雪成はす子
2025-12-27 22:04:24
3833文字
Public 💛関連
 

里程標(マイルストーン)はここにある

ハートのワンドロワンライ、お題「掃除」
ヴォルフが掃除しながら旗揚げ組達に思いを馳せる話
⚠1081話の内容を含みます
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 朝飯を終え、「よし」と手袋を填める。
 最新型の『ピカール君五号』や『床ツルツル君八号』が慌ただしく部屋の中を動いていく。自ら作った発明品が今日もちゃんと稼働しているのを確認し、ヴォルフは換気扇の蓋を開けた。

  ***

 ざば、と手を引いて、最後のクルーが引き上げられる。
「これで全部、かな。おおい、みんなちゃんと生きてるかー?」
 ペンギンが呼びかけると、方々からバラバラと返事が返ってくる。その事に少しだけほっとして、ペンギンは呆然と座り込むシャチの元へと歩み寄った。
……シャチ、みんな無事だ。クルーの引き上げ、お疲れ様」
「そっか……良かった」
 シャチは海の方を見つめながら、じっと動かない。
「キャプテンの事はベポに任せよう。ベポなら、きっとまたキャプテンを守ってくれる。そうだろ? シャチ」
……うん」
 俯いたまま、シャチは海を見つめ――やがて、ぽろりと涙を零した。
「シャチ」
 シャチの傍らに座り、ペンギンはシャチの肩を叩く。
「切り替えろ。終わった事をいつまでも嘆いてもしょうがねえだろ。今はどうにか態勢を立て直して、キャプテンとも合流しねえと」
「分かってる……でも、ヴォルフの艦、沈んじまった」
……ああ、そうだな」
「俺たちの、大切な居場所が、俺たちの……っ!! 俺たちの、ヴォルフの、皆の思い出も全部……っ!!」
「サルベージすれば戻ってくる可能性もあるだろ? 今はちゃんと切り替えろ。キャプテンもベポも居ない今、俺たちがみんなを支えて行かなきゃならねえんだ」
「ペンギンは……っ、悔しくねえのか「悔しくねえワケねえだろッ!!」」
 激高した声に、シャチはびくりと身を竦ませる。顔を上げると、ぽたりと涙を滲ませるペンギンと目がかち合った。
「悔しくないワケがねえ、でも現状としては切り替えていかなきゃならねえんだ!! だから俺は……ッ!!」
 言葉を詰まらせ、ペンギンはぽたぽたと涙を零す。堪らず、シャチはまた嗚咽を漏らした。

 仲間たちの為に、キャプテンの為に立ち上がらなくてはならない――その事は誰よりもふたりは理解している。
 それでも――それでもふたりは抱き合い、子供のようにわんわんと泣いた。

 大事なものが全て奪われる喪失の痛みは、何度味わっても慣れる事は無かった。

  ***

 換気扇の蓋と換気扇にこびりついた油汚れに洗剤をまぶし、暫く放置する。泡状の洗剤に浮いてきた茶色い汚れを丁寧にこすり落とし、洗剤と共に水で洗い流した。
 床面や窓ガラス等は自分が作った発明品のお陰で少しは楽が出来るが、こういった細かな作業はどうしても人力になってしまう。ラッドに頼めば人を寄越してくれるかもしれないが、あまり甘えすぎてもいけないのは分かっている。
 先日、プレジャータウンを襲った大きな津波と海面上昇――あの時に港が沈み、その湾岸に建っていた家の住民も引っ越しを余儀なくされた。幸いにしてこの家は高台に面しているため被害はなかったが、津波の前の地震で温室に穴が開いてしまった。今はその穴はもう塞がっているが、プレジャータウンの方はまだまだ修理が必要な家が沢山あったように思う。時折手伝いに行ってはいるが、これから益々寒くなるこの時期に穴の開いた家では心も体も休まらないだろう。

 老い先短い老人の家よりも、子供のいる家が何よりも優先されるべきだ。
 かつての彼らのように痩せ細り、頼る大人も無いまま、まともに家とも呼べないような場所で過ごさせるなど――そんな事は、もう二度とあってはならないのだ。
 
 ピカピカになった換気扇を取り付け、蓋を閉める。次いで乾いた布を取り出し、食器棚の食器を取り出してひとつひとつ丁寧にポリッシュで磨いた。

  ***

「両親の葬儀の後、俺たちの家は全部処分されちまったんだ。家にあったものも全部、捨てるか、売られるかされちまった」
……俺も。俺の家も全部なくなってた。何かひとつでも持ち出せれば良かったんだけど……出来なかった。あの人が――叔父さんが、そうしたんじゃないかなって俺は思ってる。俺たちに帰る場所はないって示す為にさ」
 そう言って俯いたふたりの子供は、まだあばら骨が少し浮いていた。
 大怪我をしてこの家に運び込まれ、先にこの家に来ていたローに怪我を治療された。腹に開いた穴を塞ぎ、千切れた右腕を繋ぐ大手術を経て、彼らは少しずつ、少しずつ快復していった。
 この家に運び込まれた時の彼らは、酷く痩せ細り、顔色も悪かった。
 栄養状態も悪かったが、何より心へのダメージが酷かった。年端もいかない少年が生きる理由を見い出せなくなる程の地獄とは、果たしてどれほどのものだっただろうか。

『生きてる理由が分からない!』

 あんな事を子供に言わせてしまう程、彼らは追い詰められていたのだ。
 彼らの話を一通り聞き終え、ローが口を開く。
「お前らはまだマシだろ。俺は家だった病院を目の前で燃やされて国も滅ぼされた。故郷って言えるものはもう何処にも無いんだ。お前らは家は失ったかもしれねえが、故郷はまだ残ってる。戻ってきた時に出迎えてくれる人がいる。それだけでも充分マシだ」
……そう、かな……
「そうだよ!! おれの故郷も今何処にいるか分からないし、家も多分残ってないと思う。……残ってる可能性もあるけど、おれ、身一つで出てきちゃったから……
……『何処に居るか』なのか? お前の故郷」
「うん。ゾウはずっと歩いているから、新世界の何処かに居ると思うんだけどね」
「なあ、ゾウってお前みたいな奴がいっぱい居るんだろ? 例えばそうだな、ネコとかも居るのか?」
「それならゾウの夜の支配者のネコマムシの旦那が居るよ!! ゴロニャ~ゴっていつも鳴いてるんだ!!」
「へえ、可愛いな」
 ベポの故郷の話題から、そんな他愛無いやり取りへと話題がシフトしていく。

 境遇を思えば、彼らはみな過酷な境遇の末にここに集まったのだ。
 故郷を滅ぼされ、恩人を喪ったロー、兄を追って故郷を飛び出し、数奇な巡り合わせの末にこの島に辿り着いたベポ。
 そして両親を喪い、引き取られた先で虐待に遭って命からがら逃げて来たペンギンとシャチ。

 ギブアンドテイクの精神を忘れた訳ではないが、せめてこの家に居る時ぐらいは子供らしく過ごしてくれればいいと思った。
 だから彼らの就職を斡旋し、彼らが無事に就職一日目を終え、それぞれ疲れを滲ませながらも晴れ晴れとした顔を見せたあの日、彼らにひとつの贈り物をしたのだ。
「一つぐらい、専用の食器を持ってた方がいいじゃろ」
 そう一言付け加えて送ったそれらを、彼らは航海に出るその日まで毎日使ってくれていた。

  ***

 ポリッシュで磨いた食器を、ひとつひとつ丁寧に並べていく。
『これ、俺だ! 俺が描かれてる!!』
『お前って言うか、皇帝ペンギンの雛だけどな。俺は……何でユキヒョウ?』
『えー、ユキヒョウかっこいいじゃん!! それより俺のも見てよ!! 俺のも俺が描かれてるんだ!!』
『おれもおれも!! おれがカッコよく描かれてるよ!!』
 ユキヒョウの、シロクマの、ペンギンの、シャチの、同じ形のマグカップ。
 それぞれを並べ終え、食器棚の扉を閉めた。
 食器棚を閉めた姿勢のまま、ヴォルフは四つ並んだマグカップをじっと見つめる。
「お前さんたちは負けてない。そうじゃろう?」
 誰にともなく、語りかける。
 先日渡された新聞――そこに書かれた記事を、最初こそデマだと信じたかった。
 彼らが航海に出てから、毎日届く新聞だけが彼らの手がかりであった。新聞にハートの海賊団の記事が出る度に、スクラップにして記事を纏めた。スクラップファイルは既に数え切れぬほどだ。
 けれど先月書かれた記事――あの記事だけは、まだスクラップファイルに纏め切れずにいる。
 大きな見出しで書かれた、『ハートの海賊団敗北』の文字。
 一面に大きく写し出された、真っ二つに千切られ沈んでいく花マル無敵号――否、ポーラータング号の姿。

 けれどヴォルフは知っている。
 あの記事に、死んだ者の姿はひとつとして写っていなかった事に。

「あの地獄を乗り越えた強い子たちじゃ。お前さんたちならきっと、乗り越えられる」
 沈みゆく黄色い潜水艦――あの艦を、彼らはずっと乗り回してくれた。
 北の海ノースブルーから偉大なる航路グランドラインを乗り越え、新世界まで辿り着くまでの十年間、彼らはずっと乗り回してくれたのだ。
 あの遠い海まで、彼らを運んでくれた――ワシの最高傑作とも言える艦。

 けれど――ああ、けれどその艦は壊れた。
 真っ二つに引き裂かれ、暗い海へと沈んでいった。

 彼らにとっての家だった艦を、彼らはまた喪ったのだ。

 食器棚に並べられたマグカップを見つめる。
 かつて、このマグカップで楽しくコーヒーを、ミルクを飲んでいた彼らの姿がここには在った。
 そして今も――彼らがここに居た軌跡は、今もこの場所にある。

「お前さんたちは負けていない。お前さんたちが強い子だと、ワシは誰よりも知っておるからの」
 するり、と食器棚を撫でる。
 マグカップは何も語らず――それぞれの動物たちが、変わらぬ可愛い笑顔を向けるばかりだった。