コンウェヌ

冬の日。

「お寒くはありませんか?」
「は、はい……大丈夫ですわ」
 コンラッドは窓辺へ佇むウェヌスの肩にストールをかける。人間ではない彼女には不要のものかもしれないが、冬の窓辺はよく冷える。細いウェヌスの肩を見ているだけでいることはコンラッドにはできない。
「外になにかありましたか?」
 ウェヌスに並んで窓の向こうを見れば、降り始めた雪に薄っすらと地面を染めた大聖堂の庭がある。ウェヌスの好む花は春を待たねばまだ咲かないだろう。気にかかるものがあったのだろうかと問えば、ウェヌスは「雪を……」と呟いた。
「雪が、積もっているでしょう」
「そうですね。今夜中にはもっと積もるかと」
……足跡を残せるのが素敵だと思いましたの」
「足跡?」
 ウェヌスの言葉に首を傾げ、コンラッドが庭をよく見れば確かに薄っすらとであるが誰ぞかの足跡が残っている。二人分ある足跡は恐らくは人間と、悪魔のものだろう。片方が随分と大きかった。
「私は普段足をつけて歩かないものだから……コンラッドさんと並んで歩いても、足跡が残らないでしょう? ふたりで歩いた跡が残れば…………す、素敵だと思いましたの。でも、その……私はまだ雪道を歩けるほどではありませんし……
 前に持ってきたストールをちまちまと弄りながら小さな声で言うウェヌスに、コンラッドは愛おしさで堪らなくなる。
 確かにウェヌスは普段、コンラッドの身長に合わせるように宙を飛んでいて、その小さな足が地面へつけられることはあまりない。街へ出かけるときなど必要になればその限りではないが、ウェヌスが疲れた頃を見計らってコンラッドが抱いて歩くので、彼女は自身で言うように雪道を歩けるほど徒歩に慣れていないのだ。
 自身にも原因があるため申し訳ない気持ちもありはするが、ウェヌスの言葉が嬉しくてコンラッドの表情は自然と笑みになる。
「この辺りに降る雪はあまり水分を含んでいないのです」
「え? ええ、そうなのですか?」
「はい。なので、深く積もった場所なら踏んで歩いても然程滑るということはないようですよ」
「まあ! 私でも歩けるかしら……?」
「私が手を引きますからご安心を」
 ストールを摘むウェヌスの手にそっと触れれば、彼女は大仰に肩を跳ねさせてぽぽっと頬を赤く染めながら俯いてしまう。
 コンラッドは物慣れないウェヌスの仕草に胸がきゅうきゅうと擽ったくなるのを感じながら、彼女の小さな顎に触れて優しく顔を上向きにさせようとする。ウェヌスはく、と喉を鳴らして前を向いたが、その視線はうろうろと左右を彷徨い、なかなかコンラッドの目と合うことがない。
……お嫌ですか?」
「っそ、そんなことはありませんわ……! で、でも……
「でも?」
 意地悪な質問だったな、と自覚がありつつ促せば、ウェヌスはじ、とコンラッドを見ては目を逸らすのを繰り返し、陸に上がったばかりの人魚のように口をはくはくとさせる。
「こ、転んだら、きっとコンラッドさんを巻き込んでしまいます……
 きっとそうなってしまうわ、と眉を下げるウェヌスの悲壮な顔は、雪道で転んだらそのまま崖の下まで落ちんとばかりである。優しいウェヌスはコンラッドを巻き込んで転ぶのが、とても恐ろしいのだろう。
 ならば、とコンラッドはウェヌスの頬を撫でてから人差し指をぴん、と立てる。
「転んだら一緒に雪の天使を描きましょう」
「雪の天使? それはどういうものですの?」
 きょとん、と不思議そうなウェヌスの顔に笑いかけ、コンラッドは窓の向こうを軽く指差す。
「雪の上に寝転ぶでしょう。そのまま手足を広げると、雪の上に天使のような跡が残るのです。これを人間は雪の天使と呼んでいるのですよ」
……見たことがあります。地上でなにをしているのかしらと思っていたのですけれど……ああ、あれは天使を描いていたのですね」
 微笑ましそうな笑みを浮かべたウェヌスの夢色の目は、どこか透徹としている。そういう眼差しを見るとウェヌスが人ならぬ身であることを実感し、コンラッドはつい彼女の肩を抱き寄せた。
「転んでも楽しみがあると思えば恐ろしくはないでしょう?」
「っえ、ええ……そう、ですわね……?」
 コンラッドの腕のなかであわあわと落ち着かないウェヌスであるが、なにかしらの覚悟を決めたのかぽすっとコンラッドの肩に頭を押し付けてくれた。ぎゅうっと閉じられた目にきゅっと結ばれた唇は彼女が如何にも必死であることを窺わせ、コンラッドはついつい小さな笑い声を零す。
「ふふ。雪が積もるまでまだまだかかるでしょう。温かいお茶でも飲みましょうか。失礼」
「ひゃ……っ」
 慣れたようにウェヌスを抱き上げて、コンラッドは椅子のほうへ移動して彼女を座らせる。ちょこん、と膝を揃えて横に流された脚は貴婦人のような仕草だ。
「膝掛けもお持ちしましょうか」
「大丈夫ですわ……私より、コンラッドさんがお寒くはありませんの? この時期、体調を崩される方が多いと聞き及んでおります」
「確かに体を冷やし過ぎれば風邪も引きますが、いまは大丈夫ですよ」
「ほんとうに?」
「ほんとうに」
 それなら、と綻んだウェヌスの花顔。この顔を萎れさせないためにも、コンラッドは風邪など引いている場合ではない。
 ──そう思っていたのだが。
 無事にウェヌスと短い足跡を雪の上に残し、雪の天使を描いて十日も経った頃。大聖堂の聖職者たちの間で盛大に流行った風邪を、コンラッドもまんまと貰ってしまった。
 熱でぼんやりとする視界に泣きそうなウェヌスの姿を見て、コンラッドは大変に弱った。開いた期間からウェヌスとの雪歩きが原因とはならないし、流石に彼女もそう思い詰めないと信じたいが、だからといってウェヌスが体調不良のコンラッドを心配しないわけもなく。
「ほ、本では確か……濡れたタオルを額に……ああ、林檎を剥いて差し上げるのが先なのかしら……? どうすれば兎の形に……?」
 おろおろとするウェヌスがぎこちなくタオルを換えてくれる手を、コンラッドは常よりも熱くなった手で握る。
「大丈夫ですよ……
「で、でも」
「あなたが傍にいてさえくれれば、すぐに治ります。でも、そうだな……
 手を握っていてくれますか。
 少しがさがさとした声で願えば、ウェヌスはコンラッドの手を両手で握り直した。きゅうっと彼女にしては強い力の込められた手。
「早く……早く、治りますように」
「治ったら、また街へ行きましょう……いまの時期は賑やかなんですよ」
 ウェヌスが下がった眉も潤んだ目もそのままにこくこくと頷く。
 コンラッドはもう一度大丈夫ですよ、と繰り返し、とろとろと込み上げる眠気に自然と目を瞑る。
 意識が溶ける直前、唇に感じた柔らかな感触。
「早く元気になってくださいませ…………
 水に降る雪のように儚いウェヌスの声。
 思えば、人の身の脆さをウェヌスに教えてしまったのは、これが最初であったかもしれない。
 生涯を共に歩く呪いをまだ知らぬ、冬の出来事であった。