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吾妻
2025-12-24 15:47:29
5738文字
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アークナイツ
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それでも手を伸ばす
テキ博♀ 彼氏の服を貸してもらって寝る話。後半しっとりしてしまった
シャワーを止めると、豪雨じみた水音が遠のき、浴室には静寂が訪れた。
ドクターはしばらくの間、壁に片手を突いたまま、排水溝に水が流れていく音を聞いていた。
日付の感覚がない。
それどころか、今が昼か夜かすら判然としない。
全てが一枚の膜を隔てたかのように遠く、思考がうまくまとまらない。
水滴が髪を伝い落ち、顔に、肩に、背中に流れてゆく。水を纏った素肌がひんやりと冷えてきてようやく、ドクターは緩慢な動きで濡れた髪を掻き上げ、浴室の扉に手をかけた。
頭は全く回らないのに、体の芯がずっと熱を持っている。これまで幾度となく味わった、思考と感覚の分断。原因は間違いなく睡眠不足だ。
(いいアイデアが浮かびそうだったんだけどな
……
)
シャワーの最中にふわっと浮かんだ名案は、いつしかどこかに飛んでいってしまった。もはや何について考えていたのかすら思い出せない。
残念だ、絶対に天才的なアイデアだったのに。逃した閃きを惜しみつつ、ドクターはバスタオルに手を伸ばした。
こういった状態で思いつく〝名案〟が本当に優れているのは稀だ。大体はどうしようもなく破綻しているものだが、そんなセオリーすら頭の片隅に追いやってしまっている。
つまり今、ドクターはとてつもなく眠いのであった。
ここ数日は食事も仮眠も執務室で済ませていたから、自室に戻るのは久しぶりだ。
ようやく仕事に一区切りがついたところで、『今日だけはせめてベッドで寝てください』とアーミヤに執務室を追い出されたのだった。
(変に目が冴えてるけど、ちゃんと眠れるかな
……
)
まずは髪を、その次に肩から腕を、それから体を。
順繰りに拭いて、着替えについて考えたところで。
「
………………
ん?」
自分が重大な失態を犯していたことに気がついた。
*
「ドクター、戻ってる?」
扉の向こう側から「入って」とお許しがあったので、テキーラは慣れた手つきでドアのロックを解除した。
先程顔を合わせたアーミヤは、ドクターが無事に自室へ戻れたか心配していたが、数日間無茶な働き方をしていた割にははっきりとした返答だった。ここのところテキーラも本艦を空けていたので顔を合わせるのは数日ぶりだが、案じていたほど疲弊していたわけではないのかもしれない。
横滑りに開いた扉の向こうから、照明の光が漏れてくる。
ベッドの傍らに佇む人影を見留めて、テキーラの尻尾は正直にふわりと揺れた。
「ドクター、お疲れさま。仕事は一段落した
――
の
……
?」
自分でも驚くくらいご機嫌な声で呼び掛け、室内に一歩踏み込んだところで、テキーラはある異変に気づいて言葉を切った。
とんでもないものが視界に飛び込んできたからだ。
「
……
エルネストか」
ドクターが来客に顔を向ける。
呂律もしっかり回っているし、なんら平常時と変わらないように見える。
――
羽織ったコートの内に何も着ていないことを除けば。
「
…………
え、えーと、ドクター?」
動揺を隠しきれず、テキーラは声を震わせる。背後に誰もいないのを確かめてから、大急ぎで扉を閉めた。
既に夜中で良かった。ここは宿舎エリアの外れではあるが、日中の人通りが皆無というわけでもない。ドクターのこんな姿を他人に見せてなるものか。
「どうしたの? その、格好
……
? 服は
……
?」
「今さっきまで、シャワーを浴びていて
……
」
取り乱す恋人を睡眠不足特有の据わった目で見つめ、ドクターがゆっくりと口を開いた。
「
……
うん」
余計な口を挟まず、テキーラは律儀に相槌を打つ。室内に漂う湿気と香りとで、彼女が最前まで浴室にいたのは察しがついていた。
シャワーを浴びるには服を脱ぐ必要がある。そこまではいい。問題は、なぜ脱いだままになっているのかということで。
「部屋に戻ったあたりでランドリーサービスのロボットが来て
……
」
「
……
うん?」
突然話が思わぬ方向に飛んでいった。ランドリーサービス? 福利厚生の一貫であるクリーニング代行がどうしたって?
本艦内にはランドリールームがあり、本艦常駐者は基本的にそこを利用するのだが、中には職務に忙殺されて自分で出向く余裕がない人々もいる。
ドクターなどその最たるもので、日常的にランドリーサービスを利用しているのだが。
「そのへんのものを全部持っていってと頼んでから浴室に入ったら
……
」
「まさか
……
」
時折テキーラは、自身の勘の良さを恨めしく思うことがある。たとえば、今、このときのように。
大体の察しはついてしまった。できるなら、この予測が外れていてほしいと願いながら、テキーラはドクターの言葉を待ち
――
「今日着ていたものも含めて全部持っていかれてしまって、着るものがなくなってしまったんだ」
「
…………
そう」
残念ながら、己の直感が正しかったことを知ったのだった。
「だから今、ちょっと困っていて
……
」
ちょっと? その言葉自体にも引っかかりを覚えるが、ドクターがさほど慌てていないのも気にかかる。元々そこまで取り乱すタイプではないものの、落ち着きすぎているというか、夢現というか
……
。
(もしかして、もう相当眠いのかも
……
)
問い掛けには反応してくれるものの、肝心の言動がいまいち危なっかしい。もしここで自分が訪ねてこなかったらどうするつもりだったのか。コート一枚を羽織っただけの状態で寝落ちしていた可能性もある。
「と、とにかく、ひとまず前を閉めて。体が冷えちゃうから」
「
……
防護服だけは残っていて助かった」
「そうかな
……
」
テキーラはドクターに歩み寄り、普段は開けっ放しのコートのファスナーを首元まで引き上げた。だが、これだけでは不十分だ。入浴後の体をこれ以上冷やしたら風邪をひいてしまう。
しかしドクターは尚も慌てる様子もなく、それどころかふらふらと頭を揺らした。思わず顔を覗き込めば、半分以上瞼が閉じかかっている。
「眠くなっちゃった?」
倒れられては困るので、さりげなく誘導してベッドに座らせてやる。ドクターは「ん」と小さく頷き、
「君の顔を見たら、急に
……
」
もごもごと、不明瞭な声で呟いた。
……
それって、俺の顔を見たら安心して、緊張が解けたってこと? 都合のいい解釈が頭をよぎり、テキーラは不覚にもときめいた。どう考えても可愛い。思わず抱き締めてしまうところだった。
しかし、目先の欲望に負けるわけにはいかない。やはり何か服を着せなくては。
「ちょっと待っててもらえる? 今、着るもの取ってくるから」
「ランドリーサービスの仕上がりは最短で明日の午前8時
……
」
「うん、大丈夫、ランドリーサービスに取りに行くわけじゃないから。ダメだよ、まだ寝ないでね」
んー、と不明瞭な返事があったが、どこまで信用できるかわからない。一刻も早く、衣類を調達してくるに限る。
(一晩だけだし、俺の部屋着を貸せばいいかな。何も着ないよりはマシだろうし)
テキーラは、もう一度ドクターに「寝ちゃダメだよ」と念押ししてから部屋を出た。
己のこの選択が更なる誘惑のはじまりになるとは、この時のテキーラはまだ知る由もなかった。
*
「袖が
……
長いな
……
」
最早半分以上眠気に意識を持って行かれているドクターが、ぷらぷらと体の前で手首を揺らす。彼女の手は、テキーラが今しがた着せたスウェットの袖口にすっぽりと隠されていて、指先すら見えない。
「はは
……
ごめんね」
こんなにも〝萌え袖〟になるとは思っていなかった。よく彼女に貸す普段着のパーカーは、サイズこそ大きめではあるものの、袖自体はあまり長くはない。だから、自分の服が彼女の指先まで覆い隠してしまうのを、テキーラは初めて目の当たりにしたのだった。
(それに
……
)
ドクターが痩せているせいもあるのだが、想定以上にオーバーサイズで、ダボダボを通り越して胸元の隙間が心配になるほどだ。
まるでドクターが自分の服に埋もれているようなこの姿は、正直言って、とんでもなく
――
(
……
かわいい)
思わず真顔でまじまじと見つめてしまうくらいには。
職務上の上司に。自立した大人の女性に。〝かわいい〟などという感慨を抱くのは失礼なことかもしれない。
そもそもテキーラはこれまで、やれ彼シャツだの、メイド服だの、露骨なシチュエーションには然程ときめかないほうだった。むしろ、そういったわざとらしい属性付けには白けるタイプだと自負していたのだが。
どうも最近様子がおかしい。ドクターとお付き合いするようになってから、ときめきスイッチの位置が変わってしまったのかもしれない。
今も、うつらうつらと眠そうに頭を揺らしているドクターを抱き締めてしまいたくてたまらない。
不埒な欲望を抑え込むためにも、テキーラはドクターの肩からずり落ちそうになっている襟元を引っ張り上げて整えた。
「ちょっと動きづらいかもしれないけど、一晩だけだから我慢してね。寒くない?」
「平気
……
」
「よかった。じゃあ、今日はもうゆっくり休んで
――
……
」
ベッドにドクターの体を横たえ、上から布団を掛けてやる。
前髪を掻き上げ、額にそっとキスをしてから体を起こせば、じっと見上げてくるドクターと目が合った。
警戒心など欠片もない無防備な眼差し。普段は指揮官として気を張っている彼女が、ふたりきりのときだけ見せてくれるこの表情が、テキーラは好きだ。
たとえ恋人同士であっても、彼女は自分だけのものではないし、独占したいとも思っていない。己の成すべきことに真正面から向き合い、前に進み続ける彼女のひたむきさこそを、テキーラは愛しているからだ。
それでも、今、このときだけは。
すべてを委ねられているような気がして、胸の奥が甘く疼く。
ドクターが腕が持ち上げ、テキーラの袖口を掴んだ。くい、と控えめに引っ張ってくる。
どうやら、添い寝をしろとねだられているらしい。
「俺も入れてくれるの?」
引き寄せられるまま、テキーラはベッドに片手を乗せ、ドクターに覆い被さった。体重をかけたぶん、ぎしりとスプリングが軋む。
ドクターは、覆い被さる男を見上げ、ゆっくりと瞬きをしたのち、わずかに唇を尖らせた。
「
……
抱き枕がないと眠れないだろ」
だから早く、と。ドクターはもう一度男の袖を引く。
またまた。そんな嘘ついて。
喉元まで出かかった言葉を、テキーラは苦笑で誤魔化し、飲み込んだ。
本当は、俺が傍にいなくたって、ちゃんとひとりで眠れるくせに。
ひとりでなんでもできちゃうくせに。
その気になれば、俺どころか、ほとんどの人々を置き去りにして、遠くまで行ってしまえるくせに。
自分たちの関係性は、運命の岐路の一歩手前で、奇跡のように航路が重なっただけなのだと、テキーラはきちんと理解している。
ドクターだってそうだろう。
きっと、各々が立ち向かうべき命題に、互いの存在は必要不可欠ではない。手を差し伸べたとして、どれほど力になれるかさえわからない。
それでも
――
だからこそ。
ぴんと張り詰めた心の糸を一瞬緩めて、ひとときだけでも山積みの問題を横に寄せて。
こんな、なんでもない夜に。子供のような甘えを曝け出してくれることこそが。
何よりも強固な信頼であり、愛情なのではないだろうか。
運命でも、必然でもないのに。わざわざ手を伸ばして選んだ。だからこそ、意味がある。
別に君も俺も、抱き枕なんてなくても眠れるけれど。
それでもなお、一緒がいいのだと誘われているのなら。
要望にお応えするのが誠意というものだ。
「
……
じゃあ、お言葉に甘えて」
今度は瞼にそっと唇を触れさせてから、テキーラは一度整えた掛け布団をめくりあげ、既に先客のいる寝台に潜り込んだ。
ふたりが収まるには窮屈なベッドにも、いつの間にか慣れてしまった。
抱き込む体温も。耳に馴染む穏やかな呼吸も。気づけば日常の一部になった。
あたりまえのように腕の中に入ってきたドクターは、もうほとんど夢の中だ。間隔の長いまばたきを数回。深い呼吸を数度。
それから。
「妙な気分
……
だな」
ぽつりと、そう呟いた。
「えっ、大丈夫? 体を冷やしすぎたとか? 具合悪い?」
「いや、そうじゃなくて
……
ただ
……
」
いい加減重みに耐えきれなくなったらしい瞼が閉ざされ、ドクターの口の端には満足そうな笑みが浮かび。
「自分から君の匂いがするのは
……
随分と心地いいものだと
……
おもって
……
」
語尾に寝息が続き、室内は沈黙に包まれた。
テキーラは呆気に取られ、ドクターの言葉をなんとか咀嚼しようと試みる。
数秒フリーズしたのち、ようやく理解する。彼女が恋人の私服を貸し出されてご満悦になり、安心し切って眠りに落ちたという事実に。
(いや、ちょっと
……
それは
……
)
ずるくない? というのが率直な感想だ。
せっかく寝ついたドクターを起こさぬよう、身悶えしたい欲求を必死に抑える。本当は、背骨が軋んでしまうほど、強く強く抱きしめたかったけれど。
大切なひとの安眠を妨害するような不届者にはなりたくなかったので、背に回した腕でそっと自分のほうへ引き寄せるだけに留めた。
抱き込んだ細い体からは、確かに自分の匂いがする。
それだけで、謎の充足感で胸がいっぱいになる。
別にお互い、ひとりぼっちでも眠れるはずだけれど。
だからこそ、敢えて。寄り添うことに意味があるのだ。
あまりにときめきすぎて、もしかしたらこのまま眠れないかも、と案じていたテキーラも、触れ合った場所から確かに伝わる鼓動に耳を澄ませているうちに、自然と睡魔に絡め取られていった。
翌朝、ダボダボのスウェットを肩からずり落ちさせたドクターを腕の中に発見し、もう一度身悶える羽目になることなど、ペッローの青年はまだ知らないのだった。
【おわり】
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