やまだ
2025-12-29 14:33:32
2809文字
Public ゼンゼロ
 

No title

ライアキ

 六分街のビデオ屋を一時的に閉じて、そのあいだアキラとリンのプロキシ兄妹はしばらく郊外に出かけていたらしい。急用があれば直接ここへ、と彼らから送られてきた連絡先は幸い使わずに済んだ。できることなら今後もそうであってほしい。
 アキラとの雑談を終えたノックノックをスマートフォンのバックグラウンドに追いやりつつ、しみじみとライカンは再び戻ってきた彼のいる日常を噛みしめる。出会って数ヶ月、そして顔を合わせずにいたのはほんの数週間だというのに、すでにライカンはアキラの不在を非日常だと判断するようになっていた。
 これから、その非日常を捨てに行く。時間があればコーヒーショップで午後のお茶でも、という提案を受けて六分街まで地下鉄を乗り継いできたのだ。アキラはすでにオープンテラスでライカンを待っているらしい。地下鉄駅からコーヒーショップまでの道のりは非常に短い。
「アキラ様」
 落ちついた色合いのパラソルの下で、アキラは何やら球形の物体を捏ね回していた。ライカンの声を拾って上がった顔に穏やかな笑みがゆったりと浮かぶ。
「やあライカンさん、久しぶり」
「ええ。お変わりなくご健勝のようで何よりでございます。お飲み物はもうお決まりですか?」
「あなたが着いたら用意してもらうように頼んである。ブレンドで構わないだろう?」
 ありがとうございます、と顎を引いたライカンへ、アキラはにこにこしながら着席を促した。彼からこの笑顔を向けられるのも久しぶりで、つい礼を失しない程度見つめてしまう。歳にそぐわず大きく笑うようなことはあまりないが、アキラはこういう穏やかな表情がこの上なく似合う若者だった。
「郊外はいかがでしたか」
「とても興味深かったし、いい思い出もできたよ。何より友人が増えたしね」
「左様ですか」
「ああ、でも、あなたがいなくて少し困ってしまった。最初のうちは何度も隣を見上げていたよ。誰もいないのにね」
……左様ですか」
 椅子の隙間で尻尾がうずく。アキラもまたライカンの存在を日常の風景のひとつとして受け入れていてくれたことが喜ばしく、また従者としてのプライドを心地よくくすぐられた快感もある。彼は今軽く俯いているので、ライカンの尻尾や耳の挙動は悟られていないはずだ。
 アキラはゆるく微笑んで両手を動かしている。ライカンが来る前から同じような格好でいた。
「アキラ様、お尋ねしてよろしいでしょうか」
「うん? もちろん。なんだろう」
「先ほどからお手元に何をお持ちになっておられるのですか?」
 するとアキラは、珍しいことに年相応にはにかんでみせた。照れ臭そうに首を竦めると肩の薄さが目立つ。
「うん、これは……そのう、ライカンさんへのおみやげというか。ええと、うん」
 口篭っているのにいやに早口だ。先日から学び直している読唇術を併用しつつなんとかアキラの声を聞き取ったライカンは、湧き出る疑問が表情を動かす前に執事の矜持で強引に抑えつけた。
 まだアキラの唇が迷っているので、催促すべきタイミングではないのかもしれない。ライカンはサーバーが運んできてくれたコーヒーを受け取るていで彼に時間を与えることにした。掌中でもてあそびつづけていたのは、彼なりに切り出しかたを探っていたからなのだろう。迂闊なことをしてしまった。
「その……ライカンさん」
「はい。アキラ様」
「できれば何も訊かずにこれをもらって欲しいんだけど……
 手を、と請われて揃えた両手を上向けてテーブルに載せた。そこに何かを握ったまま置かれるアキラの手ときたら、改めて見ると驚くほど小さい。
 そしてもちろん、その小さな両手がほどけて現れたものはさらに小さく、軽かった。
……アキラ様。もし可能であれば、ひとつ質問をお許しいただきたく」
……どうぞ」
「ありがとうございます。……こちらは、いったい?」
 ライカンの手のひらの上、枯れ草を丸めて作ったようなボールが、編みこまれた赤いリボンをひらりとひるがえらせる。
 仔猫の遊具だろうか。だとしても、それをライカンの土産として選んだ理由がわからない。仮にもライカンはオオカミのシリオンだ。まさかアキラの目にライカンがいとけない仔猫に見えているわけでもあるまい。そうであればライカンは彼を抱えて眼科まで走る必要がある。
 アキラは曲げた人さし指ですばやく頬を掻いた。視線を横へ向け、少し落とし、それから迷い迷いライカンを仰ぐ。
……それ、小さいけどタンブルウィードなんだ。その……郊外で興味深い話を聞いてね」
「それは、どのような?」
 うん、と呟くアキラの声は、コーヒーカップから立ちのぼる湯気にすら負けてしまいそうにか細かった。
……その……タンブルウィードに大切な人を想いながら赤い布を結んで、それを荒野に放つ古い風習があったそうなんだ、郊外には」
……なるほど」
 ライカンは手のひらに全神経を傾けることにした。決して取り落とすまい。
「その場の流れで僕も作ることになって……初めはリンのことを考えて結ぶつもりでいたんだ。あの子には今回もとても助けてもらったし、それに何より僕の大事な妹だからね。そのつもりだったんだけれど……
 リボンを結ぶ前にふと顔を上げたら、隣を見たら、あなたがいなかったものだから。
 ぼそぼそ呟くアキラを、手が空きさえしていればライカンは抱き寄せていただろう。自制が危うくなるほどその衝動は激しかった。
「なんだかね、そう思ったらライカンさんに会いたくなってしまった。直接渡したくて……けれどよく考えたら、あなたにとってこれはただの枯れ草だろう? 嫌がらせのようになってしまうかもと」
「いいえ」
 思わずアキラの言葉を途中で遮ってしまった。
 目を丸くしているアキラから視線を外さず、いいえ、ともう一度繰り返して聞かせる無礼さえする。
……ありがとうございます。あなた様のお気持ち、大切にいたします」
……うん」
 再びアキラははにかんだ。ほっと肩を落として少し冷めたコーヒーに口をつける。
 郊外で乾いた土と風に晒されて帰還したライカンの日常には、くたびれた赤いリボンがかかっていた。
 もはや手放しがたい。失うなど思いもよらない。
「アキラ様。もし再び郊外へ向かう用向きがありましたら、ぜひ私をお連れいただきたく」
……それはとてもありがたいけれど、遠いよ? 埃っぽいし」
「ええ、存じております。しかし喫緊の用事がございまして」
 ライカンは丁寧に、慎重に、ごく小さなタンブルウィードをハンカチで包んだ。完璧な状態で持ち帰って部屋に飾るのだ。
「私もタンブルウィードに赤い布を結びたく存じます。あなた様を想いながら」
 俯いたアキラの、リボンよりも赤い耳を見つめながら、ライカンは深く微笑んでコーヒーカップを持ち上げた。