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mk98LL
2025-06-27 20:40:07
6424文字
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徒然ならぬ日々に 3
──日付が変わると同時とは、思っていたよりは早かったな。タッチの差、というやつか。裏目め。
──帰ってそうそう辛辣だなぁ。何の話だい?
──ふん、別に。夏目ならとっくに寝ているぞ。
──そりゃそうだろう、こんな時間だ。
──(……ただいま、夏目。)
『大学進学を機に名取と同居することになった両片想いの名夏』3話。
幼少期、ひとりぼっちで留守番をしていた時の私は「ヒャッホーひとりだぜぃ!テレビ見ちゃおー!寝っ転がって本読んじゃおー!」でした。可愛げなど皆無ですね。
※誹謗中傷や意見は受け付けません。
※あらゆることが作者の見た幻覚と妄想で構成されています。
※名夏以外のキャラに未来捏造があります。
【灯を抱えひとり眠る夜に】
ピピピピ、と甲高い電子音を響かせる目覚まし時計を止めて、夏目は身を起こし伸びをする。ベッドの縁に腰掛け、そこから立ち上がるこの動作にも慣れてきたものだ。
与えられた自室を出てみれば、廊下の向こうのリビングには既に明るさと人の気配がある。同居人が朝早くから身支度を始めているようだ。この家に彼と共に暮らし始めてから、もう二週間近くが経とうとしていた。
「おはようございます、名取さん」
「あぁ、おはよう夏目。洗面所、今開けるから」
「ゆっくりで大丈夫ですよ」
洗面所の大きな鏡の前で髪を整えながら、ちらりとこちらを見た名取は、朝から芸能稼業である。昨夜共にした夕食の席では夕方までに終わる仕事だと聞いていたが、予定変更の多い職場のこと、確かなことは言えないだろう。
「お待たせ夏目。コーヒー淹れるけど飲むかい?」
「ありがとうございます、いただきます。でも、名取さん時間は大丈夫なんですか?」
「君とコーヒーを飲むくらいの時間ならあるよ。ほら、顔を洗っておいで」
やかんが火にかけられる音を聞きながら簡単に身支度を済ませて、パンをトースターに入れてから部屋で着替えも済ませてしまう。「毎日の服選びが大変だよ、あぁ制服が恋しい!」と同じく大学生になった友人、西村の悲鳴が脳裏に再生して、夏目はくすりと笑った。
「お待たせしまし、た
……
?」
パンの香ばしく焼けるいい匂いのするリビングに戻ってみれば、湯気の立つコーヒーや皿、バターナイフまで並べられている。にも拘らず、それらを用意したはずの名取の姿が見当たらない。隣の部屋にも気配は無いのに首を傾げつつ、焦げないうちにと食パンをトースターから取り出した。バターをパンに塗っていると、からからと軽い音とともに大窓が開き、名取が室内へ戻ってくる。どうやらベランダにいたらしい。
その顔が、祓い人としての裏の色を滲ませているように感じられ、夏目はそっと「
……
何かあったんですか」と尋ねた。
「あ
……
いや、すまない夏目。今夜一件、追加の仕事ができてしまった」
夏目と目を合わせ微笑むその表情や声色は夏目を安心させようとする気遣いに満ちていて、だからこそ名取がはっきりと言葉にしなかった内容について察せられてしまう。
「祓い屋の仕事、ですか」
呟くように口にしてから、ハッとして口をつぐむ。まるで問いただすかのような口調になってしまった。じわりと水に触れた和紙のように染み始めた後悔に、夏目は慌てて「いえ、」と前言を撤回しようとしたが先に通ったのは名取の声だった。
「そう。今同業者から式紙が来てね。危険ではないが時間は少しかかりそうだな」
自分の分のマグカップを取って席に着いた名取の「座って」と言うような視線に促されて、夏目も椅子に腰を下ろす。落ち着いた様子でコーヒーを啜る名取の様子にひとまずは安堵して、「こんな早朝から依頼が来るなんて、大変ですね」と話の続きを促した。
「祠の確認なんだけど、手が足りないから手伝えってね。凶悪な妖を封じたというより土地の気をうまく循環させるための祠だから危険はないんだけど、少し数が多そうだ」
名取の話と表情からして、人間のことを食事や嫌がらせの対象として捉えるような凶悪な妖怪相手でないようだ。名取の身に危険が及ばないのなら良かったと思う。
──けれど、祓屋の仕事なら
……
。
そんな夏目の心を見透かしたのか、名取は安心させるように微笑んだ。
「大丈夫、怪我をするような仕事じゃない。ちゃんと連絡も入れるよ。だから、手伝おうとかは考えないこと。いいね?」
「
……
はい」
夏目が言おうかどうか迷って口をつぐんでいたのはまさに「俺にできることはありますか」だ。それを見抜いた名取の先回りに、夏目は間を開けた返事をしてしまう。名取はやれやれとばかりに肩をすくめて席を立つと、おもむろに夏目の頭をポンポンと跳ねるように撫でた。
「そろそろ行ってくるよ。大学、頑張って」
わかった? と念を押すようなその手に、夏目はこくん、と頷いて素直な笑顔を向ける。
「はい。名取さんもお仕事頑張ってください。夜も、気を付けて」
「あぁ、ありがとう」
*****
夏目が名取とともに住む榊市から、さらに都会の方面へ電車に乗って数駅。その駅から歩いてほどなくの利便性の良い立地に、夏目の通う大学はある。夏目の所属する社会学部のほかに、いくつか他の学部も有する大学の敷地はなかなかに広大だ。今日は日当たりの良い中庭のベンチに友人たちと陣取り、昼食を共にしていた。
「そっかあ。それじゃあ夏目くん、今日はおうちに帰ったら一人なのね」
「ルームシェア、いや夏目の場合は下宿になるのか? 何にせよ、一人暮らしとはまた違った大変さがありそうだよなあ」
学部は違えど、夏目と同じ大学に通う多軌と西村は高校時代からの仲だ。地元での就職を選んだ北本と、寺のことに関して学ぶために別の進路を取った田沼も含めて、休みの日にはよく連絡を取り合っている大切な友人たちである。
「名取さんとの生活は、もう慣れたの?」
「あぁ。大学に入学する少し前からだから
……
もう半月は経つのか」
「で、今夜は夕飯とかどうするんだよ。あ、待ち合わせして一緒にどっかで食べるか?」
夕食が一人だという夏目に気を利かせたのだろう西村の言葉をありがたく思って笑いかけながら、しかし「やめておくよ」と小さく首を振った。自分の帰宅に合わせて、名取から連絡が入る予定なのだ。
「そっか、じゃあまた今度だな。夜の戸締りはしっかりだぞー、夏目!」
「子供じゃないんだから。けどありがとう、気を付けるよ」
夏目と違って次のコマも授業だという西村と多軌をそれぞれ見送って、夏目もまた中庭を後にする。本日夏目の受ける予定の講義はもうない。大学を出るために正門に向かって歩きながら、夏目はふと思い至った。
そういえば、名取が一晩家に不在という夜は今回が初めてになる。俳優に祓い屋と二足の草鞋を履いて生活し、いつかはあのマンションを「寝に帰ってるような部屋」と言っていた名取。そんな彼が、ここ二週間は大学生の夏目と生活サイクルをほぼ同じくしていた。
「もしかして、俺があの部屋に慣れるまで仕事の量を
……
?」
本人から口にはされていないが、きっとそうだ。出会った時からずっと、名取は優しい。その優しさが嬉しくて、胸が温かくなる。昔の自分なら「迷惑をかけている」と落ち込んでいただろうに、素直にこうやって受け止められるようになったのは、きっと名取以外にも多くの人の優しさに触れて、守られてきたからだ。
もう何かを受け取ることに、過度な遠慮や罪悪感を覚えることはしなくていいのだと知っている。向けられた相手の微笑みに萎縮を返して曇らせるのではなく、自分からも微笑みを返せるようになった。そんな自分の成長と、そうさせてくれたこれまでの環境を、夏目は素直に誇らしく思うのだった。
*****
予定していた時間にマンションに帰りつき、名取から譲られた合鍵で部屋に入った。住人が誰もいない部屋は静まり返っている。
いや、誰もいないというわけではない。夏目の目には、一つの人影が見えていた。
「帰ったのか。おかえり、夏目」
「あぁ、ただいま柊。名取さんは?」
「まだ俳優の仕事中だ。色んな格好で忙しそうに撮影されている」
帰宅した夏目の前に部屋の奥から現れたのは、名取の式の一人である柊だ。彼女こそが朝名取の言っていた「連絡」なのだろう。一つ目鬼の面を被った彼女の手には両手で抱えられるくらいの風呂敷包みがあり、祓い屋の仕事で必要な道具を用意していたのだろうと察せられた。
「仕事は、予定通りなのか?」
「あぁ。名取からお前に言伝を預かっている」
柊が伝えてきた名取からの連絡内容は、そう大したことではない。冷蔵庫の中に入っているあれそれは食べていいこと、風呂のお湯は抜いてしまっていいこと、戸締りをしっかりすること。大学で西村にも言われたことが重複していて、だから俺は子供か、と内心少し呆れたような心地になる。
そんな夏目に、柊が「それから、」と付け足した。
「自分の帰りを待たず、早く寝ること」
「え、」
「お前はいつまでも待って起きていそうだから、これだけはしっかり伝えるようにと言われた。名取の帰りは、どう急いでも日付けを跨いでからになる」
柊の言葉に、夏目は朝聞いた名取の話を思い出す。たしか祓い屋として受けた仕事は、祠の確認作業だと言っていた。時間はかかりそうだと聞いたが、それほど数が多いのだろうか。それとも、何か依頼内容に変更でもあったのか。
例えば。ただの祠の確認が、危険な妖と対峙する妖祓いに変更になった、とか。そんな突発的なトラブルは仕事の上でそう珍しくはない、と以前名取に聞いたことがある。実際、夏目が名取の仕事を手伝った時には、ただの確認のはずが突然封印が破れてその場で妖を相手取る羽目になったこともそれなりにあった。
眉間にしわを寄せて黙った夏目をどう思ったのか、柊はしばらくその顔を眺めたのち、ぽつりと「大丈夫だよ」と呟いた。落ち着いた静かな、けれど柔らかな声で。
「依頼内容は、本当に祠の確認だ。場合によっては修繕が必要だが、それだって手を触れたからと祟られるようなものではない」
「
……
そう、なのか」
「あぁ。だが
……
つい先ほどまで、我ら式の三人で手分けをして祠の場所と状態を確認していたのだが、思ったより手入れをしなければいけないところが多い。故に、時間がかかりそうなのだ」
いっそ無感情にも聞こえる柊の声は、その実、夏目への気遣いに満ちている。彼女の主人が夏目の生活の中に「祓い屋」というものをあまり入れたくないと考えているのは、起こる出来事や結果はどうであれ今も昔も同じだ。それを考えれば依頼の事情を詳細に話して聞かせることもなく「名取なら問題ない」の一言で押し通せばいい。なのにそうしないのは柊の持つ優しさであり、式にそうさせるのはきっと、主人である名取の人柄なのだ。
彼女と、彼女を通して名取自身が言葉を届けてくれた。ならばもう、夏目は信じて待つだけだ。それが、自分にできることだと思うから。
「ありがとう、柊。戸締りもしてちゃんと休むよ。名取さんによろしく」
「あぁ、そうしてやってくれ。では行ってくる」
どろん、と消えた柊を見送るようにしばしその場を眺めてから、夏目は自室に荷物を置いて冷蔵庫の中を確認するためにキッチンへ向かう。ポケットの多い収納力のある冷蔵庫だ。中には開封するだけで食べられるおかずをはじめ様々なものがしまわれていて、名取と買い物した時のことを思い出す。「最近は色々あるんだねぇ」と少し物珍しそうにしていた彼の声や、「ここにこんなに物を入れるの、初めてかも」と面白そうに笑っていた顔を。
「
……
名取さん、ちゃんと夕飯食べるのかな」
「幼子ではないのだ、勝手にやるだろうさ」
「うわっ、先生!?」
いったん冷蔵庫の扉を閉めたところで、不意に耳に入ってきた声に驚きそちらを見る。リビングにあるソファの足元、藤原家から持参したお気に入りの座布団でくわぁ、と大あくびをこぼすニャンコ先生がいた。
「あの小僧の心配より、今夜の自分と私の晩飯のことを考えろ。唐揚げか、エビフライか?」
ぽてぽてと夏目の足元まで寄ってきて不遜な言い草を持って見上げてくる猫に、夏目は呆れたように確認した冷蔵庫の中身を伝えてやる。
「今日は野菜炒めだし、俺は揚げ物なんてできないぞ。冷凍食品でいいなら唐揚げあるけど。ご飯は炊くとして
……
お豆腐があるな、味噌汁に入れようか?」
「
……
飯の時間だけ塔子のところに帰るか」
「おいこら用心棒」
ニャンコ先生の気持ちもわからなくはない。藤原家では朝も晩もほとんど塔子が腕を振るった出来立ての美味しいご飯が食べられた。なんならお昼のお弁当だってそうだ。けれど今はその環境ではないのだし、当初は予定していなかった暮らしだとしても「なるべく甘えず生活したい」という思いは変わっていない。
ぶつぶつと何やら文句を呟き続けている用心棒に、夏目は隠すようにして置いてあった小ぶりの瓶を一つ取り出してニャンコ先生の前にかざす。
「ほら。名取さんが先生用にってお酒買っておいてくれたんだ。ワンカップ、っていうんだって。今夜はこれ開けていいから、な?」
「
……
仕方ない! つまみにスルメを炙るのだぞ!」
「はいはい。
……
匂いとか大丈夫かな」
*****
夕食も風呂も済ませた夏目は、一人リビングで明日受ける予定の大学の講義について予習していた。とはいえまだまだ大学は始まったばかり。予習というほどでもないのだが、テレビは一人で見ているのも味気なくてすぐに消してしまった。「高貴な私がこんな安酒
……
」と言いながらもワンカップが気に入ったらしいニャンコ先生は、食後の満腹感もあったのか今はプープーと可愛らしい寝息を立てて座布団の上で丸まっている。
猫の寝息と、自分一人の音。こんな場面は藤原家での自室とそう変わらないのに、やけに静かに、そしてどこか遠く心当たりを感じるのは何故だろう。
手を止めて思い出を反芻するうち、ふと思い至った。
藤原家では、よく塔子の気配がしていたのだ。テレビを見る微かな音や、料理をする音、家にあってしかるべきの生活音。
そんなもの、ほんの少し前までは当たり前ではなかった。まるで厄介者のように、よくても腫れ物に触るかのように扱われ、必要最低限の会話しかせず、許された場所でただ蹲っていた。そんな日々のほうが、生きてきた時間の中では圧倒的に多いのに、どうしてか藤原家での数年間の方が色濃く感じてしまう。
そして同時に、この家に一人でいる時の静けさが身に染みる。この部屋にずっと一人暮らしをしていた名取は、どう感じていたのだろうか。
「えっと
……
明日は最後のコマまで講義があるな。名取さんは午後はオフだって言ってたっけ」
予習の用意を片付けて寝る準備をしながら、明日のお互いの予定を確認する。こんな作業も、藤原家ではあまり経験のない事だった。高校生は大学生に比べてそれなりにスケジュールが固定されていたというのもあるが、夏目が「手伝うことはありますか」と声をかけるよりも先に塔子がこなしてくれていたから。
あぁ、一人暮らしって大変なんだな。
半年近くを過ごしてきて感じていたことが、また一段深くストン、と自分の中に落ちたような気がする。
名取が用意して与えてくれた自室で、名取と共に選んで買ったベッドに潜り目を閉じる。消灯も、戸締りも確認した。なんだかんだと日付けの変わる少し前になってしまったのは、心のどこかに小さな期待があったからか。
玄関から聞こえる予定よりも早い「ただいま」の声に、「おかえりなさい」と返せる瞬間を。
「あぁ、そうだ」
これは、「寂しい」だ。前まで身近にあったそれが、今では少し遠く感じるのだから不思議なもの。しかしなぜだろう、この「寂しい」はあまり嫌な気はしない。
なるべく迷惑をかけてはいけない、と部屋の隅で縮こまっていたあの頃のものではなく。ほんの短い間だけ手を放してしまった時のような。また明日会えるとわかっている学友と、帰り道で別れてしまう時のような。そんな「寂しい」。
あぁ、きっと大丈夫だ。
この「寂しい」を繰り返していくことは、そう悪いことではないのだと、そう思う。
まだ断言できるほどには近しくない、けれど確実に遠のくはずの「寂しい」を柔く抱え込んで、夏目はゆっくりと目を閉じた。
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