mk98LL
2025-07-09 23:49:57
8117文字
Public
 

知るもの、知らざるもの

──突然なぁに、周一さん。お化け見たの?どんな妖怪でした?
──違いを聞いてるんだよ俺は。お化けと妖怪の。
──そんなこと突然言われても困るなぁ……あぁでも、本当にいるなら会えるかな。妖怪じゃないお化け。

名的の日おめでとう!のつもりではありますが別にここに出てくる二人は付き合ってないしたぶん想い合ってすらいません。ひょんな場所で偶然出会った二人が『遭遇』するだけ。そんな話。
最初と最後に夏目くん達も出ます。

この世界、こんなお化けもいるんでしょうか?

※ネットリテラシーを守ってお願いいたします。
 誹謗中傷はNGです。



『やっと仕事が落ち着いたんだ。近々会えるかな?』

 そんな名取からの電話が藤原家にかかってきたのは、休日を控えた夕方のこと。それなら明日、と予定を取り付けて夏目がやってきたのは、名取の住むマンションだった。本人曰く「寝に帰ってるような部屋」は相変わらず物が少ないようだが、先日塔子と共に送った小さなフラワーバスケットが飾られているのを見てほんのりと胸が暖かくなる。

「やぁ、いらっしゃい夏目」
「こんにちは名取さん。これ、塔子さんから焼き菓子です」
「わぁ、嬉しいよ! ありがとう。先日いただいたお花も飾らせてもらっているよ」

 つい先日まで名取が追われに追われていた仕事とは、とある舞台の準主役だ。名取からチケットを貰って塔子と共に観に行ったのが昨日のように思い出せる。三週間ほどあった公演も無事終了したようだが、あの舞台で主人公の親友という溌剌とした青年を演じていた名取と今目の前にいる自分の友人である名取は別人のように思えて、常々俳優とは大変な仕事だと感じた。

「俺、舞台って見るの初めてで……。映画とかと違って、生の人が目の前で演じてお芝居が進んでいくの、すごく新鮮でした」
「あのライブ感は舞台ならではだね、日によってアドリブがあったりもするし。楽しんでもらえたなら良かったよ」
「ふん、くだらん。ままごと遊びなど宴の席の余興で充分。金を使ってまで作り、それを見るとは人間はわからんな」
「こら先生、失礼なこと言うな!」
「観てから言って欲しいねぇそういうことは。猫ちゃんが劇場に入れる日がいつか来るといいね」

 夏目のリュックに入って連れてこられたニャンコ先生が、いそいそと這い出してソファに身を投げ出すと中年親父さながらに足を組んで悪態をつく。夏目の叱責もお構いなしの大妖は、招き猫の依代の体で器用に荷物を指さして名取を見上げた。

「そぉんな来るかわからん機会より、私には確実な機会の方が大事だ。おい名取の小僧、さっさと茶請けに塔子の焼き菓子を出さんか。あれの美味さは確実なのだぞ!」
「はいはい、今用意するよ。夏目も座ってて」
「すみません、先生が」

 ペットならぬ用心棒の横柄な態度に萎縮する夏目に、名取は気にしないでと手を振ってお茶の用意をする。
 皿に取り分けられたマーマレードからは口に入れなくともバターのいい香りがして、いの一番に飛びついたニャンコ先生の様子からしてもその美味しさが窺えるようだった。

「それにしても……休日だったから『明日なら』って来ちゃいましたけど、名取さん昨日の朝も情報番組に生出演してましたよね。疲れていませんか」
「おや、見てくれたのかい? 大丈夫だよ夏目。昨日の仕事はあの生放送だけで終わりだったからそこそこ休めたし。何よりここ最近は本当に舞台でスケジュールが詰まっててね……私が夏目に会いたかったんだ」

 そんな風に言われては、夏目も悪い気はしない。年上だけれど無理をしがちな、大切な友人の嬉しそうな表情に夏目の胸中も温かくほころんでいくのを感じる。
 はぐはぐと一匹で三つも四つも菓子を平らげていくニャンコ先生を尻目に、夏目と名取は舞台の話で盛り上がった。名取が聞かせてくれるいわゆる「裏話」は夏目にとって未知の世界で、名取もまた面白おかしい話を選んでくれているからか、夏目はたびたび笑い声と共に肩を揺らす。

「それにしても、一回でもあんなに大変そうなのに、連日二週間も続けるなんて凄いですよね。練習期間も合わせたらもっとですか?」
「まぁね。今回の舞台は練習にみっちり3週間前後ってところだったかな。私は他にドラマの仕事もあって少し遅めの合流になってしまったんだけど……
……名取さん?」

 説明を続けていた名取の声が止まり、緩やかだった眉間にじわりとしわが寄る。何かあったのだろうかと夏目が小首を傾げて名前を呼ぶと、名取は「いや、」と誤魔化すように苦笑を漏らして首を振った。
 その態度に、何か嫌なことでも思い出させてしまっただろうかと今度は夏目の眉間にしわが寄る。すると、名取は手を伸ばして夏目の髪に触れ、優しく頭を撫でた。

「ごめん、大したことじゃない……んだけど」
「その反応は、それなりに大したことのような気がします」
「う、うーん。でも、面白くも楽しさもない話だから」
……俺じゃ、話を聞くくらいしか力になれないですけど」

 しゅん、と目に見えて萎れてしまった気配と下がり眉に、名取はうっ、と言葉を詰まらせる。年下の友人のこういうところには、自覚的なほど弱い。わざとではなく素直に感情を出している結果とくれば尚更だ。
 とっくに自分の分の菓子を食べ終えた用心棒は「まーた余計なことを」とでも言いたげな視線をよこしたが、すぐに顔を逸らしてカカカッと顎の下をかいただけだった。口を挟む気は無いらしい。
 『心配です』という声がそのまま突き刺さるような夏目の視線に根負けして、名取はやれやれと肩をすくめる。それから「本当に面白い話ではないんだけど、」と前置きして。

「この舞台の稽古をしたスタジオで、奇妙な事が起こったんだ──」

 その先にろくなオチもない、短い話を語り始めるのだった。



*****



 とある中規模舞台の準主役に選ばれた名取は、初回に顔合わせをしてからまだ稽古に参加できていなかった。と言うのも、別のドラマ撮影のクランクアップが数日押してしまったが故だ。人気俳優としてはありがたくも困った理由である。
 名取からすれば初回、他のメンバーからすれば通算三回目ほどになる稽古の日。名取は稽古場として貸し切られているスタジオにやってきた。軋むガラスドアを押し開いて足を踏み入れると、淀んだ空気がふわりと顔にまとわりつくようだ。覚えのある感覚とはいえ不快には変わりなく、被っていた帽子を団扇がわりに、サッと払う。

……ここはまだこうなのか」

 築十年にはなろうかという、新しくはないがそう古くもない、白を基調とした三階建てのシンプルなビルだ。各階それぞれに稽古場があり、演出家も交えた指導の入る稽古を一階で、自主練や休憩に二階のスペースを使用している。三階は先日から雨漏りがひどく立ち入り禁止というのが、名取の元に入ってきた事前連絡の内容だった。
 雨漏り、というので思い出したが、この建物は立地が悪いのか手抜き工事でもされたのかとかくそういった些細なトラブルが多い。名取は過去にも一度出入りしているが、その時もやれ天井の板が一部外れて危ないだの、電気系統に原因不明の異常が起こり稽古にならないだの、何度か予定に狂いが生じたのを覚えている。こうトラブル続きでは、老朽化によってもうすぐ取り壊されるという噂も、あながち嘘ではないのかもしれない。
 もっとも、名取がこのスタジオで気にすることといえば、そんな些細なことではないのだが。

「たしか、一階のスタジオはこっちだったな」

 前に利用したのは数年前だが、内部構造は覚えている。目的の場所へ足を進めつつ、名取は脳裏に本日の稽古参加者のことを思い浮かべた。数人この業界の新人がいたはずだが、それなりにベテランも多く人付き合いも問題なくできる先輩達だ。
 ひとまず自分が心配する事はないだろうと踏んで廊下の角を曲がろうとしたところで、前から来る人の気配を感じた。しかし歩調を緩めるのが遅かったのか、目の前に現れた黒い服装に慌てて足を止める。

「ッすみません、おはようござ……えっ?」
「おや、名取……こちらこそ失礼を」
「ま、とばさん……!? どうしてこんな所に」

 目の前に立っていたのは、祓い屋的場一門の頭首、的場静司だ。学生時代からの縁もある彼は、一言で言ってしまえば同業者だが名取とは格が違う。そもそも、ここはスタジオであって祓いの現場ではない。こんなところに何用なのか。
 驚く名取の様子に的場は小さく小首を傾げ「聞いていませんか?」と尋ねた。

「そちらの監督さんから、この建物のお祓い依頼をいただいたのですよ」
「は、的場一門が?」
「えぇ、まぁ。うちにはそういうのを専門に受ける術者もいますから」

 祓い屋業界の最大手たる的場一門には、様々な術者が所属している。当然そういった、一般人から依頼される『お祓い』を専門に受け持つ人員もいるのだろう。
 しかしならばなぜ、なおさら頭首が出てくるのか。名取の疑問を見抜いたかのように、的場は言葉を続けた。

「そういう依頼を多く受ける者に任せたものの、結果を持ってこなかったので話を聞いたところ妙なことを言いましてね。自分の手には負いかねるだの、あれは妖怪ではないだの」

 くすりと含み笑いをこぼして話を続ける的場が、くるりと顔を回してスタジオの中を見つめる。彼の紅い瞳には、面白いものを見つけた子供のような輝きに濡れ始めていた。その左目が不意に名取に向いて細められた。

「貴方は、俳優のお仕事でしょう。このスタジオも慣れていらっしゃるようで」
「はぁ。何年も前に一、二度利用した程度ですが。……的場さんの方は、依頼人の監督から事前にどう聞いているんです?」
「古いスタジオで、元々オカルト的な噂はあったとか。物が勝手に動く、流す音に所在不明の別の音が混じる、実際に幽霊を見た人間がいるとかいないとか。とにかく施設をお祓いしてくれ、というのが依頼でしてね」

 なるほど、つまりまだ詳細を詰めたわけではないのだろう。舞台監督としての仕事以外は大雑把なところがある見慣れた顔を思い出しつつ、名取は的場に向き合った。

「確かに、ここは古い建物です。だから色々入り込みましてね、私も前に利用した時に式を使って適当に追い出しましたよ。いわゆる『出るところ』だと業界でもそこそこ噂になっています」
「そのようですね。まだ対処してはいませんが、施設内を見回るうちに小物を数匹見かけました。……ですが」

 聞きたいのはそういう事ではないのだ、と言外に言う声が聞こえるようだ。もちろん、名取もわかっている。的場が聞きたいのは、この施設内で囁かれる奇妙な噂のうち、ただ一つ異彩を放つ話のことだろう。
 別に、話すことは問題ない。今回は仕事を取り合っているわけでもないのだ。むしろ、「アレは知らなければ対処に困る」ものだ。いかに的場といえど、その法則は覆らない。そう名取は直感していた。

「私も、数年前に俳優の先輩から話を聞いただけですが……

 そう口を開いたその瞬間、ずん、と空気が重くなる。そんなはずはないのに、何かがこの空間にのしかかるような重みと圧を、そして電気が消えたわけでもないのに視界に影が増えていくのを名取も的場も認識していた。

 ──……………………………………
 ──ゎ、………………シを………………か?

 まるで頭の中に直接流し込まれるかのように、細々とした陰鬱な声が届く。そして気配を感じた的場がハッと顔を上げると、名取の背後にゆらり、ゆらぁりと陽炎のように揺れながら黒い影が伸びあがった。それはまるで影法師のように人の形を取り、床から壁、天井付近までついたところで、今度は天井の板に沿って影を曲げ、さながらこちらを見下ろしているかのよう。
 人ならざる者の存在を自身の目で認めた的場が、瞬時に片手を着物の懐に差し込み、もう片方の手で剣印を結ぶ。懐から引き出された一枚の札を前にした的場の唇が呪文を唱えようとしたその時、ぱしっと掌がその口元を覆い隠した。名取の手だ。

「ッ……!?」

 何をするのか、と驚きに見開かれた目が次の瞬間には苛立ちの色に染まるが、名取は自身の左手で的場の口元を塞いだままその体を自分の方へと引き寄せた。原因に覚えがない状況を浴びて、的場の抵抗は思わず止まる。そのまま名取の左手を後頭部に乗せられ、下を向けというように促された。
 訳が分からないままその力に従った時、ちょうど真上のあたりからこちらを嫌な気配が貫いた。
 あぁ、見ている。見られている、あの陰に。そう的場は理解した。そして同時に、一門から派遣した術者が言っていたのは、きっとこれのことだろう、とも。

 ──わたし、の、左足、ヲ、知りまセン、か?

 あぁこれのことか、と名取は思った。
 冗談半分に聞いていたオカルトな噂話。この施設に限らず他の場所にもあったそれらは、大抵が大勢の勘違いか名取が相手取れる分野のものだったのだ。けれど、数年前に先輩にあたる人間から聞いたこの施設に出るという怪異の噂は、名取の勘が異質だと警報を鳴らしていたものの一つだ。
 半ば抱き込むようにして的場を抱えながら、名取は数年前に聞いた話を思い出す。この怪異には、決まった対処法がある。それが出来れば大丈夫だよ、と。

……残念ながら、私がお見かけしたのは貴方の『頭』だけですよ」
「ッ、」

 突然怪異を相手に口を開いた名取に腕の中の的場が身じろぎをしたが、そのままでいろと言うように、口元を覆った右手の指先にほんの僅か力を込めた。そして今度は的場の後頭部から離した左手をまっすぐ天井に向けて、言う。

「『四階』をお探しになってはどうでしょう」

──……そぅ、でスか。ぁりガとう、ござぃます……

 こもった空気が窓からの風に飛ばされるように気配が消えて、そのままいち、にの、さん。
 ドン、と軽く突き飛ばすような衝撃を胸に感じて、的場に体ごと腕を払われたのだとわかった。思わず胸元を抑えて顔を上げた先には、覆われていた頬に手を当ててそれはそれは良い圧の笑顔を浮かべる的場の姿。

……なとり」
「説明する気はありましたよ、実働が先に来ただけで」

 こちらの名前を呼ぶ声が押し殺された苛立ちにまみれていたのは、きっと聞き間違いではないだろう。反省の意を表するかのように姿勢を正した名取を睨みつけて黙ることしばし、的場はふぅ、と息をつく。「取り急ぎ二点だけ」と前置かれ尋ねられた。

「あの影が何か、名取は知っていますか」
「いいえ。噂と対処法を事前に聞いていた程度で、遭遇したのはさっきが初めてですよ」
「なるほど、ではもう一つ。……左足と頭、四階とは?」
……申し訳ない、わかりかねます」

 それを知りたいのはこちらもだ、という思いの詰まった、静かな声だった。
 いつの間にか床に取り落としていた帽子を拾って、パタパタと払う。それを被ろうとして止め、小脇に挟んだまま名取は先ほどまでその怪異が現れていたはずの背後の壁を、伝って天井へと首を回した。
 名取は、はっきりと怪異の影を見たわけではない。目を合わせるな、というのもこの怪異の対処法の一つだからだ。だから向かい合うことはしなかったし、的場に対してもああした。
 けれど的場の言い方では、そしてこれまで聞いた噂話では、怪異の影から左足も頭も欠損している様子はないようだ。そもそも、影の問いかけてくる体のパーツは、そのたびに違うという話もある。対処法として確定しているのは「目を合わせない」こと、「頭を見かけたと言う」こと、「四階に行くように言う」こと。
 四階、というのも由来は不明だ。というより、名取はここが一番意味が分からない部分だと思っている。

 ──何せこの建物は、建築当時から今の今まで、屋上もなくきっちり三階建てでしかないのだから。

「的場さん。あなたから見て、どうでしたか」

 今度は、名取が的場に問いかける。彼は手にしたままだった札を懐へしまって、しばし思案する。微かに俯いていた頭を上げて名取に向き直るその顔は、楽しげで、けれど少し困ったような。
 今でこそ見なくなった、どこか懐かしい表情だった。



*****



「『管轄外でしょうね』。彼はそう言ったよ」

 テーブルの上の紅茶はすっかり湯気を上げなくなり、陶器のティーカップももう温もりを持ってはいないだろう。何も言えずにいる夏目の耳に入るのは、最小限に稼働する空調の音と、話を続ける名取の声。

「二人で試してみたけれど、その影は気配すら追うことはできなかった。その後、的場は本来の仕事である『お祓い』を終えて速やかに帰って行ったよ」

 ほら、楽しくも面白くもない、オチのない話だっただろう?
 最後にそう言って笑う名取がのんびりと冷めた紅茶で喉を潤す様に、夏目の脳内が一気に話を反芻する。長話とはまた違った意味で乾いていた喉を紅茶で一気に潤すと、夏目は名取を見つめた。

「その、影。妖怪……なんですか」
「違うだろうね」

 名取の即答に、ピクリと肩が震える。いつの間にか膝の上に座り込んでいたニャンコ先生を抱く腕に、きゅ、と力が入った。

「まぁ……たまにあるんだよね。そういうのも」
「そういうの、って」
「うーん。妖ではなく、妖怪ではない。幽霊でもないんだけど、お化けと言っていいのか……
「よくわからないもの、ですね」
「ま、それを言ってしまえば妖怪もそうなんだろうけどね」

 ひょい、と肩をすくめた名取は、夏目の前からティーカップを回収してキッチンに向かっていく。どうやらお茶を淹れなおしてくれるようだ。まるで世間話をした後のような名取の様子を見ていると、さっきまでの話に緊張していた体が緩む。少し行儀悪くもソファに身を預けた夏目は、頭に浮かんだ疑問をぽつりと呟いた。

「妖怪じゃないお化け、か。そんなのいるのかな」
「──いるさ」

 独り言に帰って来た返答に驚いて、ハッと身を起こす。声が聞こえた自分の腹の方に目を向ければ、膝の上で丸まるニャンコ先生がいた。
 どういうことか、と聞き返すより先に、猫はフンと鼻を鳴らすとぼすん、とやや太い音を立ててテーブルへ飛び移る。残り僅かにとなったお茶菓子をあさり始めるその様子は、もうその続きを話す気はないらしい。
 結局、名取が淹れなおしてくれた紅茶を一杯飲みほした後、夏目達は帰路についた。
 日の沈みだした夕方の田舎道を、帰る家に向かって歩く。ほとんど人も通らない道で、夏目は腕の中に抱えたニャンコ先生を見下ろして問いかけた。

「なぁ、先生。名取さん達の前に現れた影、どうなるのかな」
「お前は話を聞いていなかったのか? その翌日に三階の天井が老朽化で朽ちているのが見つかって、その施設とやらの使用は全面禁止。来月には取り壊されると言っておったろうが」
「それは聞いたよ。だからさ、だからこそ……

 人ならば、建て替えるなり場所を移すなりすればいい。実際、使用禁止になった後の稽古場は別のスタジオを利用して順調に進んだという話だった。妖怪ならどうするのだろう、やはり、住処を変えるのだろうか。取り壊しを妨害して廃墟にしてしまえば、良さげな住処になるのもいるだろう。そうなれば今度こそ本当の意味で、祓い屋の出番だろうが。
 けれど、人でも動物でも、妖怪でもないという〝 それ "は、一体どうするのだろうか。いや、そもそも本当にそんなものが……

「今更なんだ、馬鹿馬鹿しい」

 腕の中のニャンコ先生が、やれやれと言いたげにため息をつく。夏目を見上げる目を細め、瞳を鈍く光らせた大妖は何でもないことのように続けた。

「人も、動物も、妖怪も、神もいるのだ。なら……それ以外の『何か』がいたって、何も不思議じゃないだろう」

 この話はこれで終わり。声の響きからそう感じて、夏目も口を噤む。
 傾いていく夕日が、地平線の彼方へと沈んでいく理由を、幼い自分は知らなかった。知らなくったって、きっと生きていくのにさほどの問題もなかっただろう。
 そういうこと、なのかもしれない。知らないならば、知らないなりで終わるしかない事もある。


 自分が見えてしまうものへの「どうして」が、きっと誰にもわからないのと同じように。

 
終.