よるうみはる。
2025-12-25 23:35:54
4021文字
Public 原作軸
 

暮夜の息。

ハッピ~~~~クリスマス~~~~~!
敬一くんのトラウマ話(ひとのこころ)


 やってしまった。
 リビングのソファーの上で団子のように固まって眠っている状況に、気恥ずかしいような思いで顔を覆う。昨晩の出来事を思い出すと、二十六にもなって何をやっているのかと叱咤したいような気持ちになった。
 獅子神敬一は改めて自分の周囲を見渡す。枕にしていたのは天堂の膝だった。反対の肘掛けに身体を預けているのは村雨で、足元には叶と真経津が、ソファーを背にして眠っている。でかい図体の男たちが束になっているのは異様な光景でしかない。
 大きくため息を吐き出しかけて飲み込み、なるべく起こさないように、そっと彼らのぬくもりから抜け出した。足元に寝転がっていた二人には特に気を遣い、ゆっくりと脚を運ぶことにした。軋むようなフローリングではないので、獅子神の体重を受けても静かなままだった。
 気配で気付きそうだとは思ったが、昨晩眠りに就いたのが遅かったこともあり、まだよく眠っている――と思う。狸寝入りの可能性も否めないが、今は声を掛けられたくない。
 キッチンは、獅子神のテリトリーだ。ようやく一人きりになったところで、どうにか深呼吸ができた。手で顔を覆い項垂れると、昨晩のことが瞼の裏に浮かんでくる。
――失敗した)
 こんなみっともない様を見せるつもりは無かった。胸の奥で、幼い自分が寂しいと泣いていた。
 二十四日、クリスマスイブが天堂の誕生日だと知らされたのは一週間前のことだ。「誕生日はキャラメルのお菓子を所望する」と、さも当然のように宣言してきた天堂のために準備を始め、そのままあれよあれよと賑やかなパーティが始まった。次の日はクリスマスということもあって、そのままクリスマスもしようと決まったのは日付も変わる少し前。しかしながら、平日のクリスマスは社会人にとって休みではなく祝日でもない。村雨は普通に出勤で、天堂は教会の行事、叶はクリスマスの配信をするのだと言って帰宅した。真経津は特に働いてはいないが、クリスマス仕様のパンを買ってから来るとのことで、結局全員いなくなってしまったのだ。
 それを寂しいと感じたのは、特別悪いことじゃない。にぎやかだった分、祭りのあとのようにしんと静まり返った部屋は、やけに広く感じる。時計の針の音が、やけに大きく聞こえた。
 テーブルの上を片付けようと、一歩踏み出す。皿を手にしたところで、自分の指先が少し震えていることに気付いた。寒いわけじゃない。けれども現状が、過去とフラッシュバックする。寒々しい部屋は暖房もなく、カタカタと震えながらうすっぺらい毛布にくるまっていた。真っ暗な部屋。外はイルミネーションに照らされてあんなにキラキラしているのに。部屋の中はひどく薄汚れていて、自分自身も汚かった。
 母親は帰ってこない。誰もいない部屋が、置いて行かれたと錯覚する。そんなわけはないのに。
 ――大丈夫だ。
 そう思ったところで、喉の奥が詰まった。声を出すつもりはなかったのに、息が乱れる。それだけで、自分がどこまで追い込まれていたのかを理解してしまった。
 瞬間、ぼた、とテーブルの上に水たまりが出来る。丸い雫が、ゆっくりと染みを広げていく。
……ぅあ」
 クリスマスに欲しいものなんてもらえなかった。欲しいものってなんだったのか分からなかったが、今は間違いなく誰かといる時間でしかない。ひとたび決壊した涙腺は、いくら目をこすっても止まることはなく、喉奥で引っかかった息が、途切れ途切れに漏れた。
 噛み殺そうとした呼吸が制御できず、獅子神は奥歯を強く噛んだ。
 泣くつもりなんてなかった。ただ静かに、片付けをして、何事もなかった顔で朝を迎えて、また夜になったらみんながやってくればいいと思っていたのだ。
 ひ、と息が喉奥で詰まり、うまく吸い込めなくなる。無茶な呼吸をなだめようと肩で息をするほど、余計に苦しくなった。駄目だ、もう、立っていられない。テーブルのすみでうずくまり、獅子神は何度も目をこすり上げながら、涙を止めようと必死になっていた――その時だった。
 玄関の方で、慌ただしい音がする。獅子神は、突然のことに身体が硬直して動けなくなる。バタバタと廊下を走ってくるその足音は、勢いよく扉を開いた。
「ごめん! 敬一くん、オレここに――
 最悪だ。最悪極まりない。こんなみっともない姿見られたくなかった。獅子神は止めようとしても止まらない涙を乱暴に袖口に吸わせていたが、余計にあふれてくる。
「わり、かの……っ、ちが、あの、これな、……なんっ、でも、なくてッ」
 なんとか言葉を紡ごうと必死になるが、吃音でうまく会話が出来ない。それすらも、どうしようもない自分がそこにいた。叶が何か言いかけたまま口を開け立ち止まっている。
(何を言えばいい? どうしたらいい?)
 焦りが先行して、いつも以上になにも出てこない。涙は止まる気配もなく、呼吸だけが細切れになっていく。胸の奥が痙攣するように波打ち、息を吐くたびに、声にならない空気だけが喉から零れ落ちた。どう泣いていたのか、どうやって息をしていたのか、それすら思い出せないまま、ただ身体が折れる。
 叶の足がすっと動く。ほんの一瞬だけ躊躇してから、獅子神の頭を掻き抱き、ゆっくりと背中をさすった。
……ゆーっくりさ、息しなよ敬一くん」
 自分より大きい身体に包み込まれ、身体を離そうとして失敗する。安堵感の方が強くなり、目元を肩口へと押し付ける。「わるい」と音になったかも分からない謝罪をつぶやきながら、指先だけが、離れることを拒むように布地を掴んだ。
「大丈夫、こわいことなんてなんにもないからさ。ちゃんと意見言っていいんだよ。オレたちいっつも敬一くんにワガママ言ってるけど、別に嫌じゃないだろ。――ね、そういうことだからさ」
 叶の低く、やわらかい声が耳に届く。
 背中をさする手の動きは、一定だった。撫でるでもなく、押さえつけるでもなく、そこに在ると知らせるためだけの、ゆるやかな圧。叶は余計なことを言わない。だからこそ、獅子神の呼吸は少しずつ、ほどけていった。ひ、と短く引きつった息が、次第に長さを取り戻す。まだ浅いが、途切れない。胸の奥の痙攣が、完全には治まらないまま、波の間隔だけが伸びていく。指先が、無意識に布地を強く掴んだ。逃げないでくれと縋るような、みっともない力だった。自覚した瞬間、また胸が詰まりかける。
……っ」
 声を出そうとしてうまくできない。何かが引っかかっていて、邪魔をしている。それはきっと幼い自分の気持ちだったのかも知れない。ゆっくりと、叶の言う通りに息を吸った。幾分か、こわばりがほどける。
……ひ、とり」
 声が、途中でほどけた。床に落ちるほどの小ささで、それでも確かに声になる。こんな音だっただろうか、と他人事のように思う。叶の手が、一瞬だけ止まる。きっと何を言うのか、この男は気付いている。気持ちが悪いと思うだろうか、成人した男がと嘲るだろうか。そんな想像が過ったが、叶は「うん」とどこまでも凪ぐ水面のように静かに応える。

「ひとり、は、いやだ」

 夜に置いて行かれて、どうしようもないこの空間に取り残される。その空気に耐えうる出来なかった自分の弱さが、ふさぎようもなく決壊していく。ぼろぼろと涙がこぼれる獅子神の顔を少しだけ上げさせると、叶自身の服の袖で拭われる。
「ちゃんと言えたじゃん、敬一くん」
 幼い子どもを褒めるように、叶はただ獅子神の言葉を受け入れた。「それじゃあ、今夜はひとりは禁止にしような!」と言うが否や、ばたばたと玄関に人の気配が戻ってくる。
 余程急いで戻ってきたのか、村雨なんかは肩で息をしていた。「この大マヌケめ」と悪態を吐きながらも、心配が伝わってくる。真経津も「獅子神さん、パーティー続けたかったなら言ってよ」といつもの笑みを浮かべていた。天堂は「今日はクリスマスだ。いい子には神も祝福する」と頭を撫でられる。
 そのまま獅子神を囲むような形で、ゲームやら、映画やらを見始めて今朝に至ったわけだ。

 ――どう考えても恥ずかしすぎる。
 今ならば羞恥で死ねそうだと思ったが、迷惑を掛けた自覚はある。とりあえず朝食はいつもよりいいものを作ろう。そのあと村雨を職場まで、他の三人は自宅まで送り届けよう。じゃないと、獅子神が羞恥心と罪悪感に押しつぶされそうだった。
「こんなとこでかくれんぼか。敬一くん」
 キッチンカウンターから覗き込むように、叶が姿を現し、悲鳴を上げかけた。そのままキッチンの中へと忍び込んでくると座り込む獅子神と視線を合わせるように、屈む。叶は、獅子神の顔を一瞬だけ確認してから、わざとらしく肩をすくめた。
「敬一くんは早起きだな」
 責める調子ではない。むしろ、いつもの軽さだ。それが逆に、胸の奥をくすぐる。少しだけバツが悪く声を潜めて、獅子神は「わるかった」と謝罪する。
 獅子神が泣いているのを見つけた叶は、いつの間にかみんなに連絡をした結果、全員がかえってきたのだ。気遣いは出来る男なんだよな、と叶を見遣ると「失礼なこと考えてるだろ」と少し怒られる。
 顔を覆う手を取られる、間近で見た叶はまだどこか眠そうに眼を細めている。
……今度からさ、オレが帰る前にいいなよ」優しく、まどろむような声音がどこまでも獅子神の身体にしみいる。この男の声はどこまでも蠱惑的な。おかしなほどに耳によく届いた。「敬一くんがひとりで泣いてたかと思うと気が気じゃないからさ」
 手を握られたまま、叶はそんな風に獅子神に呟く。
 なんだか、そんな風に言う叶がひどくやさしくて、獅子神はなんだか胸の鼓動が、早くなるのを感じた。
 クリスマスの朝、欲しいものはもう目の前にあるような気がして、獅子神はゆっくりとまばたきをしたのだった。