ショート・トリップは遅すぎた/種曲
竜次は、スマホの表示する日時を目でなぞりながら、刻一刻またたく間に変わるでもないそれを、幾度も見ては中空に吐息静か吐く。たとえばそれは、修二のまつげを思わせた。くるくるまたたくくせ、その長さを変えてみせるくせ。実際にそれが変わることはないのだと、不意に突き付けてくるようなときがある。あるときは目まぐるしくまたたくくせに、ころりと転じてほしいときに限り、みじんの動きもみせないぶる。だのにそこにうごきを見れば、なによりうれしいように、ふわりわらうのだ。合宿を終えれば、他校の、ましてや遠く県外に住む修二とでは、当然直接会う機会が減る。そんななか。修二から次の三連休にと誘われたのは、長野県で行なわれるラジオの公開録音だった。何でもそれは、紙パック飲料をつくる地元企業の開催する恒例イベントで、バンドのライブを含むのだそうだ。訳知り風に説明されたが、竜次は、修二もそれに行ったことはないのだろうとなんとなく理解していた。長野県。特段、思い入れがあると修二から聞いた地でもない。そのバンド名も、特段、好きと聞いたでもない。そして実際、それらは実は好きだったということでもないのだろう。どこでも、よかったのだ。だれのライブでも、よかったのだ。それは、竜次とならどこでもいいとかなんでもいいとか、そういった類いの直截的うわごとでは決してないのだろう。けれど。竜次は、察していた。それが、きっと、逃避行のまねごとなのだろうと。修二が明瞭そうと言うでもなしに誘ってきた逃避行ごっこのゆきさきは、短距離旅行だったのだ。
大して長いでもない日めくりを悠久にさえ感じさせるやつに、調子を狂わされっぱなしの竜次は、知らず自らの髪をわしゃりとちいさくも決定的ななにかでかき混ぜる。まぜればまぜるほど、それは、なにかを一体とさせるみたいでムカついた。渾然たるなにかが、ジュースのようになっている。自然そんなことを思ったとき、修二が選んだ逃避行ごっこのゆきさきが紙パックジュースメーカーの主催するイベントであることに、意味を決定づけそうになるのも少し腹が立つが、いやな気分ではなかったので良い意味でまたムカつく。修二には、そういうところがある。修二に言わせてみれば、竜次にもそういうところがあるらしい。そんな、ひとたらしと惚れ合った時点で互い勝ち負けももう在りはしないのだ。
かくして、イベント当日となった。事前に決めたやりとり通り、電車で、最寄りと言っても会場からは遠い駅で集合する。そこからはタクシーを利用した。道中、修二は多くを語るでもなく、窓の外を見て、「おっ、あれ、ウマそうやなぁ」とか、「へぇ。きれいな植え込みが並んどるなぁ」だとか、「犬や、犬。なんてやつやろな。イヌ太郎にしとくか☆ イヌ太郎~散歩頑張りやー」などと、感想を時折述べるのだった。竜次は最初、運転席後方である修二側の窓を見て、既に通り過ぎたであろうその関心のさきを追うよう後部ガラスを見やり、「いや、どれだし」と返す。二回目は、「まあ、そーだな」と、幸い通り沿いに並ぶその植え込みを目視できた。そこからあとは、竜次は、修二がなにを言ってもいいように、ずっと、修二越しにその窓をみていた。
「お前、通りすがりに見たどうぶつに名前勝手につけるクセまだあんのな」
竜次が律儀にツッコミ交じりに指摘すれば、修二は、くすぐられているようにふわふわ笑んだまま、その感情を明瞭、うれしさと隠さない。
「ははっ、お前の知っとる修二となぁんも変わっとらんて。安心してええで」
だのにこちらを向くでもない修二のよこがお、その後頭部を、竜次はちいさくコツンとこぶしで小突いた。
「
…ばぁーか。べつに、そんなんしねぇし」
ぷい、と、竜次はそっぽを刹那向くも、またぼんやり、修二の横顔越しに窓ガラスを見る。このショート・トリップの間くらいは、ちがうほうを、極力向きたくなかったのだ。ばかげてる。修二の横顔に、自然光が、よく合う。目をすこし細めるタイミングがふたりぴたり合うだけで、胸がじわりと、なまぬくといくすぐったさをしみ出させる。それがまた、目をほそめさせた。
生来の几帳面さゆえなのか、竜次はこれもやはり律儀に、ことばを重ねた。
「てゆーかよ、ふつうこういうときは、犬種がなにかっつー話になるんじゃねぇの?」
修二が犬種の話題にしなかった理由を、竜次はなんとなく感じ取っていたのに、だのに、それを確認じみさせた。犬種に互い詳しくないだとか、そういった理由でないことは、このおとこの場合明瞭で。だのに、それを確認求めたのだ。ああ、馬鹿げた誓いを求めるじみた、ばかげた、気恥ずかしさだ。わかっていても、してしまう。そんな気分に、この逃避行ごっこはさせたのだ。修二も、恐らく竜次の真意を、理解している。だから、修二も、そして竜次も。本音を、率直にくちにした。ああ、それを紙パックに詰めたとて、公開録音の主催企業がそうすると修二からきくようイベント会場で配るでもなしに、店頭で売るでもなしに、ただふたり、気ままに飲み干してはまた気まま、詰めるだけだろうに。
「犬種なぁ~
……犬種って、要するに所属とか、“くくり”とかやろ?」
「まあ
…そうだけどよ」
どきり、と、射止められたような心臓が、やはり、このひょうひょうぶるおとこの真骨頂をとうに知っていたのだろう。
「どこのなにか~よりも、誰なんかとか、まあ要するに名前のが、よ~っぽど、大事やろ」
ああ! だからこのおとこは個としての大曲竜次を、竜次だけを求めて、だから竜次は、個としての種ヶ島修二を、修二だけをもとめるようになってしまって。別段、ほかのだれかを同時に愛することをとめられているでもない。『それが竜次らしさなんやから俺は構へんで』、と、言われてる。だが。“恋愛においても二刀流”。それが少なくとも目下は、恋愛とテニス、という二刀流のかたちにその居どころをおちつけているのを、このおとこは、どう思っているだろう。
「
…っ
…… …まあ、犬種よりも名前のがよっぽど大事っつーのは、そりゃそーだけどよ。車から見てたら、名札が見えたでもなけりゃ、名前の想像だの大喜利だのしてもしょーもねぇし。そんなんしてるやつ、お前しか見たことねぇし」
「
…ははっ、さよか。ま、俺だけ知ってればええやろ☆」
「
……お前みてぇなヤツ、何人もは御免だし」
「せやろ?」
すこしのはぐらかしじみたそれに、けれど修二は、うれしそうなふわつきを増すだけだった。ちらつかされる、独占欲が縛りつけてくるでもないくせ絶対じみる。それを束縛とは思わないくせ、竜次は、その専売をゆるしてしまう。修二だけに、修二だけのことばをゆるしてしまう。それを、ああ、わるくないと思ってしまうのだ。
そんなふうに他愛なさぶって脊髄に直にふれるようなあまいしびれを、空気間で伝達させて道中を過ごす。肌が、かおがことばが、全身が、シナプスじみる。そんな時間が、そわりと不思議なくすぐったさに現実味をふわつかせる。修二越しの窓は絵になる景色だ。それがどこか、遠い異国さえ思わせる。あるいは月面に降り立ったろうか? 窓越しに、いつぞやコマーシャルででも見たような大きい奇石と岩山とからなる世界さえ錯覚する。竜次からみれば大して地元とちがうでもない、言ってしまえば日本の地方にはありふれているような景色だろうに。修二の存在が、なにかそれを、それだけを、月面じみさせたのだ。修二の存在が、そしてそこに在るだろう胸中がなにか、たとえば重力さえ、変えてみせるのだ。ああ、今ならきっと、どんなどろくさいテニスボールでさえ神秘的にひかり満ちている。ああ、今ならきっと、はなから大して不格好でもなかったダブルスを、宿命づけさえ理解させるのだろう。そしてそれは、とうに、ああ、とうにきっと知っていたことだったのだ。腑に落ちる感覚、というのは、今までにも幾度も、段階的にあった。少しずつ階段を、のぼっているやら下りているやら。段階的なその理解を、なにかそれを決定づける念押しを改めてされたとでも、言うか。ああ、踏み外すこともなく、手を引かれるでもなく。その手を修二は、竜次から掴まれるためというでもなしにふわりと揺らしている。だのにその手を竜次は、ああ、ああ、掴んだのだ。駈ける。駈ける、どこまでともなく駈ける。そしてきっと。いつまでともなく、駈けてゆくのだろう。どちらが手を引いているか、きっとある時は負けじと競い合い、あるときは甘んじて譲り、あるいは譲り合い押し付け合いそしてまた奪い合い。振り払いかただけを、互いもうしらなかった。
タクシーの運転手が、ラジオの公開収録のためのイベント会場へと着いたことを告げてきた。そこで引き戻される妙な現実感が、そのリアリティが、このふわつく浮遊を現実世界へと穿つ杭のようで、やはりくすぐったい。まるで現実ではないようなくせ、たがいなくこれが現実のできごとなのだと、竜次の胸にさえ穿つそれは深刻なくせやけに軽い矢のようで、その射手たる天使の見慣れたつばさをもぎたくなる。片側奪ったそれを自らにつければ、肩を組んで飛べるろうか? 互いに持つはずのつばさを、奪い合い持ち合えるだろうか。ことテニスにおいては、いかにダブルスパートナーと言えども、結局のところ翼はめいめいで有するものだ。その上で、比翼であるというだけのこと。だが、ことを恋愛においてみれば。翼など、奪い合おうが交わし合おうが、子細など結局どうでもよくて、最終的にそれがあろうとなかろうとさえ、結局のところどうでもよくて。そんな時間さえたのしめるという意味で、それはきっと、究極的には、人生に穿たれた幾つもの杭を眺めることに在るのだろう。
イベントの会場は、存外と言っては失礼だろうが、大がかりな祭り模様だった。ラジオの公開録音を行なうホールだけでなく、その周辺をやや広く使っているようだ。そこでは、主催企業製の紙パックジュースが配布されていたり、地元企業の配布物がいろいろとあったり、いくつもの出店もあった。それらを、竜次は修二とともに、以前ふたり幾度か行った神社などの大小の祭りや京都の大祭ともまたちがう印象で、ふつうにたのしく、満喫する。ごっこにせよ、逃避行先にしては人手がなかなかに多いのは、きっと地元民が楽しみにしているのもあるのだろうし、きっと公開収録でライブをするバンドのファンもあちこちから来ているのだろう。じきに始まったバンドのライブも、ふつうに、たのしかった。
「あ~、心地ええサウンドやったなぁ」
「そーだな。結構、楽しかったし」
「ま、竜次の心臓のが俺は、心地ええけど」
「は?」
本気で言っているのなら、そのおとをとめなど、しなければいいくせに。本気で言われているがわかるなら、そのおとをとめなど、しなければいいくせに。だのにつかの間、刹那、なにより短く永劫超えるながい時間。周囲のすべてのおととともに、ふたりのすべての音が、一瞬、止まった。ああ、逃避行ごっこの真のゆきさきは、このいのちとまったあとの、天界でさえあったろうか? 束縛しないくせ、だからこそその自然体の空気感で、束縛しないということで、竜次を、竜次のこころを、すべてを、縛り付けるでもなく縫い止めるこのずるいおとこが、ああ、くそっ、どうしようもなく好きで、どうしようもなくいとおしくて、そのあたまをわしりと、掴んでまるで縫い止め返したくなる。否、きっとこの手に、そのたわごとじみたことばを吐く根源を、縫い止めてしまいたく、なるのだろう。
ああ、逃避行のゆきさきはきっと、とうにじゅうぶんすぎたし、きっともう、手遅れだったのだ。
「
……っ、
………
………おまえの、そういうところ
……きらいじゃねぇ自分を、俺は、
…たぶん、一生、嫌えねーし」
「
…はは、さよか。なら俺は、竜次が、そんな竜次の次に俺のこと、きらえなければ別にええで」
ふわりと笑む空気が、伝達するシグナルはびりりとあまく、ひどくしびれるなにかだ。だからこそ絶対的になにかを、決定づけるのをとうに、ああ、とうに知っていたのだ。
逃避行ごっこはきっと、とうに遅すぎたのだろう。
終
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