やまだ
2025-12-29 14:30:52
2894文字
Public ゼンゼロ
 

No title

ライアキ

 リンはこの世で一番兄のことが好きなので、兄が好きになった人のことも好きだ。
 賢くて優しくてちょっと打算的で、でも根っからのおひとよしの兄を、リンは誰よりも近くで見てきた。だから、兄の目線が誰に向いているか、なんていうことに最初に気づいたのももちろんリンだ。ひょっとしたら、当人たちよりも早く。
「ライカンさんたちも忙しかったのに、無理言ってごめんね」
 裟羅ゴールデンウィーク最終日、リンと兄の暮らすビデオ屋に友人を招いて開催した小さなパーティーもそろそろおひらきの時間だ。
 守銭奴で知られるあの邪兎屋のリーダーが身銭を切って用意した、呆れるほどてんこ盛りのごちそうも、今やすっかり平らげられている。汚れた床やテーブルなどは、ヴィクトリア家政の優秀なメイドたちがパーティーの始まる前よりもぴかぴかにしてくれた。
 そして小さなキッチンでは、大きな体を器用に収めたライカンが使い終わった食器を洗っている。リンは壁とライカンの隙間からひょっこり顔を出し、彼の穏やかな目元と泡だらけの手元とへ交互に視線を上げ下げした。
「滅相もないことでございます。私どもこそ、ご依頼いただいた従僕の身でありながらご友人様がたとの宴席の場への参加をお許しくださり、心より感謝しております」
「ヴィクトリア家政のみんなも私たちの友達だもん、そのくらいはさせてよ。お兄ちゃんのおもてなしも、ありがとう」
「ですが……叶うならば、リン様にも私どもヴィクトリア家政のサービスをご堪能いただきたかったものです」
「十分だったよ! 凄く贅沢させてもらっちゃった。ありがとう」
「左様でございますか」
 格好よく微笑むライカンの頭のてっぺんで、三角耳がゆらっと揺れた。
 ライカンはあまりに高い位置に耳があるので、声を潜める必要もなさそうだ。自室でダーツ遊びに興じている兄たちの声やキッチンの水音もあるし、と開き直り、リンは声量を変えずに内緒話をすることにした。
「あのね、ライカンさんにお願いがあるんだけど。……今夜のぶんの請求書、直接私のアドレスに送ってもらっていいかな? それと、お兄ちゃんに料金を訊かれても絶対教えないで」
 ライカンの耳がまたゆらっと揺れた。
 隻眼が瞬き、もの問いたげだが、優秀な執事さんは好奇心よりも業務を優先する。ライカンは手にしていた皿の泡を丁寧に落としきってから改めて口をひらいた。
「リン様。恐れ入りますが、今夜のヴィクトリア家政は無償でサービスを提供させていただく……と初めにお伝えしていたはずでございます」
「そんなわけにはいかないでしょ。友達なんだから、そこはしっかり線引きしなきゃ。……ていうか、もう振り込んであるし」
 幸か不幸か、豪華バカンスのために集めた資金がまるまる手つかずで残っている。兄と等分にして、リンの分け前をヴィクトリア家政への支払いに充てた。
 渋い顔で黙りこんでしまったオオカミ執事へリンはにっこりする。
「あなたたちの厚意を侮辱するつもりじゃないよ。だけどお兄ちゃんに楽しんでもらう最高のサービスに、対価がないのはおかしいと思うんだ」
 水音が止まる。シンクにあれだけ積み上がっていた皿がすべて洗い清められていた。
 どこからか柔らかそうな布を取り出したライカンが、今度は拭き上げ作業に入りながら、溜め息とも笑声ともつかない息を吐く。
……こんなとき、リン様とアキラ様は確かにご兄妹でいらっしゃると感じ入る次第です」
 リンは大きく瞬いた。
 仲がよいとは周囲によく言われるが、似ていると言われることはほとんどない。
……私とお兄ちゃん、似てる?」
「ええ。ご自分の意思を曲げない芯をお持ちで、お互いのことをとても大切に考えておいでで」
……それ、頑固だって言ってない?」
「頑固、でございますか? まさか。おふたりの器の大きさを疑ったことなど、このライカン一度たりともございません」
 ふうん、と語尾を上げて呟いてみる。半目のリンにライカンは苦笑したようだった。丁寧な手つきで皿を拭きつづけながら、胡乱な顔をするリンを見下ろす。
「それに何より、おふたりは目がよく似ていらっしゃる。アキラ様もリン様も、瞳に明け方の海を宿しておられます」
 リンは再び大きく瞬きした。
 リンへ優しい顔を向ける執事さんがこれ以上ない穏やかな目で誰を見ているのか、明らかすぎるくらい明らかだ。リンは兄の視線の先を知るように、ライカンが誰をそっと見守っているかもよく知っている。
「リン? ライカンさんの邪魔はしてないだろうね」
「お兄ちゃん! もう、そんなわけないじゃん!」
 キッチンにひょいと顔を覗かせた兄がリンに渋い顔を向けている。お返しに頬を膨らませたリンの頭上から、ライカンがくっくと喉を鳴らして控えめに笑う気配が降ってきた。
「ええ、リン様のおっしゃる通りです。邪魔どころかリン様は私の話し相手になってくださっていたのですよ、アキラ様」
「そうかい? それならいいけれど……ああリン、ちょっといいかな」
 エレンとカリンが眠ってしまったのでリンのベッドを貸してもらえないか、と言う兄へ、リンは一も二もなく頷いた。恐縮するライカンが移動の手伝いを申し出て、手をぬぐいながら廊下へ向かう。
「ライカンさん」
 その背中にさっと隠れたリンは、先を行く兄から訝しがられる前にすばやく囁いた。
「お願い、さっきの目の色の話、お兄ちゃんにもしてあげて。絶対喜ぶから。私もお兄ちゃんも、ああいうふうに似てるって言ってもらったことないの」
 ライカンはリンを振り返り、困惑したように三角耳を少し揺らした。
……リン様からのご依頼だとは伏したままで、でしょうか」
「当たり前でしょ! そんなこと言ったら台無しだよ!」
「ですが、あなた様のご助言あってこその……
「そういうのいいから!」
 リンは両手を伸ばし、ライカンの背中を力一杯押した。
「今日一日お兄ちゃんを楽しませてあげてって依頼したよね? まだ今日は終わってないの!」
 ライカンだって兄を喜ばせたいと思ってくれているだろう、とはさすがのリンも言えなかった。言えなかったが、どうやら目が口ほどにものを言っていたらしい。生真面目なオオカミ執事は一瞬ぎくっと背中を強張らせ、けれどそれからすぐにリンへ感謝を囁いてくれた。
……ありがとうございます」
「キッチン、もう大丈夫だからね。あとは私がやっておくから。……ライカンさんほど上手にはできないけど」
 絶対に帰ってくるなと念じながら、最後にもう一度背中を押してリンは立ち止まる。ライカンはリンへ丁寧な目礼を残すと、兄めがけて大股で歩いていった。尻尾がゆらゆら揺れているのは、きっと歩行のせいだけではないのだと思う。
 リンは大好きな兄が誰を見ているのかも、ライカンが誰を見ているのかもちゃんと知っている。
 だから、もし今晩あのふたりの視線が互いへ向けてはっきり重なるのなら、それが今夜リンから兄へ贈る特大で最後のサプライズになってくれたらいい。