やまだ
2025-12-29 14:28:30
2552文字
Public ゼンゼロ
 

No title

ライアキ

 ハッピーエンドは好きですよ、と言いつつ、敏腕オオカミ執事はアキラの手から九十分前まで菓子が詰まっていたバスケットを回収した。代わりにグラビティ・シアターの売店で購入したばかりのパンフレットを渡される。今日の映画は文句なしのハッピーエンドだった。
 たまに、ライカンとアキラで予定を合わせてルミナスクエアまで映画を観に来る。コメディもアクションも、ミステリーも、ロマンス映画すら男ふたりで楽しんでいるが、ホラーだけはまだ未体験だ。アキラがあまり得意ではないために、今後もおそらく観ることはないだろう。
 ライカンが好きな映画の傾向について短く呟いたのは、映画館を出て市街地を歩き始めたころだ。ホラーは苦手で、こういうジャンルが好きで、と語るアキラへの相槌のようなひと言だった。
「悲劇には悲劇の美しさや良さがありますが、私はやはり大団円が安心いたします。苦難を乗り越えた先に幸福が待っていないのでは、報われませんから」
「そうだね。僕もそれは少しわかる気がするな。どうせならみんなが報われてほしいと思うよ、どんな作品でもね」
「はい。……もちろん、設定を捻じ曲げてまでそうしろとは申しませんが」
「それもわかる」
 アキラが笑いながら顔を上げると、ライカンの口元も僅かにくつろいでいた。
 一緒に出かける回数に比例して、彼が笑っているのを見つけるとなんとなく嬉しくなる。慇懃、という言葉が純白の毛皮を被ったらライカンになると信じているアキラは、厳しく自己を律する彼がちらりと見せてくれる素の部分が好きだった。
「また面白そうなものが上映されるといいね」
「そうですね。よろしければ、その際はまたお供をさせていただけたらと思います」
「うん。あなたも良さそうなのを見つけたら声をかけてくれ」
 ぜひ、と微笑んだライカンとふたりでコインパーキングに向かってのんびり歩く。ライカンは夕方から外せない仕事があるし、アキラは妹と店番を交代する約束をしている。まる一日を使ってふたりで遊べることはめったにないのだった。
 物足りなさに溜め息が出る。
「本当は、もっと遊んでいたいんだけどな」
 しかも、まるきり小学生のような愚痴までこぼしてしまった。ライカンは紳士なので、それでも呆れたそぶりも見せずに隣を歩いてくれていて、それでついアキラも図に乗って言葉を重ねていく。
「映画だったら仕事も家族も放って、でたらめな方角に車を走らせてしまうところだ。もちろんそのあとの僕はろくな目に遭わずみじめに落ちぶれる」
「では、その映画はバッドエンドですね」
「その上三流だ。大して面白くもない」
 アキラはライカンへにっこりと笑い返した。当然だ。妹をひとり残して逃げるような男など、この世のありとあらゆる不幸を背負って潰れたらいい。
「かわいい妹の兄離れを見送る日が、僕のハッピーエンドだからね」
「素敵なゴールです」
……その時が来たら泣いてしまうかもしれない。どうしよう、ライカンさん」
「よろしいではありませんか」
 信号待ちのあいだにアキラを振り返ったライカンは、隻眼を細めて穏やかに頷いてくれた。
「アキラ様がリン様を、リン様がアキラ様を大切に思っておられるのは、まだ交流の浅い私にも伝わってまいります。旅立ちがお寂しいのは当然かと」
「つまり、僕はわざわざ交流が浅い人と何回も映画を観ていたということかな?」
 ライカンはすばやく瞬く目でアキラを見下ろしたが、歩行者信号が青になるまで何も言わなかった。じっと見上げるアキラから顔を背け、参りましょう、と呟いて歩きだすので隣へ並ぶ。
「ライカンさん?」
……そのような意図があったわけでは。ものの例えでしたが、私の失言でした。誠に申し訳ございません」
「うん」
 アキラはほんの少し腹が立ったので、気にするなとは言ってやらなかった。謝罪をそのまま受け取って、ついでにライカンの脇腹に肘を入れる。もちろんライカンがアキラの攻撃程度でどうにかなるわけがなく、むしろ腕がじんと痺れたのはこちらのほうだったが、何もしないではいたくなかった。
「僕は仲が悪い相手にはこんなことしない」
……光栄です」
 ふ、と笑うライカンは優しい顔をしていた。こんなに優雅な、しかもオオカミのシリオンなのに申し訳ないが、なんとなく日向ぼっこする野良猫のようだと思った。
 アキラがちょっと目を瞠っていたうちに横断歩道は終わってしまった。あとは少し進むだけでコインパーキングに着いてしまうので、アキラの休暇はここでおしまいだ。ライカンはほかのメンバーと落ちあってから移動すると言っていた。
「ライカンさん」
 別れの間際、車の鍵をポケットから抜き出しながらアキラはついでのようにライカンを見た。
 三角耳を揺らすライカンはアキラの呼びかけに応じて姿勢よく立っている。
「あなたのハッピーエンドはどこにあるんだい?」
 ライカンは直立のまま、目を伏せて軽く笑った。
「アキラ様。私は俳優ではありませんし、私などの人生を観て楽しむ者もおりません。私は単なる観客に過ぎないのです、輝かんばかりの物語に関わる資格のない」
「本当に?」
 オオカミ執事は美しく、ふかぶかと一礼してアキラに背を向けた。どうやらそれが答えらしかった。
 賑やかな駅前方面に歩き去る、それでも人混みから頭ひとつ抜けているせいで見失う不安のない影を見送り、アキラは手の中の鍵をもてあそんだ。
……ハッピーエンドが好きだと教えてくれたばかりじゃないか」
 ライカンと一緒に遊ぶのが好きだ。彼が自分の好きなものを何気なく話してくれたことも嬉しかった。
 笑う顔が好きだ。
 だけどさっき見たあの顔は、あの何かをとっくに諦めて手離すことに慣れきった静かな笑顔は、あまり好きじゃない。まるで自分に幸福なんてものが分不相応であるとでも信じきっているような。
 いつのまにか手はきつく拳を作っていた。キーホルダーと鍵が手の肉を挟んでぴりりと痛い。
 このあと用事が入っていてよかった。
 もし予定が何もなかったら、アキラは間違いなくライカンを追いかけて、そして車に押しこんだ彼とともにどこか遠くに走り去っているところだった。