ではない。一気に覚醒する。
「ん、起こしちまったか」
 こちらに背を向け寝台に腰かけていた男が振り返る。寝起きに見る度に、まだ夢を見てるんじゃないかと思ってしまうような、柔らかな笑みを浮かべて。
 ドゥリーヨダナがぼんやり、あるいはうっとりと恋人の顔を見ていると、まだ寝ぼけていると思われたらしい。大きな手がドゥリーヨダナの目元を覆う。
「まだ寝てていいぞ。俺は厨房勤めがあるから、もう行くが……
 低く落ち着いた声に、瞼が落ちそうになる。だが、二度寝するより前にやることがあった。
 身を起こす。意外そうに瞬きをするビーマを他所に、サイドチェストからブラシと櫛を取り出す。
「座ってろ。やってやる」
 これが初めてでもないからだろう、ビーマは神妙な顔をし、おとなしく寝台に腰かけたままドゥリーヨダナに背を向けた。その背を覆う髪を、ドゥリーヨダナは櫛けずる。
 ドゥリーヨダナの毛と違って太くこしの強い髪は、とかしたところでぴょんぴょん跳ねてまとまりがない。香油を塗ってやったこともあるが、髪が重くて落ち着かないとそれ以降は断られてしまった。
 それでも、丁寧にブラシでとかして櫛を通せば、多少は手の中に収まってくるような気がする。よしよしとこっそり笑みを浮かべる。
 わし様がこんなことをしてやることのありがたさ得難さ、よっくその身に刻めよ。思うだけで言葉にはしない。頼んでねえよと言われたら言い返せないからだ。
 昔から、ビーマの無頓着さを見る度に歯がゆい思いをしていたのだ。せっかくの素材を雑に扱うような、身だしなみへの無関心さ。不潔ではないし、腹が立つことにいかにも適当に選んだ、あるいは誰かに選ばれたらしい服も似合ってもいたのだが――自分の手でこの男を飾り立ててやりたいと、ずっと思っていた。
 恋人という立場を手に入れたのだ、つまり今のビーマはドゥリーヨダナのものだ。であれば、ドゥリーヨダナの恋人にふさわしく手入れをしてやり容姿を整えてやるのは、当然のことと言えよう。
「よし、と」
 櫛を置く。それから新しく買い求めた髪飾りをサイドチェストから取り出す。サファイアが埋めこまれた、金の髪留め。一目見た時からこの男に似合うと思っていた。
 広がる髪を左手でまとめて、パチンと右手で髪留めをつける。照明を浴びてサファイアがきらりと光った。太陽光の下でならより輝くだろうが、贅沢は言わない。
 自分が選び、贈ったものを身につけて人前に出る恋人のことを考えただけで、誇らしいような気持ちになってくる。
……ん。また新しいやつか?」
 後ろ手に髪留めを触るビーマを、「外すなよ」と制する。
「お前の厨房シフトが終わって帰ってきたらのお楽しみだ」
「そいつはいいが……服だの髪留めだの、お前は何かと俺に寄越すが、そう何個も贈り物はいらねえよ。使いきれねえし」
「何を言う。お前はわし様の恋人なのだぞ? まだまだ贈りたらんくらいだ。お前のクローゼットは貧相にもほどがあるからな。だいたい、使いきるようなもんではないぞ。毎日違うもんを選んで楽しむもんだ」
 ビーマは納得していない様子だったが、仕事があるからだろう、立ち上がり「ありがとな。じゃあ、行ってくる」と髪留めでまとめられた髪を尾のように振って、部屋から出ていった。
 見送って、ふわあとあくびをする。やりたいことをやり、満足した良い気持ちのまま、二度寝に入った。


 注文していた品を受け取って、上機嫌で部屋に戻る。ジュネスに練習もかねて作らせたクルタパジャマだ。ドゥリーヨダナとビーマの分、揃いで色違いを作らせた。
 ジュネスは確かにまだ未熟であるが、将来はミス・クレーンであることが約束されており、腕はそれなりにいい。おまけに練習用にとたくさんいい布をくれてやったから、格安で引き受けてくれる。いい投資先だ。
 ふんふんと機嫌よく鼻歌を歌いながら、食堂の前を通りかかる。特に腹は空いていないのだが、ビーマの姿が見えないかと覗き込む。おやつ前の今の時間であれば食堂は空いているから、何なら少し話すこともできるかもしれない。
 ビーマはすぐに見つかった。ドゥリーヨダナが今朝つけてやったばかりの髪留めは、食堂の照明の下でもなかなか映えていた。
 だが、ドゥリーヨダナの機嫌は急降下した。
 ビーマはカウンターの中ではなく、外にいた。それは別にいい。休憩時間を取るなとは言わない。今の時間は食堂も閑散としているし、何よりビーマは作るのも好きだが食べるのも好きなのだ。客側に回るなというのは酷だ。
 テーブルの上には食べ終わったのであろう丼が重ねて置いてあった。そしてビーマの正面には――女が座っていた。
 女王メイヴ。全ての男の恋人であり支配者であると言って憚らない、ドゥリーヨダナより北の大地の女王。
 その女が、ビーマの手を握って微笑んでいた。ビーマも何が楽しいのか、歯を見せて笑っている。
 メイヴはいい女だ。雪原に咲く一輪の薔薇のように鮮やかで、刺がある。いい男に強い男、それから財宝も大好きだというところも、ドゥリーヨダナとしては好ましい。お近づきになる機会はなかったし、ドゥリーヨダナの女の好みとは少し異なるけども。
 そりゃあ、あんないい女に微笑まれたら、気もよくなるだろう。テーブルの上に乗っかってる豊満な胸にだってつい目がいくというものだ。自分も男だ、気持ちはわかる。
 でも。でも、お前の恋人はわし様だろうが。鼻の下伸ばしやがって。
 割って入っていってやろうか。思って足を踏み出したところで、ドゥリーヨダナはメイヴがただビーマの手を握っているわけではないことに気づいた。何かをしている。
 染料を含ませたハケを爪の上に走らせることを繰り返す。素朴な爪先が、花が咲いたように彩られていく。
 髪留めに衣服、腕輪に首飾り、ドゥリーヨダナは今までたくさんのものをビーマに贈ってきた。だが、指輪を贈るようなことはしなかった。料理の邪魔になると思ったからだ。
 だから当然、爪を飾ることも考えなかった。いや、発想自体がなかった。
 仮に思い付いたにしろ、実行はしなかったろう。調理を行うのであれば衛生面にも気を遣う必要があるはずだ。
 だというのに、ビーマは笑顔で爪を飾られている。嬉しそうに。ドゥリーヨダナが何かくれてやった時より、よほど機嫌が良さそうに見えた。
 何よりビーマを着飾らせるのは、恋人である自分の特権のはずなのに。それを奪われてしまった。
 いや、最初からそんな特権はなかったのかもしれない。誰もビーマの素材のよさに気づかなかったから放っておかれただけで。気づいてしまえば誰もが放っておけない、それだけの話だったのかもしれない。
 不愉快だ。嫌なものを見た。背を向けて、食堂に足を踏み入れずにそのまま自室へと向かう。自分以外の誰かに微笑む恋人の顔が、脳裏に張り付いて離れなかった。


 気晴らしにと借りた漫画を読んでいたが、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。ぼんやりと瞬きを繰り返す。
 今も、メイヴに向けられていたビーマの笑みを思い浮かべるだけで、胸の奥がぎゅっと押し潰されたような気持ちになる。口が勝手にへの字になるのを感じた。
 よく考えたら、恋人にはなったが互いに相手は一人だけなんて約束はしていない。ドゥリーヨダナは生前は妻一人だったし、マスターの文化圏では恋人も配偶者も一人だというから、ほういうものだと思い込んでいたが――ビーマはあの、一人の女を五人で分けあっていた五王子なのだ。おまけに妻も複数持っていた。
 今からわし様以外と関係を持つなと言って、間に合うだろうか。メイヴはどう見ても手が早い。もう手遅れだろうか。
 自分の胸に手をやって、揉む。やっぱなあ、女のそれとは違うよなあ……。わし様だって鍛えてはいるし? それなりに巨乳ですけども?   駄目か? これはこれでいいとはならんか? 今回の現界の間だけでも、わし様だけで満足できんか?
 放りっぱなしのクルタパジャマに目をやる。さすがに人目につくところであのビーマと揃いのものを身に付けるのは気が引ける。だが互いしかいないところでならいいだろうと、作らせた。どうせすぐに脱いでしまうしたかがパジャマと言われればそれまでだが、それでもドゥリーヨダナにとっては、大きな一歩のはずだったのだ。
 共に過ごす夜も、減っていくのかもしれない。そんなのは嫌だ。だがどうすればいい? さすがにあの女王を相手にするのは厳しい。どんな汚い手を使っても、求めているものが手に入る未来が描けない。
 唸りながらぼんやりと天井を見上げ胸を揉んでいると、ドアが開いた。
……何してんだ? 胸が痛むのか?」
 勝手しったるなんとやらで、平素と変わらずに部屋に入ってきた男に、ドゥリーヨダナは身を起こした。じっと見つめれば、不思議そうな顔をされる。
「何だよ。俺の顔に何かついてるか?」
……べっつにぃ? 随分と楽しい時間を過ごしてきたようではないか」
「あ?」
「ふん。わし様が知らないとでも思っておるのか。ケルトの女王と懇ろにしておったのだろう?」
 ぱちり、とビーマが瞬きをする。嘘をついたり誤魔化したりしようものなら承知しないぞと思っていると、ビーマはあっさり「何だ、見てたのか」と言った。
「ううむ。まだ内緒にしておきたかったんだが」
「何ぃ!? お前わし様に内緒で二股をかけるつもりだったのか!?」
 一応ここでは自分が先に付き合っていた、つまりは正妻のようなものなのだからどっしり構えておくべきではと考えてもいたのだが、全て吹き飛んだ。怒りのままに立ち上がる。
「わし様の恋人という栄誉に預かりながら他のやつにまで手を出すなどと、ただでさえ不敬極まるというのに、隠し通せるつもりであったというのか!? 馬鹿にしおって! このっ……!」
 殴りかかろうと握った拳は、手首を掴まれて止められた。
「何怒ってんだよ。お前、何か勘違いしてねえか? 誰がいつ二股なんてかけた」
「ほーん、下半身千人満足バーは一人抱こうが二人抱こうがいちいちカウントしない、と」
 後世で一晩で千人の女を満足させる男と唱われていたことを引き合いに出せば、ビーマが顔をしかめた。
「誰が下半身千人満足バーだ。……あのな、あの女王とは何にもねえよ。ちと教えを乞うていただけだ」
「ダウト。手を握られてニヤニヤしていたのを、わし様はしっかり見ておる。お前らにとっては生憎のことだろうが、わし様は盲目ではないゆえ」
「あのな。……あー、もういい。座れ。やって見せた方が早い」
「わし様に命令すんな」
 言い返しつつも、腰を下ろす。ラグの上で胡座をかくと、ビーマが正面に腰を下ろした。かと思えば何やら取り出した。
 マニキュアだ。色は華やかな牡丹色。あの女王に似合いそうな色だな。ドゥリーヨダナが思っていると、ビーマが大きな手でキュッとマニキュアの蓋を回した。その爪に何の色もついていないのに気づく。
……? お前、指はどうした」
「あ? どういう意味だ」
…………あの女王に、飾られてただろうが」
「そこまで見てて、妙な勘違いをしてんのかよ」
 呆れた顔をされる。カッと頭に血が上って言い返そうとしたら右手を取られて、言葉が喉の奥に引っ込んだ。
「動くなよ」
 短く言って、染料を含ませたハケをビーマがドゥリーヨダナの人差し指の爪の上に乗せる。ひやりとした。
……おい」
「しっ。……今は集中させろ」
 ビーマは真剣な顔をしている。思わずドゥリーヨダナも息を止めた。人差し指の上を走ったハケが、次は中指に移動する。薬指、小指、最後に親指。
 ふーっ、とビーマが息を吐いた。それからすぐに眉を寄せる。
「ううむ。やはり難しいな。あの女王のようにはうまくいかんか。……やっぱり、もう少し練習してから披露したかったんだが」
「おい! ちゃんと説明しろ! 何なんだ!」
 掴まれたままの右手を振り払おうとすると、「乾くまでおとなしくしてろ」と手を掴まれた。ビーマが顔を上げる。
「説明も何も、見ての通りだ。俺はあの女王に爪飾りのやり方を教わってた。お前が見た通りにな」
……何でお前が、そんなこと。厨房勤めで爪なんて飾れんのではないのか?」
「そりゃあ、俺はな。だから手本でやってもらったのはすぐに落としたぜ。そもそも、俺は自分にやるために教わったわけじゃねえ」
 真っ直ぐにこちらを見つめる瞳を見れば、では誰のために、と問わなくても答えはわかろうというものだった。だが、何故かはまったくわからない。
 ドゥリーヨダナは男で、爪を飾ったことも、飾りたいと思ったこともない。それで何故ビーマがドゥリーヨダナのためにマニキュアの塗り方をメイヴに教わるなんてことになるのか。
「ドゥリーヨダナ。お前は俺に色々贈り物を寄越すだろ? 髪留めだの服だの、洒落たもんを」
「それが何だ。恋人に贈り物をするのは当然のことではないか。お前の無頓着さは時にわし様の恋人としてはちょっとどうかと思うレベルなので、ありがたくもこのセンス抜群王子のわし様が整えてやっているのだ。感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いはないぞ」
「そうだな。……だが、一方的に俺ばかりがお前に着飾られるっていうのは、どうにも面白くねえだろ」
 つまり、ビーマはビーマでドゥリーヨダナを飾りたいと思ったらしい。それはまあわかる。男なら恋人を自分色に染めたいものだろう。
……それで、何で爪?」
「服だのアクセサリーだのは、お前は山ほど持ってる上に俺より詳しいし好みがうるせえだろ。俺がせっかく贈っても出番がないんじゃな……
 そんなことはない、とは言えなかった。ビーマから贈られたものなんてもったいなくて身に付けられないかもしれないし、想像を絶するダサさ或いは趣味の合わなさで出番がないかもしれない。ドゥリーヨダナは恋人可愛さに恥をかけるような境地にはまだ至っていないのだ。
「でも、これならお前も詳しくねえし、何より俺がこうしてお前の手入れをしてやれる。お前が俺の髪をとかして髪飾りをつけてくれるみたいに。それに、戦闘の邪魔にはならねえし、爪先なら何かと目に入るだろ?」
 清少納言がメイヴにまたネイルをやってほしいとねだっているのを小耳に聞いて思い付いたのだそうだ。思い付いたら善は急げでメイヴに頼み込み、手本として爪を塗ってもらったらしい。
 本当にそれだけか? 一瞬思わないでもなかったが、あまりにビーマは堂々としていたし、何より言動に不自然なところはなかった。何より、ビーマであればドゥリーヨダナにバレた時点で言い逃れなんてことはしないだろう。
……ふむ。つまりお前はわし様のために爪の飾り方を学ぼうとした、と」
「ああ。塗り方はわかった。だが、さすがにすぐには綺麗に塗れるようにはならん。だから練習して、何ならあの女王がやってるような模様とかアレンジなんかができるようになってから、お前にやってやるつもりだったんだが……
 ドゥリーヨダナは右手に視線を落とした。塗られたマニキュアは或いは爪からはみ出し、あるいはムラになってしまっている。決して綺麗な状態ではない。
……こんな手じゃ、人前には出れんなあ」
 ゆっくりとドゥリーヨダナが口にすると、ビーマは一瞬真顔になって、ため息をついた。
「ま、これで俺が浮気をしたわけじゃねえってのは伝わったよな? ……それ、落としちまえよ。霊基を編み直すだけでいいから」
「はあ? 落とす? そんなもったいないこと、誰がするか!」
……あ?」
 ポカンとした顔をするビーマを、ドゥリーヨダナは笑ってやった。
「他でもない恋人が、それもお前が、でかい図体を小さくしてちみちみわし様の爪を塗った証拠だぞ? そんな面白いものを、すぐに消すわけなかろう!」
「でもお前、人前に出れないって……
「人前にはな。ここにはわし様と、お前しかおらんではないか」
 ドゥリーヨダナは綺麗な左手を差し出した。恐る恐ると言わんばかりにその手を取ったビーマの前で、右手をひらりと振る。
「わし様は最高の恋人な・の・で! お前の練習に付き合ってやる。お前との時間の間は爪はそのままにしてやろう。毎回お前が失敗した爪ですごすわし様を見たくないのなら、精進するのだな!」
 高揚する気分のままに告げ、大事なことを言い忘れていたことに気づいて慌てて付け足す。
「あっコソ練はなしだぞ! 相手はわし様だけだ! いいな!?」
……おう」
「お前の腕が人に見せてもいいレベルになったら、一日それで過ごしてやろうではないか」
「そりゃあ、やる気が出るな」
 ビーマがにかりと笑った。それから、今度はさっきよりうまく塗って見せると、ハケに染料を含ませる。
 真面目な顔で爪を塗る恋人の顔を、ドゥリーヨダナは眺めた。飾ることばかり考えていたが、飾られるのも悪くはない。
 しばらくは、二人だけの秘密にしたいものだが。できれば上達するまで時間がかかってくれよと祈りながら、ドゥリーヨダナはそれとなく左手を揺らし、ビーマにじっとしてろと文句を言われた。