朝晩の寒さが当たり前になり、冬の気配も深まってきた頃、アキラはリンと共に適当観で奔走していた。この時期になると何かと忙しくなるようで、来客は絶えず、儀玄の占いも列を作っている。普段なら適当なところで切り上げる儀玄は、珍しく客が途切れるまで対応をしていた。
「一年の憂いを絶ち、新しい年を迎えたいという気持ちは分からんでもない」
何故こんなにも人が来るのかと問うと、儀玄は当然とばかりにそう答えた。お陰様で道観は大盛況、兄弟子姉弟子たちも同じように対応に追われ、ひっきりなしに誰かとすれ違う。まさに師走、という言葉が相応しいなどと思いながら、アキラもまた彼らの手伝いを続けていた。
十二月の中旬も過ぎた頃になり、ようやく落ち着いて他のことに目が向けられるようになったところで、スマホに連絡が入った。通知を見ると、しばらく電話すらまともにしていない悠真からだった。
「……あっ」
あることに思い至り、慌ててその連絡内容を見る。そこに表示された短い一文に、アキラはしまったと額を押さえた。
『クリスマスどうする?』
その話をしたのは澄輝坪に来る少し前。アキラの部屋のソファに並んで座り、一階で選んだビデオを見るともなしに流していた時だ。
会話の途中でさりげなく、またしばらくビデオ屋を留守にすることを告げると、悠真は複雑そうな顔でぽつりと呟いた。
「またしばらく会えなくなるんだ」
お互いに忙しい身分である。悠真は元より残業過多と名高いH.A.N.D.の、対ホロウ特別行動部所属。アキラは自由業ではあるが、裏稼業は不規則で、長期間出払って戻って来ないこともある。悠真もそれは承知しているようだが、それでもあまり恋人としての時間が取れないことは不服らしい。
「それはもちろん、僕だって寂しいけれど」
「あ、別にあんたを困らせるつもりはないよ。あんたが好きなようにしてくれた方が、僕だって嬉しいからさ」
「なるほど……で、本音は?」
「寂しいよ! アキラくんの顔を見ると疲れも吹っ飛ぶのに、僕はこれから何を心の支えにして仕事すればいいわけ!?」
「うーん……市民ではなく僕をモチベーションにするのはよろしくないな、執行官殿」
「誘導尋問に素直に乗ったら怒られたー……」
ますます不貞腐れる悠真を横目に、アキラはカレンダーを見る。儀玄には、中旬くらいまでは適当観の手伝いを頼まれている。プロキシ業もあるためどうしたものかとすぐに返事をしなかったら、『お前さん、うちの正式な弟子になっただろう。師からの要請に応えられないということか?』と低い声で言い募られた。その依頼、いや命令に無理ですと言えるほど、師匠も適当観も蔑ろにする気持ちは湧かなかった。
「ごめん、悠真。断ることもできる……とは思うけれど」
肩を竦めて相手の様子を窺う。悠真はすぐに立ち直って、今までの不機嫌をぽいっとどこかに捨てたかのような朗らかな笑みを浮かべた。
「いいよ。ちょっとあんたを困らせたかっただけ」
「満足したかい?」
「そこそこ? ……あ、でもそうだなぁ……ね、アキラくん」
悠真の視線がゆらりと揺れて、アキラの見ているカレンダーに辿り着くと、彼は目元を緩める。
「約束しようよ。クリスマスの」
悠真の指が、カレンダー上の24の数字を指す。その日がクリスマス・イブだということは、アキラにだってわかっている。
「クリスマスの夜を一緒に過ごす約束」
「いいね。分かった、その日は絶対に空けておこう」
「僕も絶対、仕事終わらせてあんたのところに行くよ」
そっと手を重ねられ、ゆっくりと握り締められる。自然と距離は縮まって、映画の音声がただのBGMになる。恋人同士のささやかな触れ合いを楽しみながら、アキラは頭の中で今後の綿密なスケジュールを練っていた。
そして今、そのシミュレーションを思い返して。一つだけ失念していた課題を思い出した。十二月二十二日。まだ、間に合う。
人波をかき分け、修行者以外立ち入り禁止の居住スペースへ戻る。自室で茶を飲んで休憩をしている儀玄を見つけると、アキラは「師匠」と声をかけた。閉じられた目がすぅ、と開かれ、双眸がアキラを捉える。
「どうかしたか?」
「その……折り入って、頼みがあるんだ」
真剣な眼差しを向ける。アキラの雰囲気に僅かに面食らった表情を見せた儀玄は、すぐに口元に笑みを浮かべて茶碗を机の上に置いた。
「ちょうど良かった、私もアキラに頼みたいことがあってな」
「え? 師匠が、僕に?」
「うむ。そしてこれは、お前さんたちが適任だと確信もしている」
たち、ということはリンも含めてということだ。となるとホロウやプロキシに関することだろうかと聞く姿勢を作ると、彼女は小さな引き出しを開け、そこから手紙を取り出した。
「メイフラワーが主催のクリスマスパーティーを行うそうだ。お前さんたちには私の名代として、その催しに参加してほしい」
差し出された招待状と思われる手紙をじっと見つめてから、アキラは苦笑いを浮かべた。
「……えっと、どうして僕たちが適任だと?」
交友関係が広いとはいえ、上級階級のパーティーに参加するような立場ではない。庶民の感覚しか持っていない自分たちには、そんな雲の上のような場所は明らかに場違いだろう。しかし儀玄は
「メイフラワーのお気に入りだからだ。元々誰かを代わりに向かわせるつもりだったが、お前さんたちならあちらも文句は言うまい。奴のことだ、お前さんたちが来るなら護衛も付けるだろうからな。何の心配もない」
「僕たちの心労は無視かな、師匠」
「そう気負うな。珍しい食事を食べられる機会だとでも思えばいいさ。それで、アキラ。お前さんの頼みとやらを聞こうか」
そうだった、と眉をしかめる。これは言うなれば交換条件だ。先に依頼を出したのは自分だったのだから。ぐぬぬ、としばらく無言で口を引き結んでから、アキラは観念して盛大な溜め息を吐き出した。
「それで、師匠。そのパーティーとやらはいつなんだい?」
「十二月二十四日。明後日だな」
奇しくもそれは、悠真と約束をした当日だ。一瞬ダブルブッキングしてしまうのではと焦ったが、パーティー自体は夕方には終わるらしい。安心して、アキラは気合を入れるように頷いた。
「よし、師匠。じゃあ僕のお願いなんだけど……」
パーティーで特にはしゃいでいたのはリンだった。市長なりの周囲への気遣いか、会場はそこまで華美ではなく飾りつけも質素なものだったが、出てくる料理はどれも逸品。バイキング式のそれらを全て踏破するのだと、リンは勢いこんで料理の積まれた一角へ突撃していった。
アキラは着慣れないスリーピースのスーツにひたすら萎縮していた。色は髪の色に合わせたのか、グレーだ。リンも同様に紺色のドレスを身に纏っている。姿だけ見れば、どこぞの貴族令嬢・令息のように見えるだろう。アキラからすると服に着られているような感覚が拭えず、落ち着かない。
アキラが澄輝坪から六分街に戻ると、ほどなくして店に現れたのはライカンだった。その手に抱えた箱を開けてみると、まるで本当に仕立てたかのようにサイズがぴったりのドレスとスーツが入っていた。中に一緒に入っていた市長からの手紙には「楽しんでくれると嬉しい」という趣旨の言葉がつづられていた。
「僭越ながら、サイズは我々の方で見立てました」
ライカンに咳払いをしつつそう言われてしまえば、その手腕を疑うこともできずに礼を言うしかなく。新しい服に喜ぶリンを見ながら、こっそりスーツの着方を教わって、どうにかそれに合わせて髪型も整えてもらって、迎えたパーティー当日である。
ライカンは会場の警備が主な仕事らしく、ここまで送り届けてくれた後は会ってもいない。壁の方で所在なく、渡されたワインをちびちび飲んでいると、その隣に誰かが滑り込んできた。
「お疲れー。あ、違った。メリクリー」
メイド服を着たサメのシリオン、ヴィクトリア家政のエレンは、緊張感のない声でアキラの顔を見ることもせずにそう呟く。
「エレンも来ていたんだね。ライカンさんと同じように、警備かな」
「あたしは警護。ここに、超有名な伝説のプロキシってのがいるらしくって」
どうやら市長は、アキラたちのことに細部まで気を払ってくれているらしい。それはすごいね、と他人事として流して前を向くと、また別の見知った顔が見えて思わず壁から背中を離した。
「柳さん?」
「あら。店長さんもこちらに?」
カツカツと普段よりも高いヒールを鳴らし、カチッとしたスーツを身に纏う柳は、アキラの前に来ると隣にいるエレンに軽く会釈をした。仏頂面で目を逸らすエレンに、アキラは優しく話しかける。
「エレン。あっちの僕の妹を、ちょっと見ていてくれないかい? ドレスに慣れていないみたいで、危なっかしいから」
「おっけー。じゃ、ごゆっくりー」
ひらりと手を振って、誤解させるような言葉を吐いてからエレンは軽い足取りでバイキングコーナーに足を向けた。その背中を見送ると、柳は今までエレンが居た場所を陣取って、ふうと息を吐いた。
「知った顔がいて安心しました。私は少し、ここでは場違いですので」
「柳さんは今日は一人なのかい?」
「ええ。他のメンバーは、H.A.N.D.のお偉方のパーティーに出向いています。何でも星見家にも関わりの深い人物らしく、課長も断り切れなかったようですね」
「ということは、悠真も?」
「気になりますか?」
質問に質問で返し、意地悪に目を細めて笑う柳に、アキラの期待が漏れていたのだと気付いて目を逸らす。確かに、ここに悠真が居ればいいのに、とは思った。だが同時に、今でなくてよかったとも思った。約束をしたのは夜なのだから、フライングで会うのはズルをしたような気持ちになってしまう。
「ふふ、サンタさんが来るのは夜ですからね」
「……時々、柳さんの洞察力が怖くなるよ」
エスパーではないかと思うほど的確にこちらの心情を察している柳に苦笑する。
「あちらのパーティーも遅くはならないと思いますよ。ご安心ください。それとアキラさん、そのスーツ、とてもよくお似合いです」
「……馬子にも衣裳、ではないかと思っていたから、柳さんにそう言われると少し自信が持てそうだ」
場違いな賑わいはまだやまないが、こうして知り合いが隣にいると地に足を着けて立てている気がする。自分も何か食べよう、と動かした足はもう固まっておらず、軽い足取りでリンの元に辿り着いた。
ポート・エルピスでタクシーを降りると、アキラはそこで思い切り息を吸い込んだ。冷たい空気が肺にすっと入り込んで、また白い息となって空中に吐き出される。
予想よりは楽しめたパーティーであったが、やはり肩が凝る。満腹のリンは満足そうだったが、アキラは見知らぬ誰かの対応を適当にこなすだけで一苦労だった。相手が執拗に迫ってくる前にヴィクトリア家政の誰かが助けに入ってくれたため、どれも大事には至っていない。間違いなく彼らはプロキシの護衛として会場に居たのだということは、十分に思い知らされたものだった。
待ち合わせ場所の港は、こんな夜でもやはり静かだ。波の音が響く中、灯台の前まで小走りで向かう。柳から向こうのパーティーは先に終わったようだと聞いていたので、きっと居る。その確信は目の前で現実となって、街灯の下で輪郭を露わにした。
「待たせたかい」
声を掛けると、ぼんやりと手すりにもたれて海を見つめていた相手は弾かれたようにこちらを見た。潮風を物ともしない厚手のコート、湯気の立つコーヒーのカップ。万全の寒さ対策をした相手の目は驚きに見開かれ、それからゆっくりと細められる。
「アキラくん」
心底嬉しそうに名前を呼ばれて、ぐっと込み上げてきたものを抑え込む。悠真の隣に辿り着き、ちらりと隣を見る。
「やっぱり、君もスーツだったか」
「月城さんに聞いた? 僕もびっくりした、あんたが市長主催のパーティーに来てたって聞いてさ。スーツ似合うね、アキラくん」
「スーツに着られてるっていう、嫌味ではなく?」
「純粋な気持ちだって。正直似合い過ぎて……あーあ、僕もそっちのパーティーの方が良かったなぁ」
「そっちの方はもっと堅苦しかったのかい?」
「かっこいいあんたの隣に立ちたかったってことだよ、鈍いなぁ……あ、そうだ」
呟いて、悠真はアキラに向き直る。コートの隙間から落ち着いたベージュ色のスーツがはっきりと見えて、普段とは違う装いにどきりと胸を鳴らしたところで、悠真の口が動いた。
「メリークリスマス。アキラくん」
「ああ、メリークリスマス。いい夜だね、悠真」
お互いに挨拶を交わしてから、あははっと笑い合う。
「なんか変なの。クリスマスイブの夜に、お互いに正装して会うなんて。いっそこのまま、お高いレストランでも行く?」
「こういう日はどこも予約でいっぱいだろう。それにもうしばらくは、高い料理はいいかな……舌が贅沢に慣れてしまうから」
「あちゃー、洗礼を受けて来ちゃったんだね……でも、そうは言っても庶民的な味の方が美味しいってこともあるから。僕もああいうパーティーはしばらくごめんだね」
「肩が凝る?」
「それそれ」
はは、と乾いた笑いを漏らして悠真はまた海を見た。アキラは、無言で空を見上げる。六分街やルミナスクエアと比べると、ここは星が良く見える。寒くて空気も澄んでいるからか、輝く星々が満遍なく視界に映り込む。
ごそりとジャケットのポケットを探る。ポケットの中で少し皺を付けてしまった小さな紙袋を取り出して、アキラは悠真に差し出した。
「悠真、これ」
「ん?」
「君にあげようと思って」
小さな包みを手に取った悠真は、興味津々の顔を隠さずに中に指を差し込んだ。中にあるものを指でつまんで、冷たい空気にさらす。
青、黄色、赤、それから白。天然石を細かく編み込まれた飾り紐で連ね、ストラップにしたものだ。
「その、クリスマスプレゼント、というか」
「……もしかして、アキラくんの手作り?」
「良くわかったね。そうだよ。師匠に色々と教わって、その紐に祈りを込めてある」
お守りだよ、と小さく付け加えて、アキラは少しだけ恥ずかしくなって海の方を向く。
「石には確か、無病息災とか、運気向上とか、そういう意味合いがあったはずなんだけど、細かいところは忘れてしまったな。とにかく、お守りなんだ。そのつもりで作ったから」
説明をしている間、悠真からは相槌ひとつも返ってこなかった。じっとストラップを見つめて、目を離そうとしない。
「悠真?」
「……ありがとう、アキラくん。大事にする」
ようやく聞こえた声は少し掠れていた。そうっと大事そうにプレゼントを握ると、紙袋に戻して自分のコートのポケットに滑り込ませた。顔を上げた悠真は至極申し訳なさそうに眉を八の字に下げていた。
「でも僕、何も用意してなくて。ずっと忙しくてさあ、お店に行く余裕もなかったんだよね」
「別に構わないよ。代わりに何かが欲しくて作ったわけじゃないから」
「だからそれじゃあ僕の気が……あっ、そうだ。じゃあ今日は、僕がご飯を作るよ」
「君が?」
「いつもあんたに作ってもらってばっかりだもん。たまには僕も作りたい」
そういえば、ビデオ屋でも悠真の家でも、作るのは自分の方が多い。ビデオ屋ではもてなさなければという意識が強く、悠真の家ではあまりにキッチンが綺麗で、使わないと勿体ないと思ってしまうのだ。
「君は料理も天才なのかな」
「いつも簡単なのしか作ったことないなあ。グラタンとか、試してみようか?」
「それは楽しみだ。じゃあ、僕にとってはこれからの時間が君からのプレゼントってことだね」
「そうそう、夜は長いからさ。エスコートさせてよ、アキラくん」
差し出された手に、ふは、と息を一つ零して。その手のひらの上に、自分のそれを重ねる。
「じゃあまずは、君の家までお願いしようかな」
「喜んで」
握り返されて、その温もりにアキラはふっと目尻を緩める。寒いはずなのに、彼と話してこうして触れているだけで、その寒さを感じなくなる。どくどくと心臓に血が通い、心が満たされる。
クリスマス、はただの口実だ。悠真と一緒に居られれば、それでいい。
手を引かれ、彼の家への道のりを進みながら、そんな些細な幸せを噛み締めていた。
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