やまだ
2025-12-29 14:32:00
2277文字
Public ゼンゼロ
 

No title

ライアキ

 身内に向けるまなざしはあたたかく穏やかなものだが、こちらを見る瞬間その微笑みから温度が失せる。おまえを警戒しているぞ、まだすっかり信用したわけではないぞとこちらにあえて教えるための薄い壁は、ライカンに初対面時の意趣返しをしているのかもしれなかった。
 さて、彼に——伝説のプロキシ「パエトーン」に受け入れられるために、ライカンはどう立ち回るべきだろう。
「あなたは案外生真面目な人なんだなあ、ライカンさん」
 アキラは小さく肩を揺らした。少し吊り目がちな目元はふっくら笑うと猫や狐に似ている。どちらも狼と同じく、獲物を狩って生きる動物たちだ。
 たかが猫、たかが狐とはライカンは思わない。ルミナスクエアの街角にひっそり埋もれる小さな公園は、今やライカンとアキラの狩猟場だ。バレエツインズ再攻略のための情報の擦り合わせでこの場所を指定したのは、ライカンではなくアキラだった。
「生真面目、でございますか」
「悪い意味じゃないから、気を悪くしないでくれるとありがたいな」
 アキラの視線がライカンに向けてきらりと上がった。珍しい色味の瞳だ。
「ほら、僕は邪兎屋の雰囲気に慣れてしまっているから。あなたのような人にこれまでお目にかかったことがなくてね」
……それであなた様は我々ヴィクトリア家政を……私を警戒なさっていると?」
「誤解しないでほしい。僕は——僕たち『パエトーン』はあなたたちの能力を信用している」
「ですが信頼してくださってはおられないご様子」
 きょとんとした顔ですばやく瞬く様子がますます猫に似ていた。
「それは当たり前のことだと僕は思うけれど、あなたは違うのかな? まさかこの前会ったばかりでもう僕を信頼しているのかい?」
 アキラはそんなわけがないと言いたげで、ここにもまたライカンは透明な壁を幻視する。
……あなた様を信頼せねば、バレエツインズから安全に脱出することは難しかったでしょう」
「それはどうもありがとう。だけどお互い様さ」
 アキラはにこにこしているが、ライカンとしては鼻先でぴしゃんと扉を閉められた気分だった。これは手強い。
 大きな仕事を前に少しでも「パエトーン」と友好的な関係を築ければと思っていた。だが伝説のプロキシとしての矜持なのか彼自身の性質なのか、アキラにはそもそもそういったつもりが一切ないらしい。
 ライカンを下から伺っていたアキラが屈託なく噴き出したのはそのときだ。
「プロキシ様?」
「ごめん、申し訳ない。だけど、ああ……そうか」
 口元を手で覆ってアキラは笑う。鉄棒の支柱に丸めた背を預け、先ほどまでの行儀のいい微笑が嘘のように溌剌とした笑声を弾けさせる。
 さんざん笑ったあと、アキラは目尻の涙を指先で払いすらした。
「ライカンさん、あなたは本当にいい人なんだな」
……どうか質問をお許しくださいプロキシ様、いったい私めの何があなた様の琴線に触れたのでしょう」
「いいやライカンさん、あなたを笑ったんじゃない。僕の馬鹿さ加減に呆れてしまったんだ」
「と、おっしゃいますと」
 アキラの表情がくつろいでいる。先程までのうっすらとした断絶を感じない。なぜ突然彼が警戒を解いたのか、ライカンにはさっぱりわからなかった。
 あーあ、とアキラが大きな溜め息をつく。
「慇懃無礼と慇懃の見極めもできないほど、僕がもの知らずの小僧だったという話さ」
 ライカンは口をひらき、しかしそのまま再び閉じた。恐縮してはにかむ若者を改めてしみじみと見下ろす。そうしながら先に交わした会話を反芻した。
……私のような者とまみえる機会がなかったとの仰せでしたが、もしやあれはお言葉通りにお受けすべきではなく……
 皮肉や嫌味の類であったのか、と言い切る前にアキラが深く頭を下げたので、そういうことなのだろう。謝罪を受け取り顔を上げてもらう。そもそもあの程度、職務中耳にする言葉に比べればまったく大したことがない。
「あなたたちのような人との取引に慣れていないのは本当だよ。たださっきは確かに悪意があった」
「ご懸念ごもっともです。誤解が解けたのでしたらこちらに思うところはございません。私のこの外見でこの口調では胡散臭くもございましょう」
「そんなことはない。とてもかっこいいよ」
 おや、と思うと同時にライカンの耳が動いてしまった。てらいのない言葉とまっすぐ向かってくる視線は先ほどまでとはもはや温度から違う。少し前まで狩場の縄張り争いをしていたはずの周到な狐は、今や無邪気な小狐の無防備さでライカンという狼の前に立っている。
 ライカンは執事という身分でここに立っているにもかかわらず、つい客人の前で顎を撫でた。
……プロキシ様」
「なんだい?」
「あなた様も、十分に良い人でございます」
……そうだといいけれど」
 困ったような笑顔で肩を竦める若者は、もうライカンをテリトリーの内側に迎え入れてしまっている。切り替えの早さは美徳だが、一度警戒を解いてから信頼するまでの時間が短すぎる。ほんの少し前までこじ開けようとしていたライカンのほうが心配になってくるほどだ。
……機会を得て知遇を得たのです。あなた様と妹様は、私どもヴィクトリア家政が誠心誠意お守りいたします」
「ああ、ありがとう。これからよろしくライカンさん」
「お任せください」
 完璧なボウアンドスクレープで応えるライカンの脳裏には、頼もしい伝説のプロキシではなく、あどけなくかわいらしい小狐がきゃんきゃんとはしゃいで駆け回っている。