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織音
2025-12-29 23:11:06
4473文字
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グラスに残る、夜夜中
『魂と互換性について』
お酒と電解液擬似酒を飲みながら話しているだけの二人。僅かに弊社指揮官の外見に関する記述あり。
「もし僕が死んだら、二十一グラムは君がもらって良いよって言ったらどうする?」
レイヴン隊休憩室に指揮官の静かな声が響いた。既にルシアもリーフも併設する各自の部屋で眠りについている、たった二人だけの夜夜中だった。閉め切られた遮光カーテンのせいで偽物の月明かりは見えず、光度の絞られた照明だけが部屋を柔らかに照らしていた。
「先に、何故二十一グラムなのかお聞きしても良いですか」
んー、と指揮官は曖昧に返事をするとふっと眦を緩めるように笑う。
「今言っても面白くないんじゃないかな。答え合わせはまた後でするとして、酔っ払いの戯言だと思って少しだけ付き合ってよ」
「
……
貴方酔ったことありませんよね。どうせ今も素面なんでしょう」
「そうだよ、酔えないんだよね」
カラン、とグラスの中の氷が音を立てると同時に透明な琥珀色の水面が揺れる。それが照明の光を散らして、欠片が指揮官の白い手に落ちていた。グラスを手にする彼は見慣れないのにやけに絵になる、なんて意識海の端でそんなことを思う。
それは珍しく指揮官が用意したものだった。たまには良いでしょうと僕たち三人分の電解液擬似酒と指揮官のお酒、そして夕食。構造体に夕食は不要だが、それぞれ別の任務に就くことや委託任務も多く、グレイレイヴン全員でゆっくり過ごすことも少ない。その為か時折グレイレイヴン休憩室に終業後に集まっては近況報告
――
いわゆる雑談をしながら夕食を取ることもあった。今日はそんな気分だったのだろう、と目の前で薄灰の瞳を揺らさず、じっと琥珀色を見つめる彼を眺める。笑みの浮かんだ表情と細められた目に反して、瞳だけが酷く静かだった。
「度数が高いお酒も呑んだことあるんだけどね、全く変わらないんだよ。酔うって感覚を知りたいのに」
「貴方は変なところが強かったりしますよね」
「可愛げがない、でしょう?わかってるよそれくらい。オブラートに包んで言わなくたって良いんだよ」
「それならオブラートに包んだ僕の気遣いを返していただけますか」
「残念、もう食べちゃった」
上機嫌に指揮官はそう言った。普段表情が大きく変わるわけではないからか、アルコールの入った指揮官はやけに表情豊かに見えた。もしかして酔っているのか
……
と注意深く観察しても、やはりいつもと変わらない指揮官がいるだけだった。違うと言えばほんの僅かに頬が赤いくらいか。それすらも気のせいかもしれないが。
「お酒がお好きなんですか」
何度か一緒に行ったレストランでは控えめに口にしていたはずだが、それ以外で指揮官が飲酒している姿を見たことがなかった。ケルベロスのノクティスとビールを呑むくらいだから嫌いではないのだろうが、好きということも聞いたことがない。指揮官は少し考えるように視線を泳がせて、少しだけ目を閉じる。そして最後にはこちらを見つめて静かに笑んだ。
「いいや、好きじゃない。
……
でも、嫌いでもない、かな」
曖昧な答えを告げると彼はグラスで揺れる透明な水面へ視線を落とし、量の少なくなったそれを一気に飲み干しては空になったグラスをまた酒で満たす。これで二杯目。
揺らいだ水面は光を透かす。グラスの中で照明を反射してちらちらと散らされた光は琥珀色をした液体も相まって、まるで光彩陸離の夕暮れをグラスの中に閉じ込めてしまったかのようだった。
「君たちとか、誰かと呑むのは好きだよ。普段進んで呑まないだけ」
「
……
そうですか」
「うん。それで、話を戻すけどもしもの話だから直感的に考えてよ。僕が死んで、君が二十一グラムを貰えるとしたらどうする?」
「
……
やはり、何故二十一グラムなのかお聞きしても?」
せっかちか、と言われたのは聞こえないふりをした。答え合わせはまた後で、なんて言われたがそもそも指揮官から貰うものならば断りなどしない上に、ぞんざいに扱うことなど決してしないだろう。それに、彼が悪戯にこちらが困るものを贈るような人ではないとよく知っている。
「まあ先に教えてもいいか。人間の体って、亡くなった時に二十一グラム分軽くなるみたいだから。魂の重さって言われてるらしくて。本当かは分からないけれど」
「貴方が死んだら魂は僕にくださると?」
うん、と指揮官は頷いてまた機嫌が良さそうに笑う。アルコールのせいか、今は『指揮官』である必要がないせいか。或いは此処に僕たち二人しかいないからなのか。彼の笑顔はやはり、いつもよりも無防備なように見えた。
「いらないなら別にルシアか、リーフにあげてもいいよ」
「いらないとは言っていないでしょう。
……
そもそも、失われてしまったものを僕が貰うというのは難しいのでは?」
「まあ二十一グラムあるとはいえ、魂には形がないし、どうしたって形にはならないからね」
そこまで言って、不意に何かを思いついたような光が彼の目で瞬いた。まるでそれは知的好奇心に溢れたような子どものようにも、未知のデータを観測した研究者のようにも見える。
「君たち構造体にもあるのかな。魂の重さ」
「どうでしょうね。そもそも僕たち構造体に魂というものがあるのかどうかすら怪しいですから」
「リーは構造体に魂がないと思ってるの?」
「
……
僕たち構造体はご存知の通り、改造手術を受け人間の肉体を捨てています。意識だけは意識海の中に保存されていますが
……
意識海に保存した時点で、きっとそれはデータという互換性のあるものに成り下がる。例えこの装甲を割いて内部を見たとしても、意識海の深部まで触れたとしても。人間と同じ形の魂など、僕たちには存在しないでしょう」
「ずいぶん難しいこと言うね。でもさ、互換性の有無で魂の有無まで決まってしまうなら構造体だけじゃなく、覚醒した機械体たちの魂もないってことになってしまうと思わない?」
覚醒機械体は無数と存在する同型の機械体の内の一つが突然自我や意識を覚醒し、生まれるケースが多い。同じパーツや同じコア、同じ素材の外装。その体躯の全てが互換性のあるもので構成されているものの方が圧倒的に多く、互換性の有無で魂の有無まで決まってしまうのなら、間違いなく彼らに魂は『無い』だろう。
――
しかし、今は機械が魂を持たないと断言することができなくなった時代だ。
ナナミや含英、機械教会のように構造体にも人間にも似て、人間のそれとは形が違えど『心』を持ち、自我を確立する存在がいる。
「僕は構造体にも覚醒機械体にも魂があると思ってるよ、機体のこととか内部構造とか詳しいことはわからないけれど。『心』があって『自我』という形を為す輪郭があるのなら、重さなんかなくても、人間と同じ形をしていなくても『魂』はあると思ってる。
――
もちろん君にも」
指揮官は不意にこちらの指先に触れた。何気ない触れ合いの一つに過ぎないはずのそれに意識海で僅かな波紋が広がった。
まるで深層リンクで意識海の状態を整えてくれる時のような、心地よさや安心感に似ていて。心の輪郭を愛おしそうに柔らかく撫でられるような、そんな感覚だった。
「
……
貴方は、本当に不思議な人だ」
この人の中で構造体や機械体のような存在と人間という存在の違いというものを考える時、差異や互換性なんて概念は意味を成していないのだ。体のパーツが全て互換性があるものでもないものでも、機械体や構造体が『心』や『自我』を持つ限り、この人の中では人間と変わらぬ一つの『いのち』であり、『魂』を持つ存在なのだ。
「だって、魂があるんじゃないかって思えるくらいには、君たちが人間らしいからね」
「
……
そうかも、しれませんね」
僕は彼の答えを大切に胸に抱くように静かに笑みをこぼした。そして少なくなった電解液擬似酒を飲み干す。飲み慣れないそれの香りが一瞬だけ嗅覚モジュールを満たして、すぐに消えていくのを一人で待っていた。
「ほら、もう君はおしまい。あんまりお酒強くないんだからさ」
――
電解液擬似酒で酔った誰かさんがレストランに誘うメールしてきたの、忘れた?
指揮官は僅かに揶揄うような声色で言う。記憶が正しければもう数年前のはずだが、一体いつまで言うんだと指揮官の声色に滲んだ揶揄いと同じくらい僅かに眉を寄せた。
「
……
メールでもお伝えしましたが、あれは僕ではありませんから」
「はいはい、そういうことにしといておくよ」
彼は不機嫌を隠そうともしない声に微笑んで、二杯目に差し掛かろうとしていた僕のグラスと電解液擬似酒を取り上げる。そして代わりとでもいうように、彼が飲んでいた琥珀色をそのグラスに注いでこちらに渡してきた。
これなら君は酔わないでしょ、と言われると同時に夕暮れのようなそれを飲み干した。グラスに残ったのは空白に似た夜夜中の静寂だけ。
「
……
貴方はまだ呑むんですか」
「いや、これで最後。もういい時間だし、明日に響いたら困るからね」
「明日は休日のはずですが」
「休日は休日でも、君たちと出掛ける立派な予定があるから。二日酔いとかになったら大変でしょう?なったことないけど」
久しぶりにゆっくりできそうだ、と指揮官は浮き足立った様子でグラスを手に取って最後の酒を飲み干した。グラスを手に、そのまま僕のグラスまで片付けようとするのを手で制止した。
「グラスは置いておいてください。僕が片付けておきますから」
「でも食洗機に放り込むだけだし」
「いつもならもうお休みになっている時間でしょう?早く帰って休んでください」
「本当に、どうやって君は睡眠時間まで把握してるんだか
……
」
諦めて息を吐くようにして、指揮官は立ち上がる。
「じゃあ頼んだよ、おやすみ」
おやすみなさい、そう返すはずの言葉も口から出ないまま、扉の方へ歩く指揮官を視覚モジュールで追う。ようやく伝えたい言葉がまとまった頃、既に彼は扉に手を掛けていた。
「
――
指揮官」
「うん?」
また明日、とこの部屋から去ろうとした指揮官は呼び止められ、光度の絞られた照明の光が届かない薄闇の中で振り返った。視覚モジュールが闇の中の指揮官の姿を捉えようと自動で調整される。まだ視界に僅かに残る暗さの中で捉えた彼の表情は、先程までの機嫌の良さそうな笑顔が幻だったのかと思うほどに静かな表情だった。
「二十一グラムが魂の重さとは科学的に証明されているわけではありません。ましてや魂に重さがあるのか、構造体や機械体にも魂が存在するかなど、僕たちにはきっと知り得ないでしょう」
「そうだね」
「
……
ですが、もし。その日まで本当に僕に託す気でいたのなら、僕にくださいませんか」
――
貴方がこの世界からいなくなって、魂までこの世界から失われてしまう前に。二十一グラム分の重さを僕にください。
そんな言葉が落ちてから、深夜のレイヴン隊休憩室に声が響くことはなかった。
ただ、アイスブルーの視覚モジュールが密かに囁き交わされた約束に、微笑んで頷いた指揮官の姿を映していた。
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