ちゆき
2025-12-30 13:10:10
11114文字
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ラッキーガールは恋をする

ある日偶然指輪を拾った、そうして恋が動き出した

*pixiv閲覧制限国の方用にpixivから持ってきました


*セバスチャン×女牧場主(ネームレス、容姿等設定なし)

*週刊ライティングより「幸運の指輪」を題材としてお借りしました

……なんだろこれ」
 それは砂漠の洞窟の奥深く、砕け散った石の合間からちらちらと輝きを放っていた。月の形をした紋章がついたそれは指輪のようで、こんな薄暗い洞窟の僅かな光源を浴びて美しく金色に輝いている。もちろんこんな場所に所有者がいるはずもなく、私はそれを本日の成果として鞄へと大切にしまった。
 この指輪は幸運の指輪というらしい。後日ギルドへ寄ったついでに教えてもらったのだが、その名のとおり身につけていると運がよくなるそうだ。運だなんてそんな不確かなものが指輪をつけるだけでアップするなどそんなことがあるのだろうかと半信半疑で嵌めてみたところ、洞窟ですぐに梯子が見つかるようになったりいつもよりも拾う資材が多くなったり、はたまたカジノでものすごい当たりを引いたりすることが増えた。これは本当に本当かもしれないと思い始めた矢先、更にその効果を信じさせてくれる出来事が起き始めた。

「やあ、最近よく会うな」
——セバスチャン」
 夜も二十一時を過ぎた頃、夕食に誘ってくれた友人姉妹の家を出るとちょうどその隣家から同じように帰路に着く人物から声をかけられ、私はどきりと胸を高鳴らせる。自分がセバスチャンと呼んだその男はこの田舎特有の真っ暗闇に溶け込む前にひらひらと手を振りながらこちらへ向かってきた。
「なにしてたんだ?」
「えと、今日はヘイリーとエミリーが晩ご飯に誘ってくれて……そっちは?」
「俺はサムと遊んでたんだ。そしたら夕飯食べていけって……いいタイミングだな」
 そう言うとセバスチャンはポケットから煙草を取り出し慣れた手つきでその先端に火を灯す。ライターと街灯の穏やかな明かりに照らされるその指先がとても綺麗でぼうっと眺めていると、畳みかけるように思わぬことが続いていく。
「もう帰るのか?」
「え、うん」
「だったら途中まで一緒に帰らないか、たまには違う道を通ってみたいんだ」
 一体どういう風の吹き回しか、セバスチャンが真っ暗な森を指差しながら笑う。もちろん断る理由などないどころかむしろ嬉しさが爆発し、拳を握って大声で叫びたいのを我慢して私は大きく頷いた。
 どうしてそんな大袈裟な反応をみせるのかだなんて言うまでもないだろう、私はこの男が好きなのだ。

 セバスチャンの家は牧場を更に北へ向かった山の上にある。彼の母親は大工をしていて自分もここへ来たばかりの頃はよく世話になった——というより今もなにかあるたび世話になっている。彼の通う親友の家から彼の自宅までかなりの距離があるが牧場を通れば近道で、だからこそ彼は時短になる道を行きたく土地所有者を誘っただけなのだろう。特に深い意味はない。だが彼に深い意味がなくとも私は嬉しかったしなんなら遠回りがしたかった。毎日泥に塗れ武器や農具を振り回しスライムでべとべとになりながら駆け回る自分だって中身は恋する乙女なのだから仕方がない。
 ただ普段セバスチャンがこの森に来ることはほとんどなく、彼も物珍し気に辺りを見回しているし(数メートル先も見えないほどの暗闇だけれど)、自分もほぼ庭のようなこの場所に彼のいるのが妙にそわついて仕方ない。確かに遠回りをしたかったがこれはこれで満足だ。だって明日この森を訪れたとき、昨日セバスチャンと一緒にここを歩いたのだななんて人知れず浸ることが許されるのだから。緊張でそんなどうでもいいことを浮かべながら歩く彼の隣は期待に満ち溢れていた。
「お前がここに来る前は夜中にこっそり牧場まで散歩に来てたんだ」
「そうなの?」
「あぁ、言っちゃ悪いが荒れ果てた中を歩くのは楽しかったよ、なにか出てこないかなんて期待もしたんだけどな」
 出てきたのはイタチやフクロウくらいだったよとおかしそうに笑うその横顔をこの特等席でもう少し眺めていたい。自分の敷地へ入り彼の話す頃とは違って舗装された道をゆっくり歩きながらそんなことを願った。
 けれどそんな願いも空しくあっという間に自宅前へと着いてしまい、ただの友人である二人にこれ以上夜をともに過ごす理由はない。またなと軽く手を振り牧場をあとにするセバスチャンの背を、それが見えなくなるまで私もまたずっと手を振りながら見つめていた。

——もう本当緊張した、ラッキーすぎる!」
 シャワーを浴び普段より入念にスキンケアを行って飛び込んだベッドは今のこの心のようにふわふわと体を弾ませる。今日はなんでもない日なのにセバスチャンに会えた。しかも本当にたまたま偶然、その上ほんの少しだけだったけど一緒に帰ることもできたなんて幸せでしかない。そう枕に顔を埋め足を思い切りばたつかせる。そのせいかベッドに上がりたそうにしていたペットが別の部屋へ逃げてしまったようで、この喜びを分かち合える相手はいない。
 そんな中ふと指に嵌めたままの指輪が目に入った。あの日洞窟で拾った、三日月の紋章がついた幸運の指輪だ。思えばこれを手に入れてからあまりに幸運が過ぎる。
……ねぇ、お前のおかげなの?」
 普段は自室にいてあまり外に出てこないセバスチャンが外に出るようになったのは、そしてそのタイミングでちょうど私も居合わせることができているのは、すべてこの指輪のおかげなのだろうか。そんなことを訊ねてみても当たり前に返事はない。ただ静かに輝きを湛える指輪にありがとうと微笑んで、どこかへ避難してしまったペットを探しに行くことにした。

***

 しかしそれ以降もセバスチャンとのあれこれが毎週のように起きていて、大小程度の差はあれどそのなにもかもが自分にとっては幸せだった。その姿を見るだけでも嬉しいのに会うことができてそこから更には会話まで、日常の生活や仕事も含めればこの町に来てから今が一番順風満帆だ。
 そんな非の打ちどころのない毎日を過ごしているさなか、とある秋の日のことだった。
「そういえば今度の祭り、一緒に回らないか?」
 セバスチャンに頼まれごとをして訪れたその部屋で、彼が駄賃を手渡しながらそんなことを言う。あんまり突然の、しかも祭りだなんて彼からほど遠い言葉に私は首を傾げた。
「お祭り?」
「あぁ、サムは別の街から来る友達を案内するらしい」
「そうなんだ……
「だから本当は行かないつもりだったんだが、それなら母さんが行きと帰りで展示品を運んでくれないかって言うからさ」
 仕方なく、とセバスチャンは溜息を吐く。彼の言う祭りとは毎年秋の中頃に行われる、この町一番のお祭りだ。他所の町からも観光客が大量に押し寄せ様々な出店や展示品がずらりと並び、狭く静かな谷もこの日ばかりは人や物で溢れ返ってそれはもう盛大なものとなる。
 そんな賑やかしい祭りで昨年彼の母親は自慢の木工細工を展示していたのだったか、今年もきっと見事な作品で人々の足を止めるに違いない。渋々を振る舞いながらなんだかんだと母親思いである彼が好きだ——もちろんそんなことは伝えられないけれど。
……でも私でいいの?」
「よくなかったら声なんかかけないよ。一人だと流石に時間を持て余すし、それならお前がいいと思ったんだ」
 それなのに彼はこちらの気も知らずあっけらかんとそんなことを言ってのけるから、私の中でぶわりと一気に大輪の花々が咲き誇る。少しはにかんだようなその表情にも胸がきゅっと詰まり、いつも枕やペットに打ち明けるしかできないこの想いを余すことなく叫びたくなってしまう。しかしそんな思いをぐっと堪え、私は大きく何度も頷いた。
「いいよ、セバスチャンがいいなら一緒に回りたい!」
「なら決まりだな、お前も品評会があるんだろ? そのあとにしようか」
 詳しいことはまた当日が近づいたら決めようとそんな約束までして彼の家をあとにした私は、珍しく雲ひとつない晴天を見上げじわじわと込み上げる喜びに思い切り飛び跳ねた。
——やったあ!」
 本当に運がいい。よすぎる、生まれ変わったら幸運の女神に就任できるのではないかと思えるほどにラッキーだ。だってお前がいいと思っただなんてそんなことまで言われてしまって、これは夢ではないのだろうか。最初こそ怪しいものだと思っていた指輪もここまでくれば本物だ。帰ったらよく磨いて一点の曇りもないようにしよう。そしてたまには休ませてあげて、また祭りの当日がもっともっと素敵なものになりますように。
 近くの木々から小鳥達が飛び立つのさえ祝福のように思え、私は顔も知らない神様、そして彼の友人と母親に心から感謝をしながら弾む足取りで自宅へと向かった。

 そうして迎えた祭り当日、やはり持ち前の幸運のおかげか諸先輩方の集う品評会でも難なく優勝をおさめることができた私はその余韻もそこそこにセバスチャンの元へと向かう。待ち合わせをしたのは中心部から少し外れた、海へと続く橋の上だ。人波を掻き分けながら辿り着いたそこには石造りの欄干から川を眺めているセバスチャンがいた。
 いつからいたのだろうかぼんやり煙草を蒸しながら、少し冷えた秋風に白煙が流されていく。それは白煙だけに飽き足らず更に彼の髪をも靡かせて、普段は隠れている片側のピアスがちらと垣間見えた気がした。早く駆け寄ってその名前を呼んで、話したいことがいっぱいあるのに胸が詰まって動けない。
 そんな風に立ち尽くす私に気づいたセバスチャンがこちらを振り返り、まだ少し残った煙草を消すとこちらへ歩み寄ってきた。
「早かったな」
……うん、終わってまっすぐ来たから」
「優勝できたか?」
「もちろん! 運がよかったのかな」
 みんなにいっぱい褒めてもらえたのだと嬉しかったことを指折り数えていると、セバスチャンはふとおかしそうに笑いながら首を振った。
「運じゃなくてお前が頑張ったからだろ、当然だよ」
 馬鹿だなと言いながらもそう労ってくれる彼に恥ずかしくなった私は手持ち無沙汰に弄るこの指先へ視線を落とした。そうだ、確かに珍しい鉱石や品質のよい野菜を手に入れることができたのはラッキーだったかもしれないが、そこに至るまでには自分で努力をしたからだ。どんなに怪我をして怖くなっても洞窟の奥深くまで潜ったし、作物も毎日畑へ行っては草を引いたり害虫を除いたり、野菜達が満遍なく日にあたって綺麗に色づくようにも心がけた。動物達の世話だって朝一番に、それこそ自分の朝食よりも優先したことだってある。私が幸運だなんだとレッテルを貼って見えなくしていたその中身を彼はしっかりと見てくれていて、それがどうにもこそばゆかった。
……ありがと」
「それより腹は減ってないか? あっちでいろいろ食べられるぞ」
「そういえばまだなにも食べてないや、どこ?」
「ならとりあえず行ってみよう、食べながらこのあとなにをするか決めようか」
 そう町の方を指さして歩き出すセバスチャンの背中を見て、本当に今日は一緒に過ごせるのかと今更ながらに実感する。そんな私を不思議そうに振り返る彼に待ってと駆け寄りその隣へ並び立った。

 セバスチャンが連れて行ってくれたフードコートは無料で食事が、しかも町一番のシェフ渾身の料理が楽しめるとのことで大変に賑わっていた。時間帯のせいか予想以上の人だかりとなったこの場所を見て少々萎え気味になってしまったセバスチャンを隅で待たせ、二人分の料理を分けてもらいに行ってきた。ただそのうち機嫌が悪いというよりはどこかばつの悪そうにし始めた彼にそんなところもセバスチャンらしくていいのだと頷いて、会場の隅で二人出来立てのハンバーガーを頬張った。
 この祭り自体は去年も参加したけれど、やはり今回の方が断然楽しい。品評会で優勝できたのもそうだしなによりどこへ行ってもセバスチャンがいる。腹ごしらえのすんだあとは出店の方へと繰り出し、どれがいいかななんてぐるりと辺りを見渡した。
「射的かぁ……
「苦手なのか?」
「去年全然うまくいかなかった気がする、セバスチャンは?」
「さぁ、どうかな。勝負でもしてみるか?」
「ねぇそれ絶対得意なやつじゃないの?」
「相対的にどうかはわからないよ」
 それともやる前から逃げるのか、そんな安い挑発に乗った結果はもちろんというべきなのか散々で、とてもいい表情で手に入れた通貨を数える彼に対し大敗を喫した私はお先真っ暗ととぼとぼ射的のテントをあとにした。
……絶対やる前からわかってたじゃん、去年の点数言い合えばこんなことにはならなかったでしょ」
「去年のことなんか覚えてないね、お前もどうせ覚えてなかったろ?」
「もう次! 違うやつ!」
 次といったもののセバスチャンは釣りをやらないし、力比べは先に挑んだセバスチャンの点数を見て、もし自分がこれ以上出したら気まずいと思い本領は発揮できなかった。普段農具や武器を振り回す武闘派牧場主も好いた男の前にはまるで無力だ。セバスチャンもそんなはずはないと私の点数を疑っていたようだがそこはこう見えて意外とか弱いのだということで無理やり押し通した。
 その後は結局広場の真ん中にあるルーレットでひたすら二人で賭けをし続けた。ああでもないこうでもないとひたすらどうでもいい会話を繰り広げながら、セバスチャンに比べてよく外す私を少しは憐んでくれたのか、セバスチャンがルーレットのからくりを耳打ちしてくれたのはこの通貨が半分を切った頃だった。
……もっと早く教えてよ」
「そうしたら面白くないだろ、俺が」
 なにそれ、と顰めっ面をしてみせるとセバスチャンは冗談だよと言って笑った。そんなので誤魔化されたりしないと唇を尖らせながらもやっぱりこの人には勝てやしない。惚れた弱みに耳まで熱を持たせてしまった中、自分もやりたいという子どもに順番を譲り、ドリンクをもらいに行こうと再びフードコートへ向かうことにした。

 その道すがら、この町自慢の職人達が構えた露店の前を通りかかったとき、ふと見慣れないものを見つけた。
……花束のアクセサリー?」
 貝殻や動物、様々な可愛らしいデザインに紛れてあまり見かけることのない花束をモチーフにした銀細工が目に留まる。ペンダントやピアス、はたまた指輪まで、小さな宝石を嵌め込んで作られたそれを足を止めて眺めた。銀や宝石を使った細工なのでおそらく作者は鍛治屋なのかもしれないが、店主は現在不在のようで詳細を聞くことは叶わない。不意に足を止めた私に気づいたセバスチャンがその代わりとばかりに口を開いた。
「あぁ……観光客向けに売られる土産品だろ」
「そうなの? なんで花束?」
 普通こういう場合は花そのものをモチーフにするのだと思うのにこれはきちんと包装紙に巻かれた姿の花束を模している。指輪も違和感のないデザインとはなっているが、花束をイメージしたもののようだ。そんな些細なことを不思議に思い首を傾げると、セバスチャンはなにか考える素振りを見せたあとにピアスをひとつ手に取った。
……この町では好きな相手に花束を送るんだ。馬鹿馬鹿しい気もするけど、おまじない感覚や恋人へのプレゼントに買って帰る観光客も多いらしい」
 なるほどつまり若者へ向けた、ある種願掛けのようなアイテムなのか。確かによく見れば恋愛成就だとか恋人へのプレゼントへといったようなことが至るところに書いてある。売れ行きもそこそこなのか空いた箇所がいくつもあって、やはり願掛けは若い女子(女子が買ったのかは知らないが)なら誰でも通る道なのか。そして自分もその女の子達とさして変わらない、そう月を模った指輪を見て、先へ行こうとセバスチャンを促した。

 好きな相手に花束を渡して恋心を伝える、なんて素敵な響きなのだろう。自分も渡してみたいし、できることなら受け取ってもみたい。私の指に輝く幸運はそこまで導いてくれるのか、たとえば彼と一緒に牧場で生活をするような、そんな私にとって都合のいい幸せな未来を与えてくれるのか——そんなことを何度も何度も考えては隣にいる彼にどうしたのかと訊ねられ、その度私はなんでもないと笑って首を振った。

***

 そんな夢のような祭りの日から数日経ったある晴れた日のこと、私は贔屓にしている商店前で花束を持ったまま立ち尽くしていた。
……なんで?」
 そもそもの発端は私が追加で作物の種を買いに来たことから始まった。その際に店主と軽い世間話をしていたのだが、どうやら彼はどんな機会も商談に変えてしまうようだ。もしくは品評会の意趣返しか、とにかく店主はにこやかにこう言ったのだ——祭りの日にセバスチャンと二人で歩いているのを見たと。
 別に隠していたことでもないしなんならばったり会った友人に冷やかされたりもしたから今更だったが、店主はそんな私にいいものがあるのだと店の奥から小さな花束を持ってきた。
「いや私達そんなのじゃないんで……
「これからそうなるんでしょう? だったらこれが必需品ですよ!」
「いやでも……
 そう苦笑しながら断り続けてもあの手この手で売りつけようと畳み掛けてくる。商魂逞しいとはまさにこの人のことだ、今にもこの手に握らせんとする勢いで圧をかけてくる店主だったが、そのうちふと優しい笑顔を見せた。そう、きっと愛する家族にだけ向けるようなそんな笑顔を。
「言葉にして形にしないと伝わらないこともありますよ、だからこの谷では花束の力を借りるんです。大丈夫、うまくいきますから」
 なんたってピエール商店の由緒ある花束なんでね、とおどけてみせるのも忘れない。流石大企業のスーパーマーケットにもたった一人で立ち向かう店主だ、その頃にはもう私も根負けしてしまい、彼の手から花束を受け取った。
……渡すとは限らないけど、素敵なお話なので今回は買わせていただきますね」
 その花束は祭りで見た土産物によく似ていて、白い包装紙から溢れんばかりに束ねられた色とりどりの花々が愛らしい。甘く漂う蜜の香りに笑みを零すと、ああでも、と店主が途端に表情を険しいものへ変えた。
「もし渡さず枯れてしまってもあのスーパーには売ってませんからね! あんな伝統を大事にしないところは行く価値もない、次のときも必ずうちに来てください!」
 次なんてあってたまるかと思いつつ、渡すために買うのではないとすぐに思い直して首を振る。しかしまんまと買ってしまったものはもうどうしようもなく、私は先のとおり店先で佇んでいるというわけだった。

 いや別にこれは家に飾るだけで誰かに渡したりはしない。本当に飾るだけだから。ちょうど家の中が殺風景だと思っていたのだ。うちに花瓶になるようなものはあっただろうか、ついでに花瓶も見せてもらえばよかった。でもこんな風に握り締めていたらすぐに枯れてしまいそうなので早く帰って水に挿そう。だから早く帰らないと。
 そう思っているのに足の向くのは牧場の方ではなく山の上だ。そこに私の家はない。近道でもなんでもない、むしろ遠回りだ。それなのにどうして山へと向かっているかだなんて自分でも馬鹿だとわかっている——どうやら自分はセバスチャンに会えないかと、そんな期待をしているようなのだ。
 しかし今日は雲ひとつない晴天で、彼は太陽が嫌いだ。だからこんな時間に出てくるはずもない。それなのにもう夏も過ぎ去って冬の気配が近づいているからもしかすると散歩に出てくるかもしれないなんて考える自分がいる。そしてそれを更に否定する自分まで出てきて頭の中は天使と悪魔、白と黒、ジキルとハイドにあとはなんだ。いやもうなんだっていい。そもそも普通に帰って飾るだけなのだから彼がいるとかいないとか関係ない。一体なにを期待しているのか。いやでもだって。
 花束を握り締める指をちらと見るとそこにはいつものように月が輝いていて、とうとう坂道を登り切った先の家からぱたんと扉の閉まる音が聞こえた。
 ああこの指輪はこんなときにまでチャンスを与えてくれるのか——私が見つめるその視線の先にはどうしようもなく恋焦がれる男、セバスチャンがいた。
「あぁ、また鉱山にでも行くのか……
 そういつものように笑いかけてくれるセバスチャンから笑顔が消え、その代わりに目を丸くしてじっとこちらを見ている。一体どうしたなんて聞かなくてもわかる、彼の視線の先を辿ればこの手の中の花束にあった。
「それ、誰かにもらったのか?」
「違う! 自分で買ったの!」
……誰かに渡すのか?」
「あ、えと、いやこれは自分ので……
「自分の?」
 咄嗟に花束を後ろ手に隠してももう遅い。私の元まで来た彼は信じられないと言ったように瞳を揺らす。それにつられた私もまた彼から視線を逸らし息を呑んだ。
 これまでのことは確かに運がよかった。忙しなく駆け回る日々の中で彼に偶然出会して、次から次へと約束を取りつけられたり嬉しいことを言ってもらえたりもした。ただそれは彼にとってもちょうどよいタイミングでたまたま会えていただけなのだろう。今だってそうだ。
 けれどこれは違う。機嫌がいいとかそんな理由で受け取ってもらえるものでない。受け取ってもらうには確実に彼の気持ちが必要だ。そればかりはこの指輪だってどうすることもできない。怖い。こわい。
 黙ってしまった私をセバスチャンが怪訝そうに呼ぶ。そうして私は思い出した。あの祭りの日、お前は運がよかったのではなく努力をしたからだと言ってくれた彼の言葉を。確かにこの指輪はたくさんの幸運を呼び込んだ。けれどその幸運から結果に繋げたのはいつだって自分自身で、つまり今もこの指輪はこうして運命的なまでに彼と出会わせてくれたから、ここから先は私が頑張る番だ。そう一度深呼吸をしてから迷いに固く結ばれていた唇を開いた。
……うそ。私のでもない」
「じゃあ……
「だからセバスチャン、もらってくれる?」
 私は背中に隠していたその花束をセバスチャンへ向かって差し出した。しかし視線は逸らしたままで、彼がどんな表情をしているかは知らない。見られるはずがない。ただしんとした沈黙がこの場を支配して、彼からはなんの言葉もない。その不自然な静けさに私は大きく首を振った。
「いらなかったらいいの! いい……
 やっぱりだめだ、私はなにをしているのだろう。ただの独りよがりにきっと彼も困っている——手を引っ込めようとした瞬間、セバスチャンがこの手を握った。そう、差し出した花束ごと。その思いもよらぬぬくもりに私が弾かれるように顔を上げると、そこにはいつになく真面目に私を見つめる彼がいた。
……この間花束の意味は説明したよな」
……うん」
「本当に俺がもらってもいいのか?」
「セバスチャン以外にあげたくない……から、ここに来たの」
 あまりの緊張に声が震えても目尻に涙が滲んでも、目の前のセバスチャンから目を離すことはできなかった。だってセバスチャンがその固い表情を解いて微笑んでくれたから——彼は僅かに頬を染め、握ったままのこの手をあらためて両手で包んだ。
「嬉しいよ、ありがとう」
……それ、受け取ってくれるってこと?」
「それ以外にないだろ?」
 たまには外に出てみるもんだな、とセバスチャンが照れたように笑う。それを見た私の緊張の糸はぷつんと切れ、ぼろぼろとみっともなく涙が零れ出した。彼は突然のことに驚き呆れながらもそんなお前が好きだよと、その指で優しく涙を拭ってくれたのだ。

***

……なんてね、そんな思い出の指輪なんですよこれは」
「へぇ、初めて聞いたよ」
「だから誰かにもらったとかそんなんじゃないの!」
 私の家のソファでともに寛ぎながら、わかった? と隣で不貞腐れるセバスチャンの頬を突く。
 私とセバスチャンが付き合い始めてちょうど一年が経った。最初の頃はなにをするにも緊張しては一喜一憂し、時にはお互い遠慮し合っては笑ったりしていたのに今となってはそんな初々しさもどこへやら、暖炉に焚べた薪の爆ぜる中、セバスチャンがこの金色の月を模った指輪に文句をつけている。
「気になることは事前にクリアにしておいた方がいいだろ」
「事前ってなによ、というかそもそも付き合う前からつけてるし……
「付き合う前に誰かからもらったのかもしれないしな」
「だからそんな人いないもん」
 拗ねたようなことを言いながらふとおかしそうに口元を緩めるこの人はきっと本気で疑っているわけではなくて、ただどこにでもいる恋人達の真似をしてこんなことを言い合ってみたかっただけなのだろう。私はそんな可愛らしい彼の肩に頭を預け、眼前に手をかざしてみせた。
「でもこの子のおかげでセバスチャンとこうして一緒に過ごせてるのかもしれないから、私にとってはとっても大事な指輪なんだよ」
 淡い光に照らされる小さな月を愛おしく眺めていると、徐にセバスチャンがこの手を取る。そうしていろんな角度から繁々と指輪を見るものだから、なあにと彼を覗き込んだ。
「いつ拾ったんだ、これ」
「え? お付き合いする三ヶ月前とか……?」
「じゃあこいつのおかげじゃないよ」
「なんで……
 そっと彼の指がわたしのそれに絡まり、大きさの違うふたつの手が重なる。一年前はどんなにか夢見たその体温が私をあたたかく包み込み、隣のセバスチャンと視線がかち合う。いつになく穏やかに微笑む彼に私の瞳は攫われて、彼の指先にほんの僅かな力が込められた。
「そのずっと前から、俺はお前が好きだった」
 普段はあまりそういったことを言わない彼の突然の告白に、私は声も忘れるほど胸を打たれた。そんな言葉だけでも珍しいのにどうして今夜は真っ直ぐとこの目を見つめているのだろう。私も好きだよだなんて余裕振って微笑み返すこともできないでふいと視線を逸らしながら、ただただ彼から贈られた心を自分の中で噛み締める。頬が熱くて仕方ないのを暖炉のせいにしたいのに、そう真剣に向き合われてしまっては逃げ場もない。
……私だってそんなの初耳なんだけど」
「そりゃ言ってないからな」
 だからとセバスチャンが繋いだこの手を離す。ああもう少しそのぬくもりを感じていたかったのに、しかしそう思ったのも束の間のことだ。目で追いかけた彼の手は上着のポケットに突っ込まれ、なにかを探るようにしている。
「そいつを信じるのもいいけどさ、こんなのもどうだ?」
 そうしてセバスチャンが先ほどまで触れていた私の手を取りなにかを握らせる。小さくて少し固いその感覚を不思議に思い手を開くと、そこには青い貝殻の形をしたペンダントがあった。それはいつか文献で読んだことがある、この町でのプロポーズの証だ。つまりこれはそういうことであって、あとは自分がどう返事をするかにかかっている。息を呑んだ私が顔を上げるよりも早くセバスチャンがこの名を呼んだ。今まで聞いたこともないほど優しく、そして愛おしそうな声で。
「その指輪の分まで俺が幸せにするから、結婚してくれないか」

 あの日偶然拾った指輪が私にほんの少しの幸運と多大な勇気をくれたのに変わりはなくて、それはともに過ごした日々ごと私の宝物になった。そして今またもうひとつ宝物が増えるのを、きみは喜んでくれるかな。思い切り抱きついたセバスチャンの腕の中、私は確かな幸せを握りしめながら頷いた。