果南(カナン)
2025-12-26 23:03:30
4458文字
Public さめしし
 

瑞雪

さめしし。ワンドロのお題「サンタ」「年の瀬」で書きました。
まだつき合っていない二人で、恋心を自覚した村雨先生が慣れないことをちょっと頑張ってみた年末です。
ふわふわするのも迷うのも、何もかもあなたが初めて。




 トントントン、と包丁がリズミカルにまな板を叩く。
 幾種類もの野菜が刻まれていく匂い、卵の焼ける香ばしさ。しゅんしゅんと薬罐から立ち昇る水蒸気。
 獅子神の家のソファーで、コーヒーを片手に寛ぎながら、私はキッチンに立つ彼を眺めていた。年越しの集まりとおせち料理のための試作中だという獅子神は、いつも以上に様々な食材を広げ、数々の道具を手際よく操っている。
 今日訪れた口実は、丹波の黒豆だった。
 実家から沢山貰ったから正月の集まりに使ってほしい、と告げて差し出すと、オメー煮るの大変なんだぞこれ、と一応顔をしかめたものの、思ったよりもすんなりと獅子神は受け取った。そして、時間あるなら手伝ってけよ、と私を家に入れてくれた。
 彼らと共に過ごす集まりでなら、つい先日も来たばかりだが、一人でこの家に足を踏み入れるのはまた違った歓びがある。折よく雑用係たちも買物に出ているということで、獅子神と二人きりだ。久しぶりのことだった。
 静かなリビングで熱い茶を飲み、獅子神を手伝って銀杏の殻と皮を剥く。それが片付いたところで、試作品のローストビーフあるけどメシ食う?と訊かれた。もちろん、と一も二もなく応じ、美味い肉と他の料理でしっかりと腹を満たして、私は上機嫌だった。
 実に幸先が良い、と思った。
 年の瀬の慌ただしさにも関わらず、こうして獅子神と過ごすことができている。彼は料理を続けているが、数の子はいつ漬けるのか、栗きんとんの裏ごしは、と話題を振れば、数日後に仕込めばちょうど元旦が食べ頃、とか、裏ごしはさすがに雑用係に手伝わせるぜ、何せ大量の芋を熱いうちに潰さなきゃいけねえんだからな、などと応じてくれる(大量の芋、のくだりはこちらを見ながら皮肉たっぷりに言われたが、それも御愛嬌というものだ)。そして、ローストビーフもぜひまた作ってほしい、と頼めば、おう任せとけ、と笑顔で応じてくれたのだった。
 あとは、今日の最大の目的を果たすだけだった。
 いつもと違う鞄に入れてきた、小さな紙袋を思い浮かべる。
 私たちが何かと集まる度に、料理をしたり片付けたり、果ては風呂や寝床まで提供してくれる獅子神のために。私なりの感謝と気持ちを伝えようと、選んだ品だった。お人好しで、根が優しく、弱音を吐こうとしない獅子神の、知らぬ間に溜まった疲れを癒やせるような品。
 この手のことに不慣れなのは自覚しているので、おおよその趣旨を兄貴に伝えて色々とアドバイスを貰った。だから、無難な選択にはなっているはずだ。
 だが問題は、どのようにこれを渡せば良いかということなのだった。
 せっかくだから、多少の驚きをもって、嬉しく受け止められるような渡し方をしたい。例えるならクリスマスの朝に目覚めた子供が、サンタクロースからのプレゼントを見つけて喜ぶ時のように。実際の先日のクリスマスでは、五人で互いに罰ゲームのようなプレゼント交換を為してしまったので、これがその慰めになれば、という思いもあった。

 要するに私は、遅めのクリスマスプレゼントを獅子神に贈りたいのだった。
 私だけの、特別なものを。

 獅子神は依然として、料理に集中している。今なら用を足すフリでもして適当にリビングを出れば、彼の寝室まで行くことも容易いだろう。そちらに仕掛ける方が、サプライズとしては上出来な筈だった。
 しかし、何かが心の中で、私を押し留めていた。
 真経津や叶なら、迷わずそうするだろう。怒られても結局は赦してくれるのだから、遠慮なく寝室を狙う。その方が気の置けない友人らしいというものだった。
 だが、私は彼らとは別格の存在になろうとしているのだ。
 獅子神に、そう知らしめなければならない。
 私はいったん置いたコーヒーのカップを、また持ち直した。残り少なくなった中身をゆっくりと喉に送り込んで、検討を再開する。
 彼らと一緒に王冠で獅子神を煽っていた時とは、状況が違うのだ。プライベートの極みたる寝室に、今は無断で立ち入るべきではない。
 では正面きって渡すかというと、それも確信が持てないのだった。
 思考が、堂々巡りに陥っていく。
……はぁ」
 とうとうコーヒーが空になってしまい、私はため息をついた。カップを置き、ソファーの足元に置いていた鞄を引き寄せて探る。
 目的のモノを取り出して、数秒眺める。
 ままよ、とソファーの座面に置き、クッションで半分隠すようにして立ち上がった。
「獅子神」
 キッチンに呼びかけると、獅子神が顔を上げた。
「お、どーした? コーヒー、お代わりいるか?」
「いや」
 私はかぶりを振った。
「そろそろ帰る。ありがとう。ごちそうさま」
「え? 仕事か?」
 獅子神は驚いた顔をしたが、手はボウルの中身を泡立て器で混ぜ続けていて、若干上の空だった。意識の半分はまだ料理に向いているらしい。
……まあ、そうだ」
「そっか……
 言いながら、すまなさそうな顔になる。
「悪ィ、あと少し手が離せなくて。ちょっと待ってくれたら」
「構わない。適当に鍵を閉めて出る」
「こら、合鍵を乱用すんな。ったくオメーら、何度取り上げてもすぐまた作りやがって」
「乱用ではない。今あなたに、きちんと伝えた」
「ンー……ま、そうか」
 獅子神は眉根を寄せていたが、すぐにいつもの気さくな表情に戻った。
「じゃあすまねえけど、ここで。寒いから気をつけて帰れよ」
「ああ。あなたも無理はしないように」
 おうよ、と応じる獅子神の声を背に、鞄とコートとマフラーを持って、リビングを出た。
 玄関まで進み、マフラーを巻いてコートに袖を通す。ボタンを留め、肩から鞄をかけた。
 つい動作が緩慢になってしまっている事に、我ながら苦笑する。今見つけてほしいと思うくらいなら、堂々と渡して帰ればよかったのだ。
 それをためらったのに。何を、今さら。
 自分にこんな優柔不断さがあったのかと呆れながら、靴を履く。
 そのまま、玄関の扉に手をかけたところで——空気が、変わった。

「おい、村雨!」

 獅子神の声。どたどたとした足音。
 動作を止めて、振り返る。
「忘れモンだぞ」
 三和土まで下りてきた獅子神が、ずいと手を差し出した。
 彼が持っているのは、小さな白い紙袋だった。厚手のシンプルなもので、袋の口はテープで止めてある。金色の組紐の持ち手には赤と緑のチェックのリボンが結ばれて、わかりやすいアクセントになっていた。
 先ほど、私がソファーに置いてきたものだ。
「お前が座ってたトコにあったから、お前のだろ。珍しいな、忘れ……
「忘れ物ではない」
 私が首を振ると、獅子神は不思議そうな顔になった。
「でも」
「それは、あなたのだ」
……へ?」
 ぽかんと口を開けて、マヌケな顔で獅子神が固まる。
 薄青色の瞳をまっすぐに見つめて、私は言葉を続けた。
「先日はクリスマス兼マヌケ神の誕生パーティー、今度は年越しと正月の準備。あなたの面倒見の良さと料理の美味さについ甘えてしまっているが、実際のところ、あなたの負担は相当なものだろう? だから……それは、私からのささやかなお礼の贈り物だ」
……村雨」
 かすれた声が、私の名前を呼ぶ。
 傷痕の残る右手から力が抜け、じわりと指が開く。ぱさ、と三和土に落ちた紙袋を拾い上げて、私は獅子神の目の前に立った。
 呆然としている彼に、微笑みかける。
「こっそりと枕元にでも置くことができれば、遅れたサンタクロースだと洒落込めたのだが。やはり私には、そんな気の利いた役は向いていないらしい」
「いや、その……それはそれで、怖ぇだろ」
……そうだな」
 思いきって、手に触れた。
 しなやかな指が、厚い手のひらが、ぴくりと震える。が、あくまで反射的なこわばりで、引っ込められたり払いのけられたりすることはなかった。
 紙袋の金の組紐を、そっと手に掛けて握らせる。
「獅子神」
 指先を添えたままで、囁く。
 揺れる薄青色の瞳が、私を見つめた。
「いつも、ありがとう。たまにはゆっくり休んでほしい」
「あ、あぁ」
「では、失礼する」
 今はこれで、十分だと思った。
 獅子神の手を離し、身を翻す。が、ドアノブに触れたところで、ぐいと肩に力がかかった。
……村雨!」
 強い声が、私を引き留める。
「あの、さ……ありがとう」
……どういたしまして」
「その……年越しの集まりは、来るんだよな?」
 私の肩を掴んだ指が、熱かった。
 速くなる心拍。じわりと滲んだ汗の匂い。
 美しい瞳が私を捉え、ただ私だけを見つめる。怯え、喜び、期待、不安、何もかもを視線に乗せて。

 獅子神が、これほど心を揺らしている。
 私と話し、触れ、贈り物を受け取っただけで。
 
「当然だ」
 胸の高鳴りを抑えて、私は答えた。
 努めて表情を動かさないようにし、いつもの口調を保って続ける。
「あなたの美味い料理を、私だけ食べ逃すわけにはいかない。むしろローストビーフは、全て私が貰いたい」
「オイ、食い気だけかよ」
「もちろん、他の事も楽しみにしている」
 それ以上言葉にしたら、無様なことを言ってしまいそうだった。
 ——まだ早い。今は、まだ。
 視線を切って、玄関のドアノブを握って、押し開けた。
「ではまた、大晦日に。獅子神」
……ん。サンキュな、これ」
「ふふっ」
 小さな紙袋を持ち上げて獅子神が言ってくれたので、私も笑えた。
 外に出て、扉を閉める。
 冷たい風が一気に、吹きつけてきた。
「ふぅ……
 深呼吸をしてから、門の外まで歩いた。静かに門扉を閉めて、もう慣れた道を駅へと向かう。先ほどの獅子神との会話を順に思い返しながら、規則正しく足を運んだ。
 ——悪くないはずだ。
 遅れたサンタにはなれなかったが、それも含めて。
 元々私は、そういう柄でもないのだ。
……難しいものだな」

 予想もつかない筋道。理論など無い反応と結果。
 それでも、今が楽しいと思える。

 獅子神とこうして過ごす時間が、もっと欲しい。
 私だけが見る彼を、見ていたい。

 ふと名残り惜しくなって、足を止めた。マフラーを巻き直しながら、灰色に曇った空を見上げる。
 いつの間にか、ちらちらと雪が舞い始めていた。
 小さくて儚い数々の白い欠片は、周囲にも私にも降り注いで、触れるそばから消えていく。獅子神の家にも、同じように降っているだろう。
 この雪を、見ているだろうか。
 そんな事を思う自分は初めてで、可笑しいような嬉しいような、不思議な気分だった。
……ふふっ」
 風が、強く吹いた。辺りの家の、葉を落とした木々の枝が一斉に鳴る。
 吐く息は白く、あっというまに流れて消えていく。暖房の効いた獅子神の家で温もりきっていた頬が、年の瀬の寒風を心地よく受け止めていた。