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やまだ
2025-12-29 14:30:30
2347文字
Public
ゼンゼロ
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ライアキ
「ハイ、店長ちゃん」
軋みながらゆっくり閉じていくドアを背に、ジェーンがひらひら手を振っている。平日の誰そ彼時、ちょうどこれから店が混みあいだす直前の空隙を縫って現れた女性の細長い指先を、西日が赤く染めてきらきらと飾りたてていた。
「やあジェーンさん、いらっしゃい。今日はどうしたんだい?」
親しげに振っていた手をジェーンはひらりとひるがえらせる。丈の短いジャケットの小さなポケットに突っこんで、新しい友人兼お得意様はレジカウンターに立つアキラへにこりと微笑んだ。
「そうね、店長ちゃんの顔を見にきたのと
……
アタイが興味ありそうなビデオは入ってきたかしらと思って」
「希望のジャンルは?」
「ないわ。ああでも、そうね
……
かわいい猫ちゃんの出てくるものはある? できればふわふわのね」
「
……
随分興味深い視点の注文だなあ」
首をひねってカウンターを出るアキラへ、ジェーンは無言で微笑むだけだ。細くしなやかな尻尾が彼女のウエストのあたりで楽しげにゆらゆらと踊っている。
さすがにキッズアニメーションを進めるわけにはいかないだろうな、などと考えつつその横を通り過ぎようとしたとき、アキラの腹にその尻尾がするりと絡んで巻きついた。
「
……
ん?」
腹を見下ろし、それから横を向く。アキラとほぼ変わらない高さに、なぜか微妙な薄笑いを浮かべたジェーンの顔がある。
「ジェーンさん? どうしたんだい?」
「
……
店に入ったときから気になってはいたんだけど
……
店長ちゃん、アンタもしかしてシリオンのお友達が多いのかしら?」
アキラが少し首を傾けると、ジェーンも同じように首を傾げた。カウンターに肘を置き、ななめにした顔をそこへ乗せる。困ったような笑顔はそのままだ。
「ネコとかクマさんとかオオカミとか
……
ああ、それにネズミさんもね」
「ふふっ、ありがと。そう
……
ワンちゃんのお友達がいるのね」
ジェーンの尻尾の先端がアキラの視界をゆらゆらと揺れている。その規則的な動きがピアノやバイオリンを嗜む家に置いてある謎の器具に似ていたが、名前が出てこない。もしここにアキラの「ワンちゃんのお友達」がいれば、博識な彼からすぐに教えてもらえたことだろう。
「ねえ店長ちゃん、アタイ今からアンタにとても失礼なことを言うかもしれない。ごめんなさい、先に謝っておくわ」
とん、とジェーンの尻尾がアキラのみぞおちに柔らかく立った。いつも掴みどころなく笑っているはずの目が、どうしてか少し鋭く見える。
「そのワンちゃん
……
オオカミのシリオン、本当にアンタのお友達なのよね? 乱暴なことをされたりはしていない? 付きまとわれているだとか」
「
……
あの人はそんなことをするような人じゃないよ」
ジェーンが目を丸くしてぱちぱちと瞬いた。
アキラの口から出た、思ったよりも低くぶっきらぼうな声のせいで驚かせてしまったかもしれない。何しろアキラ自身が驚いている。顧客の、それも女性に対してこんな口を利くつもりなどなかったというのに、口調が尖るのを止められない。
「彼は大人で、とても立派な紳士だ。本当なら僕のような小僧の相手をしてもらえる人じゃないのに、とても親切にしてくれている。ジェーンさんは彼を知らないから仕方がないけれど
……
そういう言いかたはあまり、してもらいたくないな」
「ええ。そうね。今のはアタイが全面的に悪かったわ。気分を害して本当にごめんなさい。店長ちゃんのお友達にも失礼なことをしてしまったわね」
するするとアキラの腹に巻きついていた尻尾が離れていく。
謝罪は受け取らなければならないが、それでも一度胸に湧き出てしまった不快感はなかなか消せない。溜め息で強引に気分を切り替えた。
「
……
そもそも、どうしてこんな話になったんだい? シリオンの物騒な事件でもあったのか?」
「そうじゃないわ。
……
うーん、ねえ、アタイまたアンタを怒らせちゃうかもしれないんだけど
……
」
ジェーンは暖かみのある苦笑を浮かべた。小さな子どもの初めてのおつかいを、物陰からそっと見守るような顔をして、彼女は自分の鼻を人さし指で突いた。
「
……
あのね、鼠って実は結構鼻が利くのよ。犬と同じくらい。それでアタイはネズミのシリオンなのよね」
「うん。知っている」
カウンターから身を乗り出したジェーンは、なめらかに背を反らしてアキラの耳元に顔を寄せた。ふたりきりの店内で声を潜める意図がわからず、アキラは低い声に意識を集中させる。
「
……
店長ちゃん、アンタ全身からオオカミの匂いがするわ。唾液の匂いも。ごめんなさいね、アタイてっきりよくない付きあいがあるのかと思って
……
真逆の、素敵な関係だったのね」
膝から崩れ落ちたアキラを追いかけてジェーンも隣に屈んでくれたが、返す言葉が何も出てこなかった。囁き声で告げてくれた思いやりへのありがたさが、今になってあふれ出してくる。
かつかつかつ、とアキラの横でジェーンの指先がスマートフォンを操り、とある通販サイトの画面を示された。
「これお薦めよ。シリオンが使う匂い消しのボディーソープとオイル。
……
今日のお詫びにプレゼントするわね」
「
……
ありがとう、ジェーンさん」
「いいのよ。元はと言えばアタイの勘違いだし、それに
……
」
ジェーンは抱えた膝の上に顎を乗せ、どんな顔を取り繕えばいいかわからないでいるアキラの額をそっと撫でてくれた。
「アンタご自慢の大人で紳士的なワンちゃん、自分の匂いがアンタから消えていたらきっと寂しがるわ。ちゃんと理由を伝えて、慰めてあげるのよ?」
うん、と頷くアキラの姿は、もしかするとジェーンからは深く項垂れるようにしか見えなかったかもしれない。
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