きっとエーベンホルツはみっともなくも嫉妬しているのだ。そうですねえ、と呟いてどこか遠くを見つめるクライデの、非常に穏やかで優しげなまなざしを妬ましく感じている。彼の記憶に、自分との過去よりもはっきりと焼きついているその人物が羨ましい。
「とても綺麗な人でした。楽器に触ったこともなかった僕を根気よく教えてくれて……ああ、そういえば僕が初めてそれらしく弾けた曲は青空の歌だったんですよ」
「……君の師が指定したものではないのか?」
「はい。昔から好きだったんです。……理由は、覚えていなかったけど」
クライデは苦笑して、ゆっくりとチェロに弓を当てた。小さな防音室に満ちたラの音は郷愁に満ちている。フルートを胸の前に抱えたまま、エーベンホルツは壁に凭れてその音に耳を澄ませた。
クライデのチェロの音色が好きだ。
技巧が特別優れているわけではない。だが彼の音は気を引かれる。物語を語るように紡がれ、響き、沁みるのだ。
ツェルニーや、彼の足下にも及ばないながらエーベンホルツには、どちらかというと聴衆を支配しようという意図がある。ところがクライデは真逆でほとんど主張をせず、一貫して調和を好んだ。彼のその性質をエーベンホルツは心の底から敬愛しているが、それはそうと奇妙な師のもとについたものだと思わずにいられなかった。普通、リターニアで楽器を持たせて一番最初に教えるのは、自己主張のための技術だ。
「僕のチェロの師はサンクタの女性でした。と言っても、彼女と過ごした時間はあまり長くはありませんでしたが……」
そう答えをくれたクライデへ、なるほどな、とエーベンホルツは頷いたものだ。
ラテラーノのサンクタには同族同士で感情や思考を共感する能力があるという。クライデの性質とサンクタの特性は相性が良かったのかもしれない。
「どんな人物だったんだ?」
そう訊ねたのはついでのようなものだった。クライデの音楽の由来ならばともかく、本気で彼の師に興味があったわけではない。そしてこの愚かな軽薄さのために、エーベンホルツは勝手に疎外感をいだくはめになってしまった。
クライデしか知らない過去へ、クライデにしか意味のない音を紡ぎながら遠いまなざしを投げる姿は近寄りがたかった。きっと彼は今、エーベンホルツの知らない大地で師とふたり、ラの音を重ね合わせている。
フルートを握りしめる手がだらりと落ちた。とてもここに余分な音を割りこませる勇気は出ない。
ずるい、と理不尽にわめく自分のフルートが場の空気を乱す想像はあまりにも容易だった。
「エーベンホルツ?」
チェロが追憶の余韻を引きつつ現在へと戻ってくる。不思議そうに瞬くクライデに、エーベンホルツの見苦しく身勝手な嫉妬を悟られたくはなかった。肩を竦める。
「素晴らしい師を得たのだな、君は。音を聴いていると、その出会いがいかに君にとって重要であったかがよくわかる」
「はい。……忘れられない人です」
嬉しげにはにかむクライデへ、うまく笑い返せていたはずだ。無駄に長い貴族としての暮らしのお陰で愛想笑いには自信がある。
だがクライデはふっと表情を苦笑に変えた。チェロを壁に立てかけた手で、椅子に腰掛けたままふわふわとエーベンホルツを呼ぶ。
「エーベンホルツ、そんな顔をしないで」
「さて……どんな顔だと言うんだ? 生憎、自分では確かめられない」
「僕が覚えている一番古い記憶の中のあなたと、ぴったり同じ顔をしています」
黙りこんで正面に立つエーベンホルツの腰に腕が伸びる。クライデはエーベンホルツの腹の上で楽しげに笑い、あのね、と囁いた。
「今あなたと一緒にいられるから、僕は僕が歩んできたこれまでの人生を肯定できるようになりました。……ねえエーベンホルツ、僕にあなたがやきもちを焼いてくれるほどの価値があることが嬉しいって言ったら、怒ってくれますか?」
エーベンホルツは大きく息を吸いこんだ。
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