黒について

フラ←カラ M次元が発生した後にフラが去る場合もあるので、そのパターンだった場合の二人の別れです
⚠︎DLC内容がやや含まれます
⚠︎異次元を大いにご都合捏造

 フラダリのインタビューや写真の載った雑誌は、多くのバックナンバーが燃やされてしまった。持っていると偏見の目で見られ、高々と積まれて捨てられているそれを、カラスバは一部だけ拾って家に置いてある。
 当時、キオスクで売っていた雑誌や新聞の多くの誌面を飾った顔は、五年前を境に水たまりに落ちても急ぐ人の足で踏まれてしまい、形を成さなくなることもザラにあった。カラスバはその光景を、何度も何度も目にしている。どこか遠い昔の地方にあった、踏み絵という文化に似ている。カラスバはその知識を、フラダリの家で知った。歴史の勉強は奥深くてとても好きだったし、フラダリが熱心に教えてくれたのもあって、カラスバは情熱を傾けられたのかもしれない。
 ズタズタに引き裂かれたフラダリの顔を、降りしきる雨の下で見つめる自分のメガネに、雫は溜まっていく。
 あんなにみんなが、あの人を慕っていたのに。
 その一言だけが、カラスバの体中を埋め尽くす──知らない者はいない、カロスの名士。それが一夜にして変貌した。人の考えというのは最後までどう転ぶのかわからない。カラスバはそれを、若いながら痛烈に実感した。
 ──そして再会したその人は、全くの別人のようになっていて、カラスバのことを覚えていなかった。

 異次元に入ると、願望が蘇りそうになってしまう。
 五年前の出来事が、なかったことになれば。フラダリという人のまま、与える存在でい続けてくれたら。自分も、自分以外の助けられた人も、もう少し彼に寄り添えることができたなら。結末の違う明日を望む思いはカラスバの中で薄れはしたものの、完全に消え失せることはなかった。
 きっとこれは、あのグリという青年も時折見る夢なのではないだろうか。勝手ながら、思いを共有させてもらう──ただ、彼より自分はずいぶん割り切った方だと思う。今いる未来しかないのであれば仕方がない。その場に留まり、ミアレをカラスバなりのやり方で良くしていくだけだ。
 灰色の青春、とグリは言ったという。キョウヤがぽろりと溢し、教えてくれた。グリにとって、たしかに灰色だっただろう。カラスバにとって晴天のようにも感じた日々は、なるほどフラダリの一部しか見ていなかったせいかと考えを改める。
(だからって、なあ。今さらなにを曇らせればええんやろ)
 カラスバは曇るものを持ち合わせていない。根っからの前向きさもあるのかもしれない。灰色の青春なんていうものが実在するのだとしたら、自分の青春はフラダリとの日々というより、ジプソやサビ組の部下たちの面持ちで塗り潰される。裏社会での蓄積、重なる責務、そしてそこに培われた汚れた名声。ひたむきにミアレのために走ってきた夜。それがカラスバの青春──群青よりも濃い黒色だ。曇ったところで染まるものもない、純粋な黒がカラスバの色だ。
 だから曇ることができない。黒はなにに染まっても黒だ。白から黒になっていったのではなく、カラスバは最初から黒かった。黒は地獄の色だとか言われる中で、このきれいな黒はいっさいの混ざり物のない色をしている。
 ではこの──異次元ミアレの空は、どうだろうか。
「わたしはおかしいと思いますか」
 その空の下で、赤い髪の人が崩れた瓦礫がれきの中にいる。記憶を失う前のFであり、まもなく全ての記憶をなくしてしまうフラダリだ。これはジガルデと話したときのことだろうか。カラスバの見たことのない景色に、自分の潜在意識ではないことを物語る。
 力を使い切って四足歩行の姿のジガルデが、フラダリを見下ろしたままなにも話さない。フラダリとジガルデの意思の疎通はこのころ、できていなかったものと思われる。出会ったばかりだから当然だろう。そもそも、カラスバにだってジガルデの言葉はわからない。
 真っ黒い異次元ミアレの空の下で、傷を負ったフラダリが虚ろな目のまま遠くを見ている。視線にはもう、希望も夢も映っていない。その暗さは黒ではなく、限りなく暗闇に近い灰色と言えばいいだろうか。グリという青年の表す色はきっとこれだ。カラスバは合点がいった。空もちょうど、そんな色に思える。暗雲が覆うわけでもないのに、どこまでも鬱蒼とした、重苦しい消炭色けしずみいろだ。
 ──自分が持つ黒との違いを見つけている内に、潜在意識の場面が砂嵐のようにかき消され、今度はまた違うフラダリが現れる。瓦礫は人だかりになり、ジガルデは街並みになる。
「フラダリさん!」
「ああ、フラダリさんだ。今日も来てくれたのか」
 まだ若さの滲む笑顔を持つフラダリが、人に囲まれて一つ一つの話を真摯に聞いていた。誰もが彼を、憧れや尊敬の眼差しで見た。
 カラスバは知っている。この民衆の目がいつしか、枯渇と飢えに満ち、「搾取」というただ一点の攻撃的な視線に変わっていくのを。今の明るい光景からは想像もつかない。目を背けたくなる。
 あんなにみんなが、フラダリさんを慕っていたのに。
 カラスバは再度思う。この輝かしい目をしている内はまだ、人々は穏やかだった。
 異次元の中の人間たちは、カラスバの前で楽しげに笑っている。貧しい身なりで手を差し出している者もいれば、話を聞いて欲しさに身を乗り出している者もいる。
 そこに、後方に立ちすくむ小さい影がいた。影はなにかを抱えたまま、じっとその人たちの背中を見て──というより、睨んでいる。影なのに睨んでいるかどうかがわかったのは、カラスバが洞察力に優れているのもあるがそれ以前に、その小さな影の行動が手に取るようにわかるからだ。
(あれはオレや)
 影がじっとフラダリを見据え、抱えているなにかに話しかけていた。その話の内容も覚えている。「なあフシデ、あの人不思議やな」「なんで当たり前に人に与えられるんやろ」「オレもああなれるやろか」──こんな言葉を何十回と聞かされたであろうフシデは、今はペンドラーになり、カラスバが仕事で人を救う姿を誇らしげに見てくれている。
 人に与え、人を助けるのが上に立つ者であり、フラダリは当然のことをしただけで、けれどその優しさを恩と捉えられたのは、当時はカラスバを始めごく少数だった。与えられるだけでは、結果として人の心を荒ませるという事実を、このころのフラダリに伝えたかった。いや、伝えたところでカラスバになにができるはずもなく、無力感にさいなまれるだけかもしれないが。
 だからこそこの異次元で、カラスバは手を伸ばしたくなる。
「フラダリさん……ッ」
 どこからか人混みが増える。周りに波のように押し寄せ、カラスバの体は流される。小さいころの自分はまだ、影のまま立ち尽くし、呆然としている。その小ささに苛立ちを覚えた。弱さ、頼りなさ、それら全てがその小さな体から発せられているようで、カラスバは顔をしかめる。
「フラダリさん…………!」
 気づいてほしい。知ってほしい。あの子どもはあなたを必要としていた。ちゃんとわかっていた。融資されただけじゃない、援助を元に成り上がっただけじゃない。あなたの行動を理解して、光を受けて育ち、あなたのことをずっと思っている。
 尊敬に、一縷いちるの思慕が混じっていたとしても。その思いに嘘偽りはない。カラスバは強く足を踏み出し、異次元のフラダリにもう少しで触れられそうになる。そして服の裾を掴めそうになった瞬間、眩しい光が辺りを照らし、自分の意識が白濁した。
…………あんなにみんな、フラダリさんを慕ってたんになあ」
 ベッドの上で起きたカラスバの第一声は、ひどく疲れてガサついていた。

「なるほど。異次元でのわたしは、今のわたしとずいぶん違ったでしょう」
 ──キョウヤが知らせてくれたフラダリの旅立ちに、サビ組の事務所を飛び出して走って追いかけたあと、ミアレの駅よりはるか先でようやく彼に会うことができた。今朝のあの夢はなにかの啓示だったのか。プリズムタワー上の歪んだ空が、妖しく笑んでいるように見える。
 各地で異次元について調査が進められている。自分が先導に立っていることを、フラダリは知っていた。知っていてなお、「わたしはもう必要ないでしょう。あれらは、エムゼット団と君たちならきっと解決してくれます」と言い、あの異変に背を向けたのだとわかった。
 そしてカラスバが、あれの影響で強く儚い夢を見たと伝えると、冒頭の言葉を言われたのだ。
「いいえ、なんも」
 そこははっきりと、カラスバは否定することができた。
「なんも、変わりません。オレの信じた人と」
 貫き通せる彼への思いに、カラスバはまっすぐ進んでいくだけだ。フラダリは力の抜けた笑い方をして、燃え尽きたように白くなった髪を揺らしてそっと近づく。
 カラスバがたった一度と願った邂逅は果たされ、もうすぐ彼はミアレを去ってしまう。カラスバの持つ、ぐしゃぐしゃに潰れた雑誌の笑顔よりもはるかに落ち着いた、優しい顔でカラスバを見ている。こっちの顔の方が好きなのに、きっともうカラスバの人生で、今しか見ることができないのだろう。なんとなく、カラスバは悟った。悟ってしまった。
 泣き叫んで行かないでと強請ねだることは、自分にとって恥だ。恥辱を重ねるのなら死を選ぶ。相棒の毒にやられてもいい、部下の刃に振り下ろされてもいい。
(オレだけのアンタでおることは、オレの知るフラダリさんやない)
 カラスバははっきりとそう心で叫び、前を向いた。尊敬の中に混じっている、小さくわずかな、しかし強烈な慕情が胸を焦がし、カラスバを突き動かす。
 さようならとキスをする。背伸びをして届いた唇は少し掠れていた。明日には仕事が待つ。未来のために動かなければならないことが山ほど残る。そういう激動の中、もしもふと唇をなぞれば、今日のこの感触を思い出せるだろうか。口先に残る感覚は、消えずにいてくれるだろうか。
 きっと残ってくれるだろう。カラスバは黒だ。なににも染まらず濃く跡をつける。シャツにつけば消えないし、染料にすればどんなものも黒くする。思い出だって、自分の中でくっきりと大きなバツを塗れる。昔憧れた恩人のフラダリにその黒でバツをつけ、上から今日のFを上書きする。
「お元気で」
 そう言って笑うカラスバに、フラダリは小さく頷き背を向けた。
 せめて離れた唇がもう一度くっつき合うことだってできたはずだ。それほど距離は近く、フラダリも抵抗しなかった。けれどできない。メガネに溜まった雫はあの五年前、雨の日、さんざんに踏みつけられたフラダリの面影を見たときからまだ流したことはない。これ以上は己の黒が流れてしまう。フラダリを思うその透明には、黒でも勝てない。