いさき
2025-12-27 18:58:13
11947文字
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「二人きりの夜」

匁__×キザミ

 東京、新宿。
 出自の様々な者たちが寄せ集まって出来たこの街は、毎日何かと理由をつけて騒いでいた。飲んで踊って、食べて笑って。見知らぬ者でも一晩共に肩を組んで踊れば家族になる。そうやって、俺たちはいつの間にか荒くれ者共の集まりとして新宿で笑っていた。
 毎日の宴、月が真上から照らす時間にやっと皆が酒に酔い潰れて静かになるような日々の中で、その男はあまりにも自然に紛れていた。



「おーい、おい、もんめ?」

 今日の宴もやっとお開きになるという頃、広場の端に小さな酒壺を抱えて蹲る黒い塊の肩を揺すった。

「はい……だいじょぶです、まだ飲めます……
「ちょ、こらこら。今日はもう終わりだって」
「え、おかわりですか……注ぎますよ……
「だあもう、違うって! おしまいなの! 解散!」

 起こそうと肩を揺らしても、匁は首の据わっていない赤子のように頭をふらふらと揺らすばかりで、俺は大きく溜息をついた。
 匁は先日急にふらりと新宿に現れた奴で、宴を開けば他の奴らと一緒になって俺を持ち上げるように歌い、一緒に酒を飲み、騒ぎ、踊った。皆の間に入るのが上手く、知らぬ間に溶け込んでいた匁を俺たちもすぐ受け入れていた。一緒に飲んで騒いで、そしてこうである。酔っ払いは自分の限度を知ってくれ。

「匁ー? お前今どこで寝てんだよ、家な」
「んー、家はねえ、ないですねえ」
「馬鹿、今そういうのいいから」

 今日の宴ももうお開きになって、酔って転がってた奴らは全員叩き起こした。もう誰もいないだろうと辺りを見回したところ、端に黒いマントを被って暗闇に混ざっている匁を見つけたのだ。
 俺だって上機嫌に酔っている。気分が良いうちに家に帰って眠りたい。最後の一人のケツを叩いて家に帰したらまっすぐ布団に包まりたいのに、目の前の男はゆらゆらと夢心地に浸っている。

「寝るなら帰ってからにしろ。デカい男をわざわざ送りたくないんだよ、起きろって」
「あー、だから、ないんですよねえ」
「お前ホントいい加減に」
「新宿来たばっかで、毎日騒いでたもんで、帰る家とかないんです」

 匁は寝ているのか起きているのかわからない顔で、しかしはっきりとした滑舌でそう言った。

……じゃあ何、お前今までずっとここで寝てたのか?」
「んーそうですねえ、そんな感じです」
「お前……いくらここが新宿の真ん中でも、さすがに大手広げて寝れるほど安全とは言えねえんだぞ。無防備すぎる」
「ふふ」

 頭を抱える俺に、匁は薄い唇を緩く持ち上げて笑った。

「今の東京に、安全なところなんてないでしょう?」
「そう、だけど」
「ね、僕はここでいいんですよ、とりあえず」

 ごそごそとマントを引っ張って自身を包み直した匁はまた膝を抱えて蹲ってしまう。俺は後頭部をぼりぼりと掻きながら何度目かになる溜息をこぼした。

「匁」

 フードの天辺を摘んで、匁の顔を覗き込む。

「うちに来い」
「いいんですかあ」
「ここに置いてくよりはいい」

 酔いが回ってとろんとした瞳が俺を映して、柔く細まる。

「ありがとうございます」


 ○


 足元の覚束ない匁を半ば引き摺るように家まで担いだ。耳元でふにゃふにゃと寝言を口にするだけの匁はベッドに放り投げても、腹の立つことに規則正しい寝息を立てているだけだった。

「匁ー? マントは脱がすぞ」

 首元の金具に手を掛けて外し、匁をゴロリと転がして体の下からマントを引き抜く。埃まみれのマントが本当に野宿していたんだと語っていた。
 カチャリと鳴った腰の刀を見る。これも邪魔だろう。随分良い刀だ。鍔のない、透き通った綺麗な刀。珍しいそれに手を伸ばした時、その手首をぐっと掴まれた。

……キザミか」

 さっきまで眠っていたはずの瞳が鋭い目つきで俺を捉え、溜息とともに吐き出された声が低く響いた。

「なっ、なんだよその言い方。 お前、起きてんなら自分で腰の物とか外してくれ」
……はい」

 匁はゆっくり瞼を落とすとすぐさま目の開かない酔っぱらいの様子へと戻り、ふにゃふにゃと言葉にならない音を口にしながら腰の装備を外していった。腰帯から抜いた刀を枕元に並べると、匁はまたベッドにぼふんと沈む。目を閉じて起きているのか眠っているのかわからない匁にそっと布団を掛けてやり、自分は一枚抜き取った掛け布を被って床に転がった。頭まで覆って体を丸めて眠る。
 瞼を閉じてしばらく経った頃にベッドから寝返りを打つ音が聞こえた。

……キザミさん……?」
「どうした」
「なんで、そんなところにいるんですか……
「なんでって、お前にベッドを譲ったからだろ」
「家主を追い出したりできませんて……こっち、来ないんですか……
「はあ? 行かねーよ」
「なんで……
「なんでって、男二人も寝れねーだろ」
……だいじょーぶ」

 匁は重たそうな瞼を少しだけ持ち上げて、自分の体を半身奥へと寄せ、空けたスペースにぽんぽんと手を置いた。

「おいで、キザミさん」

 なぜかはっきりとした呂律で発された言葉に一瞬どきりとして、匁を見る。ぽんぽんと再度催促されて仕方なしに、いつも一人でなんとか寝ている狭いベッドに半分空けられた空間に滑り込む。匁に背を向けてそっと体を横たえた。

「ん、いいこ……

 背後から生白い腕が覆い被さってきて、肩周りにぎゅっと絡みつく。離したはずの距離が詰められ、背中に体温を感じた。
 腕から抜け出そうとしばらく抵抗したものの、酔っ払いの力はやたら強くて、諦めてその夜はそのまま眠りについた。


 ○


「って、また来たのかよ」
「えへへ、お邪魔します」

 翌日、今日も理由を見つけて宴で皆どんちゃん騒ぎ。満足するまで飲んで食って歌って踊って、一人二人と帰っていく奴らを見送って、ようやく家に帰ったところだった。
 見覚えのある酒壺を片手に匁がふらりと立っていた。覚束ない足取りには既視感があった。小言が口から飛び出す前に、匁はよろよろと部屋に入ってきた。

「待て、一直線にベッドへ行くな。マントを脱げ、刀を置け」
「ん、はい」

 ベッドに腰掛け、ごそごそと布団に潜ろうとする匁を止めると、匁はベッドに座ったまま両手をこちらに広げて見せた。
 まるで脱がせ外せと言わんばかりの幼稚な態度に、わざとらしく大きな溜め息をついたものの、匁は腕を揺らして催促までしてくる。困ったクソガキである。
 仕方なしにマントを外し、腰の刀を抜いてやる。自分の刀を他人に触らせることに抵抗はないのか、なんて思いながら手袋をすいーっと抜き取ると、匁の白い腕が俺の腰へと回っていた。

「何してんだ匁」
「んー」

 曖昧な返事に似合わず、テキパキとした動きで極楽天女に匁の手が伸びる。一瞬身構えたものの、匁は俺がしたのと同じようにすうっと俺の腰から刀を抜き取ると隣にそっと置き、そのまま俺の縄襷にも手を伸ばした。どうしてお互いの装備を外し合っているんだとまた溜め息をつきながらもやりたいようにやらせていると、匁の指が慣れない手つきで縄襷を外せず悩んでいた。仕方なしに襷を少し解くと、匁は満足そうに微笑んで襷を外した。ようやく襷を外せたかと思うと、匁の腕はそのまま俺を捕まえて、二つの体がベッドにぼふんと倒れ込んだ。

「ちょ、おい、匁!」
「ははっ」

 大きく口を開けて笑う匁は頬を紅潮させて完全に酔っ払いの顔をしている。力加減なくぎゅっと掴まれた体は、なるようになれとそのままベッドに埋めた。
 面倒な酔っ払いに絡まれたこちらの気持ちなんて露ほども知らないであろう匁は、俺の肩に顎を乗せてぎゅうっと締めてきた。息苦しいし、匁の息は酒臭い。

「キザミさんも結構飲んだでしょ? 体あったかい……
……お前、勝手に人のベッドに転がるわ、家主を無理矢理抱き枕にするわ……俺に斬られても文句言えねーぞ」
「だから、極楽天女は遠ざけといたでしょ?」
「はあ……そういうことじゃねーよ。 一応俺は新宿のリーダーなんだぞ」
「ふふ、知ってますよ」

 肩に掛かる息が生温い。

「ね、キザミサン」
「なっ、なに」
「実は気になってたんですけど」

 匁の瞳が上目遣いにこちらを覗く。至近距離にある他人の顔に緊張してドクンと跳ねた。

「キザミサンの角、触らせてもらってもいいですか?」

 とろんと潤んだ瞳がキラキラと輝いて見える。酔っ払いの切り替えにはついていけない。

「やだよ」
「おねがい」
「ちょっばか、駄目だって、おい!」

 口ではお願いの体を取りながら、匁の手はするすると首元を上がり俺の額に向かっていく。拒む手も間に合わず、匁の指先が角に触れた。びくり、と体が強張ったのも気にせず、匁はじいっと角に釘付けになったように見つめて、角の表面を撫でた。

「、っ……
「あったかい……血が通ってんだ……

 角の形を指先が優しくなぞっていく。体の、普段他人に触れられることのない場所を柔く撫でられ、よくわからない感覚が背筋をぞわぞわと駆け上がってくる。

「も、んめ……っ」
「他の鬼人族の角は鹿みたいな骨っぽい角だけど、コレは違うよな。血が通った皮膚に包まれてる……キリンの角が近いか?」

 他人に触られる慣れない感覚に自分の表情が歪んでいることは理解しつつ、不快とは言い切れないそれを、しかしやめてほしいと目線で訴えようとするも、匁の目線はもっと上を向いて目が合わない。

「、うぅ……
「覆ってる皮膚はもっと薄いか」
……ん、ッ!」

 繋がった皮膚の根元を擦られ、上擦った声を上げれば、匁の瞳はようやくこちらを視界に入れ直した。

…………
「やめ……、っ」
……感じちゃった?」

 生理的な涙で視界の一部がボヤける中で、緩い表情筋でニッと笑う匁の頭を、今度こそ抜け出した腕で叩いた。

「い゛っ」
「やだっつった! バカ!」
「はは、ごめんごめん」

 匁は角に触れていた手で俺の頭を撫でた。子どもを甘やかすようなその態度にいらっとして睨みつけると、匁はくすくすと笑った。そのままぎゅっと抱き寄せられる。肩口に額を押し付ける仕草に、髪が肌をくすぐった。
 しばらくの沈黙の後に、匁は「大丈夫」と小さく呟いた。


「匁はキザミの特別になるよ」


……どういう意味だ?」

 問い返してみても匁は黙ったままで、しばらく待ってみたが、匁はふわあと欠伸をしたかと思うとむにゃむにゃと規則正しい呼吸を始めた。
 また突然起きて何かしだすんじゃないかとも思ったが、どうやら今度は本当に寝入ってしまった様子の匁の腕に嵌ったまま、俺は酔っ払いの寝息を子守唄に寝るしかなかった。


 ○


 翌日もいつものようにわいわいがやがやとお祭り騒ぎ。歌い踊って酒と皿が舞う。酒を注いで注がれてうろうろと歩いている内に山盛りの料理が乗った皿がすいすいと動いているのを見つけた。どうやら今日の給仕担当らしい匁が大皿を両手に走り回っているようだ。ちょろちょろと動き回る匁の後を追いかけ、厨房の中をひょっこりと中を覗く。中華鍋を振るう匁に「バレてますよ」と声を掛けられ、匁の隣に並んで鍋を見つめた。

「匁、料理できるんだ?」
「ええ、まあ」
「これは?」
「パラパラ加減に自信ありの特製チャーハン」
「酒と合う?」
「つまみじゃないの。ちゃんとメシも食べてお酒飲んでくださいね」

 思わず、握りしめていた酒瓶を見つめた。そういえば今日は酒しか飲んでなかったかもしれない。思い始めると、目の前から漂う良い香りも相まって、舌が塩っ気を求めて潤う。

「あ、キザミサン、あーん」

 声と同時に匁が何かを口元へと寄せてくる。言葉につられて、口を開いた。

「あー、ん。なにこれ、芋?」
「そ、フライドポテト」
「上手い! いいなこれ」
「ね。案外ジャンクフードの受け良くて笑う」

 サクサクとホクホクの食感に求めていた塩味が聞いて良い塩梅のそれらを口に放り込みながら、酒瓶をぐっと傾けた。

「ほら、匁も飲めよ」
「まだ給仕中なんで」
「俺の酒が飲めないってのかあ?」
「だるい絡み方きた……それ直接口つけてるやつだし。キザミサン、もう酔ってます?」
「まだまだ〜!」
「はあ、ちゃんと加減してくださいね」

 溜め息を吐きながらも、匁は手際よく作った料理を皿へと盛り付けていく。その流れるような動きに見惚れていると、皿で両手が塞がった匁に顎で出口を促される。

「みんなキザミサンのこと待ってますよ。新しい酒持ってっていいんで、連中に注いで回ってやったらどうです?」

 邪魔だと言わんばかりの視線を避けるように、か細い返事をして厨房を出た。匁は器用に皿を抱えて人混みの中へと紛れて行った。

 皆が歌い踊るその端で、俺は一人、お猪口の酒をちょびちょび口に運びながら、料理や酒を運んだりして忙しなく走りまわる匁を見ていた。他の奴らに絡まれながら、控えめに頭を下げたり、軽く談笑したりと、うちの奴らともまあまあ仲良くやってるみたいで、そんな様子を見ていたら酒がどんどん進んだ。
 自慢のチャーハンは美味かったし、フライドポテトとやらも良い塩加減で。
 くるくると動きまわる黒いマントを目で追う。気付けば今日も宴はお開きの時間になっていた。


 いつものルーティンを終わらせて会場に誰も、黒いマントで暗闇に紛れている奴すらいないことをきちんと確認してから帰路に着く。家の中からぼんやりとした光が漏れているのを見て、勢いよく扉を開けた。

「ただいぁー!」
「おかえり」

 中からマントを脱いだ匁が返事をする。帰る家がないと言っていた男はいつの間にかうちに居着くようになっていた。

「キザミサンちょっと飲み過ぎなんじゃねーの」
「ぜんぜんだいじょーぶ!」
……その返事がもう大丈夫じゃねぇのよ」

 匁に体を支えられながら中まで歩く。気分が良いくらいに酔っているつもりだったが、急になんだかくらりとしてきた気もする。ふわふわとした心地で、促されるままベッドへと腰を下ろした。

「今日もんめが作ったメシうまかったぜ」
「そりゃあ良かった」

 満足そうにニッと笑う様子を下から眺める。思わず頬が緩んだ。
 匁の冷たい手が頬を撫でる。

「キザミサン、いつもよりお酒進んじゃった?」
「んー、これはあれだよ。ちょっとうれしくて」
「何が?」

 ひんやりとした手が気持ちいい。

「もんめが、みんなとたくさん話して、仲良さそうにしてるのが、なんかうれしくなった」
「他の人らとも普通に話すよ」
「でもなんか、うれしくて」
「そう」

 匁の丸めた指先が喉元をくるくると転がり、そのくすぐったさが心地良くて、身を任せるように顎を突き出す。整えられた爪の先が柔いところを撫でて、びくりと体が強張った。

「ン、……や、あー、その」
「ん?」
「いや、そういえば、あのー、そう! もんめってオレと他の奴らと、態度ちがくねぇか? なんか、オレだけあつかいが雑というか、そんけいが足りない!」

 あくまで自然な形を装って匁の腕を払うと、匁はほんの一瞬むっとしたように唇を突き出したが見ないフリをした。

「そんなことねぇよ」
「ある! オレは新宿のリーダーだぞ!」
「はいはい。そうですねー、キザミ様」

 面倒だ、と匁の態度が言っている。
 宴での匁は、他の奴らと話す時はずっと顔色を窺うような素振りで、敬語も外れないし、表情の読めない時も多い。それに比べれば、今のように崩した態度で接してくれるのは、優越感とでも言えばいいんだろうか。

「もんめ」

 名前を呼べば、目線だけがこちらを向いた。

「新宿、たのしいか?」
……まあ、そうだな。楽しいよ」
「へへ、よかった!」

 みんなとも仲良くなって欲しいけど、俺だけずっとこの場所に居させてくれたらいいのに、なんて。手の掛かる猫の髪を雑に撫でると、予想通りしっかり怒られた。


 その後ふらりと酔いが回って、良い気分のままベッドに埋まった。匁の冷たい指先が髪を掻き分け、触れるか触れないかの距離で頬を撫でる。優しい手つきにされるままに身を委ねた。


……そろそろブレイド達が来る頃かな」


 匁の声が聞こえたが、どうせ一緒のベッドで寝るのに狭いから端に寄れとか言ってんだろなんて、重い瞼に身を任せてゆっくり意識を手放した。


 ○

 以前、家がないと言っていた匁は、いつの間にかしっかり我が家に入り浸るようになっていた。辺りにいない時は大体家にいる。そこらへんで野宿されるより全然良いのだが、狭いベッドに無理矢理入ってくるのだけは少し遠慮して欲しいと思っていた。



「あれ? 匁、本読んでるのか?」
「んーまあ」

 今日も見かけないと思って家を覗けば、日当たりのいい場所に見慣れない本まで持ち込んでいた。隣から覗き込めば、真剣な顔をして文字を追っているようだった。

「おもしろい?」
「普通」
「ふつう」
「うん、物語の中にある物語ってどんなかなーって思っただけ」
「ふーん、本って全然読まないからよくわかんねえや」

 はら、とページを捲るのがサマになる。窓から入ってくる光とその中で本を読む姿は随分美しい物のように思えた。いつもはフードで隠れている薄い色の髪に光が当たって輝いていた。
 視線を感じたのか、匁は「なに」と本を閉じて目線を上げた。睫毛まで光に透けるのかとびっくりした。

「や、その、手合わせしようぜ!と、思って……
……断る」
「続き読みたい?」
「それは別に」
「じゃあなんで?」
……得意じゃないから」

 唇を突き出すように目線を逸らすのが子供っぽい。普段澄まし顔の奴のこういう顔を見るとつい弄りたくなる気持ちを抑えつつ、匁の肩に手を置いた。

「逆にそれがいいんだよ! ここの奴らのは癖も全部覚えちまったから、新しい相手とやりたいんだ。な? 頼むよ匁」

 拝むように手を合わせると、匁は考えるように下の方に目線を這わせる。もう一押し、と頼み込むと匁は溜め息を深く吐き出した。

……強くないぞ?」
「刀振れたら充分!」

 そんな気負わなくていいのに、という意味で伝えたが、匁は重そうな腰を面倒そうに持ち上げた。背もたれに掛けていたマントをふわりと被る。

「それ要る?」
「外では一応な」

 フードまで被ると綺麗な髪はほとんど隠れてしまう。肘のあたりまである手袋は、ページを捲っていた白い指先を全部覆ってしまった。

「何してんだよ、やるんだろ?」
……おう!」

 外では覆い隠してしまう中身を知っているのが俺だけなんじゃないかと思うと、勿体無いなと思うと同時に何だか少しだけ嬉しかった。





「木刀だから気にせず当ててくれて構わねえぜ!」

 手合わせ用の木刀を手に匁と向かい合う。匁も木刀を握るとフードを深く引いた。

「俺は当てないでくれた方がいいけど、痛いし」
「りょーかい」

 匁が面倒そうに木刀を構える。俺もそれに向き合って木刀を向けた。
 実は匁が刀を抜いているところは見たことがない。一緒にいる時に戦う場面にならなかったからではあるが、匁はそもそも争い事から一歩身を引くように振る舞っている。巻き込まれたくないのだろうが、一体どんな戦い方をするのか気になってはいた。
 始める合図はどうしようか。ニッと笑うと、匁はマントをふわりとはためかせた。その風に乗るように、ぐんと距離が近付く。
 面白い、と思った。



 肩で息をしているのは俺の方だが、明らかに疲れているのは匁の方だった。背中合わせに地面に座り込んで、空気を思いっきり吸い込んだ。
 強くない、と言っていた匁は実際強くはなさそうだった。というか動きがぎこちない。今まで手合わせした仲間たちや、たまにやってくる賊なんかともまた違う、不思議な動きをしていた。多少翻弄された感は否めないが、それでも俺の方が優勢だった。

「充分振れるじゃん、匁」
「持ち慣れてないわけではないんだよ……

 八の字眉の澄まし顔をフードで隠す外面スタイルなのに、背後で肩で息をしながらぐったりした様子の匁に思わず笑みが溢れる。

「匁ってさ、多分覚悟が足りないんだよ」
「覚悟?」
「そう、刀で斬る覚悟。相手を傷付けるのが怖いのか知らないけど、当たる前に寸止めしてる。し慣れてるってより、それが癖になってるみたいな」

 匁と刀を合わせた時の違和感。互いに保つ相手との距離や空気も、俺の知るものと違っていた。
 それが匁の恐れなのか何かはわからないが、刀という武器を使い慣れていないことはわかった。
 匁はしばらく俯いた様子で、やがてぽつりと呟いた。

……俺が教わったのは当てる剣じゃないからかな。実戦じゃなくて、見せる剣」
「見せる剣……

 俺たちが刀を持つのは生きる為だった。自分や家族、仲間や大切なものを守る為に。その為に刀を握った。
 だけど生まれや育ちが違うなら、刀を振るう理由が違うこともあるのかもしれない。誰かに見せる剣、とは。

「そっか! だから舞ってるみたいで綺麗なのか!」

 自分で声にして同時に納得した気がした。

「振りが大振りなのとか、マントばさばさしたり裾ひらひらしてんの、やってる時は邪魔だなーって思ってたけど、確かに踊りや舞ならその方が綺麗だもんな」

 ハッとしたようにこちらを見ていた匁は、何かを懐かしむように唇を緩く開いた。

「そう、……見た目ばっか気にしてたから。実戦じゃないから当てないように気を付けてたのも体に染み付いてる。覚悟、ねぇのかな……。ここは剣で命のやりとりをする世界なのに……

 匁が新宿に来る前にどこにいたのかも何をしていたのかも聞いたことはない。俺たちは今を大事に生きているからだ。毎日楽しく。たとえどんな奴でも一緒に飲んで踊って騒いだら仲間だ。
 俺はわざと大袈裟な動きで匁の肩に腕を回して、ぎゅっと強く抱き寄せた。

「ま、でもこれからも手合わせ付き合ってくれよ! 慣れない動きばっかでスゲェやりづらかった!」
「どうせ下手くそだよ!」
「ははっ」

 外では脱がないフード。綺麗で変わった刀。使い分けるようにころころと変える態度や話し方。
 匁は変な奴に違いなかった。新宿が居場所になればいいと思った。


 ○


 それからしばらくして、新宿は随分と騒がしくなった。ブレイドとツルギという盟刀の剣主が現れたからだ。俺は新宿のリーダーとして立ち向い、刀を交え、そして敗れた。しかしブレイドは新宿の気質によく合った男で、共にどんちゃん騒いで夜を明かした。強い仲間が加わった。頼りになる良い奴だ。



「ツルギ様の情報によると、渋谷には桜花・万黒燕尾・流水死命の三振りの盟刀がある。その内、桜花・万黒燕尾の剣主は幼い頃から刀を手にしていたらしいし、こっちも同じ三振りではあるけど、極楽天女をまあまあ?使いこなせてるキザミと違って、ブレイドなんてついこの前風丸を拾っただけの盟刀のめの字も知らないような奴だし、ここは最強⭐︎なツルギ様しか戦力がないのよね」

 ブレイドとツルギと三人で酒を片手に作戦会議。新宿にいるヤツらの話をすると、ブレイドは渋谷へ遊びに行きたいと言ったからだ。遊び、とは、なんて聞かないけれど。

「最強⭐︎とか言って、刀を手にしたばかりのブレイドに挑んで負けたんだろ? それにお前も田舎から出てくる道中でぐーぜん岩絶に出会っただけの運がいい剣主じゃねーか」
「馬鹿言ってんでねえ! 負けたのはちょーっと油断したからで全然?最強⭐︎だし、おらの出会いは必然の運命だ!」

 ツルギの性格はなんとなくすぐ掴めた。もともと以前からちょっかいを掛け合っていた顔見知りだったのもあり、仲間になって手の内明かしてみても、まあ悪い奴ではないからいい。

「まあ、戦力で新宿の方が分が悪いのは確かだな」

 ブレイドもツルギの扱いはこんな感じなので、多分俺の対応も間違ってないんだろう。リーダーなんて呼ばれてた俺も、ツルギと一緒で、ブレイドになら背中を預けられる。そんな頼もしさがブレイドにはあった。

「失礼します」

 声を掛けると同時に三人の真ん中にフライドポテトが山盛り乗った大皿が置かれる。先日の宴でも匁の皿を気に入った様子だったブレイド達に何か用意してくれないかと匁に頼んでおいたのだ。短く礼を伝えると匁は軽く頭を下げた。

「そうだ、対渋谷について話してるんだけど匁は何か考えとかある?」
「えっ、いえ、剣主様方のお話に口を挟むなど烏滸がましいです」

 猫被り匁は困り眉で返した。

「何言ってんだよ、匁だって……おもしろい型で翻弄してくるだろ!」
……もう暇つぶしにも付き合ってあげませんよ」
「なんだ! 匁! 俺とも手合わせしよう!」
「いやいや、僕なんてとても相手になりませんよ」

 ブレイドに絡まれると、匁は逃げるようにぱたぱたと去って行った。マントを揺らす後ろ姿を見ながら、フライドポテトをひとつ齧った。



 ふわふわとした気分の中、家の扉を開けたのはもうすっかり夜になった頃だった。

「ただいまあ」

 灯の照らす室内、匁が「おかえり」と迎えてくれた。

「また随分上機嫌ですねキザミ様」
「んー? んん、そうかも」

 真面目な会議をしていたのは途中までで、最後の方はいつもどおりの酔っ払いの集まりになっていた。二人を見送った後、俺自身も酒に酔ったぽかぽかと柔い感覚のまま温められている家へ帰宅した。いつもどおり先に帰っている匁の側へと寄ると、匁は俺の腰に手を伸ばして装備と刀を外す。

「キザミサン」
「んー?」
「ブレイド達が来て、楽しい?」
「そうだなあ、頼りになる感じ、結構うれしいかも」
「そう」

 匁が慣れた手つきで極楽天女を側へと置くと、次は縄襷へと手を掛ける。されるがまま、脱がされやすいように腕を持ち上げると、匁の動きが止まった。目線は俺の手の先へと向いている。

……おい何持ってんだよ」
「えへへ、食べきれなくて持って帰ってきた」

 匁が持って来てくれたフライドポテトは山盛りすぎて三人でも少し残ってしまったので、それならば、とまとめて持ち帰って来た。中を広げて見せて、そのまま一本摘んで食べた。

「こんな時間に……太るぞ」
「じゃあ匁も食おうぜ〜、ほらほら」

 溜め息を吐く匁にも一本摘んで口元へと運ぶ。頑なに結んだ唇をつついても開かないので、えいえいと何度か繰り返した。じとっとした目には気付かないことにする。
 それでも開かないのでそろそろ諦めてそれを自分で食べると、匁は不満そうに唇を突き出したかと思えば、あ、と口を開いた。
 大きな雛鳥を持った気分で、そこに新しくもう一本を摘んで持っていく。ちょっと焦らしてやるつもりでゆっくりと運んだら、手首を掴まれて摘んだ指ごと全部食べられた。柔らかい唇が指の形を確かめるように指を這う。

「しなしなじゃん」
「こ、これも美味いからいいの!」

 薄い唇に乗った塩気をさらっていく舌先を、目でついつい追った。こちらの緊張を知ってか知らずか、匁が額を俺の肩に預けるように頭を傾げた。心臓に悪い。
 ぽんぽんと背中をさすると、すり、と匁が肩に額を擦る。

「どうかしたのか? 体調でも悪い?」
「いや」
「ブレイド達と話してる時だってすぐどこかへ行ったし、何か気になることでもあるのか?」
……なんでもないよ」
「なんでも聞くぜ?」

 とんとんと赤子を抱くように背中を叩いた。匁はしばらくじっとしたまま、ゆっくりとひとりごとのように唇を動かした。

……本物ってあんな感じなんだなって、ちょっと、慣れないなって、思っただけ」
「本物って盟刀のことか? 剣主ならここにもいるだろ、しっかり見慣れてるのが」

 どんと胸を張って答えると、匁は大きく溜め息を吐き出した。俺の背中まで腕を回して、吐いた分と同じくらいにゆっくり息を吸い込んだ。ぐり、と頭が押し付けられてくすぐったい。

……キザミが一番落ち着く」
「それって、俺に剣主としての威厳がないってことか?」

 匁はまた隠す気のない溜め息をついた。

「アンタが一番、居心地がいいよ……

 小さな声が胸に落ちるのが、なんだか少し嬉しい。
 抱かれた腕に引かれて視界がぐるりと回る。匁の体の下敷きにされる形で二人してベッドに倒れた。匁の顔は肩口に埋まったままで、当たる毛先が頬をくすぐる。退きそうもない重い体にされるがままに手足を投げ出して、天井をぼんやり眺めた。

「もんめー」
……もう少し、このまま」

 そのくぐもった声に、溜め息は心の中だけにして、のし掛かる体温にそっと腕を回した。よしよし、と声には出さずに背中を撫でて、体を覆う温かさに目を瞑る。

 しばらくして、「お前が先に寝るのかよ」と語気の割に弱々しい声が聞こえたが、聞かなかったことにして一層強く抱きしめて朝まで眠った。