mk98LL
2025-12-22 22:18:01
10365文字
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恋人ごっこの消費期限

的夏♀。夏目が女体化しています。
ここから二人の本当の恋が始まる──!…を見守る名取の話。マジで話の大部分が名取と的場の会話です。いいですか、言いましたよ?
続きを寄越せ!って書いた板に磔にされそうなので今のうちに謝っておきます。
よろしくどうぞ。


 一般向けのいわゆる表の顔は俳優。こちらが本命でありながら自らも裏の顔と称するのは、妖祓い。二足の草鞋を履いた生活は時間的な忙しさだけでなく体力も精神力もなかなかハードだが、何とかこなして一定以上の評価はもらえている。
 食事の時間も睡眠の時間も満足にとれない生活の中で、名取の心身の回復に一役も二役も買っているもの。それは、同じ世界を共有できる初めての友人と待ち合わせて、他愛もない雑談に興じる短くも穏やかな時間だった。今日は、かなり久々となる機会だ。
 待ち合わせ場所は少女──夏目の住む町にある喫茶店。電車の遅延で名取がやって来た頃には、夏目は二人の定位置ともいえるほどになった一番奥のボックス席に一人座って、静かに本を読んでいた。席の奥、腰の横に置かれた大きなナップザックの膨らみは用心棒のニャンコ先生に違いない。喫茶店に動物はだめだと店員から注意を受けた当初は猫扱いを随分不満げに思っていたようだが、今は隠れ入店の形で落ち着いたらしい。
 席に向かう名取に声をかけてきた店員には、夏目を示して待ち合わせだ、と表しつつ「アイスコーヒーを一つ」と注文する。その声で名取の入店に気付いたのか本から視線を上げた夏目が、こちらを見てパッと顔色を明るくさせた。
 よかった。彼女の前に置かれたアイスティーの具合からして、それほど待たせてしまったわけではないようだ。

「やぁ、久しぶり夏目。元気だったかい?」
「はい! 名取さんこそ、お忙しそうですけど大丈夫ですか? 三日前の朝の生放送、塔子さんと見ました!」

 自分と出会った頃には芸能人どころかテレビや流行物にも疎かった少女だが、養母と共に自分の活躍はチェックしてくれているようだ。応援してくれるファンというのは誰であっても嬉しいが、それが大切な友人の夏目ともなれば名取の感じる嬉しさもひとしおだった。
 名取からは、夏目が見てくれたという番組の笑える裏話や現在撮影中のドラマの話を。夏目からは日常生活でのことや学校のこと、最近出会った妖怪のこと。特に彼女の持つ妖怪エピソードには名取が思わず眉をしかめてしまうようなものも多いが、今回はどれも微笑ましかったり妖が見える者にはそこそこ覚えのある内容ばかりで一安心だ。
 夏目と話したい、聞きたいと思っていたことを一通り話し終えて、名取はふとアイスコーヒーのグラスをストローでかき混ぜながら目の前の夏目を見つめる。アイスティーにガムシロップを溶かし、サービスで出されたクッキーを頬張る彼女は満面の笑みだ。この喫茶店は雰囲気や接客が良いだけでなく、出される物もとても美味しい。だがそれにしては、いつも以上にご機嫌なように見える。

「ん……名取さん? どうかしましたか?」
「あ、いや……なんだか夏目、今日はすごく楽しそうだなぁって。嬉しそうというか……何かいいことでもあったのかな?」
「いいこと、ですか?」
「うん。ふふ、気になってる男の子に告白でもされちゃった?」

 自分で言いながら、まぁそれはないだろうなと名取は思う。夏目は世間一般的に見ても芸能界で生きる自分から見てもかなりの美少女だが、友人をしていてわかっていることがある。それは、どうやら恋愛に興味がないらしい、ということだ。自身にも覚えのある経験に基づいて言うのなら、そんな余裕はまだない、と言ったところか。
 庇護されるべき幼いころに守ってくれるはずの人を失い、その厄介な身の上と人ならざるものが見えることで多くから疎まれてきた。十数年にわたる人生の中で藤原家というようやくの居場所を見つけた夏目の人生は、きっとこれから花開いていくことだろう。
 前回会って話した時までは、名取はそう思っていた。のだが。

「ぁ……う、えと……

 こくはく。唇の動きだけでそう復唱した彼女は、途端におろおろと視線を彷徨わせて俯いてしまった。白磁の、とでも称したくなるような白い肌は、アイスティーのグラスを握る指も、露出した首も、顔から耳に至るまで可哀そうなほど真っ赤に染まっていく。
 この反応はどう見ても。

「え、まさか本当に? 告白されたの?」
「あぅぅ……えと、あの……きのう」

 ──された、っていうか……した、っていうか……

 蚊の鳴くような声で紡ぎ出された発言に、名取は思わず「えぇっ!?」と大声を発して立ち上がりかけたのをすんでのところで押しとどめた。ここは名取にとっての憩いの場、迷惑行為で店のブラックリストに載せられてはたまらない。

「そ、そうか……。夏目が、好きな人に、ってこと、だよね?」
「は、はい。それでその、お付き合い、してもいいですよって言ってもらえて……
「そう、おめでとう……!」

 震える小さな声にもモジモジゆらゆらと揺れるその体にも、恥じらいと並んでそうとわかるくらいの喜びが滲んでいる。年下の友人、若かりし頃の自分とどこか似たような面影を垣間見ていた妹のような夏目に、まさかそんな変化があったとは。
 少女の成長は早いなぁと一人っ子のくせに兄のような心持になりながら、周囲に小花でも舞っていそうな夏目の様子になんだかこちらまで穏やかな気持ちになる。
 ふと、小さな好奇心が首をもたげた。さすがにこれは踏み込みすぎだろうか、いやいやささやかな兄心として許してくれはしないだろうか。

「ちなみに、誰なのかって聞いてもいいかい? 私の知ってる人かな」

 夏目の友人関係の中で、彼女が嬉しそうに楽しそうに聞かせてくれる学校生活の話から異性の存在は数人把握している。夏目が転校してきた初期からクラスが同じで親切にしてくれたという北本、西村という少年。それから夏目と同じ転校生で名取も面識のある田沼少年。夏目の話の中だけだが、妖怪がらみのトラブルで再開した昔馴染みの柴田という少年。
 最後の一人はともかく、もし前者三人の誰かならこの町の住人だ。こうして夏目と会うのも少し考えた方がいいかもしれない。夏目が選んだ相手ならきっと穏やかで心広く優しい人間なのだろうが、いくら友人とはいえ自分の彼女が大人の男とお茶を飲んでいるのを見かけていい気はしないだろう。
 そんな考えを、まるで好奇心の言い訳のように巡らせながら発せられた名取の問いかけに夏目はこくん、と頷いた。やはり知っている相手のようだ、さて、誰だろう。

……ま、」

 ま? そんな名前のクラスメイト、話に出てきたことは──。

「的場静司さん、です……!」
…………………………………………は?」



*****



「火急の用件だ、そこを通せ」

 一見すると旧家の様な的場邸は招かれた人間、もしくは力のあるものでないと辿り着けないよう行く道にいくつもの術がかかっている。力のない妖怪なら的場と契約していないと痛い目に遭うのが関の山だ。
 祓い屋の大家にして業界の番人と砦役を兼ねるにふさわしい立派な門構えの的場邸に、名取は夏目と喫茶店で過ごした次の日やってきていた。午前中にあった俳優の仕事を予定された時間の半分で片付け、ついでにと近場の別件もねじ込もうとしたマネージャーが名取の鬼気迫る雰囲気に思わず口を噤んだのは余談である。
 名取は的場邸の門前で見張り役と来客の迎えを命じられている白面の式たちの横を通り抜けようとしたが、細く歪な黒い手が道を遮った。見上げて低い声で凄んで見せても、声を持たないそれらはふるふると首を振るばかり。「アポなしは困ります、お客様!」とでも言いたいのか。
 しかし名取の方も退くわけにはいかない。どうしても確認したいことがあってわざわざ的場邸にまで出向いたのだ。さてどうしたものかと考えていると、門の向こう側、玄関の引き戸ががらりと空いた。
 伊達眼鏡のガラス越しに目が合ったのは、こちらに向かって歩いてくる胡乱な目つきの女性の目だ。

「誰かと思えば、名取かい。何の用だい、来訪するとは聞いていないが」
「七瀬さん! すみません、的場さんに火急の用でして」

 門番を任された式のうちの一匹が、迷惑な客がいると七瀬を呼びに走ったのだろう。しかし七瀬が来たのはむしろ幸運だった、的場の秘書を務める立場にある彼女なら、下手に一門の人間を何人も介することなく的場に会わせてもらえるだろう。
 
「名取の若様がこうとは、よほど急ぎなのか。だがあいにくボスの手は今、決裁書類と印鑑で塞がれててね。私が聞ける用件なら中で聞くが?」
「え……いえ、的場さんに直接お伺いしたいことでして」
「なら今日のところは諦めな。明日以降なら改めて時間を作れるよ」

 名取もまた同じ業界に属するものとして、現在が繁忙期でないことや的場一門がそう多くの依頼に追われていないことは確認したうえでやって来た。しかし、やはり当主ともなれば他の雑事も立て込んでいるらしい。名取は頭の中でスケジュール帳を開く。表の仕事である俳優業のことも考えると、自分自身が空いた時間が取れるのはいつになる……
 アポなしで来たのはやはり少々無理が過ぎたか、と名取がひそかに歯噛みしたその時。

「かまいませんよ。名取、上がってください」

 門を挟んで立つ七瀬のさらに背後、彼女が先ほど出てきた玄関が再びがらりと開いて男の声が聞こえた。緩く結った黒髪を揺らし姿を見せたのは、簡易な着物に身を包んだ眼帯の男、的場静司だ。相変わらずの人を食ったような薄ら笑いを浮かべているが、気のせいだろうか。名取にはその両目がほんの少しだけ明るさを宿しているように見えた。 

「ボス。渡した書類はどうなりました」
「半分ほどは問題なく片付きましたよ。担当の者が取りに来ましたので渡しておきました」
「まだ半分ってことかい。今日中に終わらせてもらいたい分なんですがね、あれは」
「そろそろ書類と印鑑ではなく、湯呑と和菓子が持ちたくなりましてね」
「ああ言えばこう言うねぇ……

 気のせいではなかったらしい。どうやらサボるための口実に使われたなと勘付いたが、名取は黙って二人のやり取りを見守る。やがて、やれやれといった表情の七瀬にひらひらと手招きされ、彼女は「いつもの応接間でいいね」と言い置いて去っていった。
 的場について廊下を進み、依頼や報酬のやり取りでよく利用する日当たりの良い応接間へ通される。何から言えばいいものか、と名取が頭の中で一呼吸置くよりも早く、卓を挟んだ向かいの席に座った的場が切り出した。

「それで名取、私に火急の用とは? 貴方がこんな手段を取るんですから、よほどの急ぎと見ましたが」
……いつから聞いていたんです」
「きちんと得られるところから情報を得ているだけですよ。それで、何の確認がしたいんです?」
「なら遠慮なく本題に入らせていただきますが……夏目のことです」

 夏目。その少女の名前を出した瞬間、的場がわずかに、本当にわずかに動きを止めた。ゆるい弧を描いていた唇はすぅと息をのんで薄く開き、ピクリと動いた瞼の下で赤い瞳がわずかに細まる。「なるほど、」と一瞬の沈黙ののちに、的場はまた微笑んだ。「それは確かに、火急の用件だ」と。
 心を悟らせない的場の笑みはいつものこと。だというのに、今の一瞬には的場の感情が見えた気がした。ならばやはり、夏目との関係性の変化は事実なのだろうか。
 
「夏目から、貴方に告白して恋人として付き合うことになった、と聞きました。本当なんですか?」
「えぇ、本当ですよ」

 茶菓子は、何でしょうねぇ。そんな呟きを漏らしながら襖によって閉ざされた廊下の向こうに目をやる的場が、あっさりと肯定した。彼のことだ、嘘をついている様子はない。そも、名取にとって重要なのはここからだ。

「一体どういうつもりなんです」
「どういうつもり、とは?」
「そこではぐらかさないでください。……あなたが夏目に向ける感情は、そりゃ色々だろうことは私にだってわかります。自分だけが異質である環境に置かれている現状への憐み、そして庇護の対象。あるいはあの強い力への利用価値……
「おやおや、随分しっかり言葉にしてくれるんですね。心当たりでもおありで?」

 かつて、いや、今も心の奥底では抱き続けている同じ思いを、名取は静かに言葉にする。含み笑いで向けられた的場の言葉はあえて無視して、名取は膝の上で握る拳に力を込めた。

「どういうつもりか、とはそういう事です。少々不躾とは思いましたが、貴方に何と言って想いを伝えたのか夏目から教えてもらいましたよ。よほど読解力のない人間でなければ、きちんと愛の告白と受け取れる言葉選びだと思いました。そして、貴方はそれを了承した」
………………
「質問を繰り返しますよ。あなたはどういうつもりで、夏目の恋人になることを了承したんですか」

 まっすぐ相手の目を視線で射抜いたままの名取の問いに、的場はふと目を伏せる。その様は言葉を考えているように見えて、逆に何も考えず周囲の一切を排除しているようにも見えた。そんな的場を急かすこともなく、名取もまた、ただ見据えたままにじっと答えを待った。

「あなたにそれを教える必要がありますか」

 不意に、常より一段低く落とされた的場の声が客間の静寂を貫いた。しかし次の瞬間にはフッ、と空気を微かに揺らすような息が漏れ聞こえる。

「──なんて言ったところで、あなたは引き下がらないのでしょうね」

 そう零した的場の視線は、既に名取からは外れ何かを思い返すように遠くを見ているようだった。畳のふち、何も置かれていない和卓の面。そして、名取の顔。視線でゆっくりと空間をなぞりながら、やがて的場はぽつりと切り出した。

「たぶん、ちょっとした勘違いだと思うんです」
……勘違い?」

 咄嗟に意味の呑み込めなかった単語を復唱した名取に頷いて、的場もまた繰り返す。「えぇ、勘違い」と。

「『好きです、恋人としてお付き合いしてください』なんてわかりやすく言われたもんで、彼女の告白を私が誤解する余地はないんです。でも、ねぇ。どうしてそうなるんだろう、ってのはありまして。一応聞いたんです、月並みではありますが『どうして好きになってくれたんですか』と」
「それで……?」
「色々関わるうちに恋心が芽生えた、とそのようなことをね。これが数度適当に関わっただけのどこぞのお嬢さんなら、まぁそんなこともあるかと思うんですが……夏目くんでしょう?」

 名取の知る限り、的場と夏目の出会い、そしてここに至るまでの関係性の初期はほぼ最悪だったと言っても良い。誘拐未遂、奇襲に始まり一時的な拉致監禁に遭った上その身とニャンコ先生にまで怪我を負わされた。これはあくまで名取が察しただけの話ではあるが、それ以降も何かと夏目にとってあまり楽しくない関わり方をしていることがあったはず。
 だからこそ夏目に聞いた時に、名取は大層驚いたのだ。それはもう、思考が停止してしまうほどに。名取から見ても、夏目が的場に恐怖や警戒の感情を抱いていたことがあるのは間違いない。それが一体全体、どうすれば恋心なんてものに転じるのかと。
 的場もまた、同じようなことを思ったらしい。だから、夏目に問うたという。

「色々なことで助けてもらううちに、悪い人ではないとわかった。それから好きになった、と教えてくれました。どう思います、名取?」
「私はさすがにそこまで踏み込んで聞きませんでしたが……まぁ、おかしいことではないのでは? 数の問題ではありませんが、今となっては貴方が夏目を害したことより、助けたことの方が多いでしょう?」
「そうですか。でも私はね、あれはいわゆるストックホルム症候群のようなものじゃないかと思っているんですよ」

 ストックホルム症候群。心身を傷つけられる被害者となった人間が、加害者である人間に対して警戒や恐怖ではなく、逆の好意を抱いてしまうという症状。
 名取は精神の専門家というわけではないが、現在俳優として一番活躍している『名探偵』という役どころはあらゆるジャンルの専門用語に触れる機会も多い。故に、それ自体は知っていた。早い話が、自分のことを傷つける犯人と心の繋がりを持つ、友人や恋人になることで、もうこれ以上傷つけられないようにしたい、という防衛反応だったはずだ。
 夏目の恋心が、それだというのだろうか。体を、心を、周囲を害され傷つけられた彼女が、自分を守るために生み出した感情だとでも。

「これでも自覚はしていますし、忘れたわけでもない。的場当主として間違ったことをしたとは思っていませんが、個人としては……彼女に申し訳ないことをしたという思いも、まぁあるんです」

 的場の声が、密やかに告げる。まるで、内緒ですよとでも言うように目を細めて。

「私達が学生の頃にもいたでしょう。特に目的もない、強いて言うなら青い春の思い出の一つとするために『恋人がほしい』と広言する同級生達が。だからまぁ……到底普通ではあれないのに、普通でいたいと思うあの子の……思い出作りに協力する、何て言ったら、さすがに聞こえがいいですかね」
……聞こえの悪い理由でもあるのか」

 もう既に色々と言いたいことが喉元までせり上がってきていたが、そこはぐっとこらえて的場に続きを促す。名取の口調から敬語が取れその声も一層低くなっていることに的場は気付いているのか否か、男は先ほどと変わって的場一門当主としての色を滲ませた声で続けた。

「ただの知り合いよりは友人、恋人の方が。向けられる感情も警戒より好意の方がずっと良いでしょう? ……関係性に名前が付くというのは、便利ですよねぇ」
「お前……!」
「あなただって、私がそういう算段かもしれないと疑ってここに来たのでしょう? なので、わざわざ否定はしません」

 飄々とのたまう的場の声からも、笑みを崩さない顔からも名取がその真意を完全に推し量るのは難しい。
 もしかしたらそういう事なのかもしれないとは思っていた。的場は外道ではないが、一方で他者から見ればひどく冷たいと思える選択肢を取るところもある合理的な男だ。夏目の純粋な恋心に的場もまた純粋な気持ちで応えた、などと甘い予想をしていたわけではなかったが。

「ならお前は、あの子に利用価値があるから……恋人ごっこをすることにした、ってことか?」
……あくまで、そういう下心がゼロというではない、という話ですよ。先ほども言ったでしょう、あの子にはそれとは別に、負い目のようなものを感じているのも確かです。……それにねぇ周一さん、あの子、危なっかしいでしょう?」
「夏目が? まぁ……そうかもしれない」
「最初あれだけ自分を害そうとしてきた相手に、何回か助けられたくらいで惚れてしまって。どこぞの変な男に捕まる前に、私との恋愛ごっこで学ぶものがあればあの子のためにもなるかな、と。偉そうなことは言えませんがね」

 罪悪感、負い目、利用価値、そして心配。様々な感情を綯い交ぜにして、的場は夏目の告白を受け入れたようだった。少なくとも、名取の想像した「最悪な理由」のみではなかったらしい。
 それならば。煮え立つようだった名取の頭が、ゆっくりと冷えていく。もし自身が一番心配した理由が的場の中で大きかったら、その胸倉を掴んで顔面に一発入れていたところだ。

……では、夏目のことはどう思っているんですか」
「好ましい人柄のお嬢さんだと思いますよ。妖怪や、それこそ我々祓い屋などとは、関わらない方が良いと思うくらいには」

 名取の問いかけに、間を空けることなく答えが返ってくる。その内容には概ね名取も同意だった。あの心優しい少女が、たとえ人を守るためとはいえ心ある生き物たちを排除する技を持つ者たちと関わり合いになるべきではないと思っている。どれだけそのための力を秘めていたとしても。
 確認したかったことは、確かめられた。名取が思っていたほど悪くも、もちろん良くもなかったけれど、これ以上は本人たちの問題だろう。そもそも夏目に黙ってこうしてやってきている以上、夏目に今日のことを話すつもりも名取にはなかった。
 だから、これで最後だと思って問いかける。今まで聞いてきた的場の考えを踏まえて、聞き出しておきたかったこと。答えが聞けるかはわからないが。

「的場さん。一人の人間として、異性として。夏目のことを、好きですか」

 それこそ、貴方に答えることではない。そう一蹴されると思っていた。
 けれどその時、ここに来て初めて的場の表情が大きく崩れる。眉が寄って、笑みが消えて。とても困ったような、迷ったような。そんな顔を、名取は見た。

「人としてどうかは、先ほど言った通りです。異性の恋人としては、正直なところ……あぁ、けれど──」

 逡巡した後、けれど、と的場が言葉を続けようとした時。

「ッ……何だ?」

 どこかほど近い場所から、ゴシャ、と小さな音がした。それはほどほどの重さがある物を入れたビニール袋か何かが、そう高くない位置からずるりと落ちたときのような音。
 それから間髪入れず、パタパタパタ、と軽い連続音。これは間違いない、誰かの足音だ。急いで廊下を渡っていた誰かが、荷物の一つでも落としたのだろうか。あの様子では拾いなおした感じはしないな、と名取が今は閉じられている廊下に繋がる襖を開けようと腰を上げたと同時、驚いたような声が響く。

「ッおい!? お嬢ちゃん? 待ちな、夏目の嬢ちゃん!!」

 なつめ? 七瀬の声で耳に入ってきた三文字の音に名取が動くよりも早く、勢いよく襖が開けられる。的場に続いて名取もまた飛び出すように廊下に出ると、三つの湯呑が乗った盆を手に顔をしかめて立つ七瀬と目が合った。

「アンタら、何の話をしてたんだい? またデリカシーのない事でも、あの子に言ったんじゃないだろうね」
「七瀬さん。夏目が、来ていたんですか?」
「はぁ? ついさっき茶菓子を手土産に屋敷を訪ねてきたと式から報告があったから、客間に行ってもらえと指示したんだ。あの子は最近よく訪ねてきていたし最近はほとんど顔パスだったよ。……それにしても可哀そうに、あんな風に泣いて──」

 七瀬の言葉を聞いた瞬間に察した。きっと夏目はこの薄暗い廊下で、わざわざ結界も何も張っていない、ごく普通の襖で仕切られた客間から漏れ出る声を聴いていたのだ。いつから、どこから聞いていたのかはわからないが。
 そう思い至った時、名取は思わず自分の右に立っている的場を見る。しかし、二人の視線が交わることはなかった。名取が見れたのは、弾かれたように走り出す瞬間の、的場の横顔だけ。
 
 ──あぁ、なんだ。そんな顔が出来るんじゃないか。

「っと、おいボス!? どこに行くんだい、的場!?」
……大丈夫ですよ。行かせてやってください」

 声で七瀬を制しながら、名取は冷えた廊下の隅に転がったビニール袋を拾い上げる。夏目の町にある老舗和菓子店の店名が入ったその袋を大切そうに抱えて、名取は自分が先ほどまで座っていた客間の席に戻る。それからいたって穏やかに、立ったままの七瀬に声をかけた。

「お茶、ありがとうございます。ちょうど喉が渇いたところだったんです」
……本当に、何の話をしていたんだか。ちゃんと説明してくれるんだろうね、名取」
「それは私の口から言えることではないので、何とも。的場さんに聞いてください」
「あぁ、それもだが……的場の奴はどうしたってんだい、あんな風に走ったりして。今日中に戻ってくるんだろうな?」

 さぁ、どうだろう。差し出された湯呑の熱い緑茶を啜りながら、名取は先ほどの的場の横顔、その表情を思い出した。
 見開かれた眼に焦りの色を滲ませ、後悔を噛みしめるように口を引き結んだ、あの顔を。
 泣いていた。ただそう聞いただけで、あんな顔をしてすぐさま追いかけてしまうくらいに、大切な相手との。

「とても火急の、とても大切な用事みたいですから」

 それにしても、おかしなところで鈍い男だと思う。
 何度となく助けられるうちに恋心が芽生えた、なんて理由を持つ夏目を心配していたけれど。それこそ助けた回数なんて問題じゃないのだ、彼女にとって。それが分かるのは、的場よりも早くに夏目と出会い、的場以上に夏目を助けてきた名取だからこそわかる事なのかもしれないが。
 そんなの自分で気付けよ、と思うので言ってはやらない。
 
「どうせまたお前の言動か何かが、裏目に出たんじゃないのかい名取」
「あはは、まぁ遠からずといったところですが……今回は、それなりにいい仕事をしたんじゃないかと思い始めたところでしてね」

 怪訝そうに首を傾げながらこの後の仕事をどうするかと考え始める七瀬の様子にほんの少しの罪悪感を覚えながら、夏目の持ってきたという手土産に視線を移す。中身はどらやきか何かのようで外に表示された期限は二日後の日付を示していた。作られたのが今日ならば、その期限は三日と言ったところか。

……短い恋人ごっこになったな、静司」
「うん? 何か言ったかい名取」
「いえ、何も。あぁ、適当にお暇しますので私のことはお気になさらず」

 眉間に皺を寄せて客間を出ていく七瀬を見送って、名取はぬるくなってきた湯呑みの中の茶を勢いよく飲み干した。