タロ文庫の作品置き場
2025-12-18 10:04:45
9109文字
Public 作品
 

2,000回目のプロポーズ

2024-06-30
恋人期間の終了を記念して乾杯をする二人の話。
6/22タイ沼版ワンドロ【結婚】で書いた話。結婚平等法案が上院を通過した記念のテーマだったので、結婚といえばこの二人だろうと。
施行前フライングしてますスミマセン
捏造設定を拙作『1,100回目のプロポーズ』から引き継いでいます。
なんちゃってセレブ感と業種トークは勉強不足につきふわっとスルーお願いします。

クロスオーバーニュアンス&別ドラマCPのおまけ付き

「まさか本当にウィンと恋人じゃなくなる日が来るなんてな」
 するするとワイングラスへ注がれる深紅の静かな流れを眺めながら、ぽつりと呟かれた言葉にウィンは微かに口端を持ち上げた。デキャンタージュされたワインからは果実の他に土や書庫を彷彿とさせる香りが複雑に絡み合い、その奥深さに心弛びを誘われる。
 このワインはウィンがトップと恋人になった日に買ったものだった。楽しいことと可愛いものに目がなく、フットワークの軽いトップとの恋人関係はそう長くは保てないと思っていたから。解消するあかつきには盛大に開けようと、実家にいた頃から親の逸品たちに紛れ込ませて管理して、二人で住むようになったペントハウスにも持ち込んでワインセラーの奥にずっと置いておいたものだ。
 このワインの経緯を説明すれば、トップの柳眉はきゅっと寄り「なにも最初の日に買わなくても」と口の中だけでぼやいた。
「なに? そんな日は来ないとでも思ってた?」
 予想より長く寝かせてしまったワインはとっくりと熟成して澱も随分溜まっている。長い間密閉された瓶の中から解き放たれ、酸素を多く取り込んだワインは今、よろこびに満ち溢れるように華やかに香っていた。
 長い指が置いたデキャンタをすぐに取り上げて、トップの前にあるグラスに手早く注ぐ。ちらりと横目で見やれば、いつもふんわりと笑みを湛えている形の良い唇がウィンの問いにまたもごもごと動いている。そんな気まずくしていたら開いたワインの香りが味わえないよ。せっかくのロマネ・コンティのグレートビンテージなんだ、ちゃんと楽しんでもらわないと。
 学生時代からワインを嗜んできたトップなら、目の前の深いブラウンが透ける深紅の価値はわかりきっているはずだ。ウィンにそれを教えたのもトップだし、だからこそ若き日の自分は少し、いやかなりの背伸びをしてでもこれを手に入れた。
 今日という日の為に。
 案の定、ウィンがこれを携えて戻ってきた時のトップの顔といったら……隠し撮りして写真立てにいれて、今までの二人の思い出たちと一緒に飾っておきたいくらいだった。場所は初めて二人で旅行した時の写真の隣がいい。
「思い返してみてよP’トップ。あの頃の自分の所業を。ぼくはね、あなたと恋人になれて嬉しかったけど、あなたがそれまでの恋人とどうなったかも知ってたんだよ。恋人じゃない人と何をしていたかも。ずっとずっと追いかけてた人だからね。覚悟も決めるさ」
「ウィン~~~」
 またそんな情けない声を出して。
 ウィンはくしゃりと美貌を歪ませる隣の人をアミューズに、グラスを鼻に近づけて香りを静かに嗅ぐ。なんて今の自分に相応しい香りだろう。
「ウィンだけは違うって知ってるだろ。生まれて初めて無我夢中で手に入れたんだ。自分にとってかけがえのない存在がこの世にいるなんて思ってもみなかった。世界でただ一人、ウィンだけが俺の可愛い恋人だよ」
 トップはウィンのように香りを楽しむことはせず、ゆっくりとグラスを掲げてみせる。ワイングラスの中にウィンをおさめて、ワインに滲ませるようにくるりと回す。ウィンからもちょうどアーモンド型の潤んだ目やすらりとした鼻梁がワインに染まるのが見えて、更に芳醇な香りがぶわりと立ったように感じた。
 トップは心に留めておきたい景色をグラスの中でワインに含ませて飲むのが好きだ。オフ・ヴィンテージのワインでも場の雰囲気次第では美味しくなる、と出会った頃に言ってた。トップは〝可愛い恋人〟を極上のワインに纏わせて、一体どんな味にして心に留めるつもりだろう。
 ウィンは少しだけ対抗心を出して「ぼくだって」と答えた。
「大学に入ったらやっと遊べると思ってたのに入学前からとんだ出会い頭の事故だったよ。一目惚れした人がこんなに厄介だったなんて。この世にたった一つの宝石みたいな顔をして、沢山の人のレンタルアクセサリーになってるって分かった時のぼくの気持ちがP’に分かる?」
 もう十年も前の感情をウィンは久しぶりに引き出しから取り出して、トップの腕を押し下げた。ワイングラス越しだった墨色の瞳がまあるく見開かれる。テンカラットの中に、今のウィンが少し拗ねた表情で映り込んでいた。
「ウィン、宝石に例えてもらえるのは光栄だけど相変わらず酷くないか?」
「事実だろ。本当に大変だった……あなたと恋人関係になるのは」
 ふぅと思わず大きなため息が出る。トップは先ほどのウィンを真似て「俺だって」と言葉を返す。少しだけムッとしたような不満げな語尾にウィンはふよりと片眉を上げた。
 実際、トップが大変なことになっていた姿をウィンは見ている。本人が言う「無我夢中」が誇張ではないことも。
 トップがいるグループは誰も彼もが豪華絢爛な存在だった。人々からうっとりと見つめられることが常であり愛でられることに慣れていた。その代わり、誰しもが自ら愛することを知らなかった。ウィンはトップが少し窮屈そうにままならない感情に振り回されながら、心を開いて震えるほどの喜びと泣き出しそうな温かさをこちらに差し出してくるのを根気よく見守っていた。自らも同じものを身のうちに育みながら。
 トップも自分も生まれながらに選択肢が多い。誰かを真剣に愛さなくても生きていける人生だ。でも二人は互いに恋をして、愛と誠実に向き合うことを選んだ。
 トップの覚悟を見た。自分もとっくに出来ている。
 だから今度は、見つめ合った顔を外に向けて新しい道を歩みたかった。
「さぁ、思い出話はここまでにして恋人関係の終結に乾杯しよう」
 折角のワインが味も香りも飛んでしまう。ウィンが今一度グラスを掲げると、潤んだ目をしたトップも長い指でステアを持ったグラスの高さを合わせた。
「ウィン、俺に愛を教えてくれてありがとう」
「P’トップ、ぼくにその心をくれて、可愛い恋人でいてくれてありがとう」
 わざとトップが良く使う自分の呼び名を使えば、トップの目は甘くたわんだ。
「もう会えなくなるのは寂しいな」
「相変わらずロマンチストだね。ぼくは清々してるよ。やっとだもの」
「ウィンらしい」
 ふふっと笑う唇がようやくいつもの彼らしく柔らかく弧を描く。ウィンは愛おしく思い、心の中の決意をギュッと固くした。
 二人は見つめ合いながらグラスを近づけ、くちづけるようにそっと触れ合わせた。ロブマイヤーの繊細な曲線が、厳かにりんと音を立てる。
 鐘の音に似ている音の余韻を耳の奥で聞きながら口に含んだワインは、花のようなカシスのような、血のような、様々なイメージが一度に広がる味がした。
 それは初めてトップを見た時の視界いっぱいに広がった光彩にも似ていたし、あの日仕事中だというのに執務室にやってきて跪いた男の喜色に溢れた顔面から放たれたプロポーズの連呼にも似ていた。
 鐘の音がまだ鳴っている。祝祭の味だ。
 ずっと味わっていたいワインをこくりと飲み下せば、トップも同じタイミングで満足げな吐息を漏らした。墨色の宝石がきらりと輝く。
「今日からは〝頼もしい家族〟さん、かな?」
「可愛いは残しておいてもいいんだよ?」
「じゃあ可愛くて頼もしくてかっこよくて、ちょっぴりえっちな家族さん」
「P’トォーップ、余計なものはつけない」
 ちょっぴりと言ったところには少しだけトップの慎ましさを感じたけれど、身体に入った良質なアルコールに上がった熱で睨めつければ「はぁい」なんて甘えた声が返ってきた。
「頼もしく思っていてよ。これからは、P’の身にどこで何が起きてもぼくが一番に駆けつけてあげる。ぼくに何かあった時もP’に決めてもらえる。それにぼくの財産であなたを守ることが出来る。すごく安心するし、あなたと家族になった誇りと責任を強く感じるんだ。今のぼくは負け知らずだよ」
 やっとだ。この日をずっと望んでいた。それこそトップが恋人になったあの日から。絶対にこの人を離さないと決めて、祝杯を用意したあの日から。
 周りの異性同士の恋人たちが学校を卒業し、それぞれが就職した後に自然な流れで結婚していく姿を見ていた。高校の途中まで滞在していた国では同性との結婚は国で認められていたし、実際に同性と結婚したクラスメイトもいる。またはシングルライフを楽しむ友人の中には「出会いがあれば結婚する」と、相手がいれば恋愛の先に婚姻関係が選べるのが当然と思っている異性愛者もいる。彼ら彼女らと同じように、自分たちが家族としての歴史を共に歩む選択肢がないことがずっと不満だった。
 それがやっとこの国の国民としてその権利を平等に与えられた。
 ウィンは万感の思いを込めて、ワインを口に含んだ。
「俺も、俺の全部をウィンに捧げる。それを公的にバックアップされることが嬉しい。ねぇウィンも俺を頼もしく思ってくれる?」
 同じく一口飲んだトップのペロリと唇を舐める舌先に、うーんどうだろうなんてわざといけずい態度を取れば、甘噛みに慣れた男は表情をふわりと緩ませた。
「じゃあこれならどう? ウィンがワインを用意してくれたからサプライズの後出しになっちゃったけど」
 トップは徐に立ち上がり、写真立てが並んだ棚の一番上の引き出しの鍵を開けた。プレゼントにしては色気のない濃紺のレザーファイルはトップ個人の会社のものだ。訝しく見つめていると、元の位置よりウィンに重なるように寄って座ったトップが恭しく差し出してくる。左腕に愛しい家族の温もりとワインより妖艶な香水の匂いを感じながら、指触りのいいシープスキンをゆっくりと開いた。
 そこには何枚かの契約書。一番上はタイ湾に浮かぶ個人保有の島のオーナーのサインが入っている。
「本土と直通で繋ぐ高速船と航路が確保できたんだ。取引先の理事長の夫人の親戚なんだけど、新しく作ってくれた。向こうが難色を示していた島の漁場や島民の生活航路も避けて通る。うちの流通ラインも増やすよ。島はココナッツや魚介類は豊富だけど他の物流が乏しかったからね。何より直通で本土と、それも空港近くと行き来出来るってところで、オーナーの心が動いたっぽい」
 オーナーの〝家族〟がバンコク出身だそうだ。
 そう言ったトップの声は口説いてくる時よりも随分と熱っぽく聞こえたのはウィン自身が興奮しているからだろうか。
 これはウィンが最近仕事で難航していたプロジェクトの活路だ。
「ね、どう?」
「最高……
 少し震えた呟きに、一緒に手元を覗き込んでいたトップの顔がぱぁと輝く。その嬉しそうに持ち上がった滑らかな頬を手のひらに包み、ウィンは首をめぐらせて形の良い唇にキスをした。チュッと可愛らしい音を立てて離れてみるとトップは一層嬉しそうに蕩けた顔をしている。
 キスなんて、それこそ恋人になる前から数え切れないくらいしてきたのに今もまだウィンからすると惜しげもなく美貌を崩す。可愛い人だ。可愛いところを見せてくれるのが幸せだ。
 ウィンもまた自分の顔が綻んでいる自覚があり、うっとりと目を細めた。
「ウィン」
 名前を呼ばれて左手を掬い取られる。シルバーアッシュに染められた頭が下がり、薬指に唇が触れた。手入れの行き届いた柔らかいそれは、ウィンが見つめる先で極上のワインのように開いていった。
「俺と結婚してくれますか?」
 正式に恋人同士になってから二人の間で何度も何度も繰り返されてきたプロポーズ。数えてきたわけではないが恐らく二千回くらいだろう。上院で法案が通過した日にとんでもなく連発していたからそこで一気にカウントが上がった。そしてその日はウィンもトップの前に跪き、彼の手をとって厳かに回数を一つ増やした。何度しても答えはイエスだった。ひどい喧嘩の後でも、挨拶よりも軽く言われても、ウィンはそう答えると決めていた。
 ウィンはにっこりと笑みを浮かべると今日も変わらず心からの愛に溢れた言葉をトップに差し出した。
「ぼくはもうあなたと結婚しています」
 二千回目にして初めて違う答えを返されてトップは迷わずウィンを抱きしめた。これからは三千回、四千回、生涯ずっと繰り返される言葉になる。
 感極まってあーとかうーとか呻いている配偶者の背中を宥めるべく、ウィンは手に持っていたレザーファイルをセンターテーブルの上、ワインの隣、ちょうど二枚並んだ登録証の前へと静かに置いた。
 
 
 
 ++++++++++
 
 おまけ
 
 
 
「あ~~~、やられた」
 それは食後の家族団欒の時間に訪れた。
 珍しく仕事用のセルフォンにメールの受信通知が届いたのだ。普段なら営業時間外だと画面が自動的に暗くなるのを待つのだが、なんだか嫌な予感がして思わずポップアップをタップしてしまった。
 最初の一文に目を走らせただけで予感の的中を確信する。思わず口から大きな呻き声が出た。
「なに? どうしたの?」
 隣でサッカーの試合を見ていた黒目が驚いてパチパチと瞬きながらこちらを見た。仕事に関していつも理性的なウィンがこんな風に取り乱すのが珍しいのだろう。それはそうだ、自分だって衝撃だった。
「狙ってた島を取られた」
 口に出してみれば現実味が増して、悔しい気持ちが腹の中を回遊し始める。ぐるぐる回る感情を宥めるように今度は大きく息を吐いてハイバックソファの背もたれに頭を預けた。腕は力無く座面に投げ出し、セルフォンが手のひらからずれる。明るいままだった画面を隣の人が覗き込んで、あっと声を上げた。
「ここ、SNSでたまに見るよ。名前なんだったかな、美味しそうな名前で……
「マンダリンガーネット」
「そうそう! 夕陽と砂浜が綺麗なビーチなんだよね」
 やっぱり知っていたな、とますます悔しくなる。
 そこは最近SHAプラスに認定されたビーチだった。砂浜はゴミや貝殻は綺麗に取り除かれており裸足で歩いても安全である。細かい砂で覆われた浜辺は潮の満ち引きで夕方には平坦になり、水平線へと沈む大きな太陽をとろりとオレンジ色にとかした遠浅の穏やかな海が作り出すゴールドラインを足元まで伸ばしてくる。その煌めきは十カラットの宝石のようだ。
 空と海と砂浜の融合に見れば誰もが魅了される。
 タイ湾にはいくつも美しい島があるが、ウィンが次にリゾートホテルを建てたいと思っていたのが、その清潔さと神秘的な輝きに満ちたビーチのある島だった。
 個人保有の島で他の島々より観光客の誘致は多く望めないと分かりつつもどうしてかとても惹かれていた。そして個人保有の島なので持ち主と交渉するのだがこれがまたとんだしたたか者で、プロジェクトは難航し責任者の長兄は煮湯をガブガブ飲んではウィンの前で荒れ狂っていた。
 その態度は誰が相手でも変わらなかったはずだが。
「よりによってあそこかよ」
 競合相手の中でも出来れば見たくないと思っていた名前がそこにあった。ウィンの家とお同じ中華系一族経営のホテル会社、の社長子息が経営している会社だ。元は異業種のはずが、一年ほど前からホテル経営に参入し始めたことは知っていた。ウィンより年上だがまだ若い。チューレンは同じく「ウィン」。そこまでなら良くある事だったが、左薬指を飾るリングに興味本位で個人のSNSを見てみれば、配偶者は同性で、婚姻届の届出日はウィン達と同じ初日であった。どこまでも自分と同じ彼を意識しない方がおかしい。どんな奇縁だ。それならますますチューレンにかけて勝ち取りたかった。向こうも同じくウィンに勝ちたかったかは分からないが、結果この新ホテル建設予定のニュースリリースをもってこちらは魅惑のオレンジから撤退するしかない。
 天井を回るシーリングファンを眺めながらもう一度ため息をつくと、隣から温かい手が伸びてきて優しく腕のタトゥーを擦った。
「ウィン先輩かわいそうに。またフラれちゃったんだね」
 またって何だよ、とジト目を横に向ければ、自分たちが恋人同士になった夜に晒したウィンの脆い部分に対してしたように眉を寄せてうんうんと頷いている。何年経ってもやんちゃ気質が抜けない男の軽口に、ウィンの腹の中も何故か少し軽くなった。
 そんなところも可愛く見えるのだ。仕方ない。
「お前と一緒に見に行きたかったな」
 かわいそうついでに慰めてもらおうとソファに預けていた頭をずりずりと横にずらし、収まりの良い肩口へ寄りかかった。そのまま鼻先でノースリーブシャツをすんと嗅げば、〝我が家〟の落ち着く匂いがする。望み通りトライバルタトゥーの入った腕が上がり、ウィンのダークブラウンの髪を頭の丸みに沿ってよしよしと撫でた。「あ、入った」とかなんとか呟いて目線はテレビ画面に向かっていたけれど。
 同点弾が決まったところでCMに入ると、ウィンの頭を撫でていた手はテーブルに置きっぱなしだった自分のセルフォンを掴んだ。とととっと小気味良い振動が伝わってきて、ティームが大きく鼻で息をつく。
「よし行こうよ、先輩」
「俺の建てたホテルに泊まりたかった」
「いい歳して駄々こねない。このホテルが建つ頃は大きい大会は終わってるし、先輩も決算月じゃないでしょ」
 ほら見てと差し出された画面は件のニュースリリースの対外版で、ウィンは思わず「はぁ?」とティームを睨みあげた。
 お前まさか、あろう事かあっちのウィンが建てたホテルに泊まるつもりか?
「わ、凄いよ。ホテル宿泊客専用の直通便で行けるんだって。空港から船着場までも車での送迎あるし、快適に移動できそう」
「なんだって!?」
 ウィンが猫なら、たしたしとソファの座面を叩いていたであろう尻尾が続くティームの言葉にボワッと大きく膨らんだ。ティームの手に重ねてセルフォンを掴み、記事の内容を読む。
「マジかよ、俺がやろうとしていた事が全部されてる」
 宿泊客への高速船の直通運航もだがホテルの物流も含めて、ディーンの会社をひとつ噛ませられないかと打診していたところだったのに。確かあちらの配偶者は大手貿易会社の御曹司のはずだから、そこのツテを使ったのだろうか。
 くそ、本気でムカつく。それもホテルのイメージ画像がどれもウィン好みなところも油を注いだ。
「行かない行かない、絶対行かない」
「えぇ~、そんな事言わないでさ。先輩のお家が負けちゃったのはおれも残念だと思ってるよ。でも先輩がやりたかった事が全部やられちゃったなら、寧ろ客として体感しなきゃ。良いとことは盗んで、駄目なところは反面教師にして、別のところで勝とう」
 マイペンラァイ、ヒア~。
 ティームの空腹時に出す声とはまた違う穏やかに間延びした声と、まろい指先がごしごしと優しくも力強く両腕を摩ってくる仕草に、ウィンの曲がりに曲がった臍はするすると元の位置を目指して動き出す。唇は突き出たままだがちらりとティームを見る目から険がとれていて、まぁるい墨色にティームの口元は緩まった。
「偵察、楽しそう!」
「隅から隅までチェックしてやる」
 悔しさをバネに、経営者たる者タフでなければならない。
 無事にウィンが正気を取り戻したのを感じてうんうんと頷いたティームが頃合いを見計らって「それに」と少し口元をもごつかせる。濡れた黒目が照明の光を受けてキラキラと輝き、マグネットのようにウィンの目にピッタリと合わさった。
「ちょうどオープン予定日が結婚記念日なんだよ。お祝いにオレンジの宝石が見たいなーなんて」
 指に付ける誓いの証は凛とした白銀にした。でも二人で営む家族としての時間は沢山の色で彩りたい。世の中には画面越しでは感じ得ない色が沢山ある。
 今や完全に乗り気になったウィンはプラチナリングを指でいじりながら答えを待っている愛おしい人に目尻を甘くたわませて、あぁと深く頷いた。ティームの目が更に輝く。
「ありがとう、ウィン先輩」
 ふへへと笑った唇がふいに近づいて、チュッと可愛い音を出した。ティームの柔らかさを唇で噛み締める自分の顔がどんなに崩れているか自覚がある。キスなんて数え切れないほどしてきたけれど、ティームからされるといつだって心はよろこんだ。
「楽しみだな」
 ウィンからここまでの言葉を引き出せたことに満足して、ティームは先ほどのウィンと同じように肩口に黒い頭をこてりと預けた。広いソファを買っても二人の距離は学生時代の寮の部屋のまま、気づけばまた一点ゴールして贔屓チームが勝っている画面を見て「よしっ」とガッツポーズする。
 首元をするするとくすぐる黒髪を愛おしく思いながら、ウィンはセルフォンのカレンダーを開いて早速予定を打ち込んだ。
 その日が来るまではイカダリゾートで愛を伝え合った日を何年も記念日にしていた。付き合い始めた当初は結婚までは考えておらず、ティームの恋人になれたことに一身を捧げたかった。恋人としての矜持を持ち「愛している」と言い合える毎日がティームとの日常となった時、それを一生続けたいと思ったウィンは「結婚」を選んだ。ティームに伺いを立てれば、彼はイエスと言った。
 その後、学生時代から(下手したら付き合い始めるよりも前から)その選択肢しか頭になかったディーンがパームの戸籍のある国で結婚し、プルックが盤石の布陣でマナウと式を挙げて籍を入れるのを見守った。自分達も留学時代に目星をつけていたイギリスの教会で式を挙げて、国内ではその日が来るのを根気強く待っていた。待ち望んでいた日だ。
 イカダリゾートで生まれた記念日はウィンにとっては胸に生涯あり続ける宝物だが、ティームと婚姻関係を結んだ現実は生涯を終えた後も遺り続ける宝物である。
 結婚記念日という言葉から放たれる多幸感を噛み締めながら、カレンダーのその日を指でゆっくりとなぞった。うっかり画面が反応して詳細が映し出されてみれば、打ったばかりの予定が二つ並んでいる。眺めて、ウィンの柳眉がぐっと寄った。
『結婚記念日』
『アーティット島 新ホテルオープン』
 ん?
「あー! オープン日が俺たちの結婚記念日なら、あの人らもそうじゃないか! 事業の成功が愛の結晶って事か? あー、やられたー」
「先輩しつこい!」
 その日は待ち望んでいた誰しもの記念日だった。派手に祝われて立つよりしてやられた感が色濃く広がった腹を、隣から伸びてきた指にぎゅむっと思い切りつねられた。