史加
2025-12-25 13:55:49
6374文字
Public zzz(アキ悠)
 

その愛はまるで白雪のように

アキ悠/クリスマスの日のふたりの話



 ホロウもエーテリアスも人間の都合なんて待ってくれやしない。
 たとえ世界がかつて存在した神さまの生誕を祝う日を迎えたとしても。旧時代の慣習にならい人々が家族や友人、恋人と温かく楽しい一夜を過ごしていたとしても。否、そういうささやかで穏やかな幸福が明日も、明後日も、一年後も続いていくという、最後の希望を守るためにも、武器を手に戦わなければならない。
 対ホロウ行動部六課に集まった精鋭は、そのために存在する。だから今日もいつも通り、急激なエーテル活性の観測による緊急要請に応じて誰ひとり欠けることなくホロウに集まり、原因である大型エーテリアスの討伐にあたった。華やかにきらめく街のネオンではなくエーテルの不気味な光に彩られた廃墟を駆け抜けて、目標を捕捉し、無事に倒し終える頃にはもう夜になっていた。
 立場上、年中行事なんていうものは二の次だ。そこにいる全員がそれを分かっている。だから無事任務を終えたメンバーの顔に悲壮感はなく、むしろ市民の避難が必要となるような一大事にならずに済んでよかったと、安堵を滲ませていた。悠真も同様で、六課のメンバーだけで片付けられる程度でよかったと胸を撫で下ろしている。
「無事に仕事も終わりましたし、一緒に晩ご飯でも食べて帰りましょうか」
「やったぁ! 蒼角、お肉がいい!」
 報告書を取りまとめて提出し終えた柳の言葉に、蒼角が手を上げて喜び、雅も三角の耳をぴこぴこと震わせてどこか嬉しそうに柳を見つめる。悠真はちらりとスマホを見て、自分の身体が特に大きな不調を起こしていないことを確かめ、そうですねえ、と鷹揚に頷いた。
 液晶に浮かび上がったのは二十時半という時刻を示す文字だけ。それ以外ノックノックの通知も何もなかったことに、さびしさも、むなしさも覚えたりなんかしない。そんなものを覚える必要性だって感じていない。悠真の居場所はここ――雅、柳、蒼角のいる六課にあるからだ。
「この時間ならまだ火鍋屋は間に合いますね。お肉の多いプランにしましょう」
「ナギねぇ、ケーキは?」
「材料は用意してあるので明日作ってあげますね」
「わぁい! じゃあ明日もパーティーだね!」
「パーティーか、良いな。私も明日は父上と一緒に食事をして過ごすとしよう」
 すっかり戦場での緊張から解放された彼女たちのなごやかな会話に耳を傾けながら、その後ろをついて悠真は歩いていく。しんと静まり返ったH.A.N.D.のオフィスを出てルミナスクエアへと向かう間も、会話は弾んだまま途絶えることがない。
「浅羽隊員は何か食べたいものはありますか?」
「うーん、特には思い浮かばないですねぇ。ただまあお腹は減ったんで、蒼角ちゃんと同じくお肉は食べたいですかね?」
「やっぱりたくさん動いたあとはお肉だよね! ハルマサもいっぱい食べよ!」
「野菜も食べないとダメですよ、蒼角」
「食後のデザートも必要だろう。もうケーキは売り切れているだろうが、メロンならどうだ」
「時期が時期だしそもそも火鍋屋でメロンなんて扱います?」
「デザートメニューにメロンゼリーがあるみたいです。四人分先に注文しておきますね」
「あるんですか!? 火鍋屋でメロンゼリーなんて需要なさそうなのに!?」
「私が以前からメニューに追加してもらえないか頼んでいたのだ」
「ああ……火鍋屋の経営者の苦労を思うと胃が痛くなってきた……この胃痛は三日三晩続くかも……ってことで、明後日と明明後日の仕事も休みにするのは」
「却下です。明日は今日の代休で皆さんお休みですが、明後日からはいつも通り働いてもらいますよ」
 移動の合間に柳が注文を取りまとめてスマホから予約し、すっかりお腹を空かせている蒼角が途中にある雑貨屋での買い食いに走ってしまわないようあれこれと気を引きながら火鍋屋へと向かう。その間も悠真のポケットにしまいこまれたスマホは静かで何も言わない。
 ルミナスクエアに着く頃には二十一時を回っていたが、さすがクリスマスというべきか、普段よりも出歩くひとは多いように感じた。と言っても悠真たちのようにこれから食事に出かける者は少ない。グラビティ・シアターでの映画鑑賞を終えて帰路に着くひとや、逆にレイトショーを観に向かうひと、食事を終えて家に帰る家族連れや解散する友人同士の集いなど、様々な姿が見受けられる。
 その中には明らかに恋人同士とわかる距離の近い男女二人組がバーやホテルへ向かう姿もあった。浮かれた街の様子はネオンの光にまで伝わっているようで、いつもよりもあたりが明るいように思える。仲間たちの会話に耳を傾けながらも道行く人々を眺めて、悠真はふっと頬を緩めた。
 いつぞや唱えたときは恥ずかしくてしかたなかったけれど、光になるのも悪くない。



 冬の外気に触れて冷えた身体を火鍋で暖め、よく煮込まれた肉や野菜、こんな遅い時間だというのに炊いたばかりのふっくらとした米で胃袋を満たし、火鍋屋にはやっぱり似合わないメロンゼリーを四人でつつく。
 そんな普段と変わらない他愛のない時間はあっという間に過ぎ去っていった。休日出勤をした皆への労いだと言う雅に甘えて支払いを任せ、店を出る頃にはもう二十三時と、終電の時間が迫っていた。
「それではここで解散にしましょう。皆さん、お疲れ様でした」
「ああ」
「お疲れさま!」
「お疲れ様でした〜」
 軽く挨拶を済ませて柳と蒼角、雅がそれぞれの家に向かい歩き出していく。衣服に染み付いた火鍋のにおいに、帰ったら寝る前に洗濯をしなきゃなぁ、と思いながら悠真も地下鉄駅へ向かって歩き出した。
 すっかり夜も更けて、さすがにルミナスクエアの大通りを歩くひとも、通り過ぎてゆく車の数も減っている。空気は冷たく、せっかく暖まった身体からじわじわ熱を奪っていこうとしていた。鼻先と耳がかじかんでいく感覚に、もう一年が終わるのかと不意に思う。
 来年のクリスマスを自分がどう過ごしているのかは相変わらず上手く想像できない。それを想像することは難しい。期待なんてもってのほかだ。いつだって「今日」は今日限りのもので、明日はそのときになってみないとわからない。安易に「明日」を信じることは、悠真にとってリスクとなり得る。
 ……はずだったのだけれど。
……なんでいるのかなぁ」
 地下鉄駅へと降りる階段の前に見慣れた車が一台停まっているのに気付き、悠真はぽつりと呟いた。
 ポケットの中のスマホはだんまりを決め込んだままだったはずだ。もしや見落としていたかと思って一応取り出し、立ち上げてみるけれど、やっぱり通知のひとつも届いていない。ノックノックを開いてメッセージの画面を見ても、朝悠真が送ったメッセージの後に続くものは無かった。
 車へ近付き、運転席に座る男の姿を確かめて、コン、と窓をひとつノックする。こんな寒い中だというのに窓が開いて、ネオンの光を受けた銀の髪がにぶく光った。
「ビデオ屋の店長さん。ここ、路上駐車禁止ですよ〜」
「おや、そうだったかい? この前恋人を迎えにきたときに治安官に見られても特に何も言われなかったけれど」
「それはたまたま不真面目な治安官に当たっただけでしょ」
「いいや、あの真面目が服を着て歩いていると有名なセスだ」
……はぁ。わかったよ、僕の負け。でも洗いざらい吐いてもらうからね、アキラくん」
 がっくりと肩を落とすふりをして、頬が勝手に緩むのを隠そうとする。そんな悠真を優しく見つめたアキラが窓を閉めるのに合わせて、助手席へと乗り込んだ。
 交通量の少ない道路をゆっくりと車が走り出す。
「柳さんから六課の皆でご飯を食べて帰ると連絡があってね。終電の時間を過ぎてしまうかもしれないから迎えに来て欲しいと頼まれたんだ」
「なんとなく副課長の差し金だとは思ってたけどやっぱりか……
「柳さんだけじゃないよ。僕とリンと君でクリスマスパーティーをするつもりでいたのを蒼角に話した記憶は?」
……ある」
「気にしていたよ。急遽パーティーに行けなくなった君のことを怒らないでくれって」
「蒼角ちゃんは優しいからなぁ……
「雅さんからも、明日は代休扱いになるから改めて家族でゆっくり過ごして欲しいとさっきメッセージをもらったばかりだ」
「課長まで……
 おそらくアキラの口から悠真へと伝えられることもすべて見通した上で根回しをされていたらしい。ため息をつくのに失敗して、悠真は薄桃色の唇をきゅっと引き結ぶ。
 クリスマスに一緒に過ごす家族なんて、もうずいぶんと長い間いなかった。師匠がいた頃、この日だけは特別だと言って誕生日でもなんでもないのに苺の乗ったショートケーキを持ってきてくれたのが悠真にとってのクリスマスの記憶だ。世間一般で知られているクリスマスパーティーも、プレゼントを用意して贈り合う習慣も、すべては絵本の中の出来事とひとしく悠真にとっては遠い存在で、好きなひとと一緒に過ごすなんて夢のまた夢だった。だから二週間前にアキラとリンからクリスマスパーティーへの招待を受けたとき――ひどい話をすると、叶ったらいいな、くらいにしか思えなかった。
 楽しみにしていなかった訳ではない。実際蒼角の前で話してしまったくらいには浮かれていたし、アキラとリンそれぞれに渡すクリスマスプレゼントだって用意していた。それは今も悠真の家に、手紙と一緒に置いてある。かわいらしいクリスマスカードではなく、万が一があったときのための質素な白い手紙と、だ。
 明日、明後日、明明後日。そう簡単に死んでやるつもりはないけれど、いつそのときが訪れたっておかしくない。そういう世界であるとわかっているから、大切なひとが出来て、一緒にやりたいことが見つかっても、万一に備えて慎重にならざるを得ない自分がいる。傷付ける覚悟は出来ているけれど、自分がつけた傷が致命傷になって、残された相手の人生を大きく変えてしまうことは本意ではないのだ。だからどんなに相手のことが大切で、踏み込むことを許していても――許しているからこそ、どこかで一線を引いて世界を見つめていないといけない。それを、どこかやましいことをしているように思うのを、ひとは罪悪感と呼ぶのだろう。
 悠真は車窓へと視線を移す。華やかなルミナスクエアのネオンの光はいつの間にかなくなって、すっかり馴染み深くなった六分街の、ぽつぽつと並ぶ街灯と、寝静まった住宅の姿ばかりが映像のように流れていく。
「リンと話していたんだ。アフタークリスマスのほうが家族でのんびり過ごすのにちょうどいいかもしれないって」
 ふとアキラが口を開いた。
「クリスマス当日はどこも賑やかで、パーティーの準備の買い出しにいくにも一苦労だろう。君を見つけたファンに囲まれて身動きが取れなくなるかもしれない。僕とリンとしては、ファンに君と過ごす時間を奪われるのも本意じゃないからね」
 紡がれる言葉をひとつひとつ紐解き、その裏に隠されている真実を確かめて、悠真は目を伏せる。
……何それ。僕のプライベートはとっくにあんたたちのものなのに?」
 だから気を遣わなくていいし、好きにしていい。たとえ悠真が約束していたクリスマスパーティーに参加出来なかったとしても、それなら兄妹水入らずで予定通りにパーティーを開いていればよかった。きっとこのふたりのことだから今までは毎年ふたりでその日を楽しみにして、ささやかながらもパーティーを開いて過ごしてきたのだろう。それを今年、悠真という家族が増えたからって変える必要なんてなかったのに。
 車が緩やかに速度を落とし、夜更けの駐車場で停まる。シートベルトを外したアキラが、自由になった身体ごと悠真のほうを向いた。
「だからこそ、君と一緒に過ごせる時間を一分一秒だって無駄にしたくないんだ。リンもそのつもりで今日は早めに休んでいる。明日は自分が運転して僕たちを買い物に連れ回すんだと張り切っていたよ。だから明日、三人でケーキを買いに行こう。リンの買い物に付き合ったら家に帰って、コーヒーを入れて、ケーキを食べながら映画を見て過ごす、なんていうのはどうだい?」
 真っ直ぐと悠真を見つめて笑いかけるアキラの花緑青のひとみはもう、決定事項だと述べている。提案のかたちをした言葉を投げかけておきながら譲る気なんてない。悠真が引いている一線の存在だって知っていて、それを否定するでも、厭うでもなく、引かれた線ごと大切にしてくれている。
 ずるいなと思った。悠真は日中、アキラとリン、ふたりが過ごすクリスマスが楽しいものであればいいと、悠真を抜きにして開かれるクリスマスパーティーを楽しんでいればいいと、そんな他愛のない時間を守れたらいいと思って矢を番え、ホロウの中で戦っていたのに。そうやって戦いに身を投じることの出来る今に満足していたから、さびしくも、むなしくも、かなしくもなかったのに。
「ここまで連れてきておいて今更じゃない?」
 さびしがってあげられなかったことを、少しだけ惜しいと思う。けれど悠真は別に今日ちっとも悲しくなかった。残念だと思うより先に戦わなければならない理由があり、戦いの先には常と変わらぬ日々があった。それで十分で、欲張りになんてなれなかった。なりたくなかった。欲張りに、してほしくなかった。
 シートベルトを外してアキラを見つめる。暗い車内ではお互いの表情はそこまではっきりとは見えない。けれどわずかな光源により確かめることの出来る彼のひとみには、否定しようのない愛が滲んでいる。
 そろりと手を伸ばして、アキラの指先を掴む。ずっと暖房をきかせた車の中にいたその手はあたたかい。
……プレゼント」
「うん?」
「僕の家に置きっぱなしなんだ。だから明日、買い物の帰りに寄ってくれる? 渡すのなんていつでもいいかって思ったけど、明日どうしてもあんたとリンちゃんに渡したくなっちゃった」
 今年は手紙を破り捨てて無かったことにして、自分の手で渡したい。
 だって来年があるかはわからない。来年こそクリスマスの日にパーティーをしようなんて口が裂けても言えないし、約束も出来ないから。仮に来年のクリスマスが訪れたとして、悠真はまたクリスマスカードではなく白い手紙とプレゼントを用意し、戦場へ向かっているかもしれないから。
 そんなどうしようもない欲望を止めることが出来なくて、悠真はアキラの指を握る手に少しだけ力を込める。かすかな震えはきっと伝わってしまっているだろう。
「ああ、もちろん」
 頷いて、アキラは一度指先をほどき、悠真の手をしっかりと握り直す。
「僕たちもプレゼントを用意しているから、交換しよう」
……うん」
「そのためにも早く休もうか。あと、君の制服の洗濯もしないと」
「あはは、めっちゃにおうでしょ。僕も早く着替えたかったんだよねぇ」
「君がシャワーを浴びている間にやっておくよ」
「あんたってそうやってすぐ僕を甘やかしたがるよね……まあいいけど」
 他愛のない日常に戻るように、せめて明日という未来くらいは確かなものにするために、言葉を転がしていく。もう手は震えていない。お互いの体温に染まっている。
「ああ、そうだ」
 車から降りるために手を離そうとしたところで、アキラがふと思い出したように言う。
「おかえり、悠真」
 当たり前のように紡がれる言葉が胸の奥をくすぐってしかたない。
……ただいま、アキラくん」
 あと何回、と数えるのはやめた言葉を音にして、ようやく悠真は屈託のない笑顔を浮かべた。