やまだ
2025-12-29 14:23:02
1846文字
Public ゼンゼロ
 

No title

ライアキ

「あなたは僕の望みを完璧に叶えてくれるけど、僕の願いを叶えさせてはくれない人なんだね」
 アキラは目を伏せて微笑んでいる。
 ルミナスクエアにそびえるビル群の屋上、この街でもっとも月と星に近い場所はライカンにとって特別な価値を持っているが、あるときからアキラとともに訪れる回数が増えた。彼は狭い屋上をいつもゆらゆらと気まぐれに歩き回り、空と地上を眺め、そしてたまに何もないところでつまずくふりをして意地悪く笑う。今夜も彼はそうして過ごしていた。
 そうして最後にライカンの横へ戻ってくると、フェンスに背を預けて静かに囁いたのだ。
……アキラ様」
 対するライカンの声は無様なほどの懊悩に満ちていた。
「僭越ながら。私はあなた様の執事であり、友人で、業務上の重要なパートナーでございます。そう自負しております。なればこそ最後の一線は必要であり……あなた様も、それをご承知なのだと、私はそう理解しております」
「ひどい人だなあ、あなたは」
 ライカンを仰ぎ、明るく笑って言い放つアキラの双眸に、月明かりがたっぷりと満ちて明るい。
「僕はあなたとどうにかなりたいわけじゃないよ。ただひと言だけ伝えたくて、ひと言だけ返してほしいんだ。ほかには何もいらないっていうのに、どうしてそれを声に出すことすら受け入れてもらえないんだい?」
……ご理解ください。どうか」
 もはやライカンの声は懇願に近かった。ここまで言われてはなおのこと、彼の美しく純粋な部分を下賜されるわけにはいかない。才能ある若者の人生に泥をかける無粋はライカンの本意からかけ離れている。
「だけどあなただって、僕のことを憎からず思ってくれているだろう?」
「それは、否定……いたしません」
「だったらどうしてなんだろう。僕だってそれなりに卑怯だから、ライカンさんの気持ちを想像したうえでこんなことを言っているわけなんだけど」
「どれほど賢明な方であっても、想像と現実には差異が生まれるものです」
 おやっ、という顔をして瞬くアキラを見下ろし、ライカンは薄く微笑んだ。自分自身への嘲笑であったかもしれない。
 月光を負ってほの暗い頬へ手を伸ばしてひと撫でする。親指の腹で目尻をこするとそこへ素直に集まる血の色を、微笑ましく眺めた。ライカンのためだけに今この皮膚は熟れている。
「あなた様はとても素敵なお方です、アキラ様。思慮深く警戒心があり、懐が広く、ユーモアをお持ちでもありますし、何よりお優しい。……ですがいささか純粋すぎておいでです」
 アキラが何か言いたげに眉を震わせた。だが声を聞くより早く、ライカンは彼の目尻へ鼻先を押し当てる。
「言葉に言葉が与えられればそれでいいとおっしゃいましたね。なんと尊きお心でしょう。……ただ、私めはあなた様のように慎ましくふるまえる自信がございません」
 だから線を意識している。していた。今ライカンは、ここから先へ踏みこむことのないようにと戒めていたその内側ににじり入らんとしているのだ。
「どうかご理解くださいアキラ様。私は私個人として、あなた様との関係を壊してしまいたくはないのです」
 濡れた鼻からじわりじわりと染みてくるアキラの体温に、それ以上のものも求めてしまいそうだった。静かに顔を離すと俯いた若者のつむじが見える。撫でる資格がライカンにはない。
 やがてアキラは細く長くため息をついた。
……それでも僕はあなたのことが特別に好きだよ」
「アキラ様」
「慎ましくしなくていいと言ったら、ライカンさんは僕を軽蔑するのかな?」
 酩酊したように視界が揺れた。信じてはならない、と己を縛る理性の声と、彼を信じずになんとするのだと暴れ回る本能の叫びが体内でうるさい。
 お願いだ、と囁くアキラの肩に降る月光が極上のソースに見える。まだ鼻に残る彼の香りで喉が渇いた。彼の言葉をこれ以上聞きたくない。きっとライカンは阿呆になってしまう。
「アキラ様、どうかそれ以上は」
「お願いだから僕を好きだと言ってくれ。もうずっとあなたが欲しくて、欲しくて、どうにかなりそうなんだ」
 泣きべそのような声だった。阿呆のライカンは何を考えることもなく、アキラの薄い肩に手を伸ばした。そのときようやく月光が自分の上にも降りかかっていたことに気がついた。
 
 
 アキラが泣き止んだころ、こっそりと月明かりの乗った自分の腕を舐めて確かめてみたが、彼の肌で味わったときのような素晴らしい味はしなかった。