ORANGE*AXE/小野美歓
2025-12-22 21:34:46
5948文字
Public 風花
 

サプライズ【ディミメル】

ディミトリ=アレクサンドル=ブレーダッド生誕祭2025記念(遅刻)の小話。
当然のようにディミメル。蒼月√クリア後、1186年のディミトリの誕生日の話。短編再録集「CANDY BOX 4」収録。

 ディミトリが本来の住居である王宮に戻ってから三節になる。星辰の節、二十の日――戦後の復興と統治で目まぐるしいまでの多忙の中にあった彼だが、この日は一つとして予定を入れておらず、朝から時間を持て余していた。
 何もすることがないので、昨日に執務室から持ち帰っていた書類を読むしかなかった。何故そんな状況に置かれているかというと、原因はおよそ一節ほど前、所用で王宮を訪ねて来たフェリクスの発言にある。
 彼はフラルダリウス公としての用件を持ち込み、それを片付けた後、今度は友人としてディミトリに言った。「来節の二十の日だが、この日は一日空けておけ。絶対に予定を入れるな」と。いつにも増して眉間の皺は深く、異論は許さないと言わんばかりの態度で、だ。
 口を挟んでフェリクスの怒りを買うことを恐れるディミトリではないが、この時は素直に頷いた。積み上がる仕事に没頭しがちで休養を疎かにしているものだから、いい加減区切りを付けろと言いたいのだろうと思ったからだ。大修道院から帰還してからというもの、休日を設けろという声を躱しながら仕事を続けてきたのは、言い逃れのできない事実であった。
 一節先の話で、長期間王都を離れるような予定はない。これ以上の無理は皆の心労が増すだけだと悟ったディミトリは、フェリクスの言葉に従うと告げ、次いで何をするつもりなのかと問うた。休め、ではなく、予定を入れずに空けておけ、であったから、そこに何かしらの用件を入れる心算なのだと考えるのは当然だ。しかし、フェリクスは渋面のままで答えをはぐらかした。
 具体的な用件は分からずとも、フェリクスが強い言葉で以て望むのだから、然るべき事情があるのだろう。必要な情報は追々寄越してくるはずだと思い、それ以上は追及しなかった。
 フェリクスが指定してきたその日が自身の誕生日だと気付いたのは、それから二日ほど後のことであった。優先すべきことがありすぎるために、個人的な事項は考えないようにしていたのではなく、全く以て単純に、その時まで綺麗に忘れていたのだ。とはいえ、フェリクスが誕生日の祝いに……とも考えにくかったので、然して期待は持たないままで多忙な日々に希釈され、気がつけば当日になっていた、という次第である。
 結果として、予定を入れるなと厳命していったフェリクスからは、今日については何の連絡もなかった。今節の初め頃にも会議でフェリクスと顔を合わせているが、その時は個人的な話をする前に彼は慌ただしく自領に戻っていった。不審なことこの上ないが、去ってしまった相手には問いようがない。
 気になることは、もう一つある。一週間ほど前から、イングリットが不在なのだ。今は騎士として王家に仕えている身だが、かといって実家であるガラテア家に対する責の全てを放擲したわけでもない。領地で何かあったのかと思い、休暇をと願い出た彼女に事情を尋ねてはみたが、個人的な用件で、と言うので、これ以上は余計な詮索になると思って追及は避けた、が……
 もしや、イングリットもフェリクスの件に関わっているのか? そうと思えば、手元の羊皮紙の記述に意識を向けるも、目が滑ってしまって、内容は頭に入ってこなくなってしまった。溜息を吐き、書類束を机に置いて顔を上げる。同時に視界も動き、見慣れないものが置かれていることに気付く。生花を活けた花瓶が、そこにあった。
 花を飾ったのはドゥドゥーの仕業だろう。別に花は嫌いではなかったから、それ自体は何ら問題ではない。だが、これまで置かれたことがなかった物があれば、当然に疑念が湧く。
 大した理由などないかもしれないが、違和感を捨て置く気にもなれない。現時点で確認が取れる部分について明らかにすべく、ディミトリは席を立った。少なくともそこの花瓶については、ドゥドゥーに聞けば事情は分かるはずだ。
 その刹那である。立ち上がり、外に向かうべく動き出して、扉に辿り着くまであと三歩というところで、廊下から物音が聞こえてきた。複数の人間の靴音と、話し声だと思われる。扉を隔てているために不明瞭なそれらは、訪問者の存在をディミトリに認識させた。
 フェリクスの顔が真っ先に脳裏に浮かぶ。花瓶の件も気にはなるが、来訪者がフェリクスならば、それは後回しでも構わなかった。一旦止めた足を再度踏み出すか迷ったディミトリの耳に、今度は軽く扉を叩く音が届いた。通りすがりの従者ではなく、やはり訪ねる者があったのだ。
 来客を案内してきたと言って入室の許可を求めてきたのは、ドゥドゥーだった。謁見の間や執務室ではなく、許可を得ないまま私室に連れてくる辺りから、一緒にいるのも近しい友人たちだろう。探す手間が省けたと思いつつ、ディミトリは入るように告げた。
 押し開かれた扉の隙間から見えた巨躯の傍らに、こちらも見慣れた幼馴染の姿がある。気になっていた諸々を纏めて聞き出す好機だ。ドゥドゥーに促されて入ってきたフェリクスに「よく来たな。外の雪はどうだった」と声を掛け――しかし、そこでディミトリは止まった。奥の椅子に向かうべく反転しようとした身体だけでなく、表情、思考に至るまでの全てが。
 ドゥドゥーが伴っていたのはフェリクス一人ではなかった。フェリクスに続いたのが休暇中のイングリットで、用件が早く片付いたのだろうと軽く考えたのだが、更にもう一人の姿が見えたばかりか、それが完全に想定外の人物で、あまりの驚きで固まってしまったのだ。
「おはよう、ディミトリ。……久しぶり、ね」
 イングリットのすぐ後ろからおずおずと顔を覗かせたのが、今はガルグ=マク大修道院にいるはずのディミトリの恋人――メルセデスであったから、咄嗟に反応できなくなってしまったのも無理からぬことである。


 五年余に及んだ戦争に区切りが付いたのがこの夏の終わりのことで、程なく戴冠式が挙行されたのだが、その前日にディミトリはメルセデスと女神の塔で会い、互いを生涯の伴侶とする約束を交わしていた。
 しかし、戦争勃発直後の政変によって王宮を追われ、長く流浪していた身だ。ファーガス公国を僭称する親帝国派を王都から排除したものの、王宮や政庁には確固とした足場はないも同然だった。ゴーティエ辺境伯に預けていた諸々を受け取り、改めて王宮と政庁を掌握してからでなければ、メルセデスの身の安全が保証できない。そう考えたディミトリは状況を彼女に説明し、半年ほどの時間がほしいと請うた。
 メルセデスはディミトリの立場と重責とを理解していて、そうと知りながら指輪を受け取ったのだからと、待ってほしいという言葉には素直に頷いてくれた。王都の雪が解ける頃には必ず迎えに来る。そう約束して、王都と大修道院とに別れることになったのだ。


 自分でも分かるほど明らかに、ディミトリは混乱していた。大切な恋人の身柄を信頼する師に預け、大修道院を後にしてから三節になる。それから今日に至るまでは、大修道院との定期連絡を利用して個人的な手紙を送り合ってはいたが、約束した通り春までは会えないはずだった。
 左手の指を飾る菫青の貴石は、求婚の際に贈ったものに相違ない。メルセデスが、自分の目の前にいる。そんな単純なことだというのに、俄には信じられない。何故。どうして。どうやって。聞きたいことが次々と脳裏に浮かんでは消え、思考は混沌として纏まらない。
 恋人を凝視するばかりで身動ぎもしないディミトリの前に、顔を顰めたフェリクスが割り込んできて曰く。
「おい、猪。俺は一度外す。日が暮れる頃にまた来る」
 淡々とした調子で告げると、フェリクスは返答を待たずに踵を返してしまう。低い声に耳朶を打たれてディミトリの意識が現実に戻ってきた時には、フェリクスの背は扉の向こうに消えていた。
 相変わらずとしか言いようがない幼馴染の態度に呆気にとられていると、イングリットが代わりに頭を下げ、更にイングリットは、実はこのために休暇をいただいたのです、と悪戯めいた笑みで言った。
「陛下の誕生日のお祝いについて、フェリクスから話があった時は私も驚きましたが、発案はシルヴァンだと聞いて納得しました。祝いの宴や贈り物もいいが、今の陛下には彼女と過ごす時間の方が何より嬉しいものだろう、と」
 つまり、フェリクスとイングリットはシルヴァンの提案に乗り、誕生日の祝いとして居所の離れた恋人を連れて来る役を担った、というわけだ。成程、理由を問うても濁すはずである。
「そういう事情ですので、私も一度失礼致します。また夕方に戻ります」
 丁寧に腰を折った後にイングリットが辞去し、彼女に続いてドゥドゥーも、紅茶の支度をすると言って出て行った。恋人同士の時間の邪魔はできないから、と言わんばかりの慌ただしさである。一方で、その時間が同じ頃合いで区切られている点が気になった。二人とも再訪を予告していたが、どういうことなのか。
「フェリクスもイングリットも、夕方に戻ると言ったが……何か聞いているか?」
 二人の発言の意図が掴みきれず、事情を知っていそうなメルセデスに問うと、彼女は楽しそうに微笑んで。
「お祝いの席を用意してるんですって。アッシュとアンも来るって聞いているわ」
 予定を一切入れずに空けておけと言われていたから、何か企図しているのだと思ってはいたが、よもや、である。可能性は脳裏を過ったものの、フェリクスのことだからと早々に捨てたそれこそが、実は正解だったというわけだ。
「お前をここまで連れて来てくれただけではなかったのか。皆が俺に秘密でそんな計画を立てていたとは、全く気付かなかった」
「あらあら~。あなたのことだから、仕事のことで頭がいっぱいだったのね、きっと」
「それもあるが、予定を空けておけと言われただけで、他は一切説明がなかったんだ。俺の誕生日だということには気が付いたが、言ってきたのがフェリクスだったから、関係があるとは思わなくてな」
 騙されたとは思わないし、皆が心を砕いてくれたことは素直に嬉しい。ただ、固定観念に囚われては視野が狭まるのだと、認識を新たにすべきだろうとは思う。
 事の経緯が概ね把握できたところで、ディミトリは改めて恋人に向き直る。予想外の事態に混乱したが、顔を合わせ、言葉を交わして、ようやくこれを現実だと認められた。
「ここまでの道中は大変だっただろう。体調は問題ないか?」
「ええ、私は大丈夫よ~。あなたはやっぱり、少し疲れてるみたいだけど……
 長旅の労を思っての問いにメルセデスは笑顔で頷くと、次いで顔を覗き込んできて、気遣わしげに言う。碌に休養を取っていないことは事実で、顔色から疲労を見抜くくらいは彼女にはわけもない。隠したところで無駄と理解しているので、ディミトリは「それは、まあ、な」と一応認めた。すると、彼女の双眸に僅かに揺らぎが見えて。
「もしかして……急に来ちゃったの、迷惑だった?」
 考えてもいなかったことを言われ、我知らず目が瞬いた。約束があるからと口には出せないでいたが、会えるものなら会いたいと、願いを胸に秘めてこの三節を過ごしてきたのだ。迷惑でなど、あろうはずがない。
 それは違う、と、ディミトリは断言して、更に。
「まさかお前が来てくれるとは予想もしていなかったから、驚きすぎて少し混乱してはいるが、それだけだ。気を遣わせてすまない」
 嘘や方便の類ではなく、言った通りだと納得してくれてか、メルセデスの容に安堵が広がり、陰りは失せた。
「ううん、あなたが謝ることじゃないわ~。大修道院にいた頃よりもたくさんの仕事に追われて忙しいのに、お祝いにかこつけて無理に時間を取らせたから。余計なことしちゃったかな、って」
「考えすぎだ。寧ろ俺は――
 願いが叶って嬉しい。そう言おうとして、しかしディミトリは続く言葉を飲み込んだ。代わりに一歩、メルセデスの方へと踏み出し、腕を伸ばす。指先が肩に触れると同時に、菫青の瞳が瞬く。驚いたような反応に湧いた僅かな逡巡を振り切り、そのまま腕を回して抱き寄せると、彼女の身体は然したる抵抗もなく胸元に収まった。
 温かな重みと淡い花の香りが、三節前のあの日を思い出させる。暫くの間は離れて暮らすと決めた後、出立の前にもこうして抱きしめた。一つでも多く、彼女のことを覚えていたいと思ったのだ。あの時と何も変わらない。それがどうしようもなく嬉しい。
 ようやく実感が湧いてきた。胸裡を巡る愛おしさを込めて、ディミトリは囁いた。
「ありがとう、メルセデス。これ以上はない、最高の贈り物だ」
 メルセデスが腕の中で身動ぎ、顔を上げた。真っ直ぐにディミトリを見つめ、微笑み、そして。
「喜んでもらえて嬉しいわ。私もね、ずっとあなたに会いたかったの」
 そう言って彼女は微笑み、胸元に顔を埋めた。


 互いに腕を回して抱き合い、恋人の存在を確かめる。過ぎた無言の時間はどれほどか……不意に、遠くで物音がした。それが実際のものか、自分たちに関わりがあるか否かはさておき、ディミトリの意識が現実に戻る切欠にはなった。
 メルセデスは体調には問題ないと言ったが、長旅の後の疲労はあるだろう。支えがあるとはいえ、いつまでもこうして立たせていては休めまい。離れがたく思いながらも、ディミトリは腕を解いた。
「そろそろドゥドゥーも戻るだろう。紅茶を飲みながら、向こうの話を聞かせてくれるか」
「ええ。会えなかった間のこと、私もたくさん聞きたいわ」
 奥の長椅子でドゥドゥーを待つことにして、メルセデスに移動するように促す。が、先導すべくディミトリが踵を返した刹那に、「ちょっと待って」と引き留められた。何事かと思いつつ再度向き直ると、彼女は肩から提げた小さな鞄を開いて中を探っていたが、ややあって。
「遅くなったけれど……これは、私から」
 メルセデスは小さな木箱を掌に乗せて、軽く掲げた。それは何かとディミトリが問う前に、彼女が自ら蓋を開く。中に収められていたのは、空色の貴石をあしらった指輪だ。
 それが何を意味するものかは、彼女との間では聞くまでもないことで。心を一瞬で染め上げる歓喜に煽られて、ディミトリはもう一度メルセデスを抱きしめたのだった。

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※補足:メーチェからの指輪が「遅くなった」のは、殿下の求婚から出立まで間がなさ過ぎて、用意が間に合わなかったから。

※余談:毎度ながらタイトルがイマイチ。短編集収録時までに良いのを思いついたら改題します(ぉ