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2025-12-22 08:49:38
15553文字
Public レイチュリ
 

【レイチュリ】I ( ).【サンプル】R-15

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「これは、僕が知る限り、世界で一番優しい尋問の話だ」


辺境星系スルカザミーンで業務中、その星での記憶を失ったアベンチュリンは、レイシオと共に調査を始める。

事件物です。サンプル少し長めに置いておきます。(全体の半分弱程度です)
少し人を選ぶお話です。ハッピーエンドの手前で終わります。
2025年の初夢で私がレチ本を出す夢を見た、という友人へ。


🐯通販

https://ecs.toranoana.jp/joshi/ec/item/040031283870



 ―― 閉じた瞼の上に光を感じる。まどろみが波のように過ぎていくのを感じながら、僕は指先を擦り合わせる。
 祈るように、厳かな儀式のように。指の温度で、自分の持つチップを数える。
 いつだってチップは一枚。僕の命、ひとつだけ。








 乾いた土の匂いがした。
 吸い込んだ空気は、カンパニーから与えられた部屋の空気とは程遠い。
 昨夜の記憶をリピートする。夜はつまらない商談、その前はジェイドの執務室に立ち寄った。そういえばトパーズも来てたっけ。
 午前は、不良債権回収先のチェック。部下のレポートを読んで、面倒なことになりそうだとうんざりしたんだった。あの気難しい石膏頭のパートナーに、連絡を取っておこうかと思う程度には。
 さて、昨日の行動のどこを切り取っても、僕は土の匂いで目覚めるような覚えはない。
 ベッドサイドで簡単な連絡をとって、シーツに入ったのが最後だ。   
 夢の中にいるうちに何があった? 流石に寝室へ侵入されるようなヘマは犯してないはずだけど。
 ため息混じりに瞼をあげて、固まった。
 横たわる僕を覗き込んでいたのは、想像もしない人物だった。
―― 教授?」
 思わず子供のように声を上げた。間抜けだけれども許してほしい。
 だってそこにいたのは、博識学会で教鞭を取っているはずのベリタス・レイシオだったんだから。
 もしかしなくても、まだ夢の続きなんだろうか。やけに硬い寝台から上半身を起こすと、レイシオは小さく鼻を鳴らした。
「ようやく目覚めたか。アティニー・クジャクも、睡眠中は静かなものだな」
「え、え――? ちょっと待って、なんで君がここにいる?」
「僕の存在を問う前に、自分がなぜここにいるのかを僕に説明すべきだな。君にはその義務がある」
「ここにいる理由って……君が僕を連れてきたんじゃないのかい?」
 面食らったまま、頭に浮かんだ予想を口にすると、レイシオはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「窓の外を見てみろ。それでわからなかったら、僕に言え」
 踵を返すと、教授は青い衣を靡かせて光のある方に向かう。自然光だ。
 僕は寝台を抜け出すと、見慣れぬ部屋の土壁や、幾何学模様の織物を用いたタペストリーを見回しながら、レイシオを追って光差し込む窓へ辿り着く。はめ込みの木戸が開け放たれ、乾いているが心地よい風が頬を撫でる。
 古い街が広がっていた。土塗りの壁と屋根で作られた集合住宅。中央には、やはり古代神殿のような遺跡がある。見慣れぬ街。僕が拠点にするカンパニーの高層からは決して見ることのない景色。
 どこか郷愁を感じる佇まいを、僕は、よく知っていた。
「スルカザミーン……
 それは、僕が次に向かう予定だった、不良債権回収先の辺境惑星だ。
 どうして。
 頭の中で複数の可能性がめぐり、僕は口元を片手で押さえた。どれもあまり嬉しくないケースだ。
 やがて最も可能性が高いパターンを特定したあたりで――多分1秒にも満たなかったろうけど――背後にいたレイシオが、待ちかねたようにため息をついた。
―― 君はこの星に、とっくの昔に到着している。そして、音信不通になった。君からの定時連絡が途絶えて168システム時間以上が経過、事態を憂慮したカンパニーが僕をこの星に送り込んだ」
 眼下の町から目を離せずにいる僕の横顔に、彼は容赦なく視線を刺した。僕が生み出すペテンの一つも見逃すまいというように。
「さて、弁明は? 一体君は、この町で何をしていたんだ」
 僕は唾を飲み込んだ。動揺はまだ残っているが、パートナーの彼に無様な姿を晒したくない。
 けれど紡いだ声は、残念なことに、少しだけ掠れていた。
「それがさ、教授。信じてもらえないかもしれないけれど、何も覚えてないんだ―― 僕は、この星についてからの記憶を、すべて失っている」











 レイシオは意外なことに、僕の主張を信じたようだった。
 窓辺で立ち尽くす僕を寝台に座らせた後、いくつかの問診と身体スキャンをした後で、深く息を吐いた。その吐息ひとつで、彼は現状に区切りをつけたようだった。
「それで、君はこれからどうする?」
「信じてくれるのかい?」
「それ以外の手段がないからな。君の話が嘘にしろ、そこには何かの理由がある。現時点で君の話を疑い、この部屋に立ち往生したところで、僕の仕事は進まない」
「なるほど、合理的だ。それで僕は、合理的な君が博識学会の教室でも研究室でもなく、こんな辺境惑星の宿屋にいる理由を聞いてもいいのかな」
「さっきも説明したはずだが? 喧しい派手なクジャクが急に鳴き声を閉ざしたせいで、僕に余計な仕事が回ってきた。正直、断っても良かったが、この星に関わりがないわけでもない。僕の預かり知らぬところで、特許の一つが使われていてね。その後片付けをするついでに、致し方なく引き受けたというわけだ」
「それはそれは、ご苦労様なことで」
 僕を見つけたのは、カンパニーの緊急ビーコンを追った結果らしい。
 ちなみに僕はそんな物を持った記憶はない。(もちろん、類する何かはつけられてるだろうと予想していたけれど) 
 幹部、兼、元奴隷で死刑囚の辛いところだ。
 一人納得する僕に向けられた、教授のまなざしが険しくなる。
 ああこれは、 「これからどうする?」という彼の問いに早く答えろと痺れを切らしているわけだ。記憶喪失の相手に慈悲はないのか。ないな、なにせレイシオだし。
「とりあえず、元々この星でやろうとしたプランをなぞろうかな。この町を歩き、中央部の神殿に向かう。おそらく僕が連絡を絶った168システム時間くらい前と、同じ行動になるはずだ。僕らはこの街では目立つだろうからね。僕の記憶を奪った犯人がいるなら、何かしらのアクションを仕掛けてくるだろう」
「なるほど。そのプランを採用した場合、僕が巻き込まれる危険性についてはどう考える?」
「君なら大丈夫さ、マイパートナー」
 両手を広げて彼を鼓舞すると、レイシオは心底嫌そうに舌打ちをした。


 スルカザミーンは、かつて、辺境星系貿易戦争の主役を務めた星々のひとつだ。昔は貴重な鉱石資源を元手に、周辺の星々と活発に交流をしていたらしい。第一次機械皇帝戦争にも絡んでいたというから恐れ入る。
 だがこの星も、隆盛するカンパニーの前には無力だった。
 半琥珀紀程度の戦争のちにスルカザミーンは降伏。入念な検討をもとに結んだ条約は、百戦錬磨のカンパニー使節によってほとんどが形骸化され、鉱石資源は掘りつくされた。(その貴重な資源は、機械皇帝戦争でろくでもない技術で消費されきったらしい。世は無常だ)
 やがてカンパニーは旨味を失ったこの星に興味をなくした。
 星として自立するための手足を奪われたスルカザミーンは急速に衰退した。もともと鉱石貿易を元に食料を輸入することを前提とした、不毛な移民惑星だ。自給自足もままならず、かといって他の星に飛び立つ力もない。
 放棄されたこの星は内戦を繰り返し、人口は縮小。
 かろうじて残っていた外部とのつながりで、食料を得るためにと縋りついた商談は、最悪の計画だった。
 スルカザミーンは星の5割が砂漠地帯だ。自分たちが暮らす土地の半分を、彼らは、巨大兵器の実験地帯として差し出した。
 さらに生態系は乱れ、かろうじて残っていた農作地帯もなくなった。栄華を誇っていたころに生み出された、アンティーク生命維持装置に食料や水をデザインしてもらって命をつないでいる。
 かつて軌道上に巨大ステーションを打ち上げていたこの星の、現在の人口は、100人に満たない。
―― 話には聞いていたが、ずいぶんな有様だな」
 町の通りを歩きながら、レイシオが眉をひそめた。
 僕は苦笑する。土壁を固めた家並みは、お世辞にもきれいとは言えない。壁は欠け、居住空間が外から見えるものがほとんどだ。
 気の利いた家は、板切れや布を下げることで目隠しにしているが、そのまま放置されている家も多い。中には完全に崩れ、盛り土状態になっている区画もある。
 建築技術の乏しさ、その簡素な家ですら修復ができない現状が目に余る。愚鈍を嫌うレイシオには辛いだろう。自ら立ち上がれない凡人こそ、彼の治療対象らしいから。
「なにしろ、自分たちで食料を得る手段がないからね。クラシックな生命維持装置様が、今日も安定稼働して、現在の住民分の食べ物と水を届けてくれるのを待つしかない」
「ならこの星の成人たちは何をしている?」
「一部の人間たちは、生命維持装置のメンテナンスに従事しているよ。ただし衰退の過程で、アクセス権は特権階級に独占された。おかげで技術者は増えず、技術の進歩もしなかった。スルカザミーンに残っているスキルはごくごく原始的なものだ。こうなると、彼らの生活はほぼ神頼みに近い。なので他の大人たちは、毎日祈りをささげているよ。生命維持装置様に、どうか壊れないでってね」
……それでも、生活の維持としての仕事があるだろう」
「生活の維持は、ビジネスではなく相互補助。家の壁を修復する代わりに、服を繕ってほしい。子供の面倒を見る代わりに、食料を運んでほしいってね。お互い助け合って生きているってわけだ」
 つまり、スルカザミーンの現在の住民が、生活を通して教育や向上を望む機会はほとんどない。
 レイシオは深々と眉間にしわを刻んでから、口を閉ざした。まあ気持ちはわかる。彼の生い立ちや信条からすれば、そんな顔にもなるだろう。
 ただこの星は、ツガンニヤによく似ている。
 少ない食料を自分たちで得るために、創意工夫をする必要はあった。けれど、取れる手段は限られていた。カティカ人から遠ざかり、時に狡猾に距離を詰めながら、自分たちの生活を守ることに人生を費やし、地母神に祈りをささげた。
 閉塞した生活だからこそ、カンパニーの手を取ろうとしたんだから。
 物憂い思いが僕の後ろ髪を掴みかけたところで、レイシオが立ち止まった。
「着いたぞ。ここが、町中央部の神殿なんだろう?」
 まつ毛にからむ砂埃を払うように瞬きをしてから、僕は前方の建築物を見上げた。
 小高い丘の頂上にそびえる、この町にしては大きな石造りの円柱と三角屋根。柱の数は二十を超えるだろうか。奥の建造物には窓がなく、陰に沈んでいる。恒星の光に照らされ続けるスルカザミーンの住民にしてみたら、常に闇の中にいるというだけで、神聖を帯びるだろう。
 まあ、単に中の生命維持システムを日差しにさらさないようにしているってだけらしいけど。
 事前のレポートにあったのと寸分たがわない神殿をながめるように、ゆっくりと周回する。ちょっとした散歩はすぐに終わった。そんなに広い神殿じゃない。裏手は崖で、その先は広々とした荒野だった。
 ちょうど、崖のあたりに薄い光の壁が出来ていた。光は小さな町を覆っている。
 このドームが、生命維持装置の作り出したスルカザミーンの生存領域なんだろう。この星は、人型の生物が生身で暮らすのは難しいから。
 この星の人たちは、荒野から小さなオアシスを見つけた感動や、わずかな草原を渡る風を浴びる気持ちよさを知ることはないんだな。
 ふと自分がずいぶんセンチメンタルな思考に引っ張られてることに気づいた。さすがに苦い笑いが漏れる。ここには仕事で来てるんだから、カンパニーの幹部として成果を出さないと。
「さて、こうやって神殿を半周したわけだけど……どう思う、レイシオ?」
「何も起きないな」
「そうなんだよねえ。こうして町のどハズレまで来てあげたっていうのに!」
 無表情で答えるレイシオへ、大げさに嘆く真似をして見せた。
 別に考えなしにここまで来たわけじゃない。
 僕の記憶を奪った原因はこの星にある。スルカザミーンの住人が無関係とは思えない。僕のプロジェクトは間違いなく、この星で暮らす人々の利益と相反するのだから。
 自分たちの生活を脅かす男が、もう一度、この星の重要施設に現れた。しかもその場所は、居住区から離れた町の外れだ。ここまで条件を揃えてあげたんだから、反応はあっていいはずなんだけど。
 ふいに神殿の石扉が開いた。出てきたのは年若い夫婦だ。男は古布に乾布に包んだ平たい穀餅を抱え、女は陶器の皿に白く乾いた乳脂の塊を入れていた。つまりこの二人は、僕を出迎えにきたわけじゃない。
 丘を下っていく二人から目を離し、やや白けたようなレイシオに肩をすくめた。
 さて、これはどう考えようか。
 記憶を奪われた僕であれば、神殿に来ようと影響はないと思われた?
 なら僕は、この星で何を知った? それはどこで?
―― 仕方ない。あまり興味はなかったけど、この町の逆サイドに行ってみようか」
「そこには何が?」
「珍しいな、君が前知識もないなんて。この星に存在する一番近い実験場だよ」
 レイシオの目つきが、少しだけ鋭くなった。


 いや驚いた。何がってレイシオの質問が。
 彼ならどんなに不本意な仕事だろうと、調べられる限りの情報を得てからこの星の土を踏むはずだ。
 町を抜ける間に、彼の事情を聞いて納得した。
 カンパニーはレイシオに対して、スルカザミーンの情報を極力隠していた。
 なんでかって? それはもちろん、負い目があるからだ。
 経緯はこうだ。かつて技術開発部がレイシオの特許を使い、ある兵器の実験をした。
 ただ使用にあたり、正規の手続きが踏まれなかった。
 互いのスタッフの、単純な事務ミスが原因だったらしい―― さすがにそれは嘘だろう、と思ったけど、少なくともレイシオの側にはミスと呼ばざるを得ない手順が発生していた。たまたま正規スタッフが急病で倒れ、つなぎで入った不慣れな臨時スタッフのせいで、たまたま起きてしまった不運なミス。
「それってさあ……
 思わず半笑いで返す僕を見て、レイシオは首を振った。
「当時の経緯は全て検証した。僕のスタッフにミスがあり、技術開発部の対応も事務ミスの範囲でしかなかったのは事実だ。なによりアポリが血相を変えて飛んできたからな。後の対応も誠意あるものだった。一点を除いては」
「それが、スルカザミーンの情報開示ってこと?」
「実験地区の上空映像、威力の計測データ。そういった表面的な情報は速やかに開示された。だが僕が希望した視察は、いつまで経っても進まなかった。『当該星域は市場開拓部の管理区であり、調整しているが折り合わない』という説明で。実験地域も社外秘情報にあたるため、開示申請が通らないと」
「なるほどね。それが今回ようやく叶ったってことか」
「さてどうだか。別に僕は視察に来たわけじゃない。行方不明のクジャク探しを引き受けただけだ。渡されたのは緊急ビーコンの信号だけで、社外秘情報は非開示のままだ。最も『どこを捜索してもかまわない』とは言われたがな」
「戦略投資部に?」
「他に誰がいる」
 僕の軽口に、レイシオはひどくつまらなさそうに答えた。
 教授は筋を通さないと気が済まないタイプだ。だから彼にとって『スルカザミーンの視察』は、本来は技術開発部が、市場開拓部の許可を取り付けて謝罪とともに企画するべき代物だろう。
 けれど市場開拓部は、この星の視察を許可しない。多分永久にその許可は下さない。
 そこに目をつけた戦略投資部が、取引を持ちかけた。僕の捜索を代償に。
 レイシオは渋々でも、ずっと引っかかっていた『勝手に使われた特許兵器の跡地』という喉の小骨を取り除ける。技術開発部は重要なパートナーのご要望を、市場開拓部とのヘビーな調整なしに叶えられる。戦略投資部は厄介な社内のいざこざに巻き込まれたのだろう僕の失踪に追加のリソースを割くことなく、多方向に恩を売れる。WinWinじゃないか。まあ教授にしてみたら、いいようにしてやられたという気分だろうけど。
 ……待てよ。とすると、レイシオのこの顔は、拗ねてるんじゃないか?
 隣を歩く彼の表情を伺う。さっき現れた感情は綺麗に拭われていた。見事な鉄面皮だ。愛用の石膏仮面にも劣らない。しまったな、もっとよく見ておくんだった。
 いずれにせよ、僕にとっては願ったり叶ったりだ。本来の管理者である市場開拓部に捜索されて、不要な借りを作るよりよっぽどいい。
 ジェイドあたりの采配かな。これは帰ったら、何か気の利いたお礼を考えないと。
 背景が読めてきた僕に、レイシオが何か問いかけようとしたところで、ちょうど道が終わった。
 町の逆側も崖だ。住民の居住区は高台に置かれたらしい。
 眼下はひどく抉れていた。土の色も変色していた。僕のつま先が踏みしめている地面は黄土色。それが、崖下から赤褐色に変わっている。
 スルカザミーンの生命維持装置によって作られた、光のヴェール。
 そのこちら側と向こう側で、ここまで違うのか。
 レイシオは手元の光学モニタを無感動に眺め、呟いた。       
「およそ人の住める区域じゃないな。熱源の残存はもとより、兵器実験による汚染がひどい。少なくともこの土地に有機生命が根付ける可能性はゼロだ」
「そんなことないんじゃない? 今だってアンティークな生命維持装置で暮らしている人たちがいる」
「時間の問題だ。辺境星系貿易戦争が起きたのはいつだと思っている? あんな装置、よく今でも動いているものだ」
「なら最新のテラフォームシステムなりコロニーなり運び込めばいい」
「それだけの旨味が、この星にあるとは思えないがな。めぼしい資源は採りつくされ、残された可能性も度重なる兵器実験でズタボロだろう。修復は存護ではなく豊穣の特権だと思っていたが。最も、カンパニーに豊穣のいい提携先があるなら、話は別だろうが」
……やれやれ、とんだ不良債権だな」
 苦笑を重ねる僕に、レイシオは真っすぐに視線を刺してきた。安易な言い逃れは許さないというように。
「そろそろ僕も聞かせてもらおう。なぜ、君はここにいる?」
「なぜって、そりゃあ僕の仕事は不良債権の……
「御託は僕の最も嫌うところだ。真実を話せ。戦略投資部の幹部が、自ら足を運ぶほどの必要性がこの星のどこにある」
 僕は口を閉ざした。彼の持つカードを見極めるために。
 レイシオは小さくため息をついて、手の中のカードを晒した。
「僕の特許を用いた兵器が使われたのはここだ。残存する反有機エネルギーの反応が証明している――君は、知っていたな」
 最後の問いかけは、僕の返答を必要としないほど、確信に満ちていた。
 降参だ。こちらも手札を見せようとしたところで、土を踏む小さな足音がした。僕たち以外の。
 振り返ると、町に続く石階段の入口に、一人の少女が立っていた。簡素な布の服と飾り気なく流された金色の髪。この星の住民だ。
 見知らぬ僕らにあっけにとられている。僕はレイシオに小さく目配せをすると、柔和に笑いかけた。
「こんにちは。僕らはスターピースカンパニーから来た視察団だ。町長さんから、話は聞いてない?」
……あ、はい。少し前に、天の上からまたお客さまがお越しになるって」
「そう、それが僕らのこと―― 着いたのはしばらく前だけど、まだ視察が終わらなくてね。そういえば、君とも挨拶してなかったっけ?」
 カマかけだ。もしこの少女と以前の僕に面識があったのなら、突破口になる。
 けれど少女は少し慌てたように首を振った。
「いえ、私はこの巡りを西地区で過ごしていたので、直接はお会いしていません。それに私たちは、お客様とはなるべくお話しないようにしているんです。この星に来る人たちは、みな大切なお勤めできているから、声を交わさないようにと」
 純朴な声にうその色はない。残念。手掛かりはナシか。
 そしてこの様子だと、住民に姿を見せて回ればいいというものでもなさそうだ。やけに町中に人の姿がないのも、意図して避けられていた可能性がある。
 町の長にとって、僕らは星を切り売りしている相手だ。できるだけ住民とは接触してほしくないだろう。これまで星を訪れた連中も、兵器開発で破壊する土地の人間と友人になる趣味はないだろうし。
「そうか、勘違いしてすまなかったね。 ところで君は、ここに何をしに?」
 少女はかすかに目を見張ったあと、はにかんだ。
「時間ができたときは、ここに来るんです―― 赤い色が、とてもきれいだから」
 言葉を失った僕らの方に歩いてくると、彼女は光のヴェールの向こう側を眺めた。
 あらゆる兵器に汚染された、赤褐色の大地を。
 レイシオが口を開こうとするのを目で制して、僕は口元に笑みを戻した。
「僕らはもう用事を済ませたから、ゆっくり過ごすといい。邪魔して悪かったね」
 不満そうな後ろの手を引く。なおも口を開こうとしていた教授は責めるように僕を見たが、無視だ。
 生命維持装置という檻のようなゆりかごで守られた、娯楽のない彼女にとって、この景色は貴重な心の慰めだ。真実が何になる。
 仲良くお手々をつないで、もとい偏屈な教授を引っ張って町に戻ろうとする僕にくすりと笑みをこぼすと、少女は挨拶のように両手を組んだ
「ありがとう―― あなた方にも、ラオスの愛が注がれますように」
 

 スルカザミーンの宵は、夜を迎える準備ではなく、昼が終わらないことを確認するための時間だった。
 大気の薄いこの星は、完全に光を失うことはない。白に近い光がくすんだ橙へとかわり、やがて赤錆色の薄光へと姿を変えていくのは幻想的ですらあった。すべて、光のヴェールの向こう側の出来事だ。
 宿の屋上から町を見下ろす。空が姿を変えるにつれて、石造りの家へと静かに入っていく人々がいた。同じ時間に、同じように。誰に強制されるわけでもなく。
 ひび割れた壁に肘をつき、レイシオがくれた携帯食料を口に運ぶ。機能性に富んだ栄養スティック。まずくはないが、うまくもない。
「うーん、喜びがない。もっとマシな食料はなかったのかい?」
「文句を言うな。大体、君自身は何も持ち込まなかったのか」
「さすがに何かは持ってきたと思うんだけどね、記憶と一緒に隠れちゃったみたいでさ」
「なら、それで満足しろ。栄養価に遜色はない」
 教授はすげなく答えると、腰程度まである屋上の壁に背を預けた。自分のスティックをかじりながら、僕が渡したスルカザミーンの資料に目を通す。
「生命維持装置《ΛΟΣ(ラオス)》―― スルカザミーン局地防衛・居住固定型生命維持基幹 、か」
「そう。もっとも防衛機能は内戦中に破損して、かろうじて天外からの放射線を含む光学防壁が残っているだけ。あとは約百人分の生命維持機能かな」
「きっかり住民分か」
「そういうこと。だから僕らは、この星での食料調達は望めない。僕の持ち込み分の行方が分からない以上、君のリソースが頼りだ」
「なるほど。食料が尽きたら、僕は帰らせてもらう」
「ええ! 僕の仕事は手伝ってもらえないのかい?」
「僕の目的も請け負った仕事も、とっくに果たしたからな」
 いけしゃあしゃあとレイシオはのたまう。
 僕は意地悪そうに口の端を釣り上げた。
「へぇ、君の『視察』はもう終わったんだ。あんなにさらっとした計測で?」
 わかりやすい挑発に、涼やかな眉が反応する。
 僕をとらえた金の瞳孔は、それだけで雄弁に意思を伝えてきた。
 こちらの目的に踏み込むなら、昼間の問いに答えろと。
 そういえばレイシオの疑問はそのままになっていた。あれから町を歩き、大した収穫もなく、けれど人の気配はあるから核心的な話もできないまま、町唯一の宿に戻ってきたんだ。僕が最初に目覚めた場所。
 でもまあ、今ならいいか。ここには僕らしかいない。
―― 市場開拓部のP28が二人、それからうちのP32が、この星で失踪してる」
 レイシオは器用に片目だけをすがめた。
「ずいぶんと筋の悪い案件だな」
「まあね。最初は普通に社内案件の引き渡しだった。でも嫌な予感がしてね。留め置こうとしたときには、部下が出発した後だった」
「僕が言うまでもないが、指示の速度は組織の成果に直結するぞ」
「わかってるよ。ちょうど、通院中だったのさ」
 混沌医師の治療を受けていたと匂わせると、レイシオは謝罪するように口をつぐんだ。
 僕としても忸怩たる思いはある。隙をつかれた、といってもいい。
 部下が連絡を絶った後、市場開拓部側でも失踪者がいることを知った。案件としてはもう正式に戦略投資部付けになったあとだった。
 つまり、体よく押し付けられたってことだ。
 レイシオは仕切りなおすようにスティックの欠片を口に入れ、咀嚼し、飲み込んだ。
「それで、最初の失踪者が出た時期は?」
―― 君もよく知るタイミングだよ」
 案件の経緯をまとめたレポートに、よく知る男の名前を見つけたとき、僕の中にこみ上げた感情はいまだに言葉にしがたい。
 ベリタス・レイシオが関連する兵器実験が行われてから、あの星の未帰還者が続いている。
 レイシオは光学モニタを消し、息を吐いた。
「あらかた予想していたが、ろくでもないな」
「ご愁傷様……まあそういうわけもあって、できれば実験場にはいきたくなかった。君は信じないかもしれないけど、僕はピノコニーでの君の協力には感謝してるんだ。何より貴重な提携相手だしね。カンパニーのいざこざに巻き込まれてほしいと、堂々と言えるほど厚顔無恥じゃない」
「よく言う。もう巻き込む気だろう、君は」
「こうもお膳立てされたらね。それに市場開拓部が監視役で来るよりは、遥かにやりやすい。聞きたいこともあるし」
 今度は僕のターンだ。レイシオは迷惑そうな声とは裏腹に、静かに僕を見下ろしている。
 その瞳を捉える。
「君が使われた特許について教えてほしい。一体、この星で何が起きている?」
「少なくとも、僕の特許が直接関係していることはない。あれはカンパニーの誘いを受けた、天体兵器のデモバージョンに使われていた技術だ。単体で人間の失踪を起こすような要素はない」
「じゃあどうして彼らは姿を消した? それにどうして、君は今、あの特許の使用を禁止している?」
 レイシオは珍しく黙った。そして珍しく、目を閉じ、後悔するように長く息を吐き出した。
―― あの技術は、僕の愚かさと過ちの象徴だ。僕としては永久に目を背けたかった。だが過ちから目を背けるのは愚の骨頂だ。そのために特許の記録だけ残し、詳細を秘匿した」
「いったい何を発明したのさ」
 レイシオは自嘲するように口の端を釣り上げた。
「発明などしていない。あんなものは天才の猿真似だ。反有機方程式を、一部再現しただけだからな」
 凡人を自称する男は、黒い焼け跡のような夜空を見上げた。
 僕はその横顔を静かに見ている。
「スターピースカンパニーとの提携条件に、天体兵器のデモ版の特許も含まれていた。僕は特許を提携対象から外すよう指示をした。学術補佐は忠実にその指示を守ったよ。だがスタッフが、急病で倒れた。つなぎのスタッフが到着した時には、カンパニーの窓口は業務終了。利用停止連絡が1日遅れた。たった1日だ。それで並列に進めていた手続きとずれ、カンパニーに『1日だけ反有機方程式もどきの特許を使用してよい』という時間を与えてしまった。実験は、その日に行われた」
「ずいぶんと都合の良いタイミングだね」
「『市場開拓部からすぐに利用したい技術だと要請を受け、事前に準備を進めていた。技術開発部として、利用停止の意思を横連携できなかったのは落ち度だった』―― そう説明されてはな。何よりその一日は間違いなく、カンパニーに利用権限があった。昼間、僕は事務ミスと伝えたが、実際にはスタッフもカンパニーの窓口も、間違いなどなかった。利用停止の申し立てが後追いになったのは、こちらの都合だ。最終的には賠償と、法的に不備がないレベルの説明がなされ、契約続行におけるしこりはなくなった」
…… けど君は、ずっと気になっていたんだろう?」
「実験における不測の事態を、僕は認めない。まして反有機方程式のなりそこないだ。共鳴する不特定要素がないか、影響はどの範囲まで継続するか……そういった要素は、カンパニーの実験計画にはみじんも記載されていなかった。要素の整理がされていない兵器実験などクソだ。実験の本質は理論の確認、未知の事象を期待することではない。責任を持てない実験に、僕の技術を使わせるつもりはない―― それでも僕の責任を超えたのなら、せめて、何が起きたか把握する必要がある」
 レイシオはほとんど一息に言い切った。よほどたまってたんだろう。僕は思わず噴き出した。
「本当にくそ真面目だな、君は」
「なにを笑うことがある。当然だろう」
 心底不満そうに僕を睨む視線が心地よい。
 そうだな、そういう君だから、信じてもいいって思えるのかもしれない。
 眼下の町から灯が消えていく。
 そして燃え滓のような光がわずかに残る空の下、土造りの家から人々が現れる。彼らはやがて同じ方角を向き、膝をついた。
 胸の前に腕を組んで、わずかに首を垂れる。
 祈りの先にあるのは神殿―― ラオスだ。
 生活が保たれるように、明日の糧に恵まれるように。
 その祈りには覚えがある。僕自身、いまでも心の底で自然に唱えることがある。
 地母神が三度、その瞳を閉じるようにと。
……これが彼らの愛ってことか」
 祈りを邪魔しないよう、囁くように口にすると、教授はあからさまに鼻を鳴らした。
「これが? こんなものが愛なものか」
 彼らしい、時と場所を選ばないセリフにため息が出た。まったく、下に聴こえたらどうするんだ。
「じゃあレイシオ、君にとっての愛って何?」
 不遜な男に視線を送ると、レイシオは臆面もなく言い切った。
「決まっている。与えるものであり、与えられるもの。僕が守り、僕を守るもの。僕の誇りだ」
 すごいな、同じセリフを求められたら、僕だって石膏面が欲しくなる。
「なるほど、たしかにこの星の『愛』と君の愛は、相性が悪い」
「飢えも変化も許さない監獄で眠らせてなんになる。愚鈍栽培の温室づくりを僕が許すと思うか?」
 教授の舌鋒は止まらない。彼がこの星に生を受けなくてよかったと心底思う。この星が彼をつぶすか、彼がこの星をつぶすかのゼロサムゲームが始まってしまう。そしてどうしてか、僕には彼が負ける未来が想像できない。
 祈りが終わったのか、スルカザミーンの人々は家の中に戻っていく。やがてまた静寂が戻った。彼らはこのまま眠りに落ちて一日を終えるんだろう。
 レイシオは少しばかり気が済んだのか、眉間のしわを和らげて僕を見た。
「妙にセンチメンタルじゃないか、ギャンブラー。この星に思うところでもできたか?」
 僕はひっそり笑う。さすが教授、痛いところをついてくれる。
 答えない僕を見て、レイシオは息をついた。
「故郷でも思い出したか」
「そう思う?」
「砂漠に覆われた貧しい無主地帯―― 君が身を置く、派手な喧噪と陰謀の商環境に比べれば、懐かしい思いもするだろう」
「さて、どうかな。この星は飢えることがない。種族間の争いもない。君の言うとおり、スルカザミーンは柔らかな監獄だ。たとえ住民にとっては行き場がなく、不便もない生活の場だとしても」
 灯の消えた静かな町を見下ろす。人々が活動する息吹を失ってしまえば、ここはもう廃墟と変わらない。
 ツガンニヤⅣにやってきたスターピースカンパニーは、僕らのことをどんな風に眺めたのだろう。
 僕に向けられたレイシオの視線を受け流すように、眠る町を見つめながら、記憶の故郷を思った。
 どっちが幸せだろう、なんて。そんな意味のないことを。
―― そうだな、君の言うとおりかもしれない。僕らの星とは違うから、余計にツガンニヤを思い出す」
……思い入れでもできたか?」
「まさか。これでもカンパニーの幹部でね、仕事はきっちりやるさ」
 肩をすくめて壁を離れる。
 そろそろ僕らも寝るべきだろう。今日は収穫なしだったのだから。失ったのは僕の記憶だけで――ああでも、レイシオの救援はプラスにカウントしていいのかな。
 レイシオも黙って僕の後についてくる。
 固められた土の階段を下りて、寝屋に戻る。切り出された土の上に、古布が引かれただけの寝台だ。僕はともかく、レイシオは眠れるのか、これ。
「ところで教授、君の寝室はどうする――って」
 純粋な親切心から出てきた言葉は、途中で地面に落ちた。振り返った僕が見たのは、部屋の片隅で、カンパニー制のグランピングテントを広げるレイシオの姿だったから。薄いドームの中には、寝心地の良さそうなベッドが鎮座している。
「君、それ……!」
「ん? ああ、僕のことは気にしなくていい。こんなこともあろうかと、拠点に設置する必需品はすべて持ち込んでいる。風呂は1階の空き部屋に置かせてもらった」
「そうじゃないだろ! 僕が土の上に寝るっていうのに、一人で極上の睡眠を貪ろうって?」
「事前準備の違いに文句を言われてもな。僕は自分の就寝環境を整える義務がある。君はそこに頓着しなかった。それだけの話だ」
「だからって堂々と環境の差をお披露目することはないだろう?」
「この狭い宿の他に場所があったか? それに、どうせ君のことだ。現地住民の懐に入るなら、なるべく用意されたものを使うべきだと考えたはずだ。劣悪な環境には慣れているだろうしな。つまりこれは、君自身の選択だ。記憶がなくても、自分の考えそうなことはわかるだろう?」
 レイシオは出来の悪い生徒に言い聞かせるように首を傾げた。くそ、正論だ。悔しいけれど、彼の言うとおりだろう。いかにも僕の考えそうなことだ。
 わざと土ぼこりを立てるように、硬い寝台にダイブした。
 別に広い部屋じゃない。レイシオは面倒くさそうに、舞い上がった誇りを手で払うと、僕のベッドの脇に立った。
「寝る前に話しておきたい。明日のプランは?」
「神殿かな。あそこ以外、めぼしい手掛かりはないからね。今度は中だ。来るかわからないお誘いを待つのはやめる」
「それが賢明だな」
 答えに満足したのか、レイシオが踵を返す気配がした。
 寝台に寝転ぶ僕の目の前を、青い衣が泳ぐ―― ほとんど無意識に、その布を掴んでいた。
 ピンと、布が張る。
 レイシオは足を止めた。そして、自分の行動に何より驚いている僕を見つめる。
「まだ、なにか?」
「いや……えっと」
 さすがに、なんでもない、はおかしいだろう。
 思わず掴んでしまった彼の衣服を手放すこともできず、僕はむりやり口を開いた。とりあえず、なにか、この場を繕える理由を。
「そうだな……寝る前に、少し話してくれないか?」
「僕にはとくに語るべき話題もないが」
「なんだっていいんだ。そうだな、今日は僕の話を沢山した気がする。君ばかり僕の情報を持っているのは不公平だ。だから、君の話をしてくれないか?」
「言うほど語ってないだろう……口数ばかり多いくせに、自分の手札は晒さないギャンブラーめ。それに、僕の出自と経歴はすべて博識学会のプロフィールに掲載している」
「それでもいいさ。話しているうちに、なにか面白いエピソードだ飛び出すかもしれない」
……
「ほら、早く」 
 教授は嘆息して、僕の寝台の縁に腰を下ろした。
 無理やりつなげた話題は、予想外に面白そうなところへ着地した。一日の最後にやってきた幸運に、知らず声が弾む。
「それで、何が聞きたいんだ」
「そうだな……君の故郷の話は?」
「そんなものを話してなんになるんだ」
「寝物語としてはいいテーマじゃないか? それに僕は君の故郷を知らない。君はツガンニヤについて知ってるのに、それこそ不公平じゃないか」
「僕は提携先について調べただけだ。君こそ怠慢じゃないか」
「調べたけどさ、まず検索ログがベリタス・レイシオの称賛で埋まるんだよねえ」
「まあそうだろうな」
「ああ、当然ってこと……そういうわけだから、君から見た、君の故郷の話が知りたい」
「僕の故郷について語るなら、成り立ちの歴史、風土、風俗から始まり、どんなに短く見積もっても、約20システム時間相当の講義が必要になるが」
「うーん、そういうのを求めてるんじゃないんだけどなあ……
 掴んでしまった彼の衣服の端をもてあそびながら、僕は寝台から見える窓の外に目を向けた。
 赤く仄暗い夜空。うっすらとした光の幕の向こうには、雲一つない。
―― そうだな、雨の話がいい」
「気象学に絞れと?」
「そうじゃないよ……ツガンニヤでは、雨は幸運の象徴だったんだ。僕の生まれたときは、大雨が降ったらしい。そういう話は、君の故郷にはない?」
「近しい逸話はいくつかあるが、どれも主観の偏りが酷い。興味はそそられないな」
「はは、君らしい」
 どうしてだろう、ひどく安心する。
 しかめっ面した彼の声を聞きながら、やってきたまどろみに体を預けてみる。
 ああ、今夜はゆっくり眠れそうだ。
―― そういえば、この星は……雨、降らないんだろうな……
……そうだろうな。雨が降るほどの水は、もうスルカザミーンに存在しない」 
……そう、か……
 どうしてだろう。それは、少し寂しい。
 飢えることはないのだとしても。自分たちからすべてを奪う敵がいないのだとしても。
 手の中にある、張りのある布を握りしめた。
 レイシオの非難の声がする。どうしろというんだ、と。
 そうか、僕が握りしめたままだと、彼は動けない。
 ―― うん、ごめん。それでも、これを持ってると、なんだか眠りやすい気がして。
 僕の希望を、彼にうまく伝えられたのかはわからない。
 海の中に沈み込んでいくように、僕は眠りに落ちていく。









 この星で、彼は僕が見たことがない表情をする。
 それはこの星が彼の故郷に似ているからかもしれない。

(サンプル公開分終了)