タロ文庫の作品置き場
2025-12-17 10:58:49
3912文字
Public 作品
 

至高の嗜好

2025-02-07
同人誌『水の温度1』のおまけで付けたポテチ風ブックカバー&しおりに連動して書きました。
ティームにとって、しょっぱいものとはトップオブトップの燃料である…という話。塩味は「えんみ」と読んでください。
REVAMPもうすぐですね楽しみ!という気持ちを添えて

「ティィィィィム」
 ちょうど噛み締めたばかりのスナック菓子からじゅわりと塩味を感じたところで、こぶしがかった唸り声がつむじに当たった。プールサイドで飛んでくる厳しさや鋭さは孕んでいなかったが、茹だる外気をそのままティームに吹きつけたような温感はあった。
 ティームがぎくりと肩をすくめ後ろを振り向くと、見上げる先にはビニール袋をぶら下げたウィンが柳眉を思い切り寄せて仁王立ちしている。その眉間の皺はティームの唇に今なお大きなポテトチップスが挟まっていることを確認するとどんどん深まっていき、慌てて口の中へと収めた。高速で噛み砕く。こんなに美味しいのに味わえなくてごめんな。
「ひとに昼飯を買いに行かせといて良い身分だな。もうすぐ終わるんじゃなかったのか? 俺が戻ってきた時には皿を出して準備しとくって言ってたのはどこの誰だっけ? 見たところ行く前とテーブルに出てるものが一緒な上にこれからメシを食おうとしてるヤツにはあるまじきものが増えてるんだが」
「へっへへ」
 空になった口をへらりと緩めれば、食べ物を買いに行かされた部屋の主は呆れ返ったように首を横に振ってため息を吐きながら簡易キッチンへと足を向けた。途中で冷蔵庫を開けてペットボトルを取り出す。キッチン台へとビニール袋を置くやいなや、パキパキと音を鳴らしてキャップを外し勢いよくあおった。よっぽど渇いていたのだろう、ウィンの喉仏が大きく上下している。
 この時期のタイの日中気温は年間で最も高い。昼間の外出は控えて家で大人しくしているか冷房が効いているモールに行くのが賢い。ウィンの部屋は電気代を気にしなくていいからエアコンを惜しみなく効かせている。ティームは快適な環境下でせっせと課題をこなしており、あとは締めに良い感じの文章を入れ込めば終わるからと、ウィンにランチタイムを任せた。出歩きたくないならデリバリーとは誰もが思うわけで、オンタイムでの待ち時間はどこも一時間を超えていた。そうなれば腰が羽毛より軽い恋人は颯爽とセルフォンだけを手に持ち、なんとか日陰の中を移動出来る近所のカオゲーンの屋台へと向かったのだ。
 そして、パタンとドアが閉まる音とティームの腹の虫が愚図ったのは同時だった。
「あっちぃ」
 ウィンにしては珍しく音が出るほど大きく息を吐いて、顎を伝う汗なのか口から溢れた水なのかを手の甲で乱雑に拭う。エアコンの冷気が直接当たる場所に立っているのにTシャツの胸元を摘みパタパタとはためかせて風を肌へと送っている。
 日に当たらなくても相当暑かったんだな。
「あーっと……先輩、ご飯買いに行ってくれてありがとね。でもしょうがないだろ。お腹空きすぎて何にも頭に入ってこないし何も出てこなくなっちゃったんだもん」
 こういう時はこいつが一番効くんだ。疲れた頭には糖分という人も多いだろうがティームにとって起爆剤は塩気だった。あとちょっと、本当にあと一、二文で綺麗に締められそうなのに。
「お前のそれは完全にガス欠だろ。そんな状態でちょっと菓子を入れたところで無駄だ。一度中断してがっつりエネルギー入れてからもう一回向き合えよ」
「うー……
「唸っても駄目だ。切り替えろ」
「分かったよ」
 確かにウィンが帰ってきて集中力は完全に途切れた。ふわりと頭に浮かんでいた良い感じの文章のかけら達もどこかへ散ってしまい、ティームは塩気を舐めとった指でラップトップをスリープにして床に移動させた。ノートとペンと、応援ギャラリーのつもりで目の前に置いていた緑色のノーンもテーブルから下ろす。ノンブロッコリーはウィンの部屋にいる時はすっかり部屋の主の味方で、購入者が何度仰向けに置こうとしてもコロコロと傾いてまだテーブルに置かれたままの黄色いスナック菓子の袋へと眼差しを向けた。分かったよ、どかすよ。
 のたのたとテーブルの上を空け渡したティームの前にすかさずウィンが米の乗った皿とカトラリーの入った籠を置く。流れるような動きに嫌味かよと口を曲げて振り仰げば、キッチンへと戻るウィンからは休日にしかつけない香水の匂いが高く上がった体温で気化されてふわりと漂ってきた。
 本当に、相当暑かったんだな。先輩、すごい汗かいてる。
「いつものレッドカレーと空芯菜炒めで良かったよな? あと日替わりがガイパッキンだったからそれにしたぞ」
「んー」
 ティームは鼻奥に生返事を響かせながら菓子の袋を手にのろりと立ち上がり、キッチンに立つウィンのそばへと歩み寄った。肩口に顎を乗せる形で手元を覗き込むとパンパンに膨れたビニール袋からレッドカレーを皿に移し替えていたところで、密閉空間から解放された複雑な香辛料の匂いが立ち昇りなんとも食欲を唆る……はずだった。
 すぅと吸い込んだ先でティームの唾液の分泌を促したのは、カレーよりも至近距離にあるウィンの首筋を伝う透明な塩気。この距離で嗅ぐと先程の香水よりもはっきりと感知できる。
 カレーに続き、空芯菜炒めも鶏肉の生姜炒めも手早く皿に移し替えるウィンの動きを顎下の柔らかい皮膚で心地よく感じながら、ティームは徐に小首を傾げた。
「ティーム、悪いけどメシはシャワー浴びたあ、とっぉわ!」
 あむり、と。
 啄むには大きく齧るには歯を立てない生温さで、ウィンの首の熱さを掬い取る。効率よく動いていた身体はびくりと跳ね、年上の恋人は滅多に出さないタイプの叫び声を上げた。咄嗟に大きな手がティームが悪さをしたところを覆いにくるので少し後ろに重心を傾けて見守り、唇の粘膜に残る余韻を舌先でなぞった。覚えのある薄い塩気だ。
「先輩、しょっぱいね。おれが吸血鬼だったら高血圧になっちゃうよ」
「お前……
 この国にあらわれる吸血鬼は大変だろう。自分たちに限らず、熱帯気候でよく汗をかくから首が塩辛くなっていることが多い。そんなくだらないないことを頭に思い浮かべていると、じっとり睨みを効かせていると思われたウィンが面白そうにアーモンド型の目を輝かせていた。きゅっと上がる口角が視界に入る。
「なぁ知ってるか? 最近は口を吸う吸血鬼もいるらしいぞ」
「なんだよそれ、聞いたことな」
 突拍子ない伝聞を訝しむ間もなく、指に掬い上げられた顎先にならって仰向く唇に一年で一番暑いこの時期の熱気を押し付けられた。柔らかくて少し湿っているそれは堪能する前に離れて、つまみ食いした後のように赤い舌先がくるりとめぐる。
「お前の場合は口もしょっぱいんだよな」
 くくっと楽しそうに笑う掠れ声が遠くはないが近くもない恋人になった翌日にバスの中で聞いた声と同じで、ティームもあの時ポテトチップスを奪われ柔らかい接触を与えられた唇を同じく手の甲でごしりと擦った。
 やってやったと思ったらすぐにやり返される。悔しくて、くだらない話の続きを繋げてしまった。
……口からどうやって血を吸うんだよ」
「さぁ? 血じゃないのかも。吸血鬼だって食事ばかりしてるわけじゃないだろう。おやつとか、嗜好品とか」
「吸血鬼が血以外の何を人間から吸うの?」
「何だと思う?」
 チシャ猫みたいな笑みを浮かべる唇から白いエナメル質の歯がちらりとのぞく。いつも通りの並びのいい人の歯のはずなのに、ウィンの思わせぶりな訊き方に目が離せない。
「じゃあ何でお前は俺とキスする時に吸ってくるんだよ」
「し、知らないよ。なんで一緒にするんだよ。そ、そんな吸血鬼いるなら見せてみろ」
 やめろやめろ。回らない頭に何か裏がありそうな謎かけをしてくるな。ティームは勉強疲れの空腹に、ウィンは外の暑さと空腹に、味覚と思考の回路が混線しているんだ。
 見せろと言ったティームを上から下まで視線で撫でるウィンはニヤけたまま何も言わずに佇むだけで、その珍妙な空気を断ち切ったのはやはり行動派のティームだった。
「もー! そんな事は良いから、さっさとシャワー浴びてくる! せっかく買ってきたご飯が冷めちゃうだろ」
「何だよ。お前がやり始めたんだし、メシを買ってきたのは俺だぞ」
「ヒウヒウヒウヒウ、ヒウカーオ!」
 黙ってしまうと顔面の圧が強くなるウィンの肩をぐーっと押してバスルームの方へ意識と身体と向けさせる。おわっ! なんて人間らしい間抜けな声を出して、ウィンはすんなりとティームに従った。早く昼食を食べたいのはウィンも一緒である。
 ティームが大きく鼻で息をついていると、二、三歩離れたばかりのウィンがもう一度くるりと振り返り手に持っていたものをティームの目の前に掲げた。
「ほら、続きはまた後でな」
 反射で手のひらを差し出して受け取れば、カオゲーンのおかず袋を縛っていた輪ゴム。ティームは暫くそれを見つめてから、ハッと慌ててもう片方の手に持ちっぱなしの菓子袋を持ち上げた。ポテトチップスの話だ。そうだよな?
 同じ言葉で違うゴムを渡された覚えがあるせいで、回らない頭はすぐに混線する。
 わざとだ。絶対に。首なんて舐めたから。
 乱れた心のまま乱雑にポテトチップスの袋をぐるぐるに縛ってティーム専用のお菓子カゴの上に放った。
「くそっ」
 悪態を独りごちた拍子に舌先に塩気を感じる。芋の欠片か悪戯の余韻か、どちらにせよその塩味はティームの回らない頭の中で起爆してしまった。おかげで四方八方に散っていったはずの課題を締めるに相応しい良い感じの文章が縒り合ってしまい、ティームはシャワーの水音に重ねるように「今かよぉおお」と低く呻きながら課題の終わりを逃すまいとノートの端っこへと走り書くのだった。