やまだ
2025-12-29 14:26:39
1870文字
Public ゼンゼロ
 

No title

ライアキ

 ライカンがアキラの部屋のソファーで眠っている。とはいえ椅子に座る背中はまっすぐ伸びて、腕と脚を組んだ姿は、目元を見なければ状態がわからないほど普段通りだ。
 この人でもこんなことをするのだな、とアキラが思ったのは、映画の途中でうつらうつらやり始めたそれに対してではなく、他人のいる空間で意識を手放すような無防備さを見せられた驚きによる。アキラの目には、仕事中だろうがオフだろうが、ライカンは隙を作りたがらない人に見えていた。
 ローテーブルの上のリモコンをそっと取りあげ、テレビのボリュームを三分の一にする。アキラ気に入りのネイチャードキュメンタリーは字幕つきなので、ナレーションが聞こえなくても支障はない。
 音を立てないように紅茶を飲み、ライカンが差し入れてくれた焼き菓子を頬張り、そしてたまに眠る狼執事の横顔を盗み見つつ、アキラは充実した一時間半を過ごすことができた。
 ライカンの耳がくるりと外向きに回ったのは、アキラがビデオを取り出す段になってからだ。彼はすばやく数回瞬くと、皺を刻んだ眉間を揉み揉み長大息した。
……大変失礼を致しました」
「全然失礼じゃなかったよ。ライカンさん、凄く綺麗な姿勢で眠っていた。……この映画は好みじゃなかったかな?」
 目で笑いながらわざとそう訊いたアキラへ、ライカンは渋面のままかぶりを振った。
「いいえ、決してそのようなことはございません。……このような醜態を晒していては信じていただけないかもしれませんが」
「信じるよ」
 ビデオケースをテーブルに置き、ソファーへ戻る。すっかり冷めた紅茶に口をつけるライカンの顔がまだ渋いので、思わず噴き出すように笑ってしまった。
「そんなに自分のことを叱らなくてもいいじゃないか。僕は気にしないと伝えたつもりだよ、ライカンさん」
「しかし……
「疲れていたんだろう? そんなときに誘って悪かったね。付きあってくれてありがとう」
「そうではありません。むしろ、逆なのです」
「うん?」
 残していたマドレーヌを半分に割りながら、アキラは少し首をななめにした。傾いた顔で見上げるライカンは再び目元に手をやっている。
「どうもあなた様といると安心すると申しますか……いつもリラックスして過ごさせていただいております。こちらのお部屋も大変居心地よく、つい気が緩んでしまいました。俺としたことがあってはならぬ失態を……
……うん?」
 半分にしたマドレーヌを齧りながら、アキラはもう少し深く首をななめにした。じいっと、注意深くライカンの横顔を仰ぐ。
……僕としては、あなたにそう言ってもらえるのはとても嬉しいよ。僕の前ではあなたはただのライカンさんでいてくれてるってことだろう?」
……僭越ながら、その通りでございます」
「じゃあ、これからも僕といるときは好きに過ごしてもらいたいな。あなたの寝顔も見れるしね」
「相変わらずご冗談がお好きなご様子。ですがあなた様が許してくださったとしても、俺自身がとても自分を許せません」
 じりじりとソファーをにじり寄り、ライカンとの距離を詰めたアキラは、半分残ったマドレーヌを彼の鼻先に掲げてやった。黒い鼻がすん、と動くのを確かめて、ためらいつつもうっすら開いた口元にマドレーヌを押しつける。
 小さく動く顎を見る。思いきってライカンの厚い肩に寄りかかると、咀嚼が止まって戸惑うように見下ろされた。当然だ。アキラは普段、滅多にこんなことをしない。恥ずかしくてとてもできない。けれども今日はこうしなければいけないと思った。絶好のチャンスだったので。
 隙間なく体を寄せたアキラは、ライカンを見上げてのんびり笑いかけた。
「ところでライカンさん、あなたのオフのときの一人称は俺?」
「はい? なぜ突然そのような——
 最後まで言いきる前にライカンの動きが止まった。ぴくりともしない彼の頭頂で、耳の先だけが細かに震えている。もし彼がこの見事な毛皮を纏わない生き物であったなら、動揺が顔色に顕れるところを堪能できただろう。
 アキラは声をあげて笑いながらライカンの肩にこめかみを擦りつけた。
「ねえ、とてもかっこいいね。印象が全然変わる。これから僕の前でだけ一人称を変えるのはどうかな? ライカンさん?」
……どうかそれだけはご容赦ください」
「敬語も使わないようにするというのは?」
「アキラ様」
 ライカンの弱り果てた声なんて初めて聞いた。
 それが嬉しくて嬉しくて、アキラはなかなか笑いやむことができない。