やまだ
2025-12-29 14:24:40
2166文字
Public ゼンゼロ
 

No title

ライアキ

 敬意の欠けた言葉遣いをしても受け入れられる。わがままを言えばすべて叶えてくれるし、そもそもアキラが何か要求する前にすべてが完璧に整っている。恐縮するとすまなそうにして、厚かましいほど当然の顔で礼を言うと満足げに背筋を伸ばす。
 ヴィクトリア家政のバトラー、フォン・ライカンとはそういう人だ。
……このままだと僕は駄目な大人になってしまうかもしれない」
 深刻に呟く今とて、アキラはライカンが丁寧に抽出したコーヒーを飲みながら彼に髪を梳かれている。
 ビデオ屋でもなく自室でもなくヴィクトリア家政の住居でもなく、もちろんコーヒーショップでもない。ルミナスクエアの街角にあるありふれたオープンテラスでこんなもてなしを受けても、もう動揺すら感じなくなっていた。通行人がアキラと、アキラにかいがいしく世話を焼く狼執事を二度見しながら通りすぎて行こうがなんとも思わない。
「自信をお持ちください。あなた様は独立した立派な大人でございます」
「ありがとう。でも立派な大人は執事さんに寝癖を直してもらったりしないと思う」
 どこからか取り出した櫛とブラシをまたどこかへしまいこんだライカンは涼しい顔をしている。仕事の待ちあわせに寝坊し、ぼさぼさ頭で現れた立派な大人は、真に立派な大人の男性である彼の目にどう映ったのだろうか。
 他人の目はどうでもいいが、ライカンに内心で呆れられていたらと思うと少しつらい。だったら寝坊をするなという話なのは痛いほどわかっている。アラームを設定し忘れたのが敗因だ。
「そのようなことをお気になさらないでください。私からお願いしてやらせていただいたことですから」
「おいしいコーヒーまで淹れてもらって」
「お褒めに預かり、光栄でございます」
「いつものお礼に僕も頑張らなくちゃと思って、色々やっていたわけだけれど……
 それで約束の時間を寝過ごすのだから格好がつかない。ビジネスの提携相手としてありえない失態だ。どうぞ、とアキラが下からさし出したスマートフォンは、さらに低い位置からライカンの手に掬い取られていった。
「そのスマホに地図もキャロットもちょっとしたおもちゃも全部入れてある。使い捨てだけど、念のために最後は叩き壊すなり海に捨てるなりしてくれ」
「かしこまりました。あなた様のご協力とご尽力に心から感謝いたします」
 ありがとうございます、と慇懃に微笑むライカンにきっと嘘はないのだろう。彼はそういう人だ。だからアキラが余計にいたたまれなくなる。
 ため息が出る。背中が丸くなる。
……僕は自分のことを、もう少しまともな奴だと思っていたのに。あなたが寄りかからせてくれるから、どんどんメッキが剥がれていってる気がする」
 向かいの椅子が引かれて、軽く軋んだようだ。ライカンはかなり体格のいいシリオンだが、平時ほとんど音を立てない。こんな些細なところですら格の違いを感じてしまって、アキラはテーブルに額を押しつけた。
「ライカンさんみたいな格好いい大人になりたかった……
……私が格好良いかはさておき、アキラ様はそのままのアキラ様でいらっしゃればよろしいのではないでしょうか。誰にでもミスのひとつやふたつはあるものでございます。そうお気を落とされませんよう」
「まさか仕事の日に寝坊するなんて……
 知りあったばかりのころ、ライカンに待ちあわせ時間の正確さを誉めてもらえたことがあった。当時は何を当然のことをわざわざ、と思ったものだったが、今となってはあの傲慢さを蹴り飛ばしたい。おまえはこれから数週間後に大遅刻をやらかすぞと教えてやりたかった。
「遅れたと言っても電車一本ぶんでございます。誤差ではありませんか」
 少しだけ顔を上げてみる。前髪の隙間から見上げるライカンは、珍しく少し困り顔だった。アキラと視線が合うと一瞬固まり、それからほんのり目尻を下げる。
「アキラ様。起き抜けでこちらにいらしたのなら、食事もまだなのでは? 軽食はいかがですか?」
 まるで幼児をあやすような声に返事をしたのはアキラの腹だった。もういっそ死にたいような気持ちで再び俯いたアキラの後頭部に、さらにライカンの声が降りかかる。囁くほどの声量だった。
……私は、不羈のアキラ様が私の前で様々な面を見せてくださることを大変光栄に……そうですね、有り体に申し上げれば誇らしく、思っておりますよ」
……全然意味がわからないんだけど」
「ええ。それで構いません」
 きっとライカンはまた、魔法や手品のようにどこからかおいしい食べ物を取り出してテーブルに並べているだろう。コーヒーとは違う香りが空きっ腹を刺激する。
 おそるおそる目を上げると、真顔のライカンが思ったより近かった。アキラの鼻先にちょんと濡れた鼻を触れさせて、その距離のまま囁くのだ。
「どうぞ存分に駄目な大人になってくださいませ。……ただし、どうか私めの前だけでお願いいたします」
 テーブルから跳ね起きたアキラは目も口も丸くなっていただろう。顔も頭も痺れるように熱い。
 何か言わなければ、と思いながらも思考が空転するばかりで何も言葉の出てこない駄目な大人の口へ、ライカンはうやうやしく、クリームのたっぷり乗ったスコーンを押しこんだのだった。