結婚式はいつにしようか。薄暗い地下室でモニターの前の椅子に腰掛け覗き込んだ愛しい彼の顔はきっとこの先一生忘れないだろう。キーボードを叩いていた指を止め丸く開いた目をぱちぱちと瞬かせる彼へ近寄り、その首へ青い貝殻のペンダントをかけた。それは彼──セバスチャンと交際を初めてから一年が経とうかとした頃合いのこと、太陽と自然に生かされている私はそんな自分と正反対の、地下室に閉じ籠る一匹狼を生涯の伴侶に選んだ。
きっかけはなんだったか覚えていない。私の行動範囲に彼がいて、会話を交わすうちに次第に仲良くなった。こんな田舎には珍しい職業に就いているのも面白く思ったし漫画やゲームなんかの趣味もよく合った。家族との不仲もわかり合えるところのあった気がした。孤独を憐れむという言い方は好きではないしそうしているつもりもないが、自分は彼の孤独ごと彼を愛せると思った。ただそれだけ。十代の頃のようなときめきや一喜一憂もなく、ただ穏やかに愛し合える唯一の人だと感じたからそうしただけだった。
「──あぁ、もう仕事に行くのか?」
支度を終え外へ出ると玄関のすぐ横からそんな声がかかった。その声の主はセバスチャン、つい先ほど町中の人間がが証人となり私の夫となった男だ。礼服を脱ぎ普段着を纏い直した彼は煙草の白煙を感慨深そうに吐き出しながらそう微笑んだ。
「うん、動物達の様子を見てこようかなって。今日は牧場の中にいるよ」
「そうか、俺のことは気にしなくていいからな。お前はお前の仕事を頑張ってくれ」
「うん、ありがと……」
結婚式は厳かなものだった。山の向こうから透明な青が広がり青葉に朝露の滴る早朝、私達は永遠の愛を誓った。婚姻の証となるペンダントを渡してから数日後のこと、どうやら彼も彼でそろそろそういった話になってもおかしくないと思ってはいたようで段取りはすぐに決まり、他の住人や彼には申し訳ないが私の仕事前に貴重な時間をもらったというわけだ。披露宴も特別な催しもなにもなく、神様に誓いを立てて終わり。至って私達らしいものだったと思う。
そうしてすべてを終えた今私は仕事へ向かう準備を終え、彼は荷解き前の一服を行っている。短くなった煙草を携帯灰皿へ押しつけるセバスチャンの横顔を見つめ、この鮮やかな景色に馴染まぬ黒を風景のひとつとして不思議に眺めた。
付き合ってからというものセバスチャンがこの家を訪れることは度々あったが、いつだって必ず山の上の自宅へと戻っていた。しかし彼はもう私がこのデッキを降りて何度も振り返らなくたってどこかへ行ったりしない。今日から私達はずっとここで暮らすのだ。未だ実感もなくセバスチャンの隣に佇んでいるとポケットに灰皿をしまった彼はこの視線に気づいたようだ。
「どうしたんだ?」
「ううん、今日からセバスチャンがいるんだなって……なんか不思議」
「そりゃ結婚したからな、お前が嫌だって言ってもここにいるよ」
「言わないよ! 好きに過ごしてね、ロビンもセバスチャンのお部屋作ってくれたし……でも今日は荷解きで終わっちゃうかな」
「そうかもな、パソコンのセッティングで一日が終わりそうだ」
そんな当たり障りのない会話は私の緊張を不自然な形に象る。尤も彼はそんなことなど気にも留めてはいなさそうで、礼装で縮こまった体を緩めるようにうんと背を伸ばした。リラックスをしてくれているなら構わない。けれど自分がたった一間の沈黙にさえ落ち着かない。そわそわと身を捩りながら何気なくセバスチャンを見上げたときだった。
「ねぇ、セバスチャン。今日の夕飯は──」
突然伸ばされた腕が不意に私をその中へと閉じ込める。どんと鼻先を彼にぶつけ驚きに顔を上げた瞬間、セバスチャンはこの顎に指をかけキスを落とした。先ほどの式のときよりもやや乱暴に、しかし一度重なれば触れた唇から甘やかな熱が体中へ瞬く間に拡がっていく。ただ触れ合うのは同じなのにどうしてこんなになにが違うというのか、あんまり突然のことに伏せ忘れた瞼を閉じた頃、セバスチャンは名残惜しそうに唇に吸いついたかと思うと小さな音を立てて離れていった。
「いってらっしゃい、待ってる」
「え……あ、いやえと、その……」
「あぁ夕飯か? 俺が作るよ、なにが食べたい?」
「え? セバスチャンが?」
「なんだよ、作れないだろうって? 料理も少しは練習したんだ。あとで使っていいものを教えてくれ」
食材と調理器具を所望するセバスチャンの言葉も今はなにも通らない。くらくらと揺れる意識の中でこれまでの彼が苦いコーヒーに垂らしたミルクのようにくっきりとしたギャップとなって浮かび上がる。だからわけもわからず頷くしかできなくて、私がそのまま俯くとセバスチャンは笑ってもう一度この体をしっかりと抱き締めた。
なにそれ、知らない。ときめきも一喜一憂もなく穏やかに愛し合えるとばかり、なのに今私は少女のように胸を高鳴らせ頬を真っ赤に染めている。まるで顔もあげられやしないほどにだ。私が困惑のままに広い背中へ腕を回すと、セバスチャンはこのつむじにまたひとつキスをした。
「……セバスチャン」
「ん?」
「なんでもない」
「そうか? ならいっておいで、俺はここからお前を見てるよ」
ぽんぽんと軽く頭を叩かれた私はうんと頷くけれど動き出すことができなかった。セバスチャンが呆れて吹き出してしまっても、宥めるように背中を叩かれたって暫くの間ずっとそうしていた。
恋というよりは愛に近しいものだと思っていた。けれどどうやら様子は違ったようで、私はもしかすると今この瞬間にはっきりと恋に落ちてしまったのかもしれない。説明のできない胸の切なさはきっと顔を上げて彼の笑顔を見れば更に重みを増すだろう。おかしそうに私の名を呼ぶセバスチャンになんでもないとつっけんどんに返しながら、それとは裏腹にその体へ甘えるように額を寄せた。
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