河童の皿箱
2025-12-18 08:55:52
3051文字
Public 遊戯王:短め(2025年度)
 

ファイアのバイト奮闘記 本屋編

ファイアがバイトをするだけ

 「ただいま」と。眼鏡をかけた少年が扉をくぐれば、迎えるは古い本の匂い。ずらっと並んだ本棚に、ずらり並んだ本と本。所狭しと積み上げられる、誰かの記した文字の群れ。その隙間を縫うように、帰宅した少年は奥へ、奥へと進んでいく。「おかえり。今在庫整理しててさ。手伝ってくれ」と、父が言うのに頷く少年。レジの後ろのドアを開いて、自分の部屋へ一直線。大好きなコミックスと、大好きな本と、大好きなヒーローのフィギュアが迎えるその部屋に、今日も今日とてつまらない学校に持っていったリュックサックを投げおいて、着替える。クローゼットから黒いワイシャツを取り出して、袖に腕を通し、最後にエプロンをかけた。
 「お待たせ」。少年が装いを新たに戻ってくれば、父の横には赤髪の、背の高い男が眉間にしわを寄せながら、カートに乗った大量の本と、睨めっこをしていた。

 「んなあ、これはあっち?」。「そうそう。だいぶ覚えてきたね」。父と男がそんな話をしているのに、少年は微笑んで、別の仕事をと足を向けようとしたが、時折来る客がレジにやって来たので、慌ててレジに入った。無言で差し出される本のバーコードを読んで、値段を伝えて、お金をもらう。お釣りとレシート、確認して、渡す。不愛想に去っていく客に、いつも通りと本の整理に参加した。
 「あっ、帰ってきてたのか」。炎のように逆立てた真っ赤な髪と、わずかに目の透ける太陽色のサングラス。背も高くて、がタイもいいけど、まだまだ本屋の仕事に慣れないその男。「ただいまって言ったよ、ファイア」。「あぁ? 聞こえなかったんだよ。そのしまう場所がわかんねーから」。少年は笑い、いつの間にやら父もまた、別の仕事にかかっているようだった。「手伝うよ」と、少年は男がさばき切れていないカートの中からいくつか取り出して、相応しい場所へと収めていく。その素早い手際を見て、男は目を丸くした。そんな姿に、少年はまた笑う。
 「ファイアはバイト初日だもん。ぼくが先輩だから、ちゃんと頼ってよね」、なんて。いつもは怒るだろうに、今日はしぼんで「うっす」と。どうにも可笑しくなってしまって、少年は何とか笑いをこらえながら、また仕事を進めていった。

 さて、この男。ファイアと云うが、実に変わった経歴を持つ男である。なにせ、この男は実を言えば人間ではない。古本屋の一角、ここにずらっと並んだコミックスその中のひとつ、『Fire Starter』から飛び出してきたのが、この男――少年がフィギュアやれなんやれを集めるほどに心酔するヒーローなのであった。何故そのような事が起きたのか、何故彼は飛び出てきたのか。いや、そもそもどうやって本の世界から飛び出してくるなどという奇妙なことが起きるのか。少年と男は互いに疑問は尽きなかったものの、しかしここは現実、これは現実であった。
 奇々怪々な男であったが、彼は自らを人と認識し、そして人として物を食べ、人並みの清潔を望んだ。しかしながら、男を呼び出してしまった少年は、未だ幼い少年であった。ミドルスクールにようやく通い始めたくらいの年頃。大昔ならまだしも、現代としては社会的に何らかの責任を負うにはまだ早く、金を稼ぐことも難しい。かといって、この男も仕事をすると言われても、戸惑うばかりであった。そして何よりこの男、その名の通りに火が付きやすく、とかく喧嘩っ早いのだ。慣れていないのに外に送り出して、トラブルが起きた時に対処できる自信は、少年にはなかった。
 そこで、少年の両親は考えた。とりあえず、うちで働いてもらおうか、と。全く無償で、それなりの大男ひとり住まわせられたらよかったが、生憎そうともいかないし、男も男で全く働かずにいるというのも気が引けた。故に男は快諾した。そしてさっそく、品出しや棚替えを習っているのだが、やはり性には合わないのだろう。サングラスの向こう側では、深い深い眉間の皴と、じっと細められた目が、本棚に差し込まれた作者名にガンを飛ばす。
 「ねえ、ファイア。そんなに力入れなくても良いんだよ」。少年がつい零せば、男は眉間を押さえた。「……お前すごいな」、と。大きなため息をついて、男が手元に取っていた本10冊をさばく頃には、少年はカートいっぱいの本をすべて棚に収め切っていた。「慣れだよ慣れ。何度もやってたら覚えるから。あと、レジのことも教えておくね。お客さんが来たら、ちゃんとレジ打ちしないと」と、カートを片付けて、今度はレジに入る。

 いくつかの操作を教えて、最近導入したキャッシュレス決済のやり方も教えていると、客がまたひとり。6冊の本が投げ捨てるように乱雑に置かれ、少年は黙ってレジに通す。なんだかずいぶん金持ちなんだなぁと思いながら合計金額を伝えた途端、客は大声で怒鳴りつけた。「ンな高いわけねぇだろ!」と。少年は委縮する。言いたいことを押し込めて、もう一度レジに通し直しても、同じ金額。まあそりゃあ古い本ではあるけれど、これはすでに絶版になった人気シリーズの旧作。その本流にマニアであったら喉から手が出るほど欲しいプレミア品。だから、目を疑いたくなるような金額なのはわかるけれど、これでも適正価格だ。それを知ってか、知らずか。どちらにせよわかるのは、『ぼくが見るからに弱いからやっている』、ということ。
 客がポケットに手を突っ込む瞬間、レジを習っていた男は台を軽々飛び越えて、客につかみかかった。客は抵抗した。だが男はなおもつかみかかり、壁に押し付けては、ポケットの中身を奪い取って投げ捨てた。「まだあんのか!? アァ!?」、と。その尋常ではない男の様子に、少年もまた気圧されたが、投げ捨てられたそれを見て、さっと血の気が引いた。拳銃だ。初めからこの男は、この高価な商品を強奪しようという目算があったのだ。
 「父さん! 警察呼んで!」。少年は急いで拳銃を奪い取って離れ、父に助けを求めた。父もまた状況を理解して、携帯電話で通報をしながら、少年をレジ奥の扉の奥へと押し込めた。

 それからしばらくして、警察が到着した。客は強盗殺人未遂の容疑で逮捕されて、凶器として用いられるはずだった拳銃も回収された。父は男に感謝した。「息子を守ってくれてありがとう」、と。男はけれど、どうにも居心地が悪そうであった。「俺ができんの、そのぐらいだし」、と。けれど少年は、男に大好きなヒーローに守られたということに、ひそかに歓喜し、興奮し、銃殺されるかもしれなかった恐怖よりも、思い返した時のあの気迫が如何に格好良かったかそればかりが頭にあった。
 ……とはいえ、少年も全く怖くなかったわけではない。未だに震える足を見れば、ヒーローは手を握って、視線を合わせた。「こういうことがあるんなら、俺も頑張んねぇと。お前もそうだし、ヴィランをぶったおすのもな」、と。

 あぁやっぱりカッコいい、なんて。今このタイミングで口にしたら、絶対変な顔をされるから言わない。言わないようにして、代わりに飛び出たのが、「火を使わなかったんだね」だった。それもそれで変な言葉な気がしたが、けれど男は笑った。「ここは外じゃねぇ。お前の家だしそれに本ばっかだからな。さすがにその辺は分別つくぜ」と。

 これ本当に現実? いまだに信じがたい光景に、少年は内心、目を逸らしたい自分と、目を逸らしたくない自分が大喧嘩を起こしていた。