あの二人組に告げる機会は遂に訪れなかったが、実を言うとラノールを地上に出す方法はもう一つあった。その気になればとても簡単な方法で、実際彼女が母親を失ってすぐ僕はまずその手段を取ろうとしたくらいだ。
小細工を使って看守長の執務室に入り込んで、本来監獄にいるべきではない無垢なる子供が庇護を失ったと僕は彼に直談判をした。突如執務室に入り込んできたネズミに看守長はさして驚いた様子もなく、彼女を早々に失ったのは想定外だったと口にした。当然ながら、監獄の主である彼はラノールの存在を検知しているらしい。
ラノールを外に出してやるべきだと僕が続けると、彼はほんの少しの沈黙も挟まず同意した。ここには正式な手続きを踏んだ者のみが収容されているべきだ。なら、と僕が意気込む前にそれはできないと看守長は同じトーンの口調のままきっぱりと拒否をする。
それからすぐに君にはものの道理が通じそうだと続け、僕の口を封じてきた。もちろん君が望むことくらいできる、と彼は言う。
ここで生まれた子供として書類を書いて、俺よりも偉い人に嘆願すれば特殊フローではあるが一週間もあれば承認は回り切るはず。そうすれば次の週で準備が整い、遅くとも週末には彼女は日の下でクリームのたっぷり乗ったケーキを食べているだろう。
一体それに何の問題があるのだろう、と僕は思わずにはいられなかった。その不満が伝わったのか、彼は見込み違いだったかとでも言いたげに目を細める。
でもそれじゃあ書類が残って記録になる。それが良くない事くらい分かるよな。そう問いかける看守長に僕は渋々頷いた。
たしかに監獄の中で生まれ育ったなんて情報がどこかに残るのは良くないが、当時の僕には致命的なものとは思えなかった。そこまでして過去を探ろうとする者などそういないだろうに。
迷い込んだ雲雀はいつの間にかいなくなっていなければいけない。だから、俺はあんたが画策するのを止めるつもりはない。あんたが何かを利用するのも止めない。あんたを邪魔しようとするやつがいたとしても止めない。看守は指を一つずつ折りながら唱える。
邪魔、と不思議に思って僕は口を挟んでしまった。そういう輩はどこにでもいるもんさ、と監獄を見通す男は苦笑する。ただし、規則に違反がない事を条件とする。そいつが規則に反するならそいつも罰する。もちろんあんたもだ。
看守長としての当然の務めではあるが、と彼が補足するのを聞きながら、実のところそれを期待しているのではないかと思ってしまう。案外自由にならないものだと同情を示してみれば、彼はようやくからからと笑って見せた。まあ、長が付いている役職なんてそんなもんさ、と彼は言う。
果たして彼は約束の通りミリオネアゲームの運営を看過し、権限を越える動きをした上に大きな損害を出した看守を処罰したらしい。
四百年ぶりに地上に出て行動して、僕は今更ながらに看守長の言葉の正しさを痛感していた。現代のフォンテーヌは思いの外しっかりとしており、人々の過去にアクセスするのも条件さえ揃えばさして難しくはない。
ラノールの経歴が不自然なものになる事はもはや避けられないが、大衆の好奇心を惹きつける汚点を明文化せずに済んだのは彼の計らいによるものと感謝するしかなかった。もう少し時間が経って地下の人間が小さな雲雀の事を忘れた頃合いに手紙で謝意を伝えるくらいしても良いのかもしれない。
ラノール。地下の歪んだ揺り籠が育んだ小鳥。無垢なる魂を指し示す名前。
しばらく会わなかった時間に相応しく彼女は少し大きくなり、幼子が本来時間をかけて消化していくべきだった経験を急速に積んでいた。
時間と膨大な体験がもたらす刺激が彼女を以前よりも聡明にしたのは明白だった。故に、最後の彼女に映った僕はこれまでの僕とはいくらか違って見えただろうと思う。同席してくれた二人が気を使うまでもなく、きっと彼女が祖父にあれがキャタピラーだったのだと伝える事はあるまい。
ラノール。
彼女はこれからも膨大な経験を積み、美しい魂の上に堆積させ歩んでいく。その過程で魂は重みに堪えかね、かたちを歪ませずにはいられないだろう。それは願望の出力にも影響するに違いない。その末に未だ彼女が抱え続けてくれているはずの願いはどうなってしまうのか。
重みに砕け跡形もなく擦り潰れて、彼女自身にも気づかれぬ有様になるべきだと思う。それがきっと彼女のためで、地上で紡がれる日々のみが彼女の真実になり果てるべきだと僕は信じている。
けれど、それでも。もしも。
僕の人生――この言葉で自らを語るのは随分と問題があるようには感じているが、わざわざ新しく言葉を開発する必要もないだろう――の宿題はほぼほぼ解決したと見てもいいだろうが、それでも生きなければならないと思う。彼女との物語の結末が今この瞬間ではなく、もう少し先にあるのだとするならば。
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