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宮腰
2025-12-21 17:08:49
20004文字
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ソーマセーマ【3・前編】
ヌヴィリオ/執行官if
法無き自治区ナド・クライ。
そこで互いに『裏の顔』のまま出会い、初めての恋と真実を知るお話。
【1】→
https://privatter.me/page/68f336de454f1
【2】→
https://privatter.me/page/6918766c5a792
【3・後編】→
https://privatter.me/page/694b8cae851a7
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港からフラッグシップへの道すがら、今日も穏やかな月光が降り注ぐなかで、ヌヴィレットはナシャタウンの夜を眺めていた。
疲労困憊といった顔で家路へ付く労働者、楽しげに笑っている買い物帰りの親子、肩を寄せ合う恋人達。そして、雑談に興じている腕っ節の強そうな若者。若者達の前でヌヴィレットが足を止めると、彼等は雑談を止め不思議そうな顔でこちらを向いてくれた。
「話の最中に失礼する。少々尋ねたいことがあるのだが
……
」
地下格闘場。一般市民には馴染みの薄そうな単語だが、彼等のような生き方を好む者ならばもしかして知っているかもしれない。だが残念ながらその読みは外れたらしく、彼等は「聞いたこともないね」と首を傾げていた。
「そうか
……
他に詳しそうな者に心当たりは?」
すると、その中の一人が何かを思い出したのだろう。そう言えば
……
と、オメゾフと言う名を教えてくれた。彼は先日友人と共に、ファデュイのリクルートカウンターで仕事を請け負っていたと言う。
「ふむ
……
? その仕事内容が格闘場の管理、と話していたのだな?」
詳しくは分からないが、臨時職員に採用されたと彼等は喜び話してくれたそうだ。
「そうか。情報提供に感謝する」
ナシャタウンの住民へは言葉で感謝を伝えるよりも、こちらの方が有効だ。飲み代の足しにしてくれ、とヌヴィレットはモラが入った小袋を彼等へ渡した。中身を確認した若者たちはパッと笑顔を見せ、オメゾフならさっき『ミードボーイ』のゴリツィーナをナンパしてフラれていたよ、と教えてくれた。
彼等がくれた追加情報に従い、フラッグシップと中央広場を繋ぐ細い路地を港の方面へ抜ける。その近くに建つ小さな店へ向かうと、そこには美しいスネージナヤ人の女店主と若い男の姿があった。女店主にすげなくされている様子から見るに、彼がオメゾフで間違いないだろう。
「失礼。オメゾフ殿で間違いないだろうか?」
明らかにここの住人ではないヌヴィレットの容姿と優雅な物腰に男は目を丸くし、女主人は「あら」とほんのり頬を染めていた。格闘場の管理人に採用されたと聞いていたのでもっと剛の者をイメージしていたのだが、オメゾフはごく普通の青年だった。
「なるほど。では、構成員として採用されたのは確かなのだな?」
ああ、とオメゾフは素直に頷いてくれた。友人と仕事を探していた矢先にリクルートカウンターの担当者から声を掛けられ、臨時職員としてすぐに採用が決まったらしい。彼等の採用先である格闘場は現在改修工事をしており、いまは待機中なのだとか。
だがここで、ヌヴィレットは思わぬ人物の名を耳にしてしまう。
「
……
バーテンダー? フラッグシップのかね?」
スッと、ヌヴィレットの声から温度が消えて行く。それに気圧されたのかオメゾフが一歩後ずさってしまったので、咳払いをひとつ零し「失礼」となんとか場を取り繕う。
「改めて問おう。最近入ったばかりのバーテンダーに、止めておけと窘められた訳だな?」
ファデュイへの就職が決まったオメゾフは喜び、周囲にそのことを自慢していた。友人とフラッグシップで祝杯を交している時にカウンターにいたバーテンダーが、そう囁いてきたそうだ。小さな声だったので何かの聞き間違いかと思ったそうだが、聞き返す前にバーテンダーは仕事へ戻ってしまった。それが少し気に掛かっているのだと。
二人の話を黙って聞いていたミードボーイの女主人ゴリツィーナ嬢が小さく挙手をし、オメゾフの証言に情報を付け足してくれた。その地下格闘場には各国から腕自慢が集められており、そこの勤務ともなれば生半可な覚悟では務まらぬらしい。構成員の仕事は危険が伴うものが多いのも周知の事実。その人も止めてくれたのではないかしら、と。
「うむ
……
一理ある。失礼、マドモアゼル。君は地下格闘場についてご存知であるとお見受けするが、どちらでそのお話を?」
すると、彼女は少々ばつが悪そうに理由を教えてくれた。ゴリツィーナ嬢の実家はスネージナヤの貴族ゴリツィン家で、家族と揉めて家を飛び出した身なのだと。格闘場へは、まだ実家にいる時に観客として足を運んだことがあるそうだ。成る程、だからファデュイの事情に詳しいのだろう。
「──質問を重ねてしまい恐縮なのだが、君は公爵と呼ばれる執行官をご存知だろうか?」
公爵、謎に包まれたナンバーレスのファトゥス。
彼女も存在こそ認識しているものの、実際に見たことはないらしい。だが貴族達の間では、ナンバーレスはロボットだとか、実は○○公爵なのではないかなど、ティータイムの話題に上ることも多かった。どれもこれも、信憑性に欠ける話ではあったらしいが。
「そうか。では実在はしているのだな?」
最後の質問にゴリツィーナ嬢はええ、と頷く。地下格闘場も闇市なども全て裏では彼が関わっており、絶妙なバランス感覚で各所を上手く取りなしていた。そのお陰で、法が無いなりの秩序を保っていたそうだ。噂では現在パハ島へ造られている研究機関にも、その〝公爵〟が関わっているらしい。その辺りは港湾局に調べてもらったほうが裏が取れるだろう。
「有益な情報をもたらしてくれたことに感謝する。君たちも良い夜を」
慇懃な仕草で二人へ礼を告げ、ミードボーイを後にする。時刻は既に二十三時を回っている。そろそろ客足も落ち着いた頃だろうかと、ヌヴィレットはそのままフラッグシップへと向かった。
ネオンの眠らぬ街ナシャタウン。営業時間は客が居なくなるまで、と豪語しているフラッグシップだが、今日は早めにその灯りを落とすらしい。フラッグシップへ到着すると店の前では看板を片付けている雑用係の少年がおり、ヌヴィレットの姿を見付けると店内へ向かって大きな声で伝えてくれた。リオ兄、旦那が迎えに来たぞ、と。
「おや? ご苦労さん、旦那殿」
リオ兄こと、リオセスリ。彼は洗い終えたグラスを片付けながら少年の言葉に笑いつつ、いつもの定位置へ腰を下ろすヌヴィレットを迎えてくれた。
「遅くなってすまない。もう閉店時間だろうか」
「ああ、そろそろだな。今日の夕飯は帰ってからでも良いかい?」
「ああ、簡単なもので構わない」
「ん。じゃあ確か冷蔵庫にチーズとベーコンが残っていたから、パスタでも
……
」
端から聞くと本当の夫婦にしか思えない会話を交していると、フラッグシップの店主であるデミアンが今日はもう上がって良いよと、声をかけてくれた。
「そうか。病み上がりだしお言葉に甘えておくよ」
お疲れさん、と残っていた従業員達へ声を掛けて、二人は肩を並べてフラッグシップを後にした。先ほど情報を提供してくれた若者たちも既に夜の街へと繰り出しており、ミードボーイにもクローズ札が提げられていた。港町特有の湿気た潮の香りを感じつつ、歩き慣れてしまった宿への道をゆっくりと進む。
「はー
……
流石に体力が落ちているな。疲れた」
「当然だろう。傷は痛まなかっただろうか?」
「痛みは無いよ。男前になっちまってどうした、って常連客には揶揄われたけどな」
あの日、天へ連れ去られそうになっていたリオセスリを死神の元から奪い返した。自らの生命を分け与える。正直なところ初めての試みであったので、それがリオセスリの肉体や魂へどんな変化をもたらしたのかは分からない。どう説明しようかといまも頭を悩ませてはいるが、あの時のことをリオセスリが改めて尋ねてくることはなかった。
聞けないヌヴィレット。
言えないリオセスリ。
肩が触れ合うほど近くにいるようで、実のところは背中を向けあっている。その事実から目を背けたまま、ヌヴィレットはさり気なく話題をすり替えた。
「君はリオ兄と呼ばれているのかね?」
「ん? ああ、子供たちからはな。あの子は普段スペランザで働いているのさ。今日は人手が足りなくて手伝いに来ていたところだ」
スペランザ、リオセスリも懇意にしている女店主が経営するレストランだ。スペランザでは多くの子供たちが働いている。あの少年がヌヴィレットのことを『リオ兄の旦那』と認識していると言うことは、おそらく他の子供たちもそうなのだろう。
「あんたのこと、ナド・クライではお目にかかれないタイプの美形だって褒めてたぞ」
「そうか。ありがとう、光栄だ」
「ハハッ! 自慢の旦那様が褒められて俺も鼻が高いよ」
それは本音なのかいつもの軽口なのか図りかねているうちに、宿へと到着してしまった。宿の一階には宿泊者ならば自由に使える共同キッチンや簡素なリビングも用意されている。現在の利用者はヌヴィレットとリオセスリの二人だけなので、共用部も独占できるのは有り難い。
チーズとベーコンとコンソメをミルクの中へ適当に、それと塩と胡椒を少々。そこでパスタも茹でてしまえばワンパンミルクスープパスタの完成だ。鍋ごと置かれた夜食兼遅いディナーを二人で囲みつつ、今日の進捗をリオセスリへと共有した。
「新鉄塩会、ね。なるほど、俺も噂では聞いたことがある名前だな」
「うむ。明日には棘薔薇の会からも回答が得られるだろう」
「俺も少しばかり心当たりがある。明日にでも調べてみよう。お代わりは必要かい?」
「ああ、頼む」
そう空になった皿を手渡しつつ、パスタを盛ってくれているリオセスリの長い睫毛をじっと眺めていた。
「
…………
」
揺れた。僅かにだが、いつもは凪いでいる心の水面が揺れたのにヌヴィレットは気が付いてしまった。それは新鉄塩会の名前を出した時。彼の心へ零れ落ちた一滴の雫が、僅かに水面を揺らしたのだ。
ヌヴィレットは水を通して他者の感情へ共鳴することができる。リオセスリに自分の生命を分け与えてからは、更にその共鳴は明確になった。だからこそ僅かな動揺に気が付くこともできたのだ。
「ほら、スープを多目にしておいたぞ」
「ああ、ありがとう」
共鳴が明確になった。だからこそ、彼の感情が全く動かない不自然に気が付いてしまったのも、事実。
生死の狭間を彷徨うリオセスリが昏々と眠り続けていた、一週間。深い深い生命の水底を彼が彷徨っていたその七日間だけは、いつもは氷に閉ざされているリオセスリの心へ触れることができた。彼が水の底へ呑まれてしまわぬよう自分の背へ乗せて、触れて、触れられて、全てを委ね。上下左右すらも曖昧な何処までも蒼い世界で共に泳ぎ、夜は貝殻の中で眠り、初めて身体の奥深くで繋がり合った。あたたかい君の胎内で全てを受け止めて貰えた瞬間は、言い表せぬほどの多幸感でこのまま溶けてしまうのかとさえ思えた。
残念であったのは、現実世界へ戻ったリオセスリは生命の海での出来事は殆ど覚えていなかったこと。だが、それで構わない。天や死神から君を取り戻せたのだから私はそれで十分だ。君と深く繋がることができたのだから、そう思っていたのに。
「じゃあな、ヌヴィレットさん。また明日」
「ああ」
遅いディナーもすませ二階にある互いの自室へと戻る。またあした、そう微笑んでくれる彼の笑顔は嘘ではない。だが、やはり触れられない。それがもどかしくて、さみしくて。
「ん、おやす
……
」
ドアノブへかけられた彼の手ごと掴み、そのまま顔を寄せる。もう何度か触れた唇はやはり柔らかくて、あたたかくて。静かなリップ音を残しすぐに身体を離した。
「──静かな水面とは、私にとって美しさの表れだ」
「ぅ、ん
……
?」
「如何なる夢のさざ波にも君の気持ちが乱されることのないよう祈ろう。おやすみ」
「
……
ああ、おやすみ」
パタン、と扉が閉まり静かな夜が訪れる。閉ざされた扉へヌヴィレットは背を預け深い溜め息を零しつつ眼鏡を外した。
氷の奥深くへ閉ざされたままの、彼のこころ。
間違いない。リオセスリはその尋常ならざる精神力で己のこころを隠しているのだ。ごく稀にこのような人間が存在することは、ヌヴィレットも知っていた。だが、ここまで強固な精神力を持つ者はさすがに初めてだ。だからこそ、その堅牢で誇り高き魂に興味を持ち、そして惹かれた。形而上の世界では全てを預けてくれた彼の柔らかいこころは、現実世界では指一本触れさせてくれぬ永久凍土へと戻ってしまったのだ。
「
…………
」
嫌な予感ほど当たってしまう俗説は、あながち的外れでもない。虫の知らせなんて言葉もあるように、本能的に何かを悟ってしまうのは人間も龍も同じだ。
ヌヴィレットが予想していた通り、先ほど就寝の挨拶をしたばかりの隣室の扉が音も無く開かれた。リオセスリだ。足音も立てずにリオセスリが外へ出た気配がしたので、ヌヴィレットは気が付かれないよう窓を細く開く。その隙間から見えたのは、リオセスリと見覚えのある人物の顔。ナド・クライの明るい月光に照らし出されたその人物は、先日パハ島へ潜入したさいに船を出してくれた、あの漁師だ。
リオセスリ本人がどれだけ感情を隠す術に長けていようと、周囲の人物までそうだとは限らない。それだけ彼の持つ精神力は稀有であり、並の人間では真似られぬもの。緊張、尊敬、信頼、敬愛、そしてヌヴィレットへ向けられていた警戒と猜疑心。あの時、漁師の心にはそれらが共存していた。リオセスリのことは信頼しているが、ヌヴィレットには最大限の注意を向けていたのだろう。この漁師は金で雇われた関係やただの知人ではなく、何かしらリオセスリとの信頼関係を築いている人物だとは分かった。
これは笑ってくれてかまわないのだが、漁師の正体を探ろうとしたのは恋する男のどうしようもない、ただの嫉妬心からだ。漁師役の彼がリオセスリへ抱いていた感情は自分とは種の違う清らかな信頼であったので、この点については疑って申し訳ないと反省している。
リオセスリは彼からの報告を聞くと顔を曇らせ「それは
……
まいったな」と唇を動かす。彼がもたらした情報はリオセスリにとって予想外であったらしい。
──見張りはどうした? 賭けチェスにでも夢中になっていたのかい?
──それが、我々が予想していたよりも彼女は俊敏で。気が付いたら忽然と姿を消していました。
──分かった。引き続き彼女の行方を捜してくれ。俺も祈月の夜を終えたら合流する。
短いやり取りを終えるとリオセスリがこちらを振り返る気配がしたので、慌てて窓辺から身を離す。隣室へリオセスリが戻るのを確認してから気配を探るのを止めた。
「
……
ふぅ
……
」
流石に少々疲れた。今日はもう休むとしよう。ギッと古いベッドが軋む音を聞きながら、シーツの上へ身体を横たえた。
彼等が話していた祈月の夜と言うのは、満月の夜に行われているナド・クライの伝統的な祭だ。現代では神事的な意義よりも習慣に近い賑やかな祭だと聞いている。ヌヴィレットの休暇も、この祈月の夜が終わるまで。それまでにエレッサが見つからなければ捜索を現地の者へ引き継ぎ、フォンテーヌへ戻らなくてはならない。
満月の光を注がれた祈月の花が、可憐な蕾を綻ばせる。満開の花弁が閉じる時、この優しい嘘に包まれた穏やかな時間も終わりを告げる。
彼は誰にもその本心を見せていない。その輪郭がぼんやりと掴めてはきているのだが、生命を分け与えたヌヴィレットにでさえも確信には至っていない。だからこそ、敢えて〝公爵〟の話は持ち出さなかった。彼にはまだ話さない方が良い。そう本能が警鐘を鳴らし続けていたから。
「
……
恐怖」
ぽつりと、何もない古びた天井へ呟く。
そう、これは恐怖だ。様々な人間の感情に共鳴してきたなかで、ヌヴィレットには理解できなかったものが幾つかある。頭では理解しているのだが、実感としてではない。そのひとつが〝恐怖〟だった。だがリオセスリが死に瀕したとき、そして今。喪失を恐れる自分の心は、嵐の夜の海さながらの様相をしている。ようやく出逢えた、春を分かち合いたい相手。彼との別離が怖い。せっかく近付いてくれた彼のこころが自分から遠ざかり、やがて忘れられてしまう。それは、初めて感じる恐怖だった。
共に生きてほしい。
そう願ったところで、いまの関係のままリオセスリが頷いてくれる確率は砂の一粒ほどもないだろう。月光を受けた花弁が解けるように、互いに嘘に塗れた衣を脱ぎ捨てる時が近いのかもしれない。
「
……
君は一体、何者なんだ
……
?」
月は嘘を吐く。だが、その裏側へ何を隠してあるのかを問う資格はない。自分も君も素顔を隠し、嘘を続けているのだから。
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