望月 鏡翠
2025-12-20 23:15:32
946文字
Public 日課
 

#1943 ディルストーン居城にて8

#毎日最低800文字のSSを書く/我らが王の身罷りて 二次創作

 たっぷりの砂糖に脂肪分の多いミルクを入れて、乳化させているらしい。
「じゃあ、君のことも引き止めたら悪いか。メイド長に怒られてしまう?」
 彼女は甘い夢から醒めて、恐ろしい上司の顔を思い出したらしい。
「失礼致します」
「飲み物を頼んだら、また君がきてくれる?」
 立ち去る背中に名残惜しそうな顔を見せておいた。
 マグが金属製で助かった。暖炉の火で温め直す。指が焼けそうなほどに暑くなったマグを布越しに掴むと、バルコニーに出た。
 扉を開けた瞬間に、吹き込む風の勢いで火勢がまして、灰が舞い上がる。
 後ろ手に扉を閉めた。
 海沿いの館ほど風は強くない。しかし周囲に遮るもののない背の高い建物は、上階にいると十分に冷えていた。
 海鳥の声も、波の砕ける音も聞こえない。トルガには見下ろす街がどうにも静かすぎるように感じられた。客室は景色のいい前庭が見える場所だったが、やがて車輪の音を響かせて馬車が去っていくのが見えた。
 メイドの話を信じるのなら、オーキに行くのだろう。
 このタイミングで出発したことを考えると、試されたのかもしれない。先ほどの話し合いに参加していたら、出発が更に一日遅れていただろう。トルガがガニメデの同席を許さないことを前提に、顔合わせをさせるためだけにあの場にいたことになる。
 そうであれば、トルガはし損じたことになる。
 無能を装った方が楽な場面は多いが、無能に見られるのと無能を装っていると見抜かれるのでは、動きやすさが違う。
「まあ、この程度大した問題にはならないか」
 常に最善手を撃ち続けられるわけではない。これがチェスならば、対戦相手は同じ力しか持っておらず、己の知力以外に勝負を決するものはない。
 しかし現実はそうではないのだ。どちらも不正解だが、マシな方を選ぶという判断は、これから幾度となく必要になる。
「幸先は悪くないと思うぜ、トルガさんよ」
 他人事のように独りごつ。
 殺されそうにはなったが、少なくともジョアンは感情的な判断で家を乗っ取ろうとするのをやめた。ディルストーンとの話もまとまったし、毒を守られるほど危険視もされていない。
 酒場において、後腐れのない女を抱くことができないことが、この状況における唯一の不足だった。