デュオアイドル「Alm Forbidden(アルム フォビドゥン)」、構成メンバーは“BRO”と“MC”。ライブ中心で活躍してきた彼らが、ついに人気コスメブランドのイメージキャラクターに決定した。
強めにライトアップされた鏡の前、目を閉じたマヒルが座っている。コスメブランドが用意したヘアメイクアーティストが彼の顔に手際よくクリーム、コンシーラー、パウダーを重ねていく。
普段のライブでも観客によく見えるように、顔立ちがくっきりするメイクは施されているけれど、今日のメイクはいつもと違う。女性向けコスメブランドの新作リップをより魅力的に引き立たせるための繊細で、少し女性的で、蠱惑的なメイク。
メイクさんの指示で彼はうっすらと目を開けて、アイラインを引かれながらチラリと私を見た。ドキリと胸が跳ねる。マヒルが目を閉じているのをいいことに、ヘアメイクが終わって暇な私が穴が開くほど見つめていたのがバレた。いつもならニヤリと笑う目と口元は動かず、流し目を送るその姿は耽美的でこの企画は大成功間違いないという確信を私に持たせる。それと同時に、国中の女の子たちがこの人に恋をするに違いないという、ほんの少しの胸の痛みも感じた。
リップブラシから移った濃い赤がマヒルの薄い唇に乗ると、メイクさんの腕が降ろされた。
「はい。基本のメイクはこれで終わりです。BROさん今回のCM演出コンテは見ましたか?」
「ありがとうございます。ええ、顔中にキスマークを付けて、じっとカメラを見るんでしたね。演技経験はあまりないので何とかこなせそうです」
「またまたー、以前のドラマ拝見しましたよ。人気者の男子高校生だって皆が納得する自然な演技で、キスシーンなんて影しか見えなかったのに」
「ちょっとその話は今は」
興奮したように過去に出演したBLドラマの話をされそうになって、マヒルが無理やり遮る。私としては面白いからもっと聞かせてもらいたかったけど、彼に強い目でにらまれ、抑えきれない笑みを無理やり隠した。空気が変わったことに慌てたメイクさんが、早口で仕上げについて話す。キスマークは唇の形をしたシリコンでスタンプのようにつけること。少し冷たいけれど動かないようにという注意を。
「わかりました。じゃあお願いします。」
「はい。今回は5種類の新色が出ますが、使用色は”ひとり占め”。黒混じりの深みのある赤色です。今回のBROさんとMCさんに使用したリップと同じ色ですね」
「へぇ~シリコンの唇にもシワがきちんと入ってるんですね。きちんとリップブラシで塗りこむんですか」
「はい。リアルさの追求のためにリップモデルに型取りを依頼して作成した本物の唇サイズです」
私は最後の発言に目を見開いた。それは本物ではないとはいえ、別の女性の唇がマヒルの顔に押し当てられるということで――。それがマヒルの顔に触れる瞬間にメイクさんを呼び止めていた。
「あっ!あの!! BROの仕上げは私にさせてもらえませんか?」
「は、はい?」
「いえ、私たちまだそんなに有名じゃないから、ライブ前は自分たちでメイクすることもあるんです! だからそういう経験もしておきたいなーって」
「ああ、そういう事もありますよね。でもこれは私の仕事ですので」
「そこをなんとか!」
「ああ、すみません。ちょっとMCは好奇心が強くて。言い聞かせますので少しお時間を頂いてもよろしいですか? 撮影開始までまだありますよね?」
だんだんと渋い顔に変わるメイクさんを、爽やかな笑顔で言いくるめるマヒルは完全にアイドル外交モードだ。まだ自分の感情を上手く整理できない私は、子供っぽさに唇を噛みそうになって慌てて止める。せっかく綺麗に塗ってもらったリップがはげたら台無しだ。
マヒルに言いくるめられたメイクさんが退出し、ドアがカチャリと閉まる。シンと静まった部屋で私はうつむいていた。仕事と私情を切り分けられない子供な自分が恥ずかしくて、でもそのスタンプを使って欲しくないなんて言い出せなくて、手を握りしめる。
椅子に座っていたマヒルが手を伸ばし、私の手の平を開かせた。爪で自分を傷つけることがないようにゆっくりと手の平をさする。そのくすぐったさと優しさに、じんわり心がほどけていった。
「こっちにこい」
「うん……」
優しく手を引かれて彼の膝の上に乗る。すぐ近くにある顔が、いつもと違ってどうにもドギマギしてしまう。マヒルは低くゆっくりした声で私を諭した。
「オレたちは仕事としてここに来てるのはわかるな?」
「……うん」
「じゃあ、お前の都合でメイクさんやスタッフを困らせちゃいけないんじゃないか?」
「……わかってるけど」
優しく諭されても、どうしてもイヤだという気持ちが浮かんでしまう。私が写るのは唇だけとはいえ、今回のCMテーマは自信に満ち溢れた女性の姿だ。こんな顔でCM撮影なんかできやしない。真剣な顔をしたマヒルが私の顔を覗き込む。
「お前はどうしたい?」
「え?」
「メイクさんにやってもらっていいのか?……こいつで」
「やだ」
彼が持ち上げたリアルな他の女性の唇が、彼の顔近くに寄るだけで焦りが浮かぶ。でもこの仕事は失えない。どうしたらいいのかわからなくて戸惑う私に、更に顔を近づけて囁くような声で彼が問いかける。
「じゃあ、どうする?」
「……」
「リアルな、キスマークが必要だ。オレの顔中を覆うような」
「……」
「オレとお前の口紅の色と同じ色だって言ってたな。”ひとり占め”だったか」
「……やる」
「ん?」
「私が、やる。マヒルに付ける。……キスマーク」
私の覚悟に満足したように笑うと、マヒルは手に持ったシリコンをあっさりとティッシュに擦り付けた。白い紙についた赤色が、もう戻れない状況になってしまった事を見せつけている。演出コンテでキスマークの位置を確認しているマヒルは、どこか嬉しそうで、私の罪悪感も吹き飛んでいった。
「後でメイクさんに一緒に怒られてくれる?」
「ああ、オレが勝手にやった事にしていい。お前は止められなかっただけだ」
「また、自分で悪事をかぶろうとする」
「別に良いだろ。オレたちは二人で一つのチームなんだし」
「さあ、一つ目は……ここだな。ここは軽く、唇の形を残さないくらいに」
彼の指が絵コンテのイラストと、同じ位置の自分の頬骨をさす。私は引き寄せられるように彼の頬骨に唇を寄せた。頬のそばかすが少し薄くなっていて、ほんの少しの寂しさを感じる。唇を離すと、絵コンテ通りの跡がそこには残っていた。鏡で自分の顔を見ているマヒルも満足げだ。
「……リップはげちゃうね」
「何度だってオレが塗り直してやる。次は、耳の前だな。ここは擦りつけるように――」
私たちは慎重に、一つずつ顔に色を載せていく。時々、マヒルが私の唇をジッと見つめてリップブラシを手に取り、唇に新しい色を盛る。私のキスマークで彼の綺麗な顔が占領されていく。一つ跡が増える度に、この人は私の物だという気持ちがムクムクと湧き、体中を満足感が満たしていく。絵コンテとほぼ同じ形にキスマークがついたところで、私はほうっと息をついて微笑んだ。この後怒られることは間違いないけれど、これならメイクさんも納得してくれるだろうという仕上がりになったから。
「マヒル、これで終わりだね。最後に私のリップ仕上げてくれる?」
「まだだ」
「え?」
「ほら、ここを見ろ。唇の端に掠れた跡があるだろ?」
「……自分で指で伸ばしたらいいんじゃない?」
私の白々しい台詞に、マヒルが楽しそうな笑みを頬に浮かべてグッと近づいて来る。私の手を掴んで指先をジッと見つめると、口元まで持っていき、私の指で口元をぬぐった。指先を走るぬるりとした感触。熱でとろけて艶やかなリップ。絵コンテの通りに掠れた口元。
「これで完成か?」
私の瞳に映るのは、企画書に描かれた通りの完璧な男性だった。でも――
「……足りない」
「じゃあメイクさんを呼び戻して直してもらうか」
そう言いながら、彼は動き出さない。真っ直ぐに私だけを見つめ、黙って待っている。どうして欲しいか、心に決めているくせにいつも私に選ばせようとするズルい人。私は彼の両頬にそっと手を添えてしっかり目を捉えた。夜明け色の紫、狭間のピンク、太陽の昇る時間のクリーム色。唇が触れる直前でふっと息を漏らす。マヒルの唇がピクリと震えた。なんて愛おしい、私だけの、太陽。
「私が直す。――マヒルは全部、私のものだから」
「ああ、お前がしてくれ」
演出プランもメイクの崩れも、頭の端でかすかに警告を鳴らしたっきり、私の意識は彼に吸い込まれていった。いつもの乾いた唇とは違う、滑りの良い潤った唇。少し薬臭い味のキス。吐息も全部飲み込むようなキス。唇から体温が伝わって、体の芯まで熱い物で埋め尽くされるような時間を二人で味わった。
唇を離して、少し荒くなった息を整えたマヒルは少し乱暴にティッシュで私の唇周りをぬぐう。自分は唇の周りをグチャグチャにしながら、丁寧に私の唇に新しいリップを載せる。そのちぐはぐ感が面白くて笑いそうになったけれど、動くな、とたしなめられてしまった。艶やかなルビーのような唇に戻った後、それを色んな角度から確認したマヒルの瞳にもう一度欲望の炎がくすぶりかけたその時、ノックの音が聞こえた。
「そろそろ時間が来ますのでメイクを再開…………ああっ!!!!」
マヒルの顔を見てメイクさんの叫びが部屋中に響いた。慌てて膝から飛びのいたけれど、絶対に見られてしまった。何があったかバレてリークされてしまったら、と最悪の事態が頭をよぎる。顔から血の気が引きそうになったその時、聞こえたのは予想外の叫びだった。
「なんて完璧! なんてエロス! 嘘でしょう!? 練習でマネキンにやった時とは全然違う!? これはMCさんが!?どうやってこんな風にキスマークを付けたんですか!?」
怒られると思って身を固くした私に届いたのは、溢れんばかりの賞賛だった。ぽかんとして固まる私に代わり、マヒルがしれっと返事を返す。
「上手いでしょう。彼女はいつもオレのメイクを担当してるので、オレの活かし方がよくわかってるんです。はい。このシリコンお返ししますよ。そろそろ撮影ですか? MC行くぞ」
すごいすごいと賞賛するメイクさんを尻目に、マヒルは私の手を引いてスタジオまで向かう。驚けばいいのか喜べばいいのか何とも言えない顔をした私の肩をぐっと寄せて、耳元で囁いた。他の人に聞こえないくらい低く小さな声で。
「オレをこんな風に出来るのはお前だけだ。これからお前は自信に満ち溢れた女性を演じるんだろ? オレを夢中にさせて、独占する、最高の女性になれるのはお前だけだ」
すっかりBROの顔になったマヒルの言葉に、身が引き締まる。そうだこれから私は多くの女性が憧れて、BROを夢中にさせる、自信に満ちた女になるんだ。自然と目元に力が入り、口角が上がる。それを見たBROがフッと息を漏らして笑った。
「それでこそ、オレのMCだ。さあ世界に見せつけてやろう」
「まかせておいて」
彼の手を引きなおし、自分の足でグッとスタジオへの歩を進めた。大丈夫。あとはカメラマンに任せるだけでいい。BROは私の物だって写真にしっかり写るはずだから。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.