タロ文庫の作品置き場
2025-12-17 10:53:54
11662文字
Public 作品
 

Coffee and Me

2024-03-01
BLOOM ’n’ BIRTH - PREM SPRING BIRTHDAY WITH BOUN IN JAPAN FAN CONCERT 大阪ギブアウェイのおまけです。
付き合っているWTのコーヒーコミュニケーション。

 そのコーヒーショップは大学のすぐ隣にある。
 車の整備工場の裏手にひっそりと店を構えている為、近い割に学生にはあまり知られていなかった。店舗名や営業中の看板もなく、工場の脇にミントブルーのヘルメットを引っ掛けたバイクが停まっていれば開店の目印となっている。
 ティームは整備工場の駐車場に停車し、作業中の工場長とその息子が顔を上げるのに合わせて胸の前でワイをして、営業中の看板代わりのバイクの横を足早に通り過ぎた。車の中からも見えた通り今日はミントブルーのヘルメットの隣にピンクのヘルメットが置いてある。ヘルメットが二つ並んでいる時はフードメニューの提供があるラッキーデーだ。ティームは以前にウィンと訪れた時のことを思い出して、口元をニマニマと緩めた。パンの耳が苦手なウィンが見た瞬間に柳眉をひょいと上げて嬉しそうにしていた、カリカリにトーストされた耳無しのサンドイッチ。ティームも一口食べて美味しさに身悶えした。お互いに目を輝かせて思わず笑みをこぼし合った楽しさを胸に、路地を曲がったところに現れたミントブルーのひさしの下、開け放たれたガラス窓の前に立った。
 コーヒーショップは整備工場の一角にあった。整備工場らしいアルミサッシの窓の前には同じ高さの木製のカウンターが置かれており、サイズがわかる空のプラカップが二つとクラフト紙に印刷されたメニュー表、小さなサボテンの鉢が並んでいる。ティームの背面には積まれたタイヤや整備道具との間にひさしと同じミントブルーのクロスがひかれた丸テーブルと椅子が二脚置かれていて、そこで買ったものを飲食できるスペースになっていた。今は作業服を着た男性が一人、座ってサンドイッチに齧り付いている。テーブルの上には丸まった包み紙が二つもある。数量限定なのだ。ティームは内心焦りつつ、来客の気配に顔を上げた女性へ「こんにちは」と挨拶をした。
「サンドイッチ、まだありますか?」
 相手が挨拶を返すより先に前のめりに訊ねる。くっきりした二重を縁取る長いまつ毛がバサバサと音がなりそうなくらい瞬きを繰り返し、店主が背の高い必死な青年を見上げて笑いを溢した。
「あるよ」
 コロリとカウベルが鳴るような落ち着いた声にティームはほっと胸を撫で下ろし、指をピースサインにして突き出す。
「二つお願いできますか?」
「まだ沢山あるから大丈夫よ、ノーン」
「ありがとうございます!」
「あぁ、あと、美味しいサンドイッチにとてもよく合うコーヒーもあるんだけど、いる?」
 ウキウキと財布からカードを取り出しレザー調のカルトンに置こうとした指をぴくりと止めた。くすくすと笑いを含んだ声に、当初の目的を思い出す。二つ並んだヘルメットが嬉しすぎて、レア度とウィンの喜び度の高いものを優先してしまったが、そうだこの店のメインはコーヒーだし、ティームはそれを買いにわざわざ車でやってきたのだ。
 ティームが気まずげにモゴモゴと口を動かすと、店主の目が柔らかく細まり、綺麗な桜色に彩られたネイルの指先がキューブ型のクリップスタンドをティームの前に差し出した。
「今日はこれも作ってみたんだけど、ノーン達の気分はどうかな?」
「うわぁ」
「こっちもまだまだ沢山あるからね」
 スタンドにはメニュー表と同じクラフト紙が挟まれていて、手書きでその日限定の店主の気まぐれメニューが書かれている。達筆な文字にティームの目はますます輝き、店主の声には楽しさが増した。
 ティームはコーヒー好きのウィンとは違い今でもメニュー表に書かれている豆の原産国や焙煎や挽き目加減についてはちんぷんかんぷんで、いつも最終的には「おすすめを」と店主に任せてしまう。ウィンに教わった魔法の呪文のようなホイップを乗せるメニューはこの店にはなく、ハンドドリップで淹れるシングルオリジンのみのメニューは一人で訪れるといつもティームを悩ませた。また店主のおすすめだろうとティームがしどろもどろ選んだものだろうと、ウィンはこの店のプラカップに入ったコーヒーはどれも美味しそうに飲むのもティームにとっては少し悩みの種だった。
 だが店主の差し出した裏メニューはティームでも胸を張ってオーダー出来る、大のお気に入りのものだ。普段のティームはコーヒーよりオバルチンが好きだしオーリアンのシンプルな甘さも嫌いじゃないので、なかなかコーヒーを飲むことはない。ただこの店の裏メニューをウィンと一緒に飲んでからは、このコーヒーの飲み方は大好きになった。
 それに、今日のウィンに渡すにはもってこいなメニューだ。
「ピー、そうしたらミルクブリューコーヒーを大きいサイズで二つください」
「オーケー。二つずつね」
 店主も何度か一人で飲み物を二つ買いに来る黒髪の青年がコーヒーの注文に弱いことを知っている。いつもアイスコーヒーを一生懸命悩みながらオーダーして、カフェオレは適当に選ぶのだ。勿論二つの飲み物を二人で買いに来ることもあるが、金髪の青年の横で「これ」とふわふわ彷徨った指がカフェオレを指す。カフェオレにも三種類の挽き目があるがそれを選ぶのも彼じゃなかった。そんなティームがする明瞭なメニューの読み上げに店主は機嫌よく会計を済まし、大きなプラカップを二つ手にとって、マジックペンの蓋を外した。そしてあまりにもウキウキと笑顔を輝かせる青年に、オーダーの際はどんな常連でもカップに書く名前はきちんと客に言ってもらうところ、店主はほんの少し悪戯心が芽生えてしまった。
「名前はティームと……
 キュキュ、と一つ目のプラカップにティームの名前を書き、ティームの口が照れを含んで開くまでの間にその下にスマイルマークを書き込む。「良い一日を」と書き終えたところで、ティームから低い声がぽしょりと溢れた。
「ウィン、です」
 本人には勿論のこと、なかなか呼び捨てでその名前を口にすることはない。指先がぶわりと熱くなって戻されたカードをうまく財布に差し込めないでいると、店主はまた楽しそうに「ウィンね」と復唱してキュキュ、とカップに書き込んだ。名前の後ろに小さくハートマークをつけられて、ティームは店主に何か言いたいような、このまま堂々としたいような、綯い交ぜになった気持ちを抱えてふわりと視線を彷徨わせた。
「ティームもウィンも、パンは焼いて良いのよね?」
 視線の先、店の奥から寺の風鈴のような高い声がチリンとした。よく見るとエプロンをした女性の亜麻色のポニーテールが揺れている。小さな店だ、店主とティームのやりとりは筒抜けで、ピンクのヘルメットの持ち主は楽しそうにサンドイッチのパンをコンロの上の金網に乗せながらティームに話しかけてきた。
「は、はい!」
 はっきりと自分達の名前が呼ばれると思わず無意識に体育会系の律儀さで返事をしてしまい、ティームは高鳴る胸をごしりと押さえた。顔を出した童顔の女性は大きくにっこりと微笑んで、左手に握った包丁をティームにちらつかせた。
「今日のサンドイッチはコロネーションチキンよ。キャロットラペとレタスとトマトも入れてあるから栄養バランスもバッチリ! カレーとマヨネーズの風味が豊かな、噛めば噛むほど美味しいサンドイッチになってるからね」
「ちょっと、お客さまに刃物を見せちゃダメ」
 店主が後ろを振り返り静かに嗜めると人懐っこいシェフは「はぁい」と良い返事をして引っ込んだ。ティームは包丁の物騒さよりも言われたサンドイッチの中身を口の中で想像してワクワクする方が優っていた。カレーとマヨネーズの味付けがされたチキンのサンドイッチなんて、ランチが程よく消化した〝おやつ〟の時間にぴったりだ。それを頬張ってから、牛乳にコーヒー粉を浸して時間をかけて抽出した濃厚なコクとまろやかさが最高のミルクコーヒーを飲む。うん、最高の差し入れじゃないか。
 ティームは口の中が幸せな想像からウィンが一息ついた時の力が抜けた柔らかい笑顔に脳内映像を切り替えて、二人の女性がオーダーしたものを手早く用意する様子を眺めた。幸いというとショップの経営者には喜ばしいことではないかもしれないが、次に待っている客もおらず、テーブルでサンドイッチを食していた作業服の男性もいつの間にか仕事に戻っており、彼女たちとティームだけの短くも落ち着いた時間が流れていた。
「お待たせしました。出来立てだから袋は分けておいたよ。こっちがコーヒーでこっちがサンドイッチね」
「ありがとうございます。いただきます」
 茶色い紙袋を二つ、カウンターに乗せた店主に、飲食を提供したものに対してティームがいつもしている律儀な挨拶を返す。両手で紙袋を持とうとして、ティームはあることをハッと思い出し慌てて店主に訊ねた。
「カフェスリーブってもらえますか?」
 手をアルファベットのCにして小さく振る。
「ホット用になっちゃうけど良いかしら?」
「大丈夫です。ひとつお願いします」
 琥珀色のアイスコーヒーなら要らなかったが優しい茶褐色のミルクコーヒーにしてしまったので、ティームにはそれが必要だった。店主から段ボール紙にショップのロゴが描かれたスリーブを受け取り、今度こそ手を振る二人に紙袋を持った両手でワイの仕草をして店を後にした。
 
 
 
 車に戻りエンジンをかけて冷房が効き出すのを待つ。駐車場に停まるティームの日本車に、ティームひとりで訪れる時は自分達の客じゃなくて娘の淹れるコーヒーに用があると知っている整備工場の父と息子は、もう顔を上げずに黙々と作業を続けている。
 それを少し眺めてからティームは紙袋からウィンの名前が書かれたプラカップを取り出した。畳まれているスリーブの両側を押して輪っかの形にしてプラカップに嵌める。ホット用のそれはプラカップには小さく、持つにしては下の方までしか嵌まらなかった。ちょうどウィンの名前の下で止まったのでティームには好都合だった。ティーム的にシンデレラフィットしたそれに満足げに鼻を鳴らして一度スリーブを外す。プラカップの表面に出てきた結露をシャツの袖口で拭いて、ズボンのポケットに入れっぱなしの赤いサインペンで名前の下にメッセージを書いた。
 店主は知ってか知らずか、ウィンのプラカップにはメッセージを書いてなかった。湾曲して書きずらい表面に辿々しいアルファベットが並ぶ。スペルミスをすると徹底的に小言を言ってくる家庭教師の厄介さを知っているからセルフォンで翻訳を見ながら書き写す。タイ語より英語にした方が抵抗が少ない気がする。英語が達者なウィンにとっては母国語だろうが外国語だろうが大差はないかもしれないが。
 アイスコーヒーの琥珀色なら重なると赤いペンの文字が見えない。飲み終わる頃に出てくるメッセージにウィンが気づくのを楽しみにしていた。それよりも美味しい裏メニューを選んでしまったので、カフェスリーブで隠すのだ。聡いウィンならプラカップについた不相応なホット用のスリーブの違和感と、それをしたティームの意図にすぐ気付くだろう。
 ティームがウィンにコーヒーを差し入れる時、二人の間にはコミュニケーションが生まれる。
 初めてした時にウィンは飲み終わったカップを洗って部屋まで持って帰ってきて、ひと騒動起きたことを覚えている。そんな唯一無二の宝物みたいにしなくても、いつだって何度だってしてあげるから、と。ポジティブな言葉だけでなく、仲直りをする時も口で謝る前に渡してみたり。そうして何度かやるうちにこのティームからのコミニュケーションは彼に馴染んでいった。ティームの日常にウィンが与えてくれる特別な行動や言動がいくつも溶け込んでいるように。
 文末に加えたエクスクラメーションマークの点を書こうとして、ふとティームの手が止まった。カップを持つ左手首を捻って、手の甲を自分に向ける。
 先程のコーヒーショップの二人を思い返した。氷の入ったプラカップに濾されてまろやかさが増したコーヒーがたっぷりと注がれて、ワックスペーパーに包まれたサンドイッチは綺麗に半分に切られた。二人の仕事人の指には同じところに同じデザインの指輪が嵌っていた。
 視線の先の指をしばらく眺めて、縦の線の下に点ではなくハートマークをゆっくり丁寧に描きこんだ。インクが靡かないのを確認してからプラカップにカフェスリーブを再び嵌め込む。
 隠す必要なんてどこにもない。本人に対してだって。こういうのは何個あったって良いものだ。
 ウィンはコーヒーが好きで、スーパーに売っているインスタントでも学校内のどこのカフェのでもレストランの最後に出てくるものでも飲んでいるし、サンドイッチだってパームが作ったものもコンビニに売られているものも大きく口を開けてバクバク食べるけれど。
 地図上では大学の隣だがティームたちのいる経済学部やプール棟からは一番離れているこのコーヒーショップに車で買いに来たのは、ウィンがこの店を気に入っているからだけでなくティームがそうしたかったからだ。ウィンも彼女たちがお揃いの指輪をしていることを知っている。
 ティームはカップを紙袋に戻して、程よく涼しくなった車をすぐそばにある大学の通用門に向かって走らせ始めた。
 
 
 
 カップの中で氷が揺蕩う音を聞きながら、滅多にくることはない建築学部や工学部の棟が並ぶ道を徐行運転で進む。同じ大学だけあって学部棟の近くにある石造りのベンチやテーブルは似た配置になっており、歩道側を見渡して程なく、ティームは目当ての金髪の青年を発見した。
 木陰のベンチにウィンが一人で座っている。長い足を持て余すように組んで、大きな手のひらで口元を覆うようにテーブルに頬杖をつく。その目線は左手の中にあるセルフォンに向かって二重の線を綺麗に見せながら伏せられていた。昼下がりの日差しと新緑の木陰のコントラストの中、染めたての金髪とジャージのブルー、制服の白と黒、バタークリーム色の肌がよく映える。こうして黙って座っているだけなら黄金比率で整った容姿と捉えどころのない雰囲気から放たれる迫力がなんて絵になる男だろう。
 ティームは、額縁のない絵画のようなその光景の中で、組んだ足の先の白いスニーカーが猫のしっぽのように機嫌の良さを表して上下に揺れているのを見つけて、鼻でひとつ大きく息をついてから紙袋を手に車から降りた。
「ウィン先輩!」
 車のフロントを回って歩道に入り、いつものように声をかければ、芸術品に見える魔法が解ける。彼はティームの声にゆっくり顔を上げると「おー」と眉をひょいとあげてのんびりと応えた。組んでいた足を解いてティームに身体を向ける。見る者に委ねられていた心の内が顔面に惜しげもなく現れて、誰が見ても喜色だとわかる笑みがくしゃりと浮かべられた。
「ん。差し入れ持ってきた」
「待ってた」
「なんだよ、先輩。連絡しないで来たんだからもっと驚けよな」
 車を降りる前に中身をコーヒーとサンドイッチの組み合わせに変えた紙袋をウィンの鼻先に突きつける。ウィンは受け取って早速中身を覗き込みながら、自分のセルフォンの画面をコツコツと指先で叩いた。
「通知が来たからな」
「それは……そうなんだけどさ」
 ティームはウィンからカードを渡されている。何でも使っていいと言われているがウィンのカードなのでウィンの為に使いたいと思い、ティームはウィンのコーヒーを買う時だけ使うことにしていた。ウィンの名義のカードだから利用速報がウィンに通知されるのは承知の上でコーヒーショップで使ったのだが、それにつけても『建築学部の知り合いのバイトを代わってやっている』という情報だけで慣れないエリアに差し入れ持参でちゃんと目の前に現れた恋人の事をもっと驚いてくれてもいいんじゃないか。
 サプライズを仕掛けたかったわけじゃないけれど予想より落ち着いたウィンの対応に唇が突き出しかけたが、袋の中身を見てひゅうとご機嫌に口笛を吹いたので溜飲を下げることにした。
「サンドイッチもあるじゃないか、ティーム」
「コロなんとかっていうカレー味のチキンだって」
「ありがとな」
 小腹を空かせていたのか、金髪の青年は輝かせた目をゆっくりと瞬いてティームを見上げてくる。つるりとした墨色の目や一括りになっている金色の毛並みがなんだかノルウェージャンフォレストのようで、可愛がりたい衝動を指先を丸めて抑え込んだ。
 テーブルをチラリと見れば、ウィンの隣のスペースにはテキストとノート、辞書に筆記用具が広がっている。バイトは高校生の家庭教師だと言っていたな。英語がずらずらと並んでいるページからティームはささっと目を逸らした。必要な時以外はなるべく見たくない。
「そういえば、なんで一人なの? 生徒の子は?」
「トイレ行って親に電話して、あとコーヒーも買ってくるってさ。授業自体はもう終わったんだ」
「えっ」
「俺の分は断った。今日みたいな日はいつもお前が持ってきてくれるから、期待してた」
 そうしたらコレが鳴ったから、とセルフォンをまた指で叩いてウィンがにっこりと笑う。
 コーヒーという単語に一瞬驚いて、その後に続いたウィンの言葉にほっと撫で下ろした胸は、次第にぽこぽことあたたまった。
 この時間に渡せて良かった。
 ウィンは家庭教師の代打の後は運動部会主催の寄付活動についての会議に水泳部代表として参加する。そして部活で泳ぎ、ティーム達の記録をとって、夜はワンに会うと言っていた。大方、仕事が忙しくてゲームが出来ない事への愚痴や現実どころか仮想空間でさえ会えていない人の大学での様子を探りたいのだろうが、本題はワンが担当しているリゾート部門の決算資料の精査ということになっている。
 世話好きの性分が本領発揮しているスケジュールを本人はなんてことなく口にするけれど、帰宅が遅くなってできない分、今朝早起きして彼自身の学生の本分をきちんと全うしていた事をティームは知っていた。
 だから今日は、いつもよりも特別な労いをしたかった。
 おれはいつでもそばにいて、先輩の全てを愛している。
 今はもうそれを躊躇いなく言える関係になっているものの、口で伝える以外でも示したいのだ。
 ウィンの顔に疲労の影がないか、じっくり探らないとなかなか見えてこないそれを見ようとしてアーモンド型の目の縁を辿っていると、大きな手が紙袋からプラカップとサンドイッチを取り出していた。
「お、カフェオレ?」
 明るい白を含んだ茶褐色の飲み物を目の前に掲げてウィンが小首をかしげる。その指がチグハグなカフェスリーブに触れていて、ティームはハッと我に返り早口でウィンに告げた。
「ミルクブリューコーヒーだよ。カフェオレよりコーヒーっぽさがあるから飲めるでしょ」
「あぁ、俺も好きだ。ティーム」
 ふわりと柔らかく笑うウィンの言葉に足元から多幸感が立ち昇ってきて、ぶわりと耳が熱くなる。コーヒーに込めたティームの愛は間違いなくウィンに受け入れられた。ウィンはコーヒーが好きだが時にピンクミルクも飲む。甘いもので頭の回転を良くするのだ。その為に飲むから、甘ければ何でも良い。でもそれじゃあ、安らぎにはならない。コーヒーと甘さのバランスが良いミルクブリューコーヒーを見て、これだと思ったティームのセレクトはウィンにピタリと嵌った。
 喜ぶ顔が見たいと思っていたがこのままメッセージまで目の前で読まれるのは流石に幸福過剰で照れてしまうから、さっさとこの場から退散しよう。ティームがそう思うと同時に、ウィンの背後から半袖短パンの少年が姿を現した。
「あ、こんにちは」
 スポーツ刈りの少年は礼儀正しくコーヒーカップをテーブルに置いてから突然増えた大学生に向かって両手を合わせてワイをした。逆にティームはウィンとの二人きりの空気感からの切り替えがうまくいかずギクシャクと会釈を返すのみになってしまった。その対比を面白そうに交互に見て、ウィンは戻ってきた今日限りの生徒に「おかえり」とのんびり声をかける。
「迷わなかったか?」
「はい。いつもここで見てもらっているので。カフェでも常連です」
 利発そうな受け答えをする少年はテーブルに置いたアイスコーヒーのストローをぐるりと回した。氷の音が涼やかな琥珀色の飲み物にはウィンのそれのようにスリーブは勿論被さっていない。ティームは即席の教師と生徒の牧歌的なやり取りに、これ幸いとスニーカーの先を車道に向けた。
「それじゃあ先輩、おれはもう行くね。次の時間、講義が入ってるんだ」
「ティーム、ちょっと待て」
 いつウィンがカフェスリーブをずらすかとソワついているこちらの気を知ってか知らずか、ウィンが普段通りの仕草で自分の青いリュックから紙袋を出してティームの手に乗せた。
「今夜遅くなるから、お前が持って帰っといて」
「え?」
 コーヒーショップの茶色い紙袋とは違い、つるりと白い紙袋は大学の敷地内にあるドラッグストアのものだった。手のひらに袋越しに箱の角が当たる。ティームが目を見開くのと、少年が小さくあっと言うのが同時だった。
「ちょうど切らしたのを思い出してさ。今日はスーパーに寄る余裕がないから、さっきそこで買っておいたんだ。今日お前のが帰るの早いだろ? 俺の部屋に置いといて」
「えっ! はぁっ?」
 跳ね上がる声と一緒に思わず手の中の紙袋を掴めば、箱の感触は複数ある。
「あぁ、さっき買ってたやつ」
 丸くなったティームの目が呑気に見上げてくるウィンと小さく頷きながらポツリと呟く少年を行き来して、ウィンに戻ると半分にすがめられた。うぅと低い唸り声が喉の奥から出る。
「おおい、先輩! 高校生の前で買ったのか?」
 照れと焦りに新たな羞恥が加わってティームの顔にはみるみる熱が集まった。紙袋を持つ指先も熱い。自分の突然の綻びに目の前の人はアーモンドアイを一瞬不思議そうにぱちくりと瞬かせたが、次の瞬間には綺麗な弧を描いた。
 口角を上げた大きな口がぱかりと開き、
「お前がうちに泊まりにくる時に必要だろ? 預かってくれても良いぞ。俺はお前が来た時しか必要じゃないから」
 殊更ゆっくりとティームの火に油を注ぐ。内緒話にしたかったのに失敗した声量でティームはウィンへの悪態を叫んだ。
 いくら躊躇いなく言い合える関係になったとはいえ、初対面の、それも高校生の前で、そんなあからさまに。
「あはは、大丈夫ですよ、ピー。僕も毎日じゃないけれど、いれてますから」
 危うく、返せサンドイッチ! 返せおれの愛! と茶色い紙袋も奪おうとした矢先に、ウィンの向こう側からのんびりした少年の声がした。今なんて言った?
 あまりの爆弾に固まっていると高校生はティームが未だに飲むのが苦手なアイスコーヒーをひと啜りして、にこりと少年らしい笑顔を浮かべた。
「美味しいですよね、オバルチン」
……へ?」
「小学生の時にどハマりして良く飲んでたんですが、今もコーヒーだとカフェインで神経尖りすぎちゃう時に淹れますよ」
 だから子供っぽいなとか全然思ってませんからね、とキュルキュルした若者らしい言外の気遣いに、ティームの思考は追いついていない。ぽってりとした唇は、ランニングの帰りに寄ったりウィンの部屋で朝を迎えた時に良く飲んでいる麦芽飲料の名前をただ復唱するだけになる。二人の間にいる金髪の頭が笑いを堪えてふるふると揺れた。
「ほら、ティーム。講義があるんだろ。遅刻するぞ」
 一見優しく聞こえる声色は語尾が震えていて、大きな手がティームが何か言い出す前に腰を掴んでぐりんと半回転させた。そして尾てい骨あたりをポンポンと押す。犬か猫のように送り出されて、ティームは肩越しにウィンに人差し指を突き出してからのしのしと大股で車に戻った。
 荒々しくドアを閉めて紙袋を助手席に放ると、緩く開いた口から中身の箱が見えた。横目でチラリと伺えば、よく見なくてもオバルチンのスティックタイプとインスタントコーヒーの箱だった。ドラッグストアで売っている少量サイズの箱だ。
 紛らわしい!
 思わず睨むと明るいオレンジ色の表面にロゴではない文字が見えた。指先で摘んで引っ張り出す。
『いつもありがとう。愛してる』
 几帳面なタイ文字は黒いマジックペンで書かれていた。そのペンが高校生のペンケースに入っていたのを先ほど見かけている。
「高校生の前で、何してんだ」
 振り回されまくった心の中は車に戻る頃には凪いでいたが、そこにまた新たにぽこりと恥ずかしいような嬉しいような感情が顔を出す。緩んでいく口元をグッと抑え込み、オレンジの箱を袋に戻して助手席側の窓の外に顔を向けた。
 新緑の木陰に座る金髪の人物とばっちりと目が合う。ミルクブリューコーヒーを大きく飲んだ後、形の良い唇が綺麗な笑みを浮かべてからゆっくりと「すけべ」と動いた。ティームはそれにイーッと歯を剥き出して威嚇して、エンジンをかけてプール棟近くの馴染みの駐車場に向かって車を出発させた。
 ウィンの目は口ほどに厄介ではない。ティームが車に戻るまでにカフェスリーブをずらしたのだろう、柔らかく細められた目は少し潤んでいて真っ直ぐに愛おしいと伝えてきた。
 朝から晩まで忙しない男が、自分を愛する誰かがいることを忘れないように。一口飲むたびに、安らぐように。
『頑張る先輩にはスペシャルなコーヒーをご褒美に。エネルギー充填!』
 誰がいても誰もいなくても、ウィンはあの目をしたままティームからの愛をしっかりときっちりと飲み干す。それを想像してティームはふへへと素直に笑みをこぼした。見慣れた駐車場に入る為にチラリと見たバックミラーに映る自分の顔も大概だった。
 ミルクコーヒーを飲み干すと、実はもう一つの愛が現れるのだ。透明なプラカップ越しに見えるように、カフェスリーブの裏側に書いておいた。今回に限り二段構えになっているコーヒーコミュニケーションに気づいたウィンの反応を想像すると、こんな顔になるのも仕方ない。書いた時は他意がなかったがさっきの思わせぶりな揶揄いであの回転の速い頭は連想するかもしれない。
 果たしてどっちがすけべかな?
 次に会うのはプールサイドだ。鬼の副部長が厳しい顔をしたところで滲み出るプライベート由来の期待とやる気を眺めることを楽しみに、ティームはコーヒーとサンドイッチの入った紙袋を手に車を降りた。
 
 
 
『and Me』
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
+++++++++++++++++++++++
あとがき
 読んでくださってありがとうございました。
 ディーンパームやプルックマナウ、ABC、ミューなどなどの近しい関係ではなく、離れた距離にいる(または初対面)人の中に、恋人であることをわざわざ明かしていないけど隠してもいないWTが自然と存在してたら良いなと思い、書きました。想い合ってる二人が好きです。
 オバルチンはミロみたいな麦芽飲料です。
 オーリアンはタイ式コーヒーです。コーヒー豆じゃなくてタマリンドの種とかで作るそうです。渡泰したら飲んでみたい。
 コロネーションチキンはイギリスのサンドイッチです。
 コーヒーのカップにメッセージを書くのとウィンのカードをティームが持っているのは原作「麻縄」のミニエピソードのネタでした。拝借しました。
 
 
 
 入らなかったネタ↓ 読み飛ばし可
 ・コーヒーショップのある整備工場はウィンのバイクのセカンドオピニオン(メインの整備は別)
 ・大学で不調になった時にドーン(ディーンの弟/建築学科)から「同じ学科にウィン先輩と同じバイクに乗ってるヤツがいて近所の整備工場が良いって言ってた」と紹介される
 ・このウィンと同じバイクの持ち主が家庭教師の代打元
 ・ティームはウィンにくっついて工場に行った。その時に裏手のコーヒーショップを知る
 ・代打での教え方がわかりやすかったと高校生が継続的な家庭教師を親経由でウィンに打診するも丁重にお断りする。伸び盛りのティームに専念したい(報酬もお金よりも価値があるし。チュッチュ)
 ・コーヒーショップのフード担当は普段の職業はレストランシェフ。休みの日にお手伝いしている
 ・ティームは今度自分でもミルクブリューコーヒーを作ってみようと思っている(作り方が簡単)
 ・渡英したティームがスーパーでコロネーションチキンサンドを見つけて「明日の朝に食べる」と言うのでフラットに戻ってから明朝飲む用のミルクブリューコーヒーを仕込むウィン