やまだ
2025-12-29 14:33:53
2746文字
Public ゼンゼロ
 

No title

ライアキ

 アキラは六分街での暮らしが好きだ。リンもそうだと信じている。
 ふたりで営むビデオ屋は兄妹の城だし、周囲の大人たちも親切で何かとアキラたちを気にかけてくれている。今のところ暮らしそのものに深刻な問題はなく、ビデオ屋経営もプロキシ業も順調だ。友人も増えた。
 だからたまに申し訳なくなる。
 多くの人にこんなによくしてもらっていながらいつまでも落ちこんでいるのでは、あまりにもアキラが自分勝手すぎるような気がするのだ。
「アカウントを作り直す前の『パエトーン』の僕のほうが、ちゃんとろくでもない人間だったと思う」
 あまり、裸で過ごした夜に広いベッドの上で吐露する心情ではなかったかもしれない。実際ライカンは困惑しているようだ。耳を伏せてじっとアキラを見下ろしている。
 汗を拭いたタオルケットをそのまま羽織り、アキラはライカンの膝下のない両脚に乗っている。彼のたくましい胸を背もたれ代わりにして、さんざんアキラを暴いた大きな手をもてあそぶふりで少し視線を下げた。ライカンの誠実さに慰めてもらいたいわけではないからだ。
「目的と妹だけが大事で、ほかのものはなんでも捨てられるような奴だったはずなんだ。……いつのまにこんな僕になってしまったんだろう。自覚するとなかなかショックだな」
「私は以前のアキラ様を存じ上げませんが、現在のあなた様が好きですよ」
 ふさふさした尻尾が、下唇を突き出して黙りこんだアキラの脚の上に乗る。慰められはしていないが、あやされている。
「近頃お悩みでいらっしゃるご様子だとは、思っておりました」
 ゆたかで毛艶のよい尻尾の乗った腿が暖かく、アキラのうなじに降ってくる声もあたたかい。少し顔を傾けると、そのあたたかさをライカンの全身に運ぶポンプがとんとんと動く音が聞こえる。
 そのすべてに安堵し、アキラはライカンの手を握ったままほっと息をついた。
「いいや。悩んでいたわけじゃない」
 一本一本が長く太い指が、アキラの手を緩く包みこむ。そのふわふわした感触を少し笑った。ライカンは全身どこもかしこも、まるきりアキラを心地よくさせてくれるようにできている。
「ごまかすつもりじゃないんだライカンさん。本当に悩んではいないよ。ただ少し……そう、ホームシックにかかってしまって」
 ライカンの鼓動より遠くから、郊外の砂礫混じりの風が叩く、錆びついた金網フェンスの音がする。
 風でひるがえる色とりどりのメッセージカードや花束、フェンスの向こう一面に広がる死んだ土地、そこにいくつも点在する、油色にてらついたホロウの黒い影を思う。
 幼いアキラとリンは、手を取りあってあの美しい街を駆け抜けたものだった。懐かしく慕わしいエリー都にも愛すべき人々がいた。六分街の隣人たちのような。
「僕はいつかあなたに軽蔑されるかもしれない」
 脈絡ないアキラのひとことに、心外だとでも言いたげに腿の上の尻尾がふさりと揺れた。
 アキラとリンが求める真相は世間のほとんどの人間にとっては受け入れがたいものだ。当然ライカンも「旧都陥落」事件については一般的な認識であるはずで、それがアキラの浮かべる笑みを苦々しくさせる。
 それでもどうかこの人には理解してほしい、という、自分の傲慢さがおこがましかった。
「お話していただけないものを軽蔑できるかは、判断いたしかねます」
「怒っているかい?」
「まさか。事実を申し上げたまででございます」
 ですが、とライカンが吐息で笑う気配がした。まだアキラはその顔を確かめることができない。
……もしやお忘れでしょうか。あなた様は、私の愚かしい過去を受け入れてくださいました」
……僕が出会ったのは今のライカンさんだからね。僕にとって今のあなたはとても尊敬できる人だ。それでいいだろう?」
「ありがとうございます。私も先ほどから、そう申し上げております」
……僕は未来の話をしているのだけれど?」
 左様ですか、と軽い調子で囁くライカンをつい見上げてしまう。目元に涼やかな笑みを乗せて、執事の肩書きも衣装もアキラのために脱ぎ捨ててくれる人は視線が合うのを待ち構えていた。
 あーあ、と、情けない溜め息が出る。
……もう少し後にあなたを好きになりたかったなあ」
 そう、もう少し後。せめて旧都の真相にたどり着いてから。そうしたら、このあたたかな瞳が侮蔑に染まり、氷点下の冷ややかさでアキラを貫く想像などせずに済んだ。
「では私は、そうならなかったことに感謝するべきでしょうね」
 アキラはぐうっと唇を引き結んだ。
 ふさふさの尻尾と、ふわふわの毛並みと、あたたかな腕に包みこまれる心地よさは、もっと幼いころ妹と手を繋いで駆けて行った場所で感じたものとよく似ている。
……すまない。話を聞いてもらいたいけれど、僕だけの問題ではないから……
 かぶりを振る。ライカンの手をきつく握りしめる。
……いや違う。ただ僕が、あなたに知られるのが怖いんだ。まだ勇気がない」
 捨てる意志がないどころか、ライカンから突き放される覚悟すらない。六分街に居を構えて以降すっかりまともになってしまった。
 溜め息をついてライカンの胸に体重をかける。
「あなたの、語りたくなかった過去は知っているのにね。こんなのアンフェアだ」
……私も、自ら望んで明かしたわけではございません。もしも隠せるものならば、隠しつづけていた可能性もあるかと」
「そうしたかったかい?」
 ライカンはアキラを見つめたまま少し黙った。
……そうですね。できれば……あなた様には、知らずにいてほしかったと思います」
……今は、どう思う?」
 ライカンはアキラを見つめて微笑んだ。
「胸のつかえが取れたように晴れやかな気分です。……ですが、同じことをしろとは申しません」
「どうしてだい?」
「あなた様はおそろしいとおっしゃいました。であれば、私があなた様にそんな思いをさせるわけにはまいりません」
 キスをしてほしい、と思ったタイミングで、こめかみに濡れた鼻が押しつけられたので笑ってしまった。目尻に滲んだものは、だからおかしくて浮かんだ涙だ。
「なら、お言葉に甘えさせてもらうよ」
「ええ。ぜひ」
「だけど……今ではないけれど、あなたと一緒に見たい景色がある」
 ライカンの大きな手を広げ、指の隙間に自分の指を絡めていく。柔らかくアキラの手を支えてくれるぬくもりが、これほどまで離れがたい。
 どちらへ、と耳元で囁かれたアキラは目を細めて微笑んだ。
「錆びたフェンスで囲われた、ホロウだらけの荒野だよ。……いつかあなたにも知ってほしいんだ。あの街で、僕とリンがどう過ごしていたか」