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タロ文庫の作品置き場
2025-12-18 14:00:02
6220文字
Public
作品
月光と花のワルツ
2025-09-28
問題解決後の平和な謎時間軸。ラーミンの趣味が読書という小説版のネタとパンの名前が『本』という意味だということを絡めた話。中の人のソロOSTのMVがお互いリンクしている大変素晴らしい設定だったので、勿論そちらも絡めました。MV世界観は勿論全て捏造です。
満月から蒼白い柔らかな光が降り注ぐ夜のこと、ウィンナーラー骨董品店の居住スペースにはすでに穏やかな時間が流れていた。互いに会話はなく、テレビもついていない。パンはソファに座ってテーブルに並べたバラの棘を端から丁寧に取り除いており、ラーミンは斜め横の一人がけのソファに腰掛けて古い洋書を静かにめくっていた。
外から微かに聞こえる虫や動物の声、時折通りすぎる車のタイヤが立てる砂利の音。そこに一定の間隔で乾いた紙が擦れるさらりさらりとした音が加わる。そして体勢を変えたり、小さく息をついたりしている吸血鬼の気配の音。それらを聞きながら、パンは剪定バサミでバラの棘をパチンパチンと小気味よく切っていった。
レコードをかけなくていいの? と訊かれたけれど、この音達が今夜はパンの耳を楽しませる音楽だ。
しばらくしてバラの棘を綺麗に取り除いたパンはガラスの花器へと生け、テレビの横にことりと置いた。画面に花がかからないよう少し調整していると、後ろで本を閉じる音が聞こえる。続く大きな小動物が手足を伸ばして呻く声。
自分が動いたことで邪魔をしたかと振り向けば、ラーミンは「読み終わった」と言ってアーモンド型の目をパチパチと素早く瞬かせていた。ずっと近くに視点を定めて集中していたから目が乾いてしまったのだろう。指の背で目頭を擦る仕草が少し幼くて、自然と口元が緩んでしまう。
「もう終わったの?」
「うん。そんなに長い話ではなかったし、とても面白かったから」
読んでいる間の静寂に満ちた美貌はどこへやら、にこにこと満面の笑みで本の表紙を撫でている。実は手元に気をつけながら何度か盗み見てはそのまま見惚れそうになっていた。本当は写真にでも収めてもっと長く眺めていたいけれど吸血鬼相手には叶わぬことなので、せめて記憶できるまで見続けたいのだが、それだと読書をやめてこちらを構ってくるのでままならない。
なんて限られた時間でしか見れない逸品なんだ。月下美人よりも短い。
「良い出会いをした」
「ラーミンさんは本当に本が好きなんですね」
パンはまだ七分咲きほどの赤い花弁を撫でながら訊ねた。
ラーミンは読書家だ。メータットから与えられたセルフォンやタブレット端末でも電子書籍を読んでいるが紙の本が好きで、ペントハウスにある一族の蔵書も骨董品店の店主が個人的に所有している様々な専門書も暇さえあれば手に取ってページをめくっている。
今、ラーミンが読んでいた本は、買取希望で持ち込まれた骨董品の中にあったものだ。発刊年を見ると二百五十年ほど前の羊皮紙装のアンティーク洋書だった。依頼人はインテリアのデコレーションアイテムとして飾っていたという。パンもそのつもりで引き取ったのだが、吸血鬼はアイボリーホワイトの表紙を見た途端に目を輝かせて「読みたい」とねだってきた。パンには馴染みのない国の言葉でも吸血鬼にとっては人間の築いてきた言葉の壁など無いらしく「人間の文字はすべて読める」そうで、パンが夕食を食べ終えるのを見届けてからずっとソファの上で読み耽っていた。
久しぶりに真正面から見た夜色の目が部屋の間接照明の光を受けてキラキラと輝いた。
「本は知らない世界を教えてくれる。知らないことを知るのは楽しいだろう」
「そうですね。分かります」
初めて家に連れ帰ってきた夜を思い出す。ラーミンはパンに質問を繰り返し、スポンジのようにすぐに吸収していった。今はついていないテレビの黒い画面に視線をやり、懐かしくも少し複雑な気持ちを噛み締めた。
「それに物語を読むと登場人物を通して私自身が今まで感じたことのない気持ちに気づけるのが楽しいんだ。嬉しいことも悲しいことも」
胸に去来したほんの少しの切なさは、ラーミンの語る読書の良さへの共感ですぐに消えていく。パンも映画やドラマを見るより本を読んで世界に没入するのが好きだった。
「紙の本が好きなんだ。本の重みを手に感じながらページをめくっていく。進むだけじゃなくて戻ったり繰り返し同じところを読んでみたり、自分の中で咀嚼して味わって飲み込む時間が持てるのも楽しい。あと、ページをめくる時の僅かな空白を利用して次の一行目の印象を深めている本を読むと、その仕掛けにもワクワクするよ」
うんうん。そうそう。
ラーミンの弾む声に合わせてパンもつい律儀に頷いてしまう。電子書籍の手軽さも良いが、やはり紙の質量がもたらす楽しみも含めて『読書が好き』なのだ。
今まで黙っていた分を取り戻すような、良くまわる口のテンポが耳に心地よい。もう飾り終わったはずのバラの花弁を手慰みに撫でながら思わず聞き入っていると、ふっと視界の端から吸血鬼が消えて代わりに背中にぬくもりを感じた。長い腕がゆったりと腰に巻きつき、右肩に顎が乗る。
「それに触り心地も好きだ。羊や牛や豚の皮で出来た表紙も過ぎた年月で手触りが違うし、背バンドで出来た凹凸も留め具の金属も指で撫でると楽しい」
ぴったりくっついていると声が直接身体に響く。くすぐったさに肩をすくめれば、手のひらがぺたりと腹に張り付いた。そのままゆっくりTシャツを擦り、スウェットの履き口を行ったり来たり辿る。吸血鬼の体温と摩擦で臍のあたりにほのかに熱が生まれて、パンはぱちりと瞬いた。
「ラーミンさん」
「匂いも好きだな。作られたばかりの本のインクや糊の匂い、古い紙の匂い、仕舞われていた本棚の木の匂い」
「ちょっと
……
」
「甘くて、花みたい」
心地よく聞いていた声のテンポがいつしかスウィングジャズからバラードに変わっている。甘く掠れた笑い声が肩から胸に落ちて、ラーミンがTシャツの襟ぐりに鼻先を潜らせスーッと吸い込んだところでパンは顔を横に向けた。
「今、本の話をしてますよね?」
「うん。私は『本』が大好きだよ」
彼の髪の淡雪色の部分が頬をくすぐって、ぐりぐりと擦り付けられる。身体の大きな小動物が自分にめり込んでくる勢いで寄りかかるから、「もー」と苦笑してしまった。腹の上の手をポンポンと叩いてたしなめれば、重さは素直に遠のき、愛しいぬくもりだけがパンに寄り添う。
ラーミンは自分の作り出したスローテンポな雰囲気に合わせて腕の中のパンと共にゆらゆらと揺れた。まるでダンスに誘われているようで、それならとパンは身を委ねた。添えられたままの温かい手に手を重ね、指を緩く絡ませる。
レコードはかけていない。そうしてしばらく互いの呼吸に合わせて揺蕩う時間を楽しんで、ふとパンは気になったことを呼気に乗せた。
「どんな内容だったの?」
ラーミンは先程「良い出会い」と言った。パンの知らない言語で書かれた世界でラーミンは何と出会ったのか、本好きとしても愛しい吸血鬼の心情にしても興味を惹かれる。ラーミンはパンの肩口に顔を寄せたまま、ふふっと柔らかい笑みを溢してからのんびりと話し始めた。
「ある一人の男の手記だったよ」
まるで親が子供の小さい頃を思い出したような、慈愛が含まれた声だった。
「その男は大きな屋敷に暮らしていたんだ。長い間ひとりで、執事も召使いもいなくて、訪れてくる客もなかった。ひがな一日、本を読んだりチェスをしたりして過ごしていた。そしてある日突然、花屋の男がやってきた」
「花屋?」
「そう、自転車の籠いっぱいに色んな花を積んで。屋敷の男は不審がるんだけど久しぶりの訪問者だったからか家の中に招いてやってね、花屋の男が花を活けているのを観察することにしたんだ。屋敷の至る所に花瓶を置いていったから、その日から男の家は花畑になったみたいにどこへ行っても花の香りがしたんだって」
貴方の家の屋上みたいですね、と赤いバラが咲き誇るホテルジョーノエルの最上部で嗅いだ匂いを思い出しながら、パンは頭の中にラーミンが教えてくれる男の屋敷を描いていく。色んな花なら香りもだけど色も鮮やかで、きっと見ている景色も変わったことだろう。
「そのうち花屋が家にやってくることが男には日常になり、日常の中で最も重要な時間に変わって、やがて恋になった」
「恋!」
思わず声が大きくなってしまい、咄嗟に指先で唇を押さえる。楽しげに笑いながら覗き込んでくる吸血鬼は、可愛いと呟いて少し紅潮したパンの頬を摘んだ。
「何を驚いてるの?」
「い、いえ
……
別に」
「ふぅん」
ほんの出来心で、屋敷の男をラーミンに花屋を自分に置き換えて想像していた、なんて言えない。ラーミンにはバレていたかもしれないけれど自分の口はぴたりと閉じておくことにする。軽く揉んで満足したのか、吸血鬼の手がまた腹の上に戻ってきて物語の続きが始まった。
「花屋が帰って夜になっても、そこらじゅうで花が咲いていて彼の存在を感じる。ひとりでは感じ得ない安心感をもたらしてくれる花屋を男は『花屋』としてではなく、招くことにした。私服で遊びに来た花屋の男の格好が細かく書かれていたからよっぽど嬉しかったんだろうな」
「それで、その男は花屋を口説いたんですか?」
「いいや。しばらくは友人のように二人でチェスをしたり花の世話を教えてもらったり呑み交わしたりして過ごしていたよ。そしてある日、男は意を決して花屋に訊ねた。なんで最初の日からずっと自分のところに花を持ってきてるのかって。花屋は遊びに来る時も必ず沢山の花を持ってきてたから」
「なんでだったんですか?」
パンの声は知らずに跳ねて、まるで読み聞かせを待つ子供だった。自分でもドキドキしているのが分かる。ラーミンの甘やかに掠れる声にはいつも続きをねだってしまう。
「花屋は男にこう答えた。あなたが花を愛していたから。花の育て方を教えてくれたのはあなただよ、って」
「それって
……
」
ラーミンが呼吸ひとつ分、間を置いた。勿体ぶっているというよりは僅かばかり躊躇いの震えを感じる。パンが親指で大きな手の甲を優しく撫でれば、吸血鬼はそれを紡いでくれた。
「男はそれを聞いて思い出したんだ。自分は屋敷に憑いた幽霊で、生前の記憶をすっかり忘れてしまっていたことを。そして花屋は彼の恋人で吸血鬼だ」
「え?! え、え、えぇ!!」
今度こそパンの驚きは口から全部まろびでた。ラーミンの腕の中でぐりんと身体を回して向かい合うと、アーモンド型の目がパチパチと瞬いている顔を齧り付く勢いで凝視した。
急展開すぎる。それに。
「さっき『手記』って言ってなかった?!」
「そうだよ。幽霊が書いた本だ。吸血鬼の匂いもついていたから、気になって読んだんだよ」
「は、はぁ
……
」
「やっぱり驚かせた?」
骨董品店だから慣れてるかと思った。なんて宥めるように頭を撫でてくるけど、パンがこの仕事を営んでいて触れたこの世界の不思議は絵から飛び出してきた吸血鬼だけである。弟が密かに考えているようでバレバレなおどろおどろしいことは何もなかった。
黒目を少し横にずらし、吸血鬼の身体越しに一人がけのソファに置かれた羊皮紙装の本を見やる。微かに座面と後ろの棚の輪郭が揺らいでいるように見えてしまい慌ててラーミンの美貌へと視線を戻した。
「男はね、吸血鬼の恋人を遺していくのが耐えられなくて魂が屋敷に留まった。でも時間軸がぶれてしまって、恋人になかなか会えないうちに忘れてしまったらしい。一方吸血鬼も男が好きな花を育てる傍らで人間に紛れて暮らし、男の気配が屋敷に残っている限り赴いて花を飾り、男に会える時を諦めなかった。そして暗闇に光が差し込んだのが、最初に会えた日だったんだ」
おとぎ話かと思った。だがラーミンはパンに嘘をつかない。彼が手記だと言ったから、これはその男の『現実』である。
「花屋の吸血鬼は、男と会えた後も無理に思い出させようとはしなかった。下手に苦しませて魂が輪廻転生の旅に向かってしまったらもう会えないからね。こうして再び運命の歯車が合わさって会えただけでも幸せだったのかもしれない。かくして男は生前と同じく吸血鬼に恋をして友人のような時間を経てまた愛し合い、屋敷が取り壊される日まで仲睦まじく暮らしたとさ」
めでたしめでたし、と締める語尾にパンはチクンと小さな棘が刺さった感覚を受けた。本は最後のページをめくれば終わる。本を閉じれば、その世界が完結するのだ。パンは乾いた唇をひと舐めしてから、掠れた声で呟いた。
「まで、なの?」
ラーミンの眉が下がる。夜色の目は凪いでいて、ゆっくり瞬いてからパンをじっと見つめた。
「男は屋敷に憑いた霊だから、器が無くなったら消えてしまうんだ。二人は話し合って最後に決めていたよ。吸血鬼は不死を手放し、男と一緒に消えることを」
「そうですか」
「手記はそこでお終いだ」
終わってしまった。
ラーミンの声に誘われて踏み入れた世界の住人たちに思いを馳せる。人と吸血鬼は消えた後も大気に溶けて共に在るのだろうか。読後というには深い余韻に浸りそうになり、パンは数回瞬いてピントを目の前のラーミンに合わせた。
最後の純血吸血鬼は、この二人を知って何を思っただろう。探るように焦点を絞れば、探ってくるように小首を傾げられる。
あぁ、そうか。先程の躊躇いは今のパンと一緒だ。この二人を知って何を思っているか知りたいんだ。
「パンは
……
その、」
「良い出会いでしたね」
ラーミンが言い淀む声色がダンスのステップを躓くみたいで、その語尾をすくい上げる。パンの低い声はゆったりとラーミンの感想をなぞった。
ラーミンはきっとパンがそうしたい、そうして欲しいと言ったら彼らと同じことをする。訊ねることすら躊躇うなら、その質問は投げかけてこなくていい。
パンの言葉に揺れる夜色の目を宥める為に自分を囲っている腕をポンポンとあやす。リズムは軽快に三拍子だ。
「ぼく達以外にもいたんだって、分かって嬉しかった」
「パン」
ひゅっと息を吸いながら名前を呼んだ吸血鬼は少し咽せて、続く言葉の代わりに空咳をした。パンにかからないように咄嗟に指の背を口にあてるのが優雅だなと思いながら、同時にくちゃりと眉間に皺を寄せる困り眉が可愛いなと思う。
「沢山喋ったから喉が渇いたでしょ。お茶にしませんか?」
自分はこの吸血鬼がとても愛おしい。愛おしいからこそ、二人のことは二人で決めたい。あの手記の二人が二人で決めたように。良い出会いをした。お互いにそう思ったなら、きっとラーミンも同じだ。
向き合っているとはいえ立ったまま抱き合って続けるには温もりに負けて話が逸れそうで、パンはラーミンに与えるリズムはそのままに、彼を反転させてソファへと押していった。
語り部を交代しよう。今度はパンが『本』の中身を口から紡ぐ番だ。ある男の手記の、最終ページの文章を一緒に考えてほしい。
満月はまだ南の空の真ん中には遠く、柔らかい光をただ静かに降らせている。ウィンナーラー骨董品店の居住スペースには変わらず穏やかな時間が流れ、テーブルの上のハーブティーからは優しい香りが立ち上る。すぅと深く吸い込めば、それに混じってどこからかバラではない花の匂いがした。
レコードはかけていない。代わりに恋人たちの語らう声が一つの音楽のようにいつまでも部屋を満たしていた。
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