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月希
2026-01-01 14:48:54
2718文字
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夢小説
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きざはし
現パロ/荀攸夢/同僚夢主
日常のふとした瞬間に関係性が変わる兆しがあったりなかったり
「何もかも捨てて、どこか遠くに行きたい
……
」
仕事終わりに荀攸さんと連れ立って訪れたいつもの居酒屋で、酔いに任せてくだを巻く。
常連さんしか来ないこぢんまりした店は週末ということもあって賑わっていて、わたしたち以外にも多くのお客さんがいた。ともすれば店内の騒めきにかき消されそうなわたしの愚痴は、隣で生ビールのジョッキを傾けていた荀攸さんに届いたらしい。
「なにかありましたか」
淡々と、けれど温かみのある声で荀攸さんが尋ねてくれる。
同僚の荀攸さんはあまり多くを語るタイプではないけれど、その分秘密主義で口も堅い。お酒が入ると饒舌になるとはいえ、聞いた話を言いふらす事はしない。
だから信用出来るし、落ち着いた言動に癒しを求め、ついつい話を聞いてもらいたくなる。
「これといって何かあったわけではないんですけど、嫌だなって思うこととか、それは違うんじゃないかなって思う事が積み重なっていくうちに、何もかも全部嫌になっちゃって。仕事の事も家族の事もぜーんぶ忘れて、自由に好きな所に行きたいな、って思ったんです」
「そうでしたか。ならば俺は一度、自分の目でオーロラを見てみたいですね」
「へえ、荀攸さんそういうの興味あるんですね。じゃあわたしは南極でペンギンが見たいかな。オーストラリアでコアラも見たいし、砂漠も行って見たいかも」
脈略もなく思いついたまま、見たいものや行きたい所を上げていく。
そんなに休みは取れないとか、旅費がどれだけかかるかなんて野暮なことは抜きで。やらなきゃいけない事も義務も考えない。ただ何にも縛られず、自由に想像していたい。これはただの現実逃避なのだから。
思いのほか荀攸さんとの空想話が弾み『月に行って地球を見ながらお酒を飲みたい』という所まで飛躍した頃には、夜はすっかり更けていた。
暖房の効いた店内を一歩出れば、閑散とした夜の街を吹き抜ける冷風が頬を刺す。首をすくめマフラーに顎を埋めると、自分の呼気から強いお酒の匂いがした。
「すっかり話し込んじゃいましたね」
「ええ。いつもながらあなたの発想は突飛で、とても面白かったです」
淡く笑んでいる荀攸さんの顔も、少し火照っているみたいだ。会話と共にお酒も進んだから、もしかしたらいつもより酒量が多かったかもしれない。
「そんなに面白い事を言った覚えはないんですけど。荀攸さんが面白いと思うツボがよくわからないです」
「あなたの存在自体が面白い
――
失礼、興味深いですよ」
「言い換えてもしっかり聞きましたからね。わたしのこと奇獣か何かだと思ってます?」
「魅力的な女性だと思っています」
「またそんな事言って。その手には乗りませんからね」
お酒が入った荀攸さんはたまにこうして揶揄してきたり、お世辞めいた言葉を伝えてくる。冗談だと分かっているから乗ることはないけど、酔った時限定で見られる荀攸さんの変わり様が、実は結構好きだったりする。
「でも、ちょっと意外でした。てっきり荀攸さんには『仕事を投げ出すなど言語道断です』って言われるかと思ったから」
「俺はそこまで仕事人間ではないですよ。それに、あなたが無責任に仕事を投げ出すとは思いません。あくまで”そうしたいほど行き詰った”という事でしょう」
「まぁ、投げ出さないというより、投げ出せない方が近いんですけどね」
へらりと笑って、駅に向かう夜道をゆっくり歩く。隣では荀攸さんがわたしに合わせて、歩幅を調整してくれていた。
昔からどうにも、悪い方に考え過ぎてしまう。
気乗りのしない事でも、わたしが断ったら周りに迷惑がかかるのではないか。仕事で長い休みをもらったら、休み明けに出勤した時にわたしの居場所はなくなっているんじゃないか。その他諸々、常に恐れが心の片隅にこびりついていて、自分でも嫌になる。
そうして仮想の敵や起こってもいない不安で追い詰められていって、最後には投げやりになるのがいつものパターンだった。
「逃げる事は、必ずしも悪いことではありません。時には戦略的撤退も必要です。疲れ果て心身共に深く傷ついたあなたを見るなど、俺は耐えられません」
荀攸さんが不意に、酒気の抜けた真剣な声をするから。つい気を引かれて、隣の荀攸さんを見上げた。
怜悧な目で真っすぐ前を見据えていた荀攸さんは、わたしを見るとふっと表情を和らげる。
「何かあればまた、俺に声をかけてください。酒でも甘味でも、遊びでも。どこへでも付き合います」
柔和な笑顔に、心臓がどきりと高鳴る。普段あまり表情が変わらない荀攸さんだからこそ、不意打ちにたじろいでしまうし、どこまでも優しい言動に縋ってしまいたくなった。
「ありがとう、ございます。その言葉だけで救われます」
「何もかも捨てたとしても、俺の事は捨てないでください」
「はい?」
脈略のなさが、さっきまで居酒屋で行っていた空想遊びを連想させる。冷静そうな見た目に反し、荀攸さんは相当出来上がっているのか。それともこれは、お酒が引き出した荀攸さんの本心
……
?
「家まで送ります」
「え、あ
……
はい」
あっさり話題を転換され、反応が追い付かない。どういうことですか? とか、間違ってもそんなことはしないと伝えるタイミングを、すっかり逃してしまった。
数歩先を歩く荀攸さんは、しっかりとした足取りで駅の改札を潜り、階段を上がっていく。その広い背中が、急に特別なもののように感じられた。
荀攸さんには何度も家まで送ってもらった。大きな家具を買うときに手を借りたこともある。今更荀攸さんと一緒にわたしの家に帰ることに、感慨は湧かないと思っていたのに
……
。
なんでこんなに、落ち着かない気持ちになるんだろう。そう思うのと同時に、荀攸さんの前で晒した醜態
――
理不尽なクレームに泣いたり、言う事がころころ変わる上司に怒ったり、酔って転んだりといった恥ずかしい記憶が、後から後から思い起こされる。
「電車が来たようですよ」
頭を抱えたくなったあまり、足が止まっていたらしい。荀攸さんの声かけと共に、階段の上から手が差しのべられる。
分厚く硬そうな手のひら、深めに切りそろえられた爪、コートの袖から微かに覗く、しっかりとした手首
……
自分と違うそれらが、否が応でも性差を感じさせた。
この手を取ったら、何かが変わる気がする。そんな予感が鼓動を早める。
果たして予感は現実となるのか、はたまた何も変わらないのか。確かめたくなって、好奇心と少しの期待と共に、荀攸さんの手をとった。
*終わり
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