Reisi
4159文字
Public 小説
 

その疾きこと風の如し

バイフーとチューチャオ 幻獣討伐の帰り道の話

 暮れる夕陽と岩峰群が、地面に複雑な影を落としている。そこは一年中、荒々しい風が吹きすさぶ峡谷。人の姿はおろか、獣すらも滅多に見られない。そんな不毛の地を、風をもろともせず行く者がいた。

「無駄にデカいし堅い幻獣だったわね。まあ、もう叩き潰してやったけど!」
「倒せたのはいいが、お前はもう少し慎重に動くべきだ。正面切って突っ込んで行った時はどうなることかと……
 会話を交わす二人の後ろから巨大な影が差している。高さにして二丈程もある幻獣、その巨体に見合った巨大な鋏。生きていた頃は猛威を振るっていただろうそれは、地に伏せられ動くことはない。既に勝負は決していた。
 圧倒的な体躯に巌のような甲殻──常人であれば、とても太刀打ちできない相手だろう。だが、これを討ち倒した者もまた、常人離れした力をその身に宿していた。
 人の器を持ちながら、人ならざる力を継いだもの。それこそがカクリヨの守護者、東方十二傑である。


 ある時、上空を巡回していた羽組から一つの報告が上がる。肆の砦近くに広がるオロシ谷。そこで大型の幻獣が発見された。この谷は天候を問わず強い風が吹き、足場も悪い。故に民の往来からは離れた地だが、問題となったのはその幻獣の大きさだった。それは小山と見紛うほどの高さ。現在はオロシ谷を根城としているが、ひとたび動きだせば周辺地域に大きな被害を出すことは想像に難くない。そこで、継承メギドの長カガセオの指揮のもと討伐隊が組まれた。『隊』といっても、たった二人の継承メギドだ。それは、この幻獣が見つかった地点の立地を理由としていた。

 羽組の報告とその後の偵察により、幻獣は岩のごとき堅牢な甲殻を持つことが分かっていた。装甲を打ち砕く一点突破の力。そして、足場の悪さをものともせず戦える身軽さ。その二つを備えた継承メギド、『白雪虎』バイフーにお呼びがかかるのは当然のことだった。
 さらに、幻獣の潜む地点は切り立った崖に囲まれている。例えるのであれば、帝を守るための城砦にも似た立地だ。加えて、オロシ谷の特有の厳しい環境が、そこに至る道中までもを一層険しいものにしていた。
 正攻法であれば、幻獣のもとに辿り着くだけでも多大な労力を要するだろう。だが、各人各様の力を持つ十二傑には、常道を超えた手立てがいくらでもある。数度の偵察で得た周辺地形や幻獣の情報を基に検討を重ねた結果、戦う者を空から運ぶ案が浮上した。行き帰りの負担を考えると、運べるのは一人に限られる。それでも、この方法なら十分な余力を残して幻獣との対決に臨めるはずだ。
 それこそが、自分がバイフーと共に呼ばれた理由だ。幸い、体格は同じ位だったので武器を含めても運ぶのは難しくない。そういう訳で、行きについては問題もなく事が進んだ。しかし──

 チューチャオはバイフーに気づかれぬよう翼を軽く羽ばたかせる。やはり右の翼に違和感があった。
 先の戦いで主導となっていたのは、主にバイフーだった。機敏な動きで相手を翻弄し、返しの一撃を叩きつける。彼女が最も得意とする戦法だ。振り回すだけで致命傷を与えうるだろう巨大な幻獣の鋏も、バイフーの素早さの前では無力だった。無論チューチャオも高みから勝負を眺めていただけではない。上空から敵の動向を捉え、状況に応じて攻撃や回避を促す。時にはバイフーの作った傷にクナイを打ち込んだ。戦ではアンダカと共に裏方に回ることが多い故、他の十二傑と組んで戦う事は少ない。それでも、立ち回りやバイフーとの連携に不備はなかった。
 ただ、最後の最後に距離を見誤っただけだ。幻獣が死に際、高く振り上げた鋏が翼を打ったのだ。突然の衝撃にふらつきながら、それでも空中にとどまっていたのは殆ど気力によるものだった。正面から幻獣を相手取るバイフーの妨げになってはいけないという思い、何より継承メギドとしての矜持がそうさせた。
 その直後、最後の抵抗を難なく躱された幻獣は、装甲の亀裂に金棒を叩き込まれて事切れた。巨躯の割に、随分とあっけない決着だった。

 目の前で倒れ伏す幻獣に視線を向ける。山脈のように棘が連なる鋏。重量のあるそれは、振り下ろせば人の身など難なく打ち砕くだろう。今思えば、先の一撃が自分を狙うものでなかったことが幸いだった。その幻獣は、とにかく眼下で走り回る相手を潰すことだけに全力を注いでいた。あの幻獣に狙いを変えるだけの知能があれば、自分は怪我どころではなかったかもしれない。チューチャオは自分の迂闊さを内省した。

 そして、今のチューチャオの思考は帰りをどうするか、ということにあった。崖の間を吹く気流は非常に複雑である。十二傑の中では最も飛行に優れたチューチャオでも、気を緩めれば翼をとられて墜落しかねない。そのような場所を負傷をおして、さらに人も抱えたまま飛んで行かなければならない。正直に言うと、今この状態では出来る気がしなかった。だが、そうは言っていられない。自分の翼が無ければこの谷を出るのは困難を極める……その事はよく分かっていた。

 その時、先を歩いていたバイフーが不意に振り返る。やや怪訝そうな顔だ。もしかして、もう負傷を勘付かれたのだろうか。緊張の中、彼女が口を開く。
……チューチャオ、飛ばないの? 行きは飛んでたのに」
「まあ……戻りの崖越えに備えて体力を温存しなければならないからな。お前こそ体力は大丈夫か」
「アタシはまだまだ元気よ。ありがとね、見晴らしの悪い場所だったけどアンタがいたからうまく戦えたわ」
 バイフーの白藍の瞳が、こちらをまっすぐに捉える。それに居心地の悪さを感じ、つい目を逸らしてしまう。内心気が気でないチューチャオをよそに、彼女は快活に笑った。
「なあに、後ろの幻獣を気にしてるの? それなら大丈夫! もし起き上がってきても、アタシがブッ潰してやるから」
「それについては信頼している。だが、その……何というか……お前は見下ろされるのを厭うだろう。だから……
「何よ、今更そんなの気にしたことないって! アンタの翼だったら、アタシどころかチンロンとかだって見下ろせちゃうもの。そんなことより、ここは足場が悪いんだからアンタだけでも飛んだ方が安全のはずよ」
……
「じれったいわね……まさか、怪我とかしてないよね?」
「いや……心配には及ばない。大した怪我では……
 言葉を返してから気づく。これでは、そうと答えているも同然ではないか。チューチャオはその身に課せられた隠密の役目とは裏腹に、嘘をつくのがあまり得意でなかった。何故だか、バイフーの前ではことさらそれが難しくなってしまうのだ。
「やっぱり!」
「た、大した事はない、翼を少し掠めただけで──」
「見せてごらんなさい」
 言葉を返す間もなく、肩ごしに翼を覗き込まれる。有無を言わさぬ勢いだ。
「見たところ、血は出てないみたい。折れてる感じはする?」
「おそらく問題ない。動かすことはできるから」
「ホントに? ほら、左の翼も見せて」

 その後もしばらく翼を検分し、バイフーはようやく顔を離した。
「ともかく、大きな怪我じゃなくてよかったわ。それで……
 彼女の視線の先はチューチャオの脚先にある。転魔の影響により、鳥のそれに似た形状に変じた両脚。そこは鱗に覆われているとはいえ、靴のような頑丈さはない。実質は人の素足と同然である。この足が長距離、それも荒地を進むのに適さないのは明らかだった。
……すまない、そもそもは移動のために私が呼ばれたというのに」
「ううん、アタシに任せて!」
……? 何を──」
 言い終わらないうちにチューチャオの足が地面を離れる。

「バイフー……!? お前、何をしてるんだ!?」
「アタシが運んであげるわ、大人しくしててね!」
 彼女の言う通り、チューチャオは何故か片手で担ぎ上げられていた。近いものとしては、俵を担ぐような体制であろうか。鼻先に、彼女の被る柔らかな毛皮の感触を感じる。バイフーは既に金棒を片手に持っているため、支えは片腕のみだ。一見では心もとなく思えるそれは、驚くほど力強く安定していた。
「お、お前にそこまでさせるわけにはいかない! それに、この体勢……鉤爪が当たったらどうするんだ!」
「そんなこと気にしないで! 言ったでしょ、アタシはまだまだ元気だって。ほら、口は閉じてて。舌噛むわよっ!」
 そう言うや否や、バイフーは見るも鮮やかな動きで崖を目がけて飛び上がる。雪駄の底が、殆ど垂直の岩を捉えた。その瞬間、彼女の足元が凍りついて即席の足場となる。まさかこのまま崖を越えるつもりか、というチューチャオの思考を置き去りにしてバイフーは次の一歩を進める。飛行のために上昇気流に乗る時も、ここまでの速度が出た事はない! チューチャオは柄にもなく叫びかけたが、先程の忠言を思い出し慌てて口をつぐんだ。


 塞がった両手と、切り立った崖をものともせず白い影が駆け抜ける。オロシ谷を抜けた後は早かった。視界を流れる景色は、たちまちのうちに見慣れたものになっていく。谷が肆の砦に近いことが幸いした。こうして担がれている自分の姿など、他の者には到底見せられるものではなかった。
 バイフーは砦の正門を走り抜け、その勢いのまま広間を通り過ぎかけた……ところでアンダカの姿を見つけ、足を止めた。幻獣討伐のため砦を空けている間は、直属の部下である彼がここに逗留していた。
「あら、ちょうど良かった! チューチャオ、翼を痛めちゃったみたい。大きな怪我じゃないみたいだけど、念のためマナナンガルにも診せてね。ちなみに幻獣はやっつけてきたわ、心配しないで! それじゃあアタシはお館様に報告してくるから、後はよろしくっ!」
 まさに立て板に水といった勢い。圧倒されたままのチューチャオを寝台に寝かせると、来た時と同じく突風のごとく走り去っていった。後には呆然とした二人が残される。

……お嬢、お疲れ様でございやす。ずいぶんと丁重な送迎なことで」
「揶揄うな。それはそうと……彼女には後ほど礼を言わねばならないな。すっかり忘れていた……