mk98LL
2025-05-31 21:44:13
4868文字
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徒然ならぬ日々に 2

──あ。この生活を機に猫ちゃんはご飯をキャットフードにしてみたら?
──その場合、私の非常食にお前も加わるぞ小僧。

『大学進学を機に名取と同居することになった両片想いの名夏』、2話目です。
今回は同居2日目の朝からお送りします。一部名取視点を目指して見ました。
新居で生活を始めるための買い物ってワクワクしますよね。私は一人暮らしもルームシェアもしたことありませんが!

※誹謗中傷や意見は受け付けません。
※あらゆることが作者の見た幻覚と妄想で構成されています。

【日々のかたちの描き始めるを】


 微睡みの中で目を開けると、寝室の中は朝の光に明るかった。半分ほど開けられたカーテンの向こうに見える空は薄い青と白を程よく混ぜ込んだいい天気だ。名取はまだ眠気にぼおっとする頭を軽く振って、枕元で小さく音を鳴らしているスマートフォンを手探りで止める。
 部屋の中に訪れる一瞬の沈黙。しかしすぐにドアの向こうから聞こえてきた物音に、名取は再び微睡へと戻りそうだった頭を覚醒させた。
「いい匂いだな! おい夏目、私にはベーコンを二切れ多くするのだ!」
「一人一パックだから四枚だぞ、先生。危ないから足元でじゃれないでくれ」
「ふ~んだ! あの小僧は、朝は食べない派、ってやつなのだろ? どうせ残すんだから私に寄こせ」
「そういうわけにはいかないだろ。名取さん、もう起きたかな……
 あぁ、そうだった。
 昨日から訪れた「環境の変化」が、抜け落ちていた寝起きの頭の中へ戻ってくる。
 温もりの残る布団を抜け出して、リビングへ続く扉を開けた。続くダイニングキッチンの調理スペースを覗けば、気配に気づいた少年がこちらを見、コンロの火を消しながら微笑む。
「おはようございます、名取さん」
……おはよう、夏目。本当に作ってくれたんだね、朝ごはん」
 少年の笑顔にじんわりと湧き上がる胸の内の何かを抑えながら挨拶を返し、湯気の立つ皿や、水につけられたフライパンを見る。朝のこんな時間にこんなキッチンの光景を見るのは、いつぶりだろうか。そんな名取の胸中も知らず、夏目は皿を持ってテーブルに運びながら柔らかく言う。
「だって、昨夜言ったじゃないですか。お世話になるお礼に、明日の朝ごはんは作りますって。……名取さんは朝あんまり食べないって言ってたけど、一応用意しました」
「食わずとも構わんぞ、私に寄こせ」
「こら先生。まぁでも、そうですね。このとおり残飯処理役の猫もいますから、無理はしないでください」
「んにゃ!? おい、残飯処理とはどういう意味だ!」
 香ばしいバターやベーコンの香りに、トースターでパンが焼ける音。聞き慣れた少年と猫の応酬は住み慣れた静かな部屋に似つかわしくないほど賑やかで、これが今日から続くのかと思うと不思議なことに、それを楽しみに思う自分がいる。思わず緩んだ頬を隠すようにキッチンに入ると、マグカップを手に取りながら無意識に弾んだ声で返した。
「夏目の作ってくれた朝ごはんなら、もちろんいただくよ。飲み物は私が入れようか、コーヒーでいいかい?」
「はい、ありがとうございます。あ、洗い物はやるので、そのままにしておいてください」
 今更ですが、色々勝手に借りてしまってすみません。
 そんな夏目の言葉に構わないよ、と否を返して、あぁいつか、この家のものに対して借りるという言葉がこの子から出なくなる日が来るのだろうか。と名取は思った。
 そんな日がもし来るのなら、それは少しでも早く、そして長くあってほしい、とも。



*****



 マグカップなどの夏目用の適当な食器類、大学生活で必要と思われるカバンや文房具、そして名取も使用するトイレットペーパーなどの日用品。名取の運転で少し離れた場所にある大型ショッピングモールへやって来た二人は、広い施設内の様々な店を回って事前に決めた買い物を済ませていく。途中で駐車場へと戻り名取がレンタルしたというミニバンの荷台に荷物を収めてから、これで最後だと言われて向かった売り場の前で夏目は気後れするように足を止めた。
「あの、名取さん。本当に、最低限でいいですから」
「まだそんなこと言うのかい、夏目は。藤原さん達からもよろしくと頼まれてお金を預かっているし、これは私としても入学祝だって言っただろう?」
「え、えぇまあ……
「それに、新しく買おうと張り切っていた藤原さん達を『名取さんと相談したうえで買う』と押し留めてきたんだろう。なら、ちゃんと用意しなきゃウソになってしまうよ」
「そ、そうなんですけど……
 悩まし気に眉を寄せて夏目が見渡す広い売り場、その天井からは様々な案内ボードがぶら下がっている。『ベッド』『棚・収納』『テーブル』──そう、ここは家具の売り場だ。
 名取と同居するにあたって、夏目は藤原家で使用していた家具をそのまま使うつもりだった。しかし和室であったあの家の自室と違い、名取のマンションで与えられた部屋は洋室だ。おまけに家具のどれもが元々藤原家にあったものばかりで、そろそろガタが着ている物も多かった。
 座布団に座って勉強した低い文机、少ない衣服をしまっていたタンス。夏目の身の丈の半分ほどしかない本棚。今にして思い返してみれば、なかなか物の少ない部屋だった。それでも、夏目にとっては思い出深い自分だけの部屋の、自分の持ち物だった。
「貴志くんがたまに帰って来た時そのまま使えるように、うちのはそのまま置いておいて、名取さんのおうちには新しい家具を持ち込みましょう!」
 思い立ったが吉日、とばかりに普段使用している財布と共に銀行の通帳まで手にして立ち上がった塔子と、それは名案だとばかりに頷いた滋を止めるのは苦労した。結局、運び込めるものの大きさも考えて名取と二人で買いに行く、と宥めたが、自分のことを三年以上も息子として受け入れてくれた夫妻はそれが夏目の遠慮の心から出た方便である可能性も予測していたのか、改めて挨拶に来た名取に封筒を預ける始末。それに恐縮してしまいながら、どこか嬉しい自分もいたのは記憶に新しい。
 けれどこうしていざ売り場へ来てしまうと、やはり多少の申し訳なさが顔を出す。けれど、あまり意地を張って遠慮し通しなのも逆に相手に失礼になることも、夏目はもう知っているのだ。
「さて、どこから見ようか」
「そうですね……
名取の部屋にはクローゼット用の空間が作られているので、コートなどを収納する大きな洋服ダンスは必要ないだろう。要るとすれば畳んだ衣服をしまっておく収納だろう。他には大学関係で増える書類や書籍を管理できる棚と、シンプルでいいからテーブルと椅子があれば……。あぁ、意外と物が入用だなぁと実感しながら、やはり買い物は大きなものから済ませてしまいたいと考えれば、天井からぶら下がるプレートを追いかけていた瞳がぴたりと止まる。名取もその視線を追いかけて「そうだね、そこからにしようか」と頷いて夏目を促すように一歩先を歩きだした。
他の場所よりもひときわ大きな家具が並ぶその場所のプレートは『寝具・ベッド』である。
「部屋はフローリングだって言ったのに、布団敷いて寝るからベッドはいらないって言われた時は、本当にどうしようかと思ったよ」
「う、散々説得されたから、今はそんなこと思ってないですよ。……でも俺、あんまりベッドって使ったことなかったんですけど、色々あるんですね。名取さんのは、広い部類になるんですか?」
 自分のベッドが手に入るまではソファでいいと言うのを丸め込まれて一緒に眠った名取のベッドを思い出して、夏目が問う。立派な成人男性である名取とそれなりに小柄とはいえ同じく男である自分が並んで眠れたあのベッドは、一人用ではなかったのだろうか。
「そうだね、少し広めのセミダブルって種類だよ。体が伸ばせるし、ある程度寝返りも打てるから気に入ってる。夏目もそれにするかい?」
「いえ、俺は普通にシングルで……あ、収納があるのは便利ですね。あのマットレスって洗濯できるのかな」
 家具の細部や商品紹介、時には値段などに目をやってあれやこれやと吟味している夏目の姿を、時折求められるアドバイスに応えつつ、名取は微笑んで見守るのだった。



*****



『だんだんと春の陽気になっていますが、今夜は明け方にかけてが冷え込みます。もう半袖半ズボンをお寝間着にしている方は、ご注意を!』
 適当にチャンネルを合わせたラジオで天気予報を告げるアナウンサーの軽快な口調を聞きながら、名取はハンドルを操った。
「とりあえず、最低限の買い物はできたかな」
「はい。今日は本当に、ありがとうございました」
 ベッド、机、収納棚と一通り購入を決め、配送や設置もサービスでしてくれるものにはその実施希望日も無事に抑えた二人は、ショッピングモール内にあるレストランで夕食を食べてから帰路に就いた。
マンションの部屋に買った物を運び込み、交代で入浴を済ませた頃にはもうくたくただった。明日も休みだからいいだろう、と名取は自分たちの予定を脳裏で確認しつつ適当な姿勢で横になったままふにゃりと柔らかくなった夏目の横に上がり、甲斐甲斐しく布団をかけてやる。
「んん……
「ほら、そんな隅にいたら落ちるぞ夏目。下で寝てる猫ちゃんがクッションになるから怪我はしなそうだけど」
「私が怪我をするだろうが! ベッドとテーブルが届くのは三日後だったか?」
「そうみたいだ。あぁ駄目だな、完全に寝ちゃってる……よいしょ、っと」
 ふぅん、とさほど興味がなさそうに欠伸をする猫の声に応えながら、名取は華奢な体を抱き寄せるようにしてマットレスの中心へ動かす。初めて出会った頃よりは年相応の体格になったとはいえ、結局自分よりは小柄のままになりそうな少年の安心しきったような寝顔に、名取は微笑ましさとも呆れともつかないような息を吐いた。
 初めて一緒に寝泊まりした時に見た、悪夢に魘される声と涙。今はもう、あんなことはないのだろうか。こんな風に穏やかな眠りを、夏目が少しでも多く取れているのなら良いのだが。
 涙を流しているのなら、自分が拭ってやれる。魘されているのなら、すぐに起こしてやれる。こうして隣で眠っている間は、それができる。だがそれはつまり、あと数日して夏目が一人眠るようになればそれが出来なくなるということだった。あぁ、それは少し……
 そこまで考えて、はたりと思考が止まる。何を考えているのか、相手は小さな子供ではないというのに。
 すぅすぅという穏やかな寝息に重なって、ぷぅぷぅというどこか間の抜けたな鼻息まで聞こえてきた。ベッドのすぐ足元に置いた座布団の上の用心棒も、とっくに眠りの世界へ旅立ったことを知る。名取はもう一度夏目の布団をかけなおすと、自分もまた隣の空間へと潜り込んだ。
 ふと手を伸ばして、夏目の色素の薄い髪をなでる。闇に慣れた目と窓から射しこむ月明かりを頼りに前髪を直してやって、心地よい体温を持つ体にそっと腕をかけて、少しだけ引き寄せる。今夜は、明け方にかけて冷え込むそうだから。きっと、くっついていれば温かいから。
「ん、ぅ……
 起こしたか、と一瞬心臓が跳ねる。しかし名取の予想に反して夏目の体は離れることも反対を側向くこともなく、逆に名取の体へと近寄ってきた。ドライヤーのおかげでしっかり乾かされた前髪のかかる額を、すり、と名取の胸元に埋めるようにすり寄せられる。
 それからまた、すぅ、と深い寝息が聞こえてくるまで、名取は自分でも気づかずに口元を抑えていた手を外すことなく、目を見開いてその様子を見ていることしかできなかった。詰めていた息を吐きだして、自分の眼がすっかり冴えてしまっていることを自覚する。
「なつめ……
 こんな風に、甘えられたことがあっただろうか。いや、眠っているのだから甘えかどうかはわからない。ただ傍にある体温を求めて近づいただけなのかもしれない。
 けれど、今こうしてどうしようもなく感じている甘やかな感情は確かに名取の中に存在していて、それが向かっている先は──。
……おやすみ、夏目」
 それを明らかにしてしまうのが今なのは、何やら少しだけ惜しいような気がして、やめる。
胸元にすり寄せられた頭はそのままに。夏目を起こさぬよう小柄な体を自身の腕の中に優しく迎え入れながら、名取はただ穏やかな幸福と共に、目を閉じるのだった。