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タロ文庫の作品置き場
2025-12-18 13:54:33
4322文字
Public
作品
有能執事の微調整
2025-09-14
問題解決後の平和な謎時間軸。ラーミンの肌が鋼のようだとの自己申告を受けて真っ先に「キスマークが付かないのか」と思った次第です。Ep3とEp4の間に書いた気がします。後にパンの中の人がパンはこだわりが強いと言っていて「好き!」となりました。
メータット視点。旦那様命。
くふ、くふふふ。
何百年と経ったであろう仕えてからの年月を振り返って、メータットは主人から発せられた初めて聞く種類の笑い声に、ふっと目線を宙へと向けた。原因は今しがたしたばかりの報告である。正しくは、その人物のした行動にである。
「はぁ、なんて可愛いんだ」
笑いを引っ込めた口は呼吸と同じくらい自然と惚気る。メータットにとっては日常であり、ラーミンの心身に不幸が降りかからなければどうでもいい
……
もとい、何にも思うことはない。
むしろ可愛いのは貴方では? と親バカならぬ執事バカの思考を萌してしまう。
だがこの百年の間に反抗期に突入した弟は律儀にも「はんっ!」と高らかに鼻を鳴らして反応を返していた。
「これだから人間は軟弱だ」
ソファの上に膝を立ててふんぞり返りながらも目線は主人から逸れない。そんな態度を取っていても意中の吸血鬼はたしなめてもくれず、ここにいない愛おしい者を想って相好を崩したままだ。
健気で不憫。
思い浮かんだ言葉を頭の片隅へと寄せて、メータットは報告を続けた。
「パンさんはなるべく硬くて長く噛み締められる『スルメ』をご所望でしたが、あいにく近辺のスーパーや小売店には彼の満足できる品質の物はありませんでした。しかし先日、条件に見合う商品が見つかりまして」
「俺が買い占めてきた、というところです」
どさりと音を立て、マホガニーのローテーブルへとエコバッグが置かれた。どこにでもある白いナイロン素材の袋の中には、鮮やかなイカのイラストが描かれて小分けパックが連なる子供のおやつがてんこ盛りに入っていた。
「普通コンビニに流通してるスルメって柔らかくて吸っても味がしなくてすぐに嚥下出来ちゃうんだけど、何故かあの店には特別に置いてあったんだよね。オーナーの趣味かな?」
「メーキンの病院にあるコンビニエンスストアで購入してもらいました」
いつもは甘いブドウのグミやジュースしか買わないから珍しいものを見る目で見られたけど、こちらもポックポンの珍しい表情が見られたから良かった。と、ニコニコするメーキンに主人も微笑み返し、満足げに頷いた。
「ありがとう、メーキン。請求はメータットにしておいてくれ」
「まったく、どいつもこいつも」
すぐ下の弟のぼやきを右から左へ聞き流しながら、メータットはテーブルの上のエコバッグからスルメの束とレシートを取り出すと、袋は末弟へ返却し丁寧に抱えたままラーミンへと向き合った。
夜色の目は太陽の光を反射する湖のようにキラキラと輝いている。目線はメータットからずれて腕の中へと注がれていた。無意識なのか意図的なのか、大きな手がゆったりと自身の首筋を軽く摩る。
「パンさんは健気ですね」
「頑固で負けず嫌いなんだろ」
ブーメランのようなキーアーの合いの手は「それは君だ。小姑カラス」というメーキンの律儀な突っ込みでいつもの兄弟喧嘩へと発展した。
「だいたい人間の分際で、純血の吸血鬼の首を噛もうと言うのが身分不相応なんだ。いくら顎の力を強めたところで傷の一つも付くわけないだろ」
「身分で言ったらパンさんは相応なんだよ。ただまぁ無謀ではあるけどな」
純血種であるラーミンの身体は人間と同じに見えて細胞レベルで全く異なっている。その肌は鋼で出来た鎧よりも硬い。人間の持つハイドロキシアパタイトの遠く及ぶところではない。
「あぁでも旦那様はどうかお加減を。過去には血栓が出来て脳梗塞や重大な合併症を起こした事例もあります」
「皮膚を破って吸えばいいだろう」
「旦那様の信条を知っていて学習能力がないのはこの口か?」
「おおおい! やめろダメ医者!」
兄弟の小競り合いを前に、主人はまた一つ、くふりと笑った。そして柔らかい口調で「キーアー」とお気に入りの子供の名前を呼ぶ。
「パンが私につけたいのは傷ではないよ」
やっと声がかかったと思い僅かに煌めいたクルミの目が一瞬にしてギュッと眇められた。末っ子によって抓られている歪な口元からは地を這うような重低音が飛び出てくる。
「そんなこと分かっている! 子供扱いするな!」
けたたましいカラスの鳴き声がオルゴールの奏でる旋律にでも聞こえているかのように優雅な頷きを返す主人へ、メータットは静かに頭を下げた。かさりと鳴る手の中のスルメの束を慎重に抱え直す。
「それではパンさんに届けてきますね」
「あぁ。私も後から向かう。もし眠っているようなら起こさないであげてくれ」
愛おしさに満ちた優しい声色に、はいと応えて家族団欒の空間から退出する。ペントハウスの長くはないが短くもない廊下をゆったりと歩きながら、一人、メータットはここ最近の記憶を辿った。
ラーミンはメータットが用意したタブレット端末をいたく気に入って、時間が許す限りそこから現代社会の知識を吸収していた。長らく生きてきた者の順応力はスポンジが水を吸い込むようなものだ。ラーミンは経済や社会情勢関連の情報の他にドラマをはじめとした創造の世界も好きで、良くメータットに見るように勧めてくる。昔から書物が好きだったラーミンはタブレットでも熱心に読書を楽しんでいた。その中でもやたらと熱心に読み込んでいるなと様子を伺えば、それは男同士の恋愛物語だったように思う。恋愛ドラマは性別に関係なく見ていたが書物に関しては男同士が多かった。
「パンは人間の男だから、身体に合った知識を得たいんだ」
ドラマではキス以上は映らないからね。
聞いてもいないのにあれやこれや微に入り細に入り報告をくれる主人のなんと勉強熱心なことか。気づけばメータットもなかなかの知識人となっており、パンの身体に必要なものをそれとなく手配出来るようになっていた。
これもその一つと言われれば、そう、なのかもしれない。
人間同士の濃厚な愛情表現の副産物として『キスマーク』というものがあると知ったラーミンは早速パンへ打診した。主人はパンの嫌がることや苦しむことは何一つしたくないのだ。その結果、彼らの間でつつはなく行われることになり、それは勿論一方的なものではなかったのだろう。ラーミンは「付けてくれようとした気持ちがまず嬉しい」と言ってのけた。
あの人間、もとい主人の愛する人とは短い付き合いだがキーアーが言い表した人となりにも一理あるとメータットは思っている。
頑ななのである。
「パンさん、メータットです」
トントンと上質な扉をノックすれば、くぐもった声がすぐに応対した。返事が早かった割に扉が開くまでにしばしの時間が過ぎる。ガチャリと重たげに開いた扉の先に大きなてるてる坊主がいた。
「頼まれていたものを届けにきました」
「わざわざありがとうございます」
すっぽりと白いシーツで覆われて顔しか見えないパンの、手と思われる部分に抱えていたスルメを乗せる。何となく直視は避けていたが一応パジャマ代わりのTシャツとスウェットは着ているらしい。それでも自分には見せたくないのだと目を伏せていれば、パンが低く咳払いをして口を開いた。
「ラーミンさんに伝言をお願いできますか?」
旦那様でしたらもうすぐ来られますので直接おっしゃってください、と言い出せないオーラをてるてる坊主は背負っていた。ここは穏便に頷き促すと、「ティーンエイジャーじゃあるまいに」と数百年前に年齢を数えることをやめた吸血鬼に対して最大級の嫌味が差し出された。
パンさん
……
。
メータットは全てを飲み込み、もう一度静かに頷いた。
ラーミンがそれを出来るということはパンがゴーサインを出しているからだ。ただし『やっていい』『やって欲しい』と『そこまでしなくていい』は両立する。都度の治癒は施されているとはいえ目の前の人間の身体には吸血鬼の愛が絶えず降り注いでいるのだ。
そしてパンという男は頑なにダメと言わない。その上、同じだけ返そうとする。頑なに。
ラーミンにも愛される喜びを実感して欲しい。健気な人間だ。
「パンさん、老婆心ながら一つ申し上げてよろしいでしょうか?」
「なんでしょう」
「ラーミン様のお身体は本当に純銀しか通りません」
「ぼく、子供の頃に虫歯の治療をしていて奥歯に銀の詰め物が入っているんですよね。だから」
「
…………
」
「冗談です」
ほんの一瞬だけキーアーの気持ちが分かった気がする。凪いだように変わらないパンの表情を思わず見つめてしまったメータットは、次に続くパンの言葉に瞠目する羽目になった。
「顎を強くしておきたい理由は一つではないので大丈夫です」
お気遣いありがとうございます。
頭を軽く下げたてるてる坊主の目はオニキスのように艶めいていた。その声はてるてる坊主の格好をしているとは思えないくらい凛と張っていた。それはたおやかにも見えたが、闘志で満ちているようにも見えた。
そうだった。この男は本来ただの人間ではなかった。
ラーミン様、あなたの愛する人はあなたを愛することに頑なです。吸血鬼のそばで暮らすと決めた人間の覚悟は相当です。
今度はさくらんぼを持ってこいと言われるかもしれない。口の中で枝の部分を結べるとキスが上手いのだとか。顎どころか舌まで鍛えてしまったら、接近戦に長けている男に主人は勝てるのだろうか。ラーミンのことだ、喜んで不戦敗を選ぶ。
パタリとしまった扉の前で、メータットは己の想像も閉じ決意を新たにして踵を返した。
メータットは、何度も熱くて濃厚な割にお行儀の良い夢を見続けたパンが今度はあれもこれも夢なんだから叶えてくれと胸に蓄積してきた様々な願望を、ラーミンを得た今なんとか実行に持ち込めないかと淡く思案しているとは知らないまでも、本能で主人の不足を感じ取った。愛はたっぷり持っている人だ。欲が少し足りていない。情報だけではいけない。ラーミンには実戦を積んでもらわないと。
家族団欒の空間へと戻ったメータットは、今だに戯れ合っている弟二人の首根っこを捕まえて、明日の夜まで続く自分たちの不在を主人へと伝えた。パンからの伝言も忘れずに。
「パンさんは、十代の若者ではないのだから、もっと年相応のたしなみを盛り込んでも良いのでは、と提案しておいででした」
メータットの言葉で瞬く間に耳を赤くした主人に一抹の不安が胸をよぎったが、ラーミンのポテンシャルの高さもよく知っているので、そのまま一礼して退出することにした。
後は若い二人でと言うには片方が長生きだけれど、吸血鬼と人間、双方の足並みが揃うことを心から願うメータットなのであった。
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