クリスマス、年の瀬。この頃は街全体にどことなく忙しなく、浮き足立った空気が流れている。仕事を終え、そのまま天道の家の最寄り駅に降りて、連れ立って歩く。まだ時間がそれほど遅くないせいか、同じ駅で降りた人の数もそれなりに多かった。人波に逆らわず目的の出口に向かう間、僕は天道と隣り合ったり、その一歩後ろを歩いたりする。
今日は一段と冷える。建物の外に出ると、不意に吹いた風がコートの下まで突き刺すように冷気を運んできて、思わずぎゅっと身を縮めた。
「寒っ!」
思うことは同じのようで、こればかりは彼の言葉に同意せざるを得ない。寒い。一刻も早く、せめてこの風を遮れる場所に行きたい。どちらからともなく足早になり、口数も減る。
そうしてただ何となく、それが目についたのは偶然だった。少し前を歩く男女が、寒そうに身を寄せ合いながら絡めた腕の下で手を繋いでいた。あまりジロジロと見るものでもない、と逸らした視線の先にも、スーツを着た男性何人かの向こうで、同じく親密そうに腕を組んだ男女が歩いている。
それだけ、だ。そんな光景は、きっと今までだってずっとそこにあったもので、僕が特段意識していなかっただけ。それに目が止まるようになったのは、僕が天道の告白に頷いてしまったことに少なからず原因があるのだろう。
ついと半歩分だけ前を歩く天道の頭を眺める。寒さのせいか、いつもより少し猫背気味だ。無遠慮に見ていた視線に気づいたらしい天道の頭が、こちらを振り向く。吐く息が白く空に溶けた。
「桜庭?」
「寒い。さっさと帰るぞ」
「おう。今日めちゃくちゃ冷えるよなぁ」
また前を向いて歩き出す。彼の手のひらはダウンのポケットの中。今更、それをどうこう思ったわけではなかった。
ただぼんやりと考えてしまったことといえば、きっと天道は、誰かとああして寒空の下を歩いたことがあるのだろう、なんていう詮無いことだった。
駅からそれほど遠くはないが、如何せんこの気温では少し外にいるだけで体力と気力を消耗する。マンションのエントランスに入ると、やはり風を凌げる分、多少は寒さもマシになって息をついた。エレベーターで目的の階まで上がり、天道が鍵を開けるのを待つ。
「はいどうぞ」
「邪魔をする」
促されて、天道が大きく開けた扉の向こうに体を滑り込ませる。天道もすぐ後に入ってきて、扉を閉めた。やっと寒さから解放されたと安堵しながら靴を脱ぎ、勝手知ったる家のフローリングを踏む。天道の手が後ろから伸びてきて、廊下の電気をパチリとつけた。
「桜庭」
呼ばれて、振り返る。だが天道が求めていたのは会話の類ではなかったようだった。天道は僕の左手、次いで右手をとり、彼自身の両手で包むようにして握った。冷たかったからなのか、うわ、なんて失礼な言葉を吐く。寒さで悴んだ手は、まだろくに動かない。
「なんだ」
「お前、手冷たすぎるぞ」
こんなに寒かったのだから、手くらい冷える。ぎゅっと握って熱を移そうとしているらしい天道の手だって、心なしか普段より冷たい。
「君も似たようなものだろう」
「いやいや、俺の方があったかいって」
な?そう笑う天道は、握ったままの僕の両手をもちあげて、はぁ、と息を吹きかけた。ぬくい空気が指先に触れる。それを逃がさないようにまた天道の手のひらが閉じ込める。握って、気まぐれに指を絡めて、擦って。熱心にそうしている内に、冷えきって固まっていた僕の指先に、少しずつ体温が戻ってくる。
「……何がしたいんだ」
問うと、天道はう〜ん、と言いながら徐に指を絡ませて、そのまま柔らかく手を握った。その目には温かな光だけが宿っていて、僕の手を玩具のように弄びながら、慈しむように熱を移す。
「こう寒いと手を繋ぐのにいい口実になるんだけど、さすがにそれはできないよなぁと思ってさ」
やはり誰かと手を繋いで歩いたことは、あったのだろうと思う。それはごく自然に街の中に溶け込んでいて、誰の目に触れることもなく、二人の間を温めるだけのものだったのだろう。
「当たり前だ」
「だよなぁ」
何か、勘づかれただろうか。けれど僕が手を繋ぎたがっているなどと考えたのであれば、それは見当違いの話だ。そう言ってやりたくはあったが、墓穴を掘るだけのような気もしてやめた。天道はまだ好き勝手に僕の手を慰めている。
「君は、好きだろう。こういう行為が」
「ん?」
「いつもベタベタと触ってくる」
代わりにそんなことを言うと、天道は唇の端を僅かに上げ、反対に眉尻を下げてみせた。
「そんなに言うほどかぁ?……けどまぁ好きな奴と付き合ってて、くっつきたいと思わない奴なんていないだろ」
「時と場合による」
「だから選んでるんだよ」
な、あったかくなってきた。自分の仕事に満足したのか、天道はどこか誇らしげに僕の手を見せてくる。そんなことをしなくても、自分の手の温かさなんて僕が一番分かっている。指を握り返すようにすれば、それだけで天道は湛えた笑顔をより一層深いものにした。
僕は初めてだ。恋愛をするということも、それが相手に受け入れられるということも。こうなった時には当然僕も天道も男同士でアイドルだったから、外で手を繋げないのも、大っぴらに誰かに話せないことも、最初から僕にとっての恋愛はそういうものだった。
けれど天道は違う。違う恋愛を知っているなら、今のかたちは不自由だろうと思う。そんな面倒な思いをしてまで、わざわざ僕相手に恋愛をする意味が分からない。後悔はしてないのか、と喉まで出かかったことは何度もある。それを言うのは彼に対して失礼だろうと思ったから、言いかけた数だけ飲み込んだ。
「天道」
「うん?」
だから、代わりに違う言葉を言いたくなった。殊更寒い夜、僕の手を包んで満足気に微笑む彼に。彼の目だけ見据えて、ぽつんと浮かんだ感情をそのままに、平淡に言葉を放つ。
「君を愛してる」
天道の瞳が丸く見開かれる。へ、と漏れ出た声がひどく間抜けだった。不自然な沈黙が続く。そんなに変なことを言っただろうかと眉をひそめると、何故か天道は八つ当たりのように僕の手を強く握った。痛い。
「おっ、……まえ、んな玄関で言うことかぁ!?」
咎めるような言い分に、思わず「は?」と声が出た。たしかに僕たちが今いる所は玄関ではあるが、外ではないのだから文句を言われる筋合いは無いはずだ。
「宣誓書を書くわけでもない。それならいつどこで言おうが変わらないだろう」
「それにしたって、もっとこうシチュエーションとかさぁ……」
「どこで言おうと言葉の重みを変えているつもりはない。何か問題でもあるのか」
ごにょごにょ、ぶつぶつ。僕に聞かせる気がないのか中身は判然としないが、俯いて何やら僕に文句を言っていることだけは分かる。結局聞き取れたその締めくくりは、俺だってまだ言ったことないのに、ということだった。
「……言いたければ好きに言えばいいだろう」
「こんな待ち構えられて言えるかよ……」
天道はすっかり肩を落としてしまって、あからさまに落ち込んでいますというポーズを取っている。何故僕が悪いかのように言われなければならないのか、釈然としない。
「言わないなら黙って聞いておけばいい」
「おまっ……絶対言うからな、俺だって愛してんだから!」
「今言ったのとは違うのか」
「もっとちゃんと言うに決まってんだろ!」
「喚くな。勝手にしろ」
もうこれで話は終わりだろうと、やっと部屋の中に向かう。天道もつられて歩き出すが、片手は繋いだままだった。たった数メートルもない廊下を、だらだらと指を絡めて歩く。
天道がリビングの明かりを点ける。お互いコートを脱ぐために、ようやっと手が離れた。天道も背後でダウンを脱いでいる。
桜庭に任せてたらプロポーズまでこんな調子で終わっちまう、とぼやいた声が聞こえた。
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