いらいらと机を叩く指先は正確な四拍子を刻んでいる。さすがだなあと思いながらクライデはそっとその指を両手で包んだ。彼は素晴らしいフルート奏者だ。指を痛めてしまっては大変だった。
「エーベンホルツ、気をつけて。怪我をしてしまいます」
すると机を挟んだ対面で、エーベンホルツは大きく鼻から息を抜いた。
「いくら私がひ弱でも、この程度で指が砕けたりはしないさ。それに怪我をしたのは君のほうだろう、クライデ」
「怪我ではありませんよ。僕のこの傷は……」
「源石を砕いた衝撃で負った骨折を負傷と呼ばないのであればなんと呼べばいいのだ? 医療ミスか? それとも集団暴行か?」
「エーベンホルツ……」
血色の悪い顔をさらに白くして怒る友人の冷たい手を撫でさする。
ベッドのへりに座る、片足をギプスで固めたクライデよりも、丸椅子に座って怒りに震えるエーベンホルツのほうがよほど病人のようだった。クライデたちの手の下で書きかけの五線紙にみるみる皺が寄っていく。
クライデが体表の源石を砕かせたのは治療と研究のためだ。ハイビスカスは最後まで強く反対していたし、医療部のトップだというケルシー医師もわざわざ足を運んで治療の内容やリスクについて繰り返し説明してくれた。
断ることもできると説きつづける彼女らの善意を受け取らなかったのも、親指の先ほどの源石を砕くだけで体が耐えられなかったのもクライデだ。その後の処置は完璧におこなわれ、今は痛みもない。新薬を優先して融通してもらう約束もした。エーベンホルツの機嫌以外はいいことづくめだった。
「クライデ。私は怒っている」
「はい。わかります」
クライデの掌中でほっそりした指が神経質に震えた。
「ほう。わかるのか。つまり君は私が腹を立てるのを承知で私に黙って手術を受けたと、そういうことなのか?」
「……だって、どこに断る理由があるんです?」
少なくともクライデにはなかった。クライデの体に生える源石の研究が進めば進むだけ、目の前にいる素晴らしい友人の、たったひとりの兄弟の、鉱石病の進行を遅延できる可能性が高くなる。
クライデは別に博愛主義ではないので、人類の未来のためにと乞われたら拒んだだろう。だが家族のためになるのなら、源石などいくら割り取ってくれても構わなかった。どうせ痛みには慣れている。
そんなことを思いながらエーベンホルツの冷たい手を撫でていたが、そこにぽつんと水滴が落ちてきたのでぎょっとした。ここは病室だ。もちろん屋根があり、そして窓の外は晴れている。
「エーベンホルツ、お願いですから悲しまないで。さっきは怒ってるって言ったじゃないですか」
「勝手に出てくるんだ。私のせいじゃない。泣かせる君が悪いんだ」
「そうかもしれませんけど」
次々に熱い滴をしたたらせる頬を慌てて撫でる。エーベンホルツの目尻をぬぐい、親指でこすり、濡れた睫毛を払ってやる。
机と、足のギプスが邪魔であまり身を乗り出せない。骨なんか折るんじゃなかったと、クライデはこのときになって初めて思った。
「クライデ」
濡れた目がじっとクライデを貫く。
ずっ、と鼻を啜って、クライデのたったひとりの兄弟は少し口を尖らせた。
「……君がこんなことをして薬ができたとしても、私はちっとも嬉しくない。それとも君は、私が同じことをしたら喜ぶのか」
「まさか。だけど……」
「だけどもでももなしだ。クライデ。頼むから」
ふっと唇を噛んで俯いたエーベンホルツの、呑みこんだ言葉は理解できる。応えることができるかは別の話になるが、きっとそれすらもエーベンホルツは見抜いているだろう。
頭を撫でてやるにも、抱きしめようとするにも折れた足が邪魔で、クライデは思わず小さく溜め息をついた。深刻な煩わしさだった。
「……ごめんなさい。エーベンホルツ」
クライデの一番大切なものはエーベンホルツだ。彼の未来のために行動したこと自体に後悔はないが、傷つけてしまっては意味がない。エーベンホルツもクライデを大切に思ってくれていることはよく知っている。
きっと次はうまくやろう。見つからないように、心配をかけないように。
エーベンホルツの頬を繰り返し撫でながら、クライデは胸にそっと反省を刻みこむのだった。
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