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悠
2014-11-01 22:55:05
1618文字
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彼の体に残るもの
夕暮れ時をとっくに過ぎて、真っ暗になった磨り硝子の向こう側には、室内の明かりに吸い寄せられて様々な虫がポツポツと白い点作り出している。
お疲れさまでした、と数々の賑やかな声を送り出して、壁にロッカーが並ぶ剥き出しのコンクリート作りの簡素な部室の中には、今は2人だけしかいない。
青葉城西高校バレーボール部、主将と副主将である、及川と岩泉だ。
部室内に1つきりの机にパイプ椅子を2脚、向かい合わせにして、岩泉は机に広げた部誌へとひたすらに文字を詰め込んでいて、及川は両肘をついたままスマホを眺めていた。
ふと、及川が目線を落とした先、目に入ったのは部誌を押さえている岩泉の左手だ。
繰り返す突き指で張り出た節、テーピングの痕、細かな傷が残る、掌の広い男の手、その先にあるなだらかな曲線を描いて乗る白い爪先。
「あ」
及川はスマホを机に放り出すと、ロッカーへと向かいエナメルバッグの中から黒いメッシュポーチを取り出して椅子へと座り直した。
心なしか、口元には緩やかな笑みさえ浮かんでいて、お得意の鼻歌が静かな部室に響き始めた。
メッシュポーチからティッシュを一枚取り出すと机に敷き、岩泉の指を徐に手に取ると角がたった爪を挟んで。
パチン。
パチン。
一度に刃で挟む爪の幅は少なめにして、細かく動かしながら、少しづつ、少しづつ切り進める。
岩泉の目線は部誌へと注がれたままで、爪を切る音には見向きもしない。
一本分の半円を切り終えたら、そのまま次の指へと爪きりは移っていく。
パチン。
パチン。
静かな部室に響く、ペンの滑る音、鼻歌、小さな刃が噛み合う音。
半円の中に直線がいくつも並んでいるのを蛍光灯の眩しい明かりに翳して見ると、はみ出ていた部分がなくなったようにみえる。
うん、と及川は自分の仕事に満足したように頷いた。
「及川」
「うん?」
「今日のメニュー」
「ウォームアップ、ランニング、パス練、サーブ練」
爪きりの代わりに取り出したのは爪ヤスリ。
ステンレス製のそれは荒さが二段階になっているので、使い勝手がよいため及川はこれを使って爪を削ることが好きだ。
「2、3年はスパイク練、1年はレシーブ練、レギュラーはフォーメーション確認、ミニゲーム、だったかな」
「ん」
爪先に荒いほうを押し当てて、まずは形を整える。
指の腹で感触を確かめながら角を取り、指との境目がなだらかになるようにひたすらにゆっくりとやすりを滑らせては感触を確かめた。
形はうまくいったが、このままでは滑らかさに欠けるため、目の細かいヤスリに切り替えると、爪先を二三度撫で、爪の背にかかる部分も引っかかりのないように削って、削って、ようやく一本。
指の先と同等の形になったつるりとした感触は、及川の指に少しの抵抗もなく、美しい弧を描いていた。
指先にヤスリが触れないように細心の注意を払いながら、及川は岩泉の左手の爪を整えていく。
爪の形を見るために持ち上げた岩泉の左手、掲げたその先に、ぼんやりと岩泉の顔が映る。
「
……
え」
「
…
まだか?」
「いや、もうちょっと」
「そうか」
「うん」
いつの間にか書き上がっていた部誌は既に表紙を上にして、机の中へとしまわれていた。
爪を楽しそうに切って、削って、整えて、そうやって及川の好きなようにさせるのは、岩泉であるから出来ることであって、岩泉以外ではすることすら考えない彼だけの特権だ。
それをひたすら眺められるのは、岩泉にとっても、これ以上ない至福の時ではあるのだけど、目の前で手の指越しに目があっている及川には、到底思いつかないことであろう。
ひらひらと、岩泉は指先を脱力させて右手を揺らした。
その意図はきちんと幼なじみには伝わっているようで、ふんわりと笑みを浮かべた及川は、悪戯に左手の薬指へと唇を押し当てる。
「は?
……
ッ
…
!」
固まった岩泉へ、唇だけで囁いたのは。
紛れもない、愛の言葉。
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