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やまだ
2025-12-29 14:29:47
2620文字
Public
ゼンゼロ
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ライアキ
「お兄ちゃん、執事さんが来てるよ。お兄ちゃんに用があるんだって」
駐車場で車を洗うアキラを、店と通じる裏口ドアからひょっこり顔を出すリンが呼ぶ。アキラはバケツに残った水をボンネットにぶちまけながら妹を振り返った。
「ライカンさんが? どうしたんだろう」
「ううん、ライカンさんじゃないの」
「
……
リン、僕たちはいつの間にライカンさんじゃない執事さんの知り合いができたんだい?」
そのたくましくも優雅なオオカミ執事すら、本来ならアキラたちが知遇を得られるはずのなかった人だ。住む世界が違う。そういう自覚があるのだから、彼以外の執事に心当たりがあろうはずもなかった。
ところが、訝しげに首を傾げるアキラへリンはにっこりしている。
「ヒントだよ。今日来た執事さんはね、オオカミさんじゃなくてウサギさんなの、お兄ちゃん!」
なるほどなあ、と、アキラは「ウサギの執事さん」からサーブされた紅茶に口をつけている。
「そういえば彼はあなたのボンプなんだっけ」
「左様でございます。
……
ですが、まさか六分街まであなた様をご招待するために赴いていたとは思いませんでした」
「ンナ」(沙羅ゴールデンウィーク中に我が身を救っていただきましたこと、心より感謝しております。どうしてもお礼をさせていただきたかったのです)
短い手足でちょこんとボウアンドスクレープを決める、三つ揃えを完璧に着こなす執事ボンプにエスコートされてやって来たのはヴィクトリア家政のホームエリアだ。廊下を進んだ彼がンナンナと慇懃にノックしたドアの向こうから現れたのはライカンで、部屋の主とアキラが困惑顔を突き合わせる間もボンプだけは迷いなかった。
ライカンの長い脚の隙間を通り抜けた執事ボンプは、アキラへとうやうやしく頭を下げたものだ。
「ンナ」(どうぞ中へお入りくださいませ。私バトラーが誠心誠意おもてなしさせていただきます)
……
というわけで、アキラはビロード張りのふかふかした椅子に深く腰かけてティーカップを傾けている。
「すまないね、ライカンさん。せっかくくつろいでいたところなのにお邪魔してしまって」
「いえ、どうかお気になさらずに。私こそバトラーの管理不行き届きをあなた様へお詫びせねばなりません」
ライカンはおそらく読書中だったのだろう。もう片づけられてしまったが、さっきまで彼が座る椅子の近くのテーブルには難しいタイトルのハードカバーが何冊か積んであった。
集中していればボンプの気配など悟れるものではないし、そもそもボンプの自由は彼らのコアで保証されている。有事でもない限り、長時間の待機を命じるのは難しいものだ。
「
……
屋敷内の管理をおこなっているものだとばかり思っておりました」
今は一心にメレンゲを泡立てているバトラーに、ライカンが向けるまなざしは複雑そうだ。
「はるばる地下鉄を乗り継いで六分街まで来て、僕のぶんの切符を買ってここまで案内してくれたよ。ありがたいことに奢られてしまった」
どうか彼の善意を叱らないでやってほしい。あえて軽く冗談めかして応じたアキラの意図はライカンへあやまたず伝わったようで、オオカミ執事は小さく溜め息をついて耳を伏せた。
「
……
バトラーが無理にお誘いしたのです。その程度、当然でございます」
「彼は普段はここにいるのかい?」
「そうですね。それこそ私どもの家政一般を任せて不足のないボンプです。私も大変助かっております」
「執事さんの執事さんか。かっこいいなあ」
香り高い紅茶を飲む視界の隅に、ライカンの白い三角耳がゆらっと立つのが見えた。
「
……
そう思われますか?」
「あなたほど優秀な人のサポートを任されて、それに不足なく応えているんだろう? かっこいいよ」
ボンプ用の小さなコンロでパンケーキを焼く姿は微笑ましいが、バトラーの堂々とした立ち居振る舞いには確かに主人と通ずるものがある。彼にもアキラの賞賛の声は届いたようで、華麗にフライパンを操りながら慇懃に頭を下げられた。
「ンナナ」(過分なお言葉です。私、これからも研鑽を重ねて執事としての実力を高めてまいる所存でございます)
「立派だなあ。君がいたら生活の質がぐんと上がりそうだ」
「
……
アキラ様、紅茶のおかわりをお入れしましょう」
すばやく立ち上がったライカンが、アキラのティーカップへポットを傾けてくれた。ふわっと立ちのぼる湯気が頬を温めてくれて心地よい。
「ありがとう、ライカンさん」
「コーヒーもございますので、お口直しが必要になりましたらお申し付けくださいませ。
……
ちなみにですが、アキラ様のお食事のご予定はどうなっておいででしょう?」
「食事? 直近はバトラーが作ってくれているパンケーキをいただくつもりだけれど
……
」
メレンゲをたっぷり使ったパンケーキなんて、外食で妹がデザートに選んだときにしかお目にかかることがない。ひと口分けてもらうこともあったが、一枚まるまるを自分のものにできるのは初めてかもしれない。歳甲斐なくそわそわしてしまう。
「その後でございます」
そんなアキラを見つめるライカンの隻眼がきらりと光った、ような気がした。
「もしご都合がつくようでしたら、ぜひこのままこちらで夕食を召しあがっていただきたく。
……
メニューにご希望はございませんか? 可能な限りお応えいたします」
アキラはゆっくりと紅茶の香りを楽しみ、ゆっくりと水色を眺め、そしてゆっくりとカップを傾けた。
心を込めてパンケーキを焼いてくれているバトラーと、アキラの傍らでじっと返答を待つ執事を見比べる。
「ライカンさん」
ちょっと手招くと、ライカンは律儀に膝を折ってくれる。すっと伸びた鼻筋を眉間に向かって撫で上げると彼の背後でゆたかな尻尾が立ち、ふさふさと揺れた。
「強くてかっこよくて優しいオオカミ執事さんの、一番の得意料理が食べたいなあ。あなたは知らなかったかな? 実は、僕はそれが大好物なんだ」
「
……
初耳でございます」
「じゃあ、これからは覚えておいてもらえるかな」
かしこまりました、と重々しく頷くライカンの背後で風が起きていたが、アキラはあえて見て見ぬふりをした。
バトラーの焼いてくれたパンケーキをひと切れ彼の口に放りこんであげたとき、この風圧がはたしてどこまで上がるものか、ほんの少しだけ興味が湧いたので。
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