やまだ
2025-12-29 14:37:43
2224文字
Public 原神
 

No title

義兄弟

 どんがらがっしゃん、と、絵本でしかお目にかからないような騒音が響き渡る。書類から顔を上げたディルックはちらりと窓に目をやり、その向こうから馬の神経質ないななきとそれをなだめようとする何某かの声を拾って眉をしかめた。荘園の平和な昼下がりを台無しにした愚か者の正体に心当たりしかない。
 しかたなく仕事を中断し、青い顔で飛んできたアデリンを始めとする家人たちに構わないよう言いつけながら外に出る。騒音の元を見つけるには首を巡らせるまでもなかった。
「騎兵隊長殿。自らの乗馬技術を我が家の者たちに知らしめたいという君のその熱意は評価してやってもいいが……そこに積んであった果物はうちの商品だったんだがな」
……ははは。そう心配せずとももちろん弁償はさせてもらうさ、旦那様」
 玄関を出てすぐ右手にあったはずの荷車が、果汁まみれになった木屑の山に成り果ててしまっている。さすがに溜め息の出るディルックと、こちらもまたさすがに恐縮ぎみに首を竦めるガイアの前で、立派な体格の芦毛の馬が熱心にその木屑を踏み潰すたびにみずみずしい芳香が立った。
 酒だのジャムだのパイだのに化けてモンド人の舌と心を楽しませるはずだった大切な商品の末路がこれか。補填のため、従業員にはすまないが業務時間の延長を指示しなければならないだろう。商売で取り交わすモラは契約と信用の証だ。ディルックは契約を重んじる璃月人ではないが、ラグヴィンド家の家長として、結んだ契約は必ず果たさなくてはならない。
 そしてラグヴィンド家の男として、そんなものより優先すべきことがある。
……馬は無事か。どこか怪我は」
「ご覧の通りだ」
 顎に張り付いていた果物の皮をつまみ取りながら、ガイアはひょいと肩を竦めてみせた。
「まったく頑丈なやつだぜ。これで三年仔だぞ? 城からここまで駆けどおしでまだ暴れる元気が残ってる。先が楽しみになるな」
「君に彼は荷が勝ちすぎるんじゃないか」
 いらいらと石畳に果物をなすりつけている芦毛馬は、先ほどからガイアを一顧だにもしない。主人どころか仲間とすらも思われていないのではないか。
 はん、とガイアはディルックの指摘を鼻で笑った。鼻の頭にも小さなりんごのかけらが乗っていたが、ディルックはそれを口にする意味を感じなくなっていた。
「おいおいディルック。現役の俺を差し置いて先輩風を吹かせる気か? 確かに売り物を駄目にしたのは悪かったが、こいつの気難しさは騎士団内で折り紙つきだぞ? 旦那様相手じゃあ同族嫌悪で……
「君も大変だったな。こんな口うるさい男を背に乗せてやらないといけなかったなんて。道中さぞ耳障りだったろう」
 ぺちゃくちゃとうるさい男を無視して、低い声で語りかけてやりながら芦毛馬の汗ばんだ首筋にそっと触れる。手のひらの下でたくましい筋肉がぐいっと動き、荷車や木箱を踏み潰すのに忙しかった馬がやっとディルックを振り向いた。
 じっと目を合わせて少し笑いかける。
「だがここまで振り落とさずに来てやったんだな。本当はこの男を蹴り飛ばしたくてたまらなかっただろうに、代わりの物で我慢したのか。若いのに分別があるじゃないか。確かに君には素質があるね」
 芦毛馬は返事のようにディルックの額に濡れた鼻を押しつけてきた。柔らかい唇でそっと髪を挟んでは引く感覚がこそばゆい。賢い馬だ。人間に向ける力の加減をよくわかっている。
 ディルックが首筋を軽く叩くと、芦毛馬は荷車の残骸からすらりと足を抜いた。先導して屋敷から少し離れた草地まで歩かせ、手綱を柵に縛りつける。
 そこまでしてからディルックは、ぽかんと間の抜けた面で立ち尽くしているガイアに目をやった。
「何をしてる、早く汗を拭いてやれ。僕は水と飼い葉を持ってくる」
……なんでおまえの言うことは聞くんだ、こいつ」
「似たもの同士らしいからな。気が合うんだろう。いいから早くしろ」
 若い馬だが、汗で熱を奪われては体調を崩してしまうかもしれない。ディルックの馬ならこのまま荘園で世話ができるが、残念ながら彼は軍馬だ。
 だというのに、本来の責任者はまだぼうっとしている。
……おまえも馬相手には笑うんだな」
「ガイア」
 あまりに阿呆なことをぬかすので少し強い声が出てしまった。隻眼をぎょっと見開く男へ顎をしゃくる。
「さっさと彼の世話をしてやるんだ。ラグヴィンドの男が、まさか自分を乗せてくれた馬を他人任せにするつもりか」
 ガイアの肩がぎくりと跳ねた。うろうろと視線をさまよわせ、俯き、その顔が上がったと思えばぶすっと頬を膨らませ、唇を尖らせている。ディルックは馬を世話する人間として常識を口にしただけだというのに、この男はどうしてただそれだけを理解するまでにこれほどの時間を要するのだろうか。
……わかってるよ」
「だったら口より先に体を動かせ。賠償の件は彼がきちんと落ちついてからだ。いいな」
「はあい、はい。わかったよ!」
 やけになったのか、ガイアは大きく子どものような返事をして物置へ走っていった。適当な布を引っ張り出してくるのだろう。
 少年時代から変わっていない後ろ姿に鼻を鳴らし、ディルックはさっきまでの狂乱が嘘のように静かな芦毛馬を振り返った。彼も走り去る背を眺めているようだ。
「面倒をかけるが、頼んだよ」
 しかたない、とでも言うように、彼は小さく鼻を鳴らした。