やまだ
2025-12-29 14:22:15
2330文字
Public ゼンゼロ
 

No title

ライアキ

 ああほんとにまったくもう僕としたことが。両手でスマートフォンをもてあそびながらアキラはこっそり息をつく。
 平日の昼下がり、一番客足の少ない時間の店番中だった。普段カウンター業務を頑張ってくれている18号は、スタッフルームでリンの手により点検中だ。背後の薄い壁越しに届く、子猫が駆け回るように軽やかな妹のタイプ音が心地よい。心地はよいが、落ちつかない。
 スマートフォンを見つめる。指先の熱はちっとも引いていなかった。
 僕としたことが。新エリー都に店を構えて、ビデオ屋の店長とプロキシという二足のわらじを履きこなすこの自分が、「パエトーン」の片割れたるアキラが、まさか知人からメッセージの返信がないというだけでこうもそわそわするはめになるとは。
 忙しいのだろう、とは思うのだ。彼は何しろ超一流のエージェントでありバトラーだ。仕事中ということは大いにありうる。
 それでも、これまではメッセージを送ればすぐさた返答があった。それを当然だと思うようになるまでそう日数もかからなかった。時刻を問わず、彼はアキラに親切だった。
 ついさっきタスクキルしたばかりのノックノックを再び起動する。もちろん、ライカンからの返信は届いていない。
 スマートフォンをカウンターに伏せ、その隣にぺたんと片頬を押しつけた。ぼうっと駐車場に続くドアを眺める。
……僕としたことが」
 彼に甘えている。いい歳をした男が、業務上のパートナーとして知遇を得た人物にプライベートでも寄りかかっている。
 こんなざまが妹に知られたら叱られてしまうかもしれない。それは嫌だ。想像するだけで死にたくなってくる。だがそれはそれとしてライカンからの返信は欲しい。暇かい、といつものメッセージを送ったアキラに、大丈夫ですといういつもの返信が欲しい。店番から解放されたらライカンと一緒に映画を観に行きたいのだ。
 溜め息をつき、カウンターにこめかみを擦りつける。
……こういうことだってあるさ」
 きっと仕事中なのだ。であれば諦めるしかない。
 なんとなく重くなったような体を引き起こし、背を伸ばす。何周目かのほこり取りのためにハンディモップを手に取った。
 がたん、と鳴ったドアを営業スマイルとともに振り返る。
「いらっしゃい」
「はい。失礼致します」
 するりと店内に滑りこんだ巨躯を見上げるアキラは瞠目している。白銀の見事な毛並みの狼執事、ついさっきまでメッセージの返信を待ちつづけていた人がなぜだか今ここにいる。
……ライカンさん?」
「左様でございます」
……僕、あなたからの返信をずっと待っていたんだ」
 馬鹿のようにぽかんとしたまま喋るアキラへ、律儀なライカンはすまなそうに眉を下げた。
「ええ、まさにそのことで……あなた様からのメッセージは拝見したのですが、返事ができなかったのは完全な私の失態なのです」
 失態。ヴィクトリア家政のフォン・ライカンをしてもっともふさわしくない言葉だ。アキラは手の中のハンディモップと同じ角度だけ首を傾げた。
 なんとなく、ライカンの耳やしっぽがしんなりしているような気がする。
……実は私、昨晩スマートフォンの充電を失念しておりました。幸い職務中は問題がなかったのですが、あなた様のメッセージを受け取ったところで限界が訪れてしまい……
……バッテリー切れってことかい?」
「はい」
 沈痛に、ライカンは頷いた。
「ですので、返信は叶わずとも可能な限り速やかに返事をせねばと……プロキシ様、本日の大きな業務は片がつきましたので、ご希望のお時間、ご希望の場所へこのライカンをお供させていただきたく存じます」
 アキラはきりりと涼しげなまなざしのライカンをまじまじ仰いでしまう。なんて真面目な人なんだろう、と腹の底から感心した。それから腹の中にあった不安や焦りや諦めがすっかり消え失せたことに気がついた。
「あなたと映画を観に行きたかったんだ。店番がもうすぐ終わるから」
「左様でしたか。ではチケットの手配を……
 胸ポケットに伸びたライカンの手が虚空で止まったのを楽しく見守る。彼は今、スマートフォンが使えない。
「今日はやめておくよ。その代わりライカンさん、僕の部屋でビデオを観よう。そのあいだにあなたのスマホを充電したらいい」
「ビデオは大変素敵なお誘いですが、充電までさせていただくのは……
「そんなこと気にしないでくれ。僕たち友達じゃないか」
 祈るような気持ちで訊ねたことを、この人には一生知られたくない。アキラは表向き穏やかに微笑んで、内心ではびくびくしながらライカンを見つめる。
……それでは、ありがたくお言葉に甘えさせていただきます」
 その返事を聞いて腰が抜けそうなほど安心したことなんて、絶対に気づかれたくない。うん、と微笑んだアキラは、ハンディモップで店内の棚を一周指し示した。
「好きに選んで待っててくれ。もう、そんなにかからないと思うから。……そうだライカンさん、先に充電するかい?」
「いいえ、後で構いません。こちらでビデオを見ながらあなた様をお待ちしております」
 うん、と頷くアキラを一瞥したライカンが薄く微笑んでいた気がする。
 しなやかに身を翻した彼の尻尾が、反動とはまた違った様子でゆらゆらと揺れている気がする。
 本当にそうだったかをまだアキラは断言できない。
 できないが、そう感じることができただけで十分だと心からそう思っている。
 きっと数時間後のライカンは、充電されたスマートフォンでアキラのメッセージに返事と、ビデオの感想、そして映画館の予約済みのシート番号を送ってくれるだろう。